わかればなし(7)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
7
噤くんと魔魅美さんの襲撃を受けた日から、ずっと愛子さんは寝込んだままだった。
熱が下がらず、ずっとうなされていて、今は木星の作った生命維持装置の中で辛うじて生きているような状態だった。
流鏑馬さんが昼も夜も問わずずっと付きっ切りで看病をしているので、流鏑馬さん自体も日に日にやつれていっているように見える。
もちろん何人もの医者にも診せたのだけれど、その診察の結果は全て同じものだった。つまり『原因不明』『処置のしようが無い』『経過を観察』といった職務の放棄とも取れるような答えばかりを告げるので、僕は国民健康保険を解約してやろうかと思ったほどだ。
そんな中、そのまま一週間が過ぎようかとしている時だった。
僕はある意外な人物から呼び出された。
普段ならその呼び出しに応じるような事は無いだろうけれど、今は藁にもすがるような気持ちで待ち合わせ場所へと足を運ぶ。
「くくっ、まさか本当に来るとはね。貴様は本当にお人よしだな」
待ち合わせ場所に僕が行くと、その人物はすでに待っていて、僕にそんな悪態をつく。
「呼び出しといてそれは無いだろ?黒塚百夜」
「フッ、相変わらず平凡が滲み出ているような顔つきだな、田中太郎」
百夜は前に見たときと同じ真っ黒い学生服に身を包み、口の端を持ち上げて蔑んだように嗤う。
数時間前、僕の携帯電話に一通のメールが届いた。
差出人不明のメールだったので、どうせまたイタズラメールか何かだろうと思ってそのメールを削除しようとした僕は、件名を見て手を止めた。
『件名:姉さんを助けたくないのか?』
僕は思わずそのメールを開いていた。
件名だけで誰からのメールかは大体予想が付いたのだけれど、本文には今日の待ち合わせ場所と時間しか書いていなかったから、正直こうやって対面するまで半信半疑といったところだった。
「それで、どうやったら愛子さんを助けられるんだよ?」
「フッ、まあ、そう焦るな。焦る乞食は貰いが少ないと言うぞ。とりあえずコーヒーでもどうだ?」
僕たちはとりあえず人でごった返す駅前のロータリーから移動して、最近この東雲町にも出店した外資系のカフェに移動する事にした。自分で注文して席まで持っていくタイプの店だ。おしゃれな店内には休日なのも相まって様々な人が思い思いにコーヒーを楽しんでいる。
僕たちは外に面したオープンスペースに席を取り、対峙するように座った。僕は注文したカフェラテに口をつけて、話を切り出す。
「じゃあ、教えてもらおうか。愛子さんの助け方を」
「フッ、貴様はなんとも平凡なものを注文したかと思えば、早速本題に入ろうとする。まったくこれだから一般人は……」
小馬鹿にしたような態度をとって、百夜は何だかよくわからない長ったらしい名前のコーヒー豆を使ったブラックコーヒーが入ったカップを傾ける。
「少しはコーヒーを楽しむ余裕ぐらい持てないものか」
「生憎、こちらはそんな余裕をかましていられるほど、優雅なご身分ではないのでね!」
「まあ、そうだろうな。貴様のような下賤の民は日々生きることだけで精一杯なのだそうだからな。精々馬車馬のように働き、ドブネズミのごとく野垂れ死ぬがいい」
百夜はそう言うと、またカップを傾け、実に優雅にコーヒーを楽しむ。
「帰る!」
あまりの言われように腹がたったので、席を立とうとすると、
「別に止めはしないが、姉さんを助けられなくなってもいいんだな?」
百夜はまるで脅迫するかのように僕に問いかける。
「それは……困る……」
「じゃあ、黙ってもう少し待て」
そう言われて僕は渋々席に座りなおす。
それから僕たちはさして会話を交わすことも無く、黙ってただただコーヒーを味わった。なるほど、確かにいつも飲んでいるものに比べてコーヒー成分が濃いというか、何だか上等に感じる味だった。何て、暢気に味の感想を言っている間に、三十分が経とうとしている。
これは……からかわれているんじゃないか?
