わかればなし(2)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
2
「………………えっ?」
気がつくと僕は、降りしきる雨の中、眠罠荘の前で立ち尽くしていた。
目の前では噤くんが変わらず傘を差して微笑んでいた。
今のは何だったんだ……?
僕は一体、何をされた……?
「フフッ、随分と驚いているね?君は一体、何を見てきたのかな?」
噤くんはそう言うと目を細める。
「僕は……」
本当に何だったんだ?今のは?
なだれちゃんが幼馴染で、南も佐々咲兄妹もいて、木星が転校生で、流鏑馬さんは木星の執事で……?
「さっきのはもう一つの可能性。まあ、有体に言えばパラレルワールドって所かな」
「パ、パラレルワールド?」
「そう。もっとカッコよく言うならば、平行世界」
「な、何だって!?」
確かに綾ちゃんがそんなことを言っていたけれど、そんなことってありえるのか?
「フフッ、君は本当によく驚くね。それでこそぼくも驚かし甲斐があるってものさ」
ニコニコと本当に楽しそうに笑う噤くん。彼はそのまま自分の目を指差して更に話す。
「この、金色の瞳は相手を今とは違う今に移動させる、運命を乗り換えさせる力があるんだよ」
「何それ?そんなのアリか?」
世界線を越えるってやつか?最近は流行っているらしいけれども……。
安易に流行りに乗ってしまっていいのか?
「良いリアクションだ。それだけで芸として成り立っていると思うよ。どうだい?今度は熱々のおでんを無理やり食べさせられるとか、鼻をザリガニのハサミで挟ませるとかやってみたら?」
「君は僕に何を期待しているんだ……」
そんなことしても誰も喜ばないだろう。
いや、喜びそうな人が一人……もっといるか……。
「じゃなくて話の続きだよ!何なんだよ?平行世界って?君は何でそんなものを僕に見せたんだ?」
「可能性の話さ。君の運命はああなっていたかも知れないということ。どうだい?なかなか面白そうだったじゃないか?まるで新しいラノベか週刊少年サンデーあたりの新連載みたいだったじゃないか」
「それは……」
確かにそうかもしれない。
もしもあの内容でアニメとかが始まったとしたら、とりあえず一回ぐらいは見るかも。
「じゃなくて!何回言えばわかるんだよ!僕は説明を求めているんだよ!一体何なんだよ?平行世界って?」
僕は噤くんの、のらりくらりとした受け答えに正直苛立っていた。
僕の言葉なんてどこ吹く風、噤くんは肩をすくめて、
「君は本当、せっかちだな。そんなに説明してほしいのなら、ぼくが懇切丁寧に説明してあげよう」
と言い、目を細める。
「君だって一度ぐらいは考えた事があるだろ?もしもあそこでああしなかったらとか、あそこであれを選ばなかったらだとか。君がこれまで生きてきた中で、きっと何度もあったであろうそういった別れ道の選択を、やり直したいと思ったことが少しぐらいはあるだろ?」
「それはまあ……」
普通に生きていればそういったことを考えたことがない、わけない。
「さっき君が見たのはそういった別れ道を今とは違う方に行ったとしたら、選択を変更したら、という世界なのさ。どうだったかい?もう一人の君は幸せそうだったかい?」
「もう一人の僕?」
あれはもう一人の僕だったのだろうか?
「そういえば――」
噤くんは見え見えなほどわざとらしく、
「もう一つの世界には誰がいた?そして――」
意地悪く笑って、
「誰が居なかったのかな?」
「誰が…居ない……?」
「もう少し踏み込んで訊いてみようか?」
彼はまるで僕の内面を見透かすように、正面からしっかりと僕を見据える。
まるであの人のように。
「その人が居ない世界で君はどう思った?」
「その人って……?」
僕は何となくその質問に答えるのを躊躇して、とぼける。
けれど、彼は僕を追い詰めるように更に尋ねてくる。
「もし、君が望めばさっきの世界が手に入るのだとしたら、どう?君はその誰かが居ない世界を望むことはないと心から言えるかい?」
「それは――」
居なかったその人。
愛子さんの顔が頭をよぎる。
「――ない」
「本当に?」
「ああ、ないよ。そんなことは絶対ない」
「君は――」
噤くんは笑顔のままなのだけれど、目だけは射るように光る。
「君は嘘つきだね」
「そんなこと……ないよ」
「フフッ……」
噤くんは鼻で笑う。
「まあ、いいか。じゃあ話題を変えよう」
「話題を変えるのもいいけど、とりあえず場所を変えてくれたほうが助かるんだけど……」
さすがにずっと雨の中に立ちっぱなしじゃ風邪でも引いてしまいそうだ。
「君は好きな人はいるかい?」
「はあっ?」
場所は変えてくれないんだね……。
それにしても突然すぎて声が裏返ってしまった。
「ああ、好きな人といってもライクじゃなくてラブのほうだよ」
「な、何を突然言い出しているんだ?」
修学旅行の夜かよ。
「人を好きになるというのは良い事のように言われているけれど、その事で結構、人は自分の人生を狂わせていたりするんだよね。君はどうかな?」
「ど、どうかなって言われても……」
そういえば、睦月先輩以来、僕にはそういう意味での好きな人というのは居なかったかもしれない。
「いない……んじゃないかな……?」
「へえ~それは寂しいね~」
噤くんはますます目を細め僕を笑う。
僕を嗤う。
確かに寂しいような気もするけれど、そんなこと今日あったばかりのヤツに言われたくないよな。でも、大体恋人が居ないことを寂しがる風潮がおかしいのであって、僕自身が本当に寂しいというわけではない。
のだと思う。
なのだろう。
だといいな。
なのだろうか?
