FREAKS(1)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)次話投稿します。
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携帯電話が奏でる電子音に目が覚める。
眠い目をこすって携帯の画面を確認すると、六時五十五分と表示されていた。
「よし……起きるか!」
僕は勢いをつけて体を起こす。
眠い目をこすり、ひとつ伸びをすると僕はベッドからズルズルと這い出した。
顔を洗い、歯を磨く。
習慣というものは恐ろしいもので、特に意識がはっきりしていなくても、この作業をこなせてしまう。そのままの流れで服を着替えようとして、僕は思い留まる。
「ああ…そうか……そうだったな……」
めんどくせ、と呟いて僕は台所へと足を向ける。
朝の習慣の中に最近一つ追加したものがあった。
冷蔵庫を開けて僕自身は飲むことが無い牛乳を取り出し、これまた僕自身は食べる事がないコーンフレークを皿にあけ、それをかける。
ここまでしていながら僕には朝食を摂る習慣はない。
じゃあ何故こんな事をする必要があるか?
それを語るには少し時間を巻き戻す必要がある。
世の中の『高二の夏』が果たして実際のところどうなっているのかは定かではないけれども、きっとその甘酸っぱい響きから想像するに、おそらくきゃっきゃうふふな毎日を送り、あわよくば一夏の経験なんかをいたしてしまったりなんかしちゃったりするのかもしれない。
しかし僕の『高二の夏』はまったく、悲しいまでに、絶望的に、そういったものから遠ざかったものだった。対極といっても差し障り無いかもしれない。
夏が来る少し前、僕たちはドクロ事務所にて黒塚家の刺客たちと戦い、見事にこれでもかと敗北し、おまけに焼けだされ、あげく僕にいたっては手に酷い火傷を負い、入院する事になってしまったのだった。
何故そうなってしまったかについては、おそらく重複してしまうのでここでは割愛させていただくことにするけれども、そのせいで僕の夏はそのほとんどを味気ない病室で、味気ない病院食を食べ、味気ない毎日を送る事になったのだった。
入院しているとわかるのだけれど、最初こそ物珍しいからおかしなテンションで無駄に病院内をうろちょろと散策してみたり(その結果、婦長さんに怒られたり)みんなも珍しがって見舞いにやってきたりするのだけれど、それも一週間もすれば飽きてくる。
そう、入院生活とは暇なのだ。
そんな風に僕の夏は退屈な入院生活にそのほとんどを費やし、何も得ることなく季節上は秋を迎える事になったのだった。
そんな夏のおかげで手の火傷はほとんど痕も残さずに治ったのだけれど、しかし心に空いた大きな隙間だけはどうにも埋まる事は無かった。
夏休みを大体そんな風に過ごした僕は、残りというにはいささか厳しすぎる残暑の最中、我が眠罠荘に帰ってきた。
放任過ぎる両親はもちろん、誰も出迎えてはくれないはずだったのだけれど、僕の部屋の扉の前に待っている人影があったのだった。
その人影こそが僕が食べもしないコーンフレークをこうやって毎日用意する事になってしまった原因なのだけれど……。
「おーい……朝飯だぞー……」
あくびを噛み殺しながら、僕は押入れに向かって呼びかける。
「おーい……起きろよー……」
コーンフレーク片手に、僕は押入れの前に立つ。
「おーい……いい加減にしろよ……って、なんで僕が毎日お前に朝飯を用意してやんなきゃなんねえんだよ!」
僕は押入れの取っ手に手をかけて、勢いよく開ける。
「起きろってんだよ!木星!」
バンッ!
