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わかればなし(5)

毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)次話投稿します。

                        5

 

 

 以下回想。

 つまり、愛子さんの記憶。

 

 今から十数年前、愛子さんはもちろんまだ幼く、自分が何者かなんて考えてもいなかった。

 当時は母親と一緒に黒塚家の広い敷地の一角に小さな家をあてがわれていて、そこで二人で暮らしていたのだという。身の回りの世話は一人の若い執事が執り行っていて、それなりに幸せに感じていたのだそうだ。

 愛子さんの母親という人は、もともと名のある神社の神官の娘だったそうで、幼い頃に愛子さんは不思議な話をたくさん聞かされて育った。

 荒唐無稽で突拍子も無い話ばかりで、愛子さんはそんな母親のお話が大好きだった。

 それと同時に母親は色々な御呪いを教えてくれたのだそうだ。

 人と仲直りする御呪いだとか、好きな人に振り向いてもらう御呪いだとか、明日を天気にする御呪いだとか。

 そんな可愛い御呪いをよく教えてくれて、二人でそれを試しては、ご利益があったとか効果が無かったとかを、笑いながら話したりした。

 ただ、ほとんど家から出たことが無い、そんな毎日だった。

 

 そんなある日のことだった。

『今日、お父様に会いに行きます』

 ある朝、朝食を食べていると母親が唐突にそう言った。

『お父様?』

 愛子さんにはそれが誰のことか全くわからなかった。

 それはそうだ。愛子さんは生まれてから一度もその〝お父様〟に会った事がなかったのだから。

『お父様があなたにもやっとお会いしてくださるのよ。良かったわね』

 そう言った母親は顔を強張らせて、愛子さんの手をギュッと握り締めてきた。

『い、痛い…母様、離して』

 愛子さんがそう言うと母親は手を離し、愛子さんの手を撫でながら、不安そうな表情で見つめてきた。

 母親のそんな顔を今まで一度も見たことなかったから、愛子さんはどうすることも出来ず、ただただ見つめてくる母親に微笑み返すしかなかった。

 

 母親に手を引かれ、連れてこられたのは見たこともない大きなお屋敷。愛子さんはそれが自分の住んでいる家と同じ敷地内にあることを、この時まで知らなかった。

 大勢の召使と執事達に囲まれて通されたのは、だだっ広い畳敷きの部屋。その広さに愛子さんは無邪気にもはしゃいで走り回ったそうだけれど、今、思うとそれを見ていた母親の目は酷く悲しかったように見えたそうだ。

『こっちに来て座りなさい』

 はしゃいでいた愛子さんは母親の緊迫したその声に、おずおずとしたがって母親の隣に座った。

『今からお父様にお会いするけれど、いい子にしているのよ。いいと言われるまで静かにして、決して話してはダメよ』

 母親にそういい含められた愛子さんは静かに頷き、思わず息を止める。

『フフッ、いい子ね』

 母親はそう言うと愛子さんの頭を優しく撫でてくれた。

 

 そのまま少し待つと突然、勢いよく襖が開かれた。

 開かれた襖から、驚いた愛子さんの前に現れたのは一人の目付きの鋭い男性だった。

『お前が愛姫か……ふん、なかなかいい顔をしておる』

 四十代半ばぐらいに見えるその男は、愛子さんを見るなり、見下すようにしてそう言った。

『あ、あの……』

 話そうとした愛子さんは、母親との約束を思い出しあわてて口を塞いだ。

『なるほど、頭も良いようだな』

 何かを満足したように、その男は口の片方の端を持ち上げる。

『気に入った。今日からここで暮らせ』

 男の言葉に母親が体を震わせる。

『そんな……話が違う!』

『黙れ』

 男が押し殺すように静かに言う。

『誰が話してよいと言った?』

『で、でも……』

『貴様に発言の許可は与えていない。もう一度言う、黙れ』

 そう言われた母親は黙り込み俯くだけだった。

『お母様……?』

『心配せずとも、二人とも一緒にここに住めばよいのだ』

 そう言うと、その男は愛子さんの頭を荒っぽく撫で回した。

 そんな手つきで撫でられた事が無かった愛子さんは、思わず身を捩って避けようとした。

『ふん、お前に似て反抗的だな。まあ、いい、もう下がってよい』

『えっ?』

『良いから下がれ』

 犬でも追い払うように手で払われる。

 戸惑う愛子さんに

『さあ、行くわよ……』

 と母親が手を引いて部屋を後にした。

 

