わかればなし(1)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
※サブタイトル変更しました(汗)
1
携帯電話が奏でる電子音に目が覚める。
眠い目をこすって携帯の画面を確認すると、六時五十五分と表示されていた。
「よし……起きるか!」
僕は勢いをつけて体を起こす。
僕の名前は田中太郎。まあ、普通の高校二年生だ。
取り留めて特技の類もないし、欠点らしい欠点もさほど無い、と思う。しいて言うなら友達が少なめというところぐらいだろうか?
洗顔、歯磨き、着替えとこなし、部屋の扉を開けると今が梅雨時だということが信じられないほどの晴天が広がっていた。
我が東雲東高等学校は、僕の住む眠罠荘から真っ直ぐ坂を上った先にある。
僕の両親は二人して考古学なるものを生業にしていて、いつも世界のどこかで穴を掘っている。今もきっと南米あたりで、掘削作業にいそしんでいる事だろう。
そんな訳で高校生になるタイミングで、僕は一人暮らしをここ眠罠荘で始めたのだった。決してきれいとも豪華とも言えない、いやきちんと言いなおそう、汚くオンボロなアパートが今の僕の家なのだった。
坂を上りきり校門が見えてきた頃、
「おっはよー」
肩を叩かれて振り返るとそこにいたのは、
「おはよー、なだれ」
彼女は簪なだれ。僕の幼馴染で、今ではそれにクラスメイトも付属している。
「相変わらず眠そうな顔して、ちゃんと朝ごはん食べてるの?お母さんが心配していたわよ」
「ああ…そういえば食べてないな~……おばさん、心配してくれてんだ。よろしく言っといてくれよ」
「心配しているのはお母さんだけじゃないんだけど……」
「ん?何か言った?」
「な、な、何も言ってない!バッカじゃないの!」
なだれは顔を真っ赤にして全力で否定する。
「何だよ、それ!そんなに怒る事ないだろ!」
「お、怒ってなんかないわよ!」
「怒ってるじゃねえか」
「怒ってない!」
「怒ってる!」
「いや~朝から相変わらず元気がいいんだよ」
僕たちの言い合いの中に、暢気に割り込んでくる声。
「ああ、おはよー糸くん、それに綾ちゃん」
その声の主はクラスメイトの佐々咲糸くんと、その妹、綾ちゃんだった。
「おはようございます。太郎さん。早速ですが――」
綾ちゃんが礼儀正しくお辞儀する。そしてこう言った。
「私をお嫁にしてください」
「あ、綾ちゃん?何言ってんのかな?」
「いえ、今週からどうやらこのお話も世界線を乗り換えたそうなんで、私のキャラも一旦リセットされて、ただのかわいい友達の妹になったみたいですし、それならこういう求婚もありかな?と思いまして」
「な、何を言っているのか、よくわからないんだけど……」
最近流行の電波さんなんだろうか……?
「まあまあ、その辺の話は太郎さんには関係ないですから、あのメイドも刀女も気がついていないうちに、さあ、早く既成事実を作りましょう!」
「既成事実って、何言ってんの?」
「そ、そうよ!そんなのダメなんだからね!」
なだれがわけも分からずに口を挟む。
「こ、高校生が既成事実だなんて……えっちいのはよくないと思います!」
「えっちいって……」
おいおいおい。
「えっちいだなんて、はしたないですよ、なだれ先輩。あなたは幼馴染でしかもクラスメイトというポジションにチェンジしたからそれに余裕を感じているんでしょうけれど、世の男達というのは妹というものに想像以上に弱いものなのですよ。さて、私となだれ先輩だったらどちらが太郎さんに選ばれるんでしょうね?」
「そ、そんなことなんか言ってないでしょ!」
なだれはグッと睨み返す。
「うふふ、さて、どうでしょう?」
そんななだれを挑発するように顎を上げて見下す綾ちゃん。
二人の間にバチバチと火花が散っているように見える。
ていうか、何でこんな事になってんの?
「ま、まあまあ、なだれも綾ちゃんもとにかく教室に行こうか……。ここじゃあまりに人目につきすぎるというか……」
二人のただならない雰囲気に、少しずつ周りに人が集まり始めているのだった。
「ふん!」
「ふ、ふん!」
なだれと綾ちゃんはお互いにぷいっと顔を背け、下駄箱に向かって争うように走り去っていった。
「ははは、二人は一体何を言ってんだろうねえ?糸くん?」
糸くんに同意を求めようと振り返る。
「太郎氏…君は……」
糸くんはプルプルと震えている。力を溜めているようだ。
「リア充は爆発すればいいんだよっ!」
そう叫ぶと糸くんはうわーんと泣きながら走り去ってしまった。
「なんだ?あれ……?」
そして僕は一人になってしまった。
と、いう具合に僕の毎日はさほど変わったこともなく、ごく普通の日常が少し騒がしく続いているのだった。
って、本当にそうか?