そうだ。そうに違いない。
こいつに文句の一つでも言って帰ってやろう。
ああ、何でこんなヤツの事を信用してしまったんだろう。
僕の馬鹿。
と、ひとしきり反省している時だった。
「……来たな」
と百夜が呟いたので、僕も反射的に百夜が見ている方向を見る。
「んな……?」
何で?
見ると、一人の女性が手にキャラメルフラペチーノのヴェンティを手に、こちらにやってくるところだった。その女性は薄いピンク色の髪を揺らして、顔からはみ出すぐらい大きなサングラスをかけ、こちらに気付いたのか、大きく手を振りながら歩いてくる。
「お久し振りねえ、ハンドレット。元気だったあ?」
席にやってくるなり親しげに百夜と話して、僕の隣に強引に座ってくる。
「君は相変わらずのようだね。バタフライ」
と、百夜は返して目を細める。
「あ、あんたは……魔魅美さん?」
「太郎くんもひっさしぶりい」
魔魅美さんはそう言うと、僕に子供みたいなブイサインを送る。
「な、なんであんたが……?」
「ぼくが呼んだからに決まっているだろう?貴様は馬鹿か?」
百夜が明らかに呆れたような顔で僕を見る。
「それでバタフライ、頼んでおいたものは持ってきてくれたかい?」
「もちのろんよお。じゃあ、忘れないうちに太郎くんに渡しておくわねえ」
そう言うと魔魅美さんは小さなぽち袋ぐらいの包みを、僕に手渡す。中を見ると、一つのカプセルが入っていた。
「何ですか?これ……?」
「それは、愛子ちゃんのお薬よお。それを飲ませたらイチコロで治っちゃうんだから」
そう言うと魔魅美さんのサングラスの奥の目がぱちりとウインクした。
「イチコロですか……」
それ、治すほうにあまり使わないような……。
「信用していいんですか?魔魅美さんは僕らの敵なんですよね?」
僕の質問に対して魔魅美さんは大きく首を横に振る。
「違うよお。太郎くん達の敵なのは噤くんでえ、あたしはあくまでも依頼があったから、ああしただけ」
「どういう意味ですか……?」
「ちゃんと説明するとお――」
魔魅美さんの、の~んびりした口調で説明されると、どれだけ時間がかかるかわからないので、僕が代わりに要点をまとめて説明しようと思う。
つまり、魔魅美さんは僕たちに対して決して敵対意識がある訳ではなくて、ただ単に仕事として依頼されたから愛子さんを襲ったのだという。
でも、その契約も襲ったところで切れてしまい、その後に別の依頼が来た。
それが――
「それが、ハンドレットからの依頼だったのよお」
百夜がふんと鼻を鳴らす。
「ぼくがバタフライに依頼したのは姉さんの病気を治してくれっていう依頼だったというわけだ。これでわかっただろう?貴様はぼくにもっと感謝すべきじゃないのか?」
「そうだったのか……」
そうだけど、百夜に感謝するのは、何というか……癪に障る。
ので、
「そういえば、バタフライって呼んでいたけれど、もしかして魔魅美さんは……」
話を変える事にした。
僕の思惑に気付いてか気付かずにか、百夜はすぐに話題を変えた。
「ああ、そうだ。彼女はヴードゥーチャイルドの元メンバーだ」
「やっぱり……その能力で愛子さんを襲ったのか……」
「彼女の能力……というか体質とでもいったほうが正しいかもしれないが、彼女の力というのは、その体内に様々な種類の病原菌を保持しているところに有る。それを対象に伝染す事によって暗殺、もしくは今回のように交渉の手段にするんだ。薬がほしければ何々をしろ、とかな。実に強い力だと思わないか?」
「ああ、確かに……」
横の席でまるで僕たちの話が人ごとかのようにチュロをかじっている人が、まさかそんな恐ろしいことをする人だとは思いたくないけれど。
「あたしのは、そんな『能力』ってほどの力じゃないよお」
照れたように笑いながら、魔魅美さんは手を横に振る。
「子供のときからたまたま体が強かっただけ。何ていうんだっけ~?免疫力?が人よりも強くて、抗体?もすぐに出来る特異体質なんだって。そのせいであたしの住んでいた地域ですごい悪い病気が流行ったときに、あたしだけ生き残っちゃったのお。あたしのお父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、近所のお友達も、み~んな死んじゃったんだけど、あたしだけなんとも無かったのお」
