FREAKS(5)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
5
教職員のみなさま。
先生方は僕たちの手本たらんと、また人生の先輩たらんとして、僕たちに様々な教訓を与えてくださいます。
時に厳しく、時に優しく諭すように先生方は僕たちを導こうとしてくださいます。
ある方は職務に忠実に、またある方は聖職者である身を理由に、僕たちをご指導してくださっています。
……が。
それは往々にして徒労と化しているということも、現実なのであります。
先生方の熱心な忠告、もしくはご指導ご鞭撻というものは、僕たち学生にはあまり届いているとは言いがたいのが現状なのであります。
いえ、決して全ての先生方、また全ての生徒がそうだとは言いません。
それに、時と場合によっては僕たちにもその言葉は真に迫るものがあり、きちんと届く事もあります。
が、今、僕が話しているのはそういった例外とは関係ない話なのです。
先生方のお話というのはいまいち僕たちに届かないという事なのです。
それは何故か?
一つに僕たちが今この十代という時代において、絶賛反抗期中ということも理由に挙げられると思います。
また、一つに先生方は異口同音に同じような話を繰り返し僕たちに話すということも、理由の一つと十分考えられるでしょう。
しかし、それよりも何よりも僕たち学生には先生方の仰る諸問題よりも、もっと重大で可及的速やかに解決すべき案件をいくつも持っているということを先生方が知らないというのが大きな理由だと思います。
それを先生方が知らない……というよりも忘れてらっしゃる間は、先生方の仰る僕たちへの苦言というものは空しく空を漂っているだけなのです。
先生方にも若かった青春時代というものがあったはずなのですから、少し過去を思い出していただけたなら、きっと今の僕の気持ちだって簡単に理解できるはずです。
もしそれが理解出来たのだとしたら、きっと今すぐ僕を解放してくださって、この職員室から出て行くことを許可してくださると思いますよ。
さあ、思い出してみてください。
ほら、こんな気持ちだったでしょう?
『あ~あ、早く説教終わってくんないかな?遅刻ぐらいで何分話すんだよ?』
どうですか?思い出されたのだとしたら、そんな厳しい口調で僕の遅刻を攻め立てるようなことはなさらないでしょう?
僕にはもっと大事なことがあるんですよ。
先生には分からないかもしれないけれど。
「――と、聞いているのか?田中?」
僕の思考にカットインするように、先生は突然問いただす。
「はい。聞いていますよ、先生」
本当の所は全然聞いていないのだけれど、そんなこと言えるわけない。
僕は今、今朝の遅刻のせいで放課後に職員室に呼び出されてのお説教を受けているのだった。
「遅刻というのは大人として責任が果たせていないってことなんだからな。しかも、お前は時々授業もサボっているだろうが。進路だって決めなくちゃいけない時期になってきているんだ。今が大事な時期なんだから、ちゃんと真剣に考えないと――」
「わかってますよ、そんなことぐらい」
先生が何度も同じような事を繰り返すものだから、思わず口答えしてしまう。
「お前、そんな口きいて一体どういうつもりだ!?」
「いえ…すみません……」
しまった。口答えしたせいで、せっかく終盤に差し掛かってきていた先生のお説教がリピートモードに入ってしまった。
これは今日は帰るのが遅くなるかもしれないな……。
先生の声を意識から遠く聞きながら、僕はそんなことをぼんやりと考えるのだった。
「失礼しました」
一礼して僕は職員室を出る。
結局、先生は一時間近く僕を絞りきって、やっと解放してくれたのだった。
「にしても、遅刻ぐらいであんなに怒んなくたって……」
生徒がみんな帰って誰もいなくなった廊下を歩きながら、僕はブチブチと文句を垂れ流す。
「進路って言ったって、まだなんも分かんないよな……」
愛子さんの事だってやっと前に進めるような気がしているだけなのだから、その先の進路なんて想像も付かない。
それこそ明日さえ分からないようなものだ。
「な~んて、カッコつけすぎか……」
そんなことを呟きながら、僕は教室のドアを開ける。
「何を一人でブツブツ言ってるのよ、太郎くん?」
うふふ、と笑う声に驚いてそちらを向くと、
「あれ?何でいんの、南?」
南は教室の窓際に立って微笑んでいた。
「太郎くんを待ってたって言ったら……嬉しい?」
「いや…そりゃ…まあ……ね」
そんな事言われたら、惚れてまうやろ!