 何だか腹立たしいような気持ちを抱えて部屋を出ると、そこに一人の男の子が立っていた。

『愛姫、ご挨拶なさい。こちらがあなたのお兄様よ』

『お兄様って?』

 当時の愛子さんにとって世界とは母と若い執事と小さな家であって、そういった常識というものもよく知らなかった。父親だとか兄妹というものが、自分の知らないところでは存在している事は知っていても、それが自分自身にも居るだなんて想像だにしなかった。だから、呆けたような反応になってしまったのも仕方の無い事だ。

 そんな反応をした愛子さんをその男の子は冷めきったような目でただ見つめるだけだった。

『いいから、きちんと挨拶なさい』

 母親に注意されて

『こ、こんにちは……』

 愛子さんはあわてて挨拶をする。

 そんな愛子さんを、その男の子は相変わらず見つめるだけで、挨拶を返すことも、微笑を返すことも無かった。

『あ、あの……?』

『……いいな』

 少ししてその男の子はやっと口を開く。

『えっ?何が……?』

 声が小さすぎて聞き取れなかった愛子さんに、その男の子は顔色一つ変えずにこう言った。

『お前には母親がいて良いな』

 言われた意味が分からない愛子さんに、その男の子は更にこう言ったそうだ。

『そんな母親、いなくなればいいのに』

 その言葉に怖くなって愛子さんは母親を振り返ると、母親は悲しいような哀れむような顔つきでその男の子を見ていた。

 その男の子はそれっきり、廊下をスタスタと奥へと行ってしまい、それ以上、話すことが出来なかった。

 これが愛子さんと幾歳の初対面だったそうだ。

 

 

 後にわかった事なのだけれど、この時すでに幾歳の母親はこの世にいなかった。幾歳の母親は幾歳を生むとすぐ病気で死んでしまったそうだ。

 愛子さんたちの父親である前当主は女性関係がかなり派手だったらしく、この現代においても正妻である幾歳の母のほかに数人の女性を囲っていたらしい。その一人が愛子さんの母親だったという訳。そんな感じで百夜や、めるとちゃんとも母親が違うということなのだそうだ。余談ではあるが。

 

 母親と二人して母屋の方に移ってから少しすると不思議な事が始まった。

 あんなに元気だった母親の体調が、みるみる悪くなっていったのだった。医者に診せても原因はわからないとのことだった。

 原因不明の病で目に見えて弱っていく母親を前に、まだまだ子供だった愛子さんは何もすることが出来ず、周りに助けを求めようにも、例の前から付いている若い執事ではもちろん力にはなれず、他の使用人は誰も積極的に助けようとはしてくれず、愛子さんはただ途方にくれるしかなかった。

 弱っていく母親に願いを込めて微笑んで元気付けるぐらいしか出来なかった。

 しかし、愛子さんの願いも空しく、ほんの半年ほどで愛子さんの母親は、ほぼ寝たきりのような状態にまで悪化した。

 母親が寝たきりになっても父と名乗ったあの男は一度も見舞いにさえ来なかった。というよりも、あれからほとんど会ったことがなかった。

 そんなある夜。

 ふと目が覚めると、枕元に母親が立っていた。

『母様……?どうしたの?』

 眠たい目をこすりながら、母親にそう訊ねても何も答えず、母親はただ黙って愛子さんの体を引き起こし、そのまま手を引いてどこかに連れて行こうとする。

『母様、痛いよ。どうしたの?』

『いいから……ついて来なさい』

 そうとだけ答えると母親はとても病人とは思えないほどの強い力で愛子さんを引っ張っていく。その気迫とただならない雰囲気に愛子さんは黙って付いていくしかなかった。

 

 母親に手を引かれて連れてこられたのは、屋敷の広大な敷地の一角にある鬱蒼とした森の中だった。月が明るい夜だったので辛うじて足元は見えているけれども、木々に遮られて森の中は思ったよりも暗かった。