えへへ、と魔魅美さんは笑う。
「と~っても寂しかったあ。だってみんなあたしを置いて行っちゃうんだもん。それでそれで~、黒塚家に預けられて、愛子ちゃんやハンドレットに出会ってえ、一緒に遊んだんだよねえ」
魔魅美さんは百夜に笑いかける。
「あの頃は楽しかったな~。みんなでわあ~ってやって、ぎゃあ~ってなって、ほんっとに楽しかった~」
多分に説明不足ではあるけれど、これはあのヴードゥーチャイルドが起こしたテロ事件のことを言っているのだろう。
「でも~そのあとはバラバラになっちゃったんだよね~」
そう言って魔魅美さんはチュロをかじって遠くを見つめる。
「でもでも!久し振りに愛子ちゃんにもハンドレットにも会えたから嬉しい!」
魔魅美さんはさっきと打って変わって、元気一杯微笑んで本当に嬉しそうに笑う。
魔魅美さんは感情がストレートな人なんだな、と思う。
ニコニコと微笑んで魔魅美さんはキャラメルフラペチーノを吸い込む。ずずずず……と音を立てて吸い込むところなんかは歳よりも幼く見える。
「あはは!エッチな音!」
「エッチって……」
なんとも開けっ広げな。
「ところで愛子さんには、一体どんな病気を伝染したっていうんですか?」
さぞ、恐ろしい病なのだろうと予想して僕は訊いたのだけれど、そんな予想を大幅に裏切って、魔魅美さんの答えは、
「えっ?タダの風邪だよ」
というものだった。
「か、風邪?」
拍子抜けもいいところだ。
「うん、そうだよお。でもね~タダの風邪じゃないんだなあ」
タダの風邪って言ったじゃん。
「風邪って一つの菌が起こしている伝染病じゃないんだよお。知ってたあ?その風邪の症状を引き起こす菌をぜ~んぶ愛子ちゃんにあげたのお」
ウフッと笑う魔魅美さん。
って、酷くないか?
「でもお、さっきのカプセルに全部の菌に効く成分を入れといたから、あれで大丈夫!」
魔魅美さんは僕にブイサインを送り、キャラメルフラペチーノを飲んで「変な音~」と笑う。
「そ、そうなんですか……。魔魅美さんって一体、何種類の病気を伝染せるんですか?」
単純な興味で訊いてみただけなのだけれど、魔魅美さんは困ったように唸って、
「う~ん、いくつなんだろう……?魔魅美わっかんな~い」
それぐらい把握しとけよ。
「把握するのは無理だ」
僕の心を読んだように百夜が代わりに答える。
「ぼくもきちんとは知らないけれど、バタフライの体にはこの世界のほとんどの病気の病原体が仕込んであると聞いた。おそらくその数は何万とも何億とも言われている。それを自在に操って相手にと状況に合わせて発病させて、伝染させる力なんだ。全てを把握するというのは無理なんだよ」
「なんだか、途方も無い話なんだな……」
もしかして最強じゃねえか?魔魅美さん。
「そうか、じゃあ、あのキスも口移しで相手に病気を伝染す手段なんだ」
「そうだよお。あっ、でも~病気だけじゃなくって、恋の病も伝染しちゃうかも~。どう?試してみる?」
魔魅美さんはサングラスを少しだけずらして僕を見つめ、蠱惑的に笑う。
「いえ……遠慮しておきます……」
僕は目を逸らしてそう言うのが精一杯だった。
「とはいえ、いくら百夜の依頼だとしても、こんなあっさりと愛子さんの病気を治しちゃっていいんですか?」
僕は魔魅美さんから貰ったカプセルが入った包みをかさかさと振った。
「いいんじゃな~い。だってえ、嫌だったんだもん」
手にした食べかけのチュロをブンブン振り回して、魔魅美さんは頬を膨らませる。
「仕事だから仕方なく伝染したけれど、本当はあんな事、愛子ちゃんにはしたくなかったのお。あっ、キスは別だけどね」
キスはしたかったのかよ。
「もしも~ハンドレットが依頼してこなくても~あたしは黒塚家を裏切って愛子ちゃんを治していたと思うわあ」
うふふふ、と魔魅美さん。
「そんな……黒塚家を敵に回して大丈夫なんですか?」
「あたしなら~大丈夫~でも~」
魔魅美さんは、僕の顔の前に人差し指を立てる。
「太郎くんは~だ~め!」
「僕は……だめ?」
なんで?