「って、からかうなよ!」
僕は鞄を取ろうと自分の席に近づく。
「……なんだか、太郎くんと久し振りに話したような気がする」
南は窓から外を眺めながら、そう小さく呟いた。
夕暮れのオレンジ色が深く差し込む教室の中、遠くの方ではソフトテニス部のボールを打つ音と、ブラスバンド部の調子はずれな練習の音が、どことなく寂しさを演出している。
「そうか?そんなことないと思うけれど……」
僕はそう言ったけれど、それは嘘だ。
愛子さんがいなくなってからというもの、僕は意識的にも無意識にも南を避けていた。
それでも同じ学校の同じクラスなのだから、避けようもない場合もあるけれど、出来るだけ接触しないように、関わりを持たないようにした。
何故なら南と仲良くなったのは、愛子さんがいたからこそなのだから、愛子さんがいない今となっては、それが逆に僕を苦しめるような気がしたから。
僕だけじゃない。
南も苦しめるような気がして……。
だけど、そんな僕を南は一度も責めることも、問いただす事もなかった。
それがさらに僕の後ろめたさを刺激して、より一層、南を避けさせる結果になったのだけれど……。
「それで本当の所、一体なんでこんな時間まで残ってたんだ?」
「それは……」
僕に訊かれて、南はゴソゴソと手にしていた鞄から携帯電話を取り出し、
「私の所に、こんなメールが届いたんだけど……」
そう言った南に見せてもらったメールには、なだれちゃんたちと同じような内容の文面が綴られていた。
「そうか…南にも届いてたんだな……」
「南にも、ってことは……?」
「ああ、なだれちゃんや綾ちゃん、あと鏨先輩にも届いたらしい」
「そうなんだ……」
南はどことなくつまらなそうにそう言った。
「あの、さ……」
「うん?」
少しはにかんだように笑いながら、南は話し始めた。
いつもしっかりしている南が見せたその笑顔は、普段よりも幼く見えて、目が奪われそうになるほどに可愛かった。
「この学校の入学式の時……そう、あの坂にも結構桜が咲いてて、綺麗だったよね?」
「ああ……」
僕のアパートから続く坂道は春の一時期だけ実に見事な桜の通り抜けへと変わる。
「その時なんだけど……私、太郎くんに会ってるんだよ?」
「へっ?そ、そうなの?」
「その反応は、やっぱり忘れてる」
もう!と、おどける様に拳を振上げて怒るふりをする南。
「ごめん。まったく覚えてない……」
「そんなに謝んなくても……でも、ちょっとだけショックかも……」
南はそう言って小さく舌を出す。
「そ、それで?僕は南に何かしたのか?ま、まさか、変な事してないよな!?」
覚えてないってこんなに不安なんだ。
「うふふ……どうだろうね~?」
「その含み笑いはなんだ?南?」
「なんだろうね~?」
「なんだろうね、じゃねえよ!」
なんだ?その『思わせぶり』は!
と、僕たちは適当にきゃっきゃうふふした後、
「その時なんだけど……」
やっとのことで南は続きを話し始める。
「私、道に迷っちゃったんだ。はじめてくる所だったし、まさかこんな坂の上にあるなんて知らないから……」
まるで大切な思い出を語るように、微笑みながらゆっくりと南は話す。
「それでちょうど坂の真ん中辺りで、いよいよどうすればいいかわかんなくなっちゃって、ただオロオロと辺りを見回していたんだ」
「へえ~…そうなのか……ん?坂の真ん中って……?」
「そう、ちょうど太郎くんの家の辺りだよ」
窓から外を…そう、ちょうど僕の家のほうを眺めながら、南は続ける。
「誰か道を訊ける人を探したんだけど、あまり人も通らないし、通りかかる人はみんな通勤途中のサラリーマンのおじさんやOLのお姉さんだったから、声をかけようとしてもみんな足早に私の前を通り過ぎていくだけで、道を尋ねることも出来なかったの……」
「そりゃまあ、そうなるだろうな……」
朝はみんな忙しいものだ。
「そうしているとね、そばのアパートから一人の男の子が出てきたの。ちょうど私と同い年ぐらいで男子制服を着ててね。私、この人になら訊けるかもと思ったんだ……」
「それが、まさか……」
「そう、その男の子が太郎くん、君だよ」
振り返りざま微笑んで、南はそう言った。
「そうか。それで僕が道を教えてやったという――」
「ううん、違うよ」
「へっ?ち、違うの?」
「うん。私が道を訊こうと思って近づいていったら、ものすごく不自然な動きでそれをかわして、スタスタ行っちゃったもん」
「マジで?それは、何て言うか、ごめん……」
まったく覚えがないけれど、最低だな僕。
「いや、話はまだ続くんだ。そのときは私も嫌なヤツだな、と思ったんだけど、その男の子…つまり太郎くんは少し坂を上った所で、白々しくこう言ったの」
僕は一体何を言ったんだ?