「知らないのは本人だけなんだよね」
噤くんはそんな思わせぶりな事ばかり言う。
「どういう意味だよ?」
「いや、何でもないよ。さて、それじゃ――」
彼は軽やかに傘をくるりと回した。
「本題に入ろうか」
「はあっ?」
本日二度目…いや三度目になる驚きが出ました。
「ほ、本題って今までの話は何だったんだよ?」
「ああ、それは何と言うか…雑談?」
「ざ、ざつ、雑談?」
僕はこんな長い間、雑談のために雨に打たれていたのか?
簡単にそんなこと言うなよ!
「ああ、あと平行世界とか、あれも全部デタラメだから」
「…………」えっ?
驚きすぎて『えっ?』がカッコからはみ出してしまった。
「な、な、なに、何言ってんの……?で、デタラメ?」
「うん、そうさ。全部嘘だから」
フフッ、と軽く笑う噤くん。また、傘をくるりと回して見せた。
「う、うそぉおぉオオおおおぉっ!?」
嘘だろ……。
いや、嘘だと言ってるけれども。
いや、嘘だなんて嘘だと言ってほしいというか。
ああ!ややこしい!
「ちょっ、何言ってんの?何で?何でそんなこと言うんだよ?」
「決まっているじゃないか」
さも当然かのように、噤くんは呆れたような表情でこう言う。
「だってぼくは君の敵なんだから」
彼は傘をくるくると回して何事も無いようにそんなことを平然と言ってのけた。
「あ、あのさ……さっきから僕の敵、僕の敵って言ってるけど、僕が君に何かした?何で君が僕の敵なんだよ?」
僕の問いかけに噤くんは相変わらずフフッと笑って、
「ぼくが君の敵なのに理由なんてないさ。僕は生まれつき君の敵なのさ」
傘をくるくる回しながら彼はそう答える。
「生まれつきってどういうこと?」
はっきり言って答えになっていない、というか意味が分からない。
噤くんはやっぱり電波さんなのか?
だとすると、雨に打たれながら根気よく話を聞いている僕の立場は?
そんな僕の内心をあざ笑うかのように、彼はこう言った。
「ああ、生まれつきって言うのも嘘だよ」
「嘘なのかよっ!」
やっと突っ込めたよ。
「もう、一体何が本当で何が嘘かわからないよ。というか嘘しか言ってないように思うんだけど」
正直しんどい。
「人のことを嘘つき呼ばわりする割りに、噤くんだって嘘ばかりつくじゃないか」
「そんなこと説明しなくたって普通に考えれば分かるよね?だって、平行世界だよ。あははっ、何だい?平行世界って?」
可笑しそうにお腹を抱えて笑い、噤くんは僕に同意を求める。
「んなこと言われても……」
僕だって訊きたいぐらいだよ。
「まあ、なにはともあれ君が見たものを忘れない事だね。こうやって忠告してくるということは、ぼくは君の敵なのだけれど、案外いいやつなのかもしれないよ?」
「自分で自分の事を意外と良いヤツとか天然とか言っちゃうやつとは仲良くなれねえよ!」
「ハハッ!確かにそうかもね。ぼくもそうだ。そう思うよ。さてと――」
噤くんはそう言うと目を細めて、
「じゃあぼくはこれで退散させてもらう事にするよ」
「はい?」
もう退散するなんて一体何しに来たんだ?
「とりあえずは挨拶に来ただけだから。君に言いたい事も言えたし、ぼくもそんなに暇ではないからね」
「僕だってそんなに暇じゃねえよ!」
強がってみたものの、僕はかれこれ一時間近く雨の中、この自称僕の敵である噤くんの全く中身のない会話をつづけているのだ。これではまるで暇だったみたいじゃないか!
「フフッそれじゃ、また。風邪を引かないようにね」
彼は軽やかに敵である僕にまで気遣いを見せて、くるりと僕に背を向けて闇の中へと消えていった。僕はというと何となく何と声をかければいいのか見当も付かなかったので、ただただ彼を見送っただけなのだった。
彼の体がすっかり闇に融けて消えてなくなってから、僕は気がついた。
「あっ!あいつ、僕に何をしたのかは教えてくれなかった!」
彼の目の色が金色になった時、確かに僕は夢を見ていたかのように違う世界にいた。その世界では登場人物は同じでただその役割が変わっていた。
木星は気が強い転校生になっていたし、なだれちゃんは僕の幼馴染になっていた。
大きくは変わらないのでけれど、この少しの変化が僕には何か大きな違和感を感じさせる。
そして、何よりもおかしいと思うのは、その世界に愛子さんが居ないという、そのことだった。
そんな違和感を感じていたけれど、噤くんに散々振り回された僕の脳はもう考える事に疲れていた。
「クシュンッ!さすがに寒くなってきたかも……」
だから、どうせ考えても分からないのだから、僕はとりあえず自分の部屋に入ろうと眠罠荘の階段を上ることにした。
しかし――
そのときの僕には全く思いもしないことだった。
この出会いがまさかあんな結末への始まりだということを。