「……不本意だけれど、忠告してやろう」
魔魅美さんだとちゃんと説明できないと判断したんだろう。百夜が割って入るように話しはじめる。
「貴様は今回のこの件から手を引け。姉さんを黒塚家に帰すんだ」
「ちょ、いきなりなんだよ?」
「貴様では今回の件は手に負えない。今すぐ敗北を認めて、姉さんを幾歳兄さんに返すんだ」
「いくらなんでもそりゃあないだろ?愛子さんの意思はどうなるんだよ?愛子さんだけじゃない。僕や南や木星や、みんなの気持ちは無視してもいいってのかよ?」
「そうだ」
百夜は気持ちいいぐらいに言い切る。
「今回は今までのようにはいかない。そういう相手なんだ、黒塚家というのは」
厳しい表情で百夜は続ける。
「貴様は今まで、運だけでどうにかやって来たのだろうけれど、今回ばかりは貴様の出番はない。悪い事は言わない、すぐにでも降参しろ」
「なんでお前に、そんなに心配されなくちゃならないんだよ」
「貴様の事が心配なわけじゃない。僕が心配なのは……」
そう言うと百夜は黙り込んでしまった。
……ああ~
「……なんだ、木星か」
僕が呟くと百夜は顔を真っ赤にして、
「ち、違うんだからな!そ、そんなジュピターが心配だから、貴様にこんな事を言ったわけじゃないんだからな!か、勘違いしないでくれよな!」
「お前……まだ、諦めてなかったのかよ」
「は、はあ!?な、何言って、何言っちゃってるわけ!?ば、ば、バッカじゃないの!」
百夜の顔はますます赤く染まっていく。百夜も僕に負けず劣らずな、なかなかなツンデレさんなようだ。立派なツンデレッタに成り下がって(?)しまった百夜に僕は思わず微笑みかけてしまう。
「まあ、心配すんなよ」
「じゃあ、姉さんを黒塚家に帰すんだな?」
百夜は期待に目を輝かせて、食いつくように僕の訊いてくる。
でも、
「いや、それもしない」
僕はその期待を裏切るのだった。
「なに?貴様それじゃ?」
「ああ、このまま僕たちは黒塚家に反抗して、僕らの日常を守るんだよ」
「そんなことできる訳ない!甘く考えるんじゃない!」
「大丈夫だよ。僕たちはそうやって今までも戦ってきたんだ。今回もそうやって守り抜くんだよ」
「貴様達が勝ったためしは無いと思うがな」
「それは……」
確かにそうかも。
「太郎くん。ハンドレットの言うとおりだよ」
魔魅美さんも百夜に続く。
「せっかく愛子ちゃんの病気を治してあげても、それじゃ治し損だよお」
「魔魅美さんまで……」
魔魅美さんは珍しく真面目くさった顔つきで僕をジーっと見つめてくる。
「でも、僕は手を引かないです。というよりも手を引くことは出来ないです。そんなに簡単に愛子さんを諦める事は出来ないんですよ。諦めるぐらいなら最後まで足掻いて、もがいて、傷ついたって構わない。そう思っているんで」
僕は魔魅美さんがくれたカプセルの入った小さな包みを手に取り、席を立つ。
「この特効薬はありがたく頂きますが、その忠告を『はい、そうですか』ときく事は出来ないです。心配してくれるのは嬉しいんですけどね」
僕は二人に対して
「大丈夫!」
と更に念を押して、背を向けて店を出る。
その『大丈夫』はもしかしたら、僕自身に向けられたものだったかもしれない。
しかし、僕は本当に心から後悔する事になる。
どうして、二人の言うとおりにしなかったのかと。
ただ、このときの僕には知る由も無かった。
僕達の物語にこんな結末が待っていただなんて。