 暗い森を母と一緒に進んでいくと、少しだけ開けた場所に出た。

 青い月明かりの下で見る母の顔はいつもにも増して蒼白で、まるでもうすで死んでいるといわれても信じられそうなぐらいだった。

 その開けた場所の真ん中に縄が四角く張られていて、その縄にはお札が張られている。そのあまりの不気味さに愛子さんの足が自然と止まる。

『母様……あれは、何?』

 震えながら訊いた愛子さんの質問には答えずに母親は強引に愛子さんをその縄の中に引きずり込む。

『い…いや!離して!』

 必死の訴えも空しく、母親はどこからそんな力がわいてくるのかと思うほどに強い力で、愛子さんを強引に縄で囲われたその場所の中心に座らせる。

『いいから黙って言うとおりにしなさい』

 まるで脅すような母の低い声に、愛子さんは涙を浮かべながらも黙るしかなかった。

 やせ細った母の指が、愛子さんの腕に食い込む。

『これは愛姫…あなたの為なの……』

 月に照らされた目が異様に光って見える。

『あなたがこの家……いえ、この世界で生きていくためには必要な事なのよ……』

 当時の愛子さんには母の言う意味は全く分からなかった。ただただその気迫と森の中に作られたその異様な空間が、恐ろしくてたまらなかった。

『目を……目を閉じなさい』

 そう言われて愛子さんは目を閉じる。

 すると母親は左目の瞼の上に手を当てて何かを呟いている。今、思い出すとそれは祝詞だったそうだ。

 しばらくすると瞼の上が熱くなってきた。

『母様…熱いよ……?』

 愛子さんの訴えは森に響いただけで、母は祝詞を止めなかった。

『母様?何をしているの……?』

 左目の瞼は火で炙っているかのように熱くなってた。

『母様……?』

 怖くなって愛子さんは右目を開けて母を見ると、

『ひっ!……』

 母親は両目からぼたぼたと血を溢れさせて、必死な形相で祝詞をあげていた。

『いやーっ!離して!母様!離してよ!』

 身を捩る愛子さんを押し倒して、母は言った。

『愛姫……真実を見るの……あなた自身の目で真実を見て…戦いなさい……あなたは選ばれた子なんだから……』

 そう言うと母はやっと愛子さんの左瞼から手を離してくれた。

『その力は……きっと…あなたのことを守ってくれるから……信じな…さ……』

 座り込むようにしていた母親はそのまま動かなくなった。

『母様……?どういうことなの……?』

 愛子さんの問いかけにもう二度と母親が答えることが無かった。

 永遠に。

 

 それから一ヶ月ほど、愛子さんの左目は見えなくなった。

 次に左目が見えるようになったときには、人の心まで見えるようになっていたらしい。

 それからの愛子さんというのは、いろいろなものを見てきた。

 人の欲望であったり。

 人の裏切りであったり。

 人の嫉妬であったり。

 人の悪意であったり。

 人の傲慢であったり。

 人の卑怯であったり。

 人の蔑みであったり。

 ありとあらゆる人の裏側を否応にも見てしまった愛子さんは、周りからは疎まれ気味悪がられ、その出自から忌まれ、避けられ、自然と愛子さんの心も閉じてしまったそうだ。

 その後、眼帯でその左目を塞ぎ、自分の家を捨てて、愛子さんは今ここにいる。

 

 

「――というのが、この左目の秘密」

 愛子さんはそう語り終えると寂しそうに笑った。

「母様が一体何のつもりでこんなものをあたしに押し付けたのか、今でも恨んでいるぐらいだわ……でも…そのおかげで出会えた人だっているから……今となってはこの厄介な左目ともそれなりに付き合っていかなくちゃいけないんだな、とは思うわよ」

 愛子さんにそんな過去があっただなんて、意外だった。

 僕も南も何もコメントが出来ないでいると、

「ごめんね。こんな変な話始めちゃって……」

 愛子さんが珍しくそんな塩らしいことを言う。

「いえ、それはいいんですが……」

 僕は率直に気になった事を訊く。

「それと今回の噤くんの件は一体どんな関係があるんですか?」

「それは――」

 僕の問いかけに愛子さんが答えようとしたときだった。

「それにはぼくが答えるよ」

 声がして振り返ると、いつの間にか入り口のドアが開いていて、そこに僕にとって天敵とも言える存在である噤くんが、前に見たときと同じように微笑んで立っていた。

「はじめまして髑髏塚愛子さん。いえ、黒塚愛姫さま」

 噤くんは丁寧にお辞儀をする。

「あなたをお迎えにあがりました」


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