押入れを開け放つと、中にはまるでお人形さんのように真っ白い肌の金髪少女がすやすやと寝息を立てていた。
「いつまで寝てんだ!起きろ!」
僕の声に木星は気だるそうにゆっくりと目を開け、実に緩慢な動きで口を動かす。
「うるさい……死ね……」
「てめえ、それが起こしてくれた人に対する態度かよ!朝はおはようございますだろうが!何でそれが言えねえんだよ!」
僕の文句なんて、そこいらにいまだに飛んでいる蚊の羽音ぐらいにしか思っていないであろう木星は、眉一つ動かさず僕の手からコーンフレークが入った皿を奪い取ると、押入れの扉をぴしゃりと閉めた。その後、中からスプーンと皿の擦れるカチャカチャといった音が聞こえてきていたので起きるには起きたのだろう。
そんな訳で(どんな訳だ?)今、僕の家の押入れには木星が住み着いている。おそらく行くあての無い木星を、この優しい僕が保護してやっているというわけなのだ。
いや、決してやましい事なんてない。
皆さんが想像しているような金髪少女とのきゃっきゃうふふな展開は望めないのだ。
大体、木星ときたらほとんど押入れから出てこないのだから。さながら引きこもりの猫型ロボットのように。さらに押入れを勝手に改造して、今では内部をすっかりメカメカしくしていて、そこだけ二十三世紀と言った具合だ。
帰るべき場所を失った木星は、仕方なくこんな僕のところに転がり込んできたのだろう。
大事なときに逃げ出してしまうような僕。
大切なものを手放してしまった僕。
そんな人間を頼りたくは無いだろうけれど、それでもそうするしかなかったのかもしれない。
だからだろうか。
木星は僕を見るとき、責めているような目付きで見てくるようになった。
前までの冷たい、蔑むような視線とは違う、底に黒い熱量を秘めた視線で僕を見てくるのだ。
――あるいは僕の中の後ろめたさがそう思わせているのか?――
だから僕は、まるで罪滅ぼしのように木星をかくまっているのだろうか?
すっかり着慣れた制服に袖を通し、程よくくたびれた通学鞄を手にとって、僕はもう一度押し入れに声をかける。
「じゃあ行って来る……あの…一応聞いとくけれど晩御飯は何がいい?」
そんな僕のいじらしい言葉を受け、押入れからは一枚の紙切れが差し出された。それを読んでみると――
「……肉」
とだけ書いてあった。
「お前いつもそればっかりじゃねえか!そんなにお肉ばかり食べたいなら、よその家の子になりなさい!」
思わず母親というよりも『おかん』のような事を言ってしまった。
実は木星は毎日肉ばかり食べる。
きっと愛子さんの甘やかしのせいなのだろう。
おそらくロシア系のはずなので、そりゃあ肉食文化なのだろうけれども、一般的な家庭よりも慎ましい生活を強いられている僕の家計では、それがなかなかに重くのしかかる。というかはっきり言うと、木星に肉を食べさせる為に僕はカップめんで凌いでいるほどなのだ。
前に一度、木星に別のもの(干物とか)を食べさせようとしたのだけれど、食べる事を拒否した木星は、ハンガーストライキのように、押入れにこもって何日も顔さえ出そうとしなかった。その機嫌を取り戻す為に、僕は最高級A5ランクのブランド牛の肩ロースを500gも費やす事になったのだった。
というわけで、今晩のうちの献立は木星には何か肉料理、僕には何か安いものということになるのだ。
まったく理不尽極まりない。
でも、
「……くそ、仕方ねえから肉を食わしてやるけれど、その代わりいい子にしてるんだぞ。いいか、間違ってもそれ以上、押入れの中を改造するんじゃねえぞ!」
わかったか?という僕の言葉に押入れから、また紙切れが差し出される。そこにはこう書いてあった。
「……死ね」
「てめえ!死ねってどういうことなんだよ!」
激しく抗議すると、もう一枚紙が出てくる。
「……早く学校に行け」
「はいはい……わかりましたよ……」
僕は鞄を肩にかけなおし、『死ね』を『ありがとう』に『早く学校行け』を『いってらっしゃい、お兄ちゃん』に脳内で変換して扉を開ける。
こんな感じで僕の日常は少しだけ変化をし、それでも概ね変わりなく流れている。
僕は今晩の献立に頭を悩ませながら、学校への坂を上る