固唾を飲んで、僕は南の次の言葉を待った。
「『え~っと…確か東雲東高校ってこの坂を上ったところにあったよな。僕もそこの新入生だから今日の入学式に間に合うように、さあ、坂を上るぞ』って」
「はい?」
何だ?その馬鹿丸出しな台詞は?
当時の僕はそんなに馬鹿だったっけ?
「私、その言葉に思わず噴出しちゃったんだけど、それにも構わずに太郎くんはスタスタと坂を上って行っちゃったの」
「なんともお恥ずかしい……」
穴があったら当事の僕を突き落として、その上で亡き者にしてから僕自身も入りたい心境だ。
しかしそんな僕の心境とはうらはらに、南は至極真剣な顔つきで僕を見つめて、
「全然、恥ずかしくないよ。私、とっても助かったんだから」
と、目を見て言われる。
照れて思わず目を背ける僕に、南は語り続ける。
「私、その優しさが嬉しくてお礼を言いたかったの。そしたら同じクラスじゃない!ラッキーって思ったのよ。これから仲良くしようって。でも、太郎くん最初誰とも仲良くしてなかったじゃない?椿くんと少し話すぐらいで、話しかけるなオーラが聖闘士の小宇宙ぐらいに昂ぶっていたでしょ?」
「いや、僕は決してそんなギリシャ神話から続く神々の戦いに参加できるような力は持ち合わせていないと思うけれど……」
「とにかく!そんな雰囲気だったから、私、話しかけられなかったの!」
「そ、それは、すまなかったな」
う~ん、これは謝るべき事なのか?
「いや、謝んなくていいよ。その少し後であの事件が起こって、私はまた太郎くんに助けられる事になるんだし……」
「そういえば、そんなこともあったな」
「私、そのときに思ったんだ。この人、恥ずかしがり屋で素直じゃないけれど、本当はものすごくいい人で、私の……」
南は照れたように顔を真っ赤にして、
「私の正義の味方なんだって思ったの」
と言った。
顔が赤いのは夕日のせいか、それとも……。
「め、面と向かってそんな事言われたら、ちょっとむず痒いというか、なんだか居場所がないというか……」
僕は無意識に頬を掻いていた。
僕のそんな反応を気にした様子もなく、南は真剣な顔つきで話を続ける。
「私の知ってる太郎くんはそんな人だよ。だからどんなに挫けても何度だって立ち上がって、きっと困った誰かを助けるまでは絶対に諦めるような事はないんだから」
「それは過大評価だよ」
「ううん、違う。もう分かっているんでしょ?太郎くんが自分らしくいるために何をすべきか、ね?」
「それは……」
「ふふ、本当に正直なんだから」
夕日に照らされた南が微笑む。
「そうやって、答えに詰まる所をみると、もう決心はついたんでしょ?」
「ああ……まあな」
「じゃあ――」
南は僕のほうに体を向けなおし、
「行ってらっしゃい!」
と、首を軽くかしげて一段と明るく微笑んだ。
その笑顔と、窓から差し込む夕日が眩しくて、僕は目を細める。
「私はいつも待ってばっかりだけど……本当はいつだって太郎くんたちに付いて行きたいけれど……でも!」
何かを決心したように、南は強く言う。
「でも、私の役目はこれだから!みんなの帰ってくる場所だから!だから、私……待ってる!ずっと待ってるから……」
南の瞳にオレンジ色に光る雫が見える。
「だから、絶対に帰ってきてね。約束なんだから……絶対帰って来るって、やく…そく……して……」
その後は言葉にならなかった。
「ああ、約束する。僕は絶対に帰ってくるよ。愛子さんを連れて、な」
南の頭に手を乗せながら、僕はそう誓った。
「うん……絶対だから……」
南は涙を拭きながら僕に念押しした。
「そ、それに……無事に帰ってきたら太郎くんに聞いてほしい話があるの……」
「そうか……じゃあ、死んでも帰ってこなくちゃだな」
死んじゃったらダメだよ、と南が笑い、僕も笑った。
真っ赤に染まった教室からは、いつの間にか外の部活動の音は聞こえなくなっていた。