校門のところで思わぬ足止めを食らったせいで結局、教室に着く頃にはホームルームギリギリになってしまった。
「はーい。みんな席についてー。ホームルームを始めまーす」
僕が席に着くのとほぼ同時に担任の教師が教室へ入ってくる。
ガタガタとクラスの全員が席に着くと、
「起立」
澄んだ声が号令をかける。
声の主はクラス委員の南奈美。彼女は頭脳明晰、性格は温厚、おまけに美人で眼鏡で胸が大きい、といった完璧に完璧を掛け合わせたような女の子なのだ。
そんな南だから自然と男子の人気も高く、一年のときから並み居る強豪(サッカー部キャプテンのイケメンとか、万年トップの成績の秀才とか)がアタックをかけているのだけれど、そのどれもを見事に振り続けているという。
噂では他にずっと想っている人がいるとか、実は百合っこだとか、両親が厳しく、そのお眼鏡にかなわなければならないとか、色々といわれている。
僕なんかは同じクラスというだけで、他のクラスからは嫉妬の対象になってしまうだろう。しかし、その嫉妬を甘んじて受けるとしてもお釣りが来るぐらい、こうやってそのご尊顔を拝することができ、そのお声をご拝聴させていただける幸せに、この身は打ち震えるばかりである。だなんて、ちょっと言い過ぎたけれど、それぐらい我がクラスのクラス委員は素晴らしいということだ。
「礼、着席」
美しい声にクラス中が動く。
「はい、おはようございます。さて、早速なんだけど、今日はみなさんに新しいお友達を紹介したいと思います。じゃあ、入って」
ホームルームが始まってすぐ先生はそう言うと、ドアに向かって、いや、ドアの向こうにいるであろう新しいお友達とやらに呼びかける。
ガラガラ。扉が開き、その姿が現れる。
その姿は一言で言うならお人形さん、みたいだった。
朝の光に輝く金髪をポニーテールに括って、青い瞳をした小さな女の子がスタスタと教団の横まで進み出る。
「はじめまして。私はソフィア・ウラジミーロヴナ・ユピーテル。父の仕事の関係で日本にやってきました。日本語はまだ苦手なので、皆さんがもっと教えてくださると嬉しいです」
そう言うとその金髪少女はニコッと微笑んだ。
その笑顔はその場に天使が舞い降りたように神々しく、男達を
「うおおおおおおおおおおぉぉっっ!ぃやったぁぁぁーーーっっ!」
と叫ばせるのだった。
「はいはい!みんな静かに!特に男子!そんなに喜ばないの!」
先生に静止されるまで男たちは飲めや歌えのドンチャン騒ぎだった。
嘘だけど。
騒いだのは本当。
「ソフィアさんはお父様の仕事の関係上、常にボディーガードの方も一緒に授業を受けていただく事になっています。後ろにおられますが、みんなは気にしないようにね」
先生にそういわれて振り返ってみると、黒いフォーマルに身を包んだ男が微笑んで立っていた。その出で立ちはボディーガードというよりは執事という風情。
「席は……そうね、田中くんの後ろが空いてるからそこにしましょう。田中君、ソフィアさんがわからないことは教えてあげてね」
先生に頷いてその金髪少女は僕の後ろの席にやってくる。
おお……なんかドキドキするぞ。
「これからよろしく」
彼女に微笑みかけられる。
「よ、よ、よろしく……」
ドギマギと僕は返す。
その後の一日、僕は地面から三ミリほど浮いているような心持で終日過ごした。
寝たふりや次の授業の予習をするふりをして、後ろの席に話しに来る女子達の話を盗み聞きした所によると、僕の後ろの席にやってきた金髪の転校生はなかなかにすごい経歴の持ち主だったようだ。
曰く、父親は世界的企業の社長。だからのボディーガード。
曰く、実はまだ十四歳なのだけれど、飛び級でこの学校に入ってきた。
曰く、その歳ですでにコンピューターのプログラミングの分野では知らない人がいないほどの超天才で、様々な特許をすでに取得しているとか。そのおかげで父親の企業が発展したとも言われている、だとか。
などなど。
探れば探るほど気後れしてしまいそうなエピソードが満載だった。
そんな放課後――
「田中様」
僕は帰ろうと、教室を出たところで呼び止められる。
「はい?」
振り返ると執事がそこにいた。
「はじめまして。わたくしはソフィア様付きの執事をやらせていただいてます、流鏑馬と申します」
「は、はあ……で、その流鏑馬さん?が僕に一体何の用ですか?」
ニコニコとしたまま微笑む流鏑馬さんは丁寧に自己紹介をした後、
「それはですね……あっ!あれは!」
と、あらぬ方向を指差す。
「……はい?」
「いや、だから、あそこに!」
流鏑馬さんは必死に向かいの校舎のあたりを指差して訴える。
……怪しすぎるだろ。
明らかに僕をよそ見させて、その隙に何かするつもりなんだろ?
そうこうしてるうちに何だか流鏑馬さんは困った顔になってきているし……。
……あ~あ……泣き出しちゃったよ……。
しょうがねえな~もう。
「……一体、何が?」
流鏑馬さんが指差す方向を見てみても、特に変わったところは見当たらない。
「やっぱり、何もないじゃ――」
「失礼!」
流鏑馬さんが早口でそう言うのを聞いた途端、首の後ろに痛みが走り、その後すぐ目の前がブラックアウトした。
「……ここは?」
目が覚めるとそこは薄暗く、埃っぽい場所だった。目を凝らすと跳び箱やら、バスケットボールの入ったかごやらが見えるので多分体育館の倉庫の中だろう。しかも、
「なんじゃこりゃ?」
僕の両手はがっちりと手錠がかけられていて、足もロープで縛られていた。
「えーっと、これは……監禁?」
状況から判断するに、おそらく流鏑馬さんが僕を気絶させてここに運んだんだろう。
でも、何で?
僕が必死に頭を整理しようとしていると、
「どうやら気がついたようね」
扉が開いて外から光が差してくる。
夕暮れのオレンジ色の光が照らし出すその顔は、
「やっぱりお前か……」
今朝、見たばかりの金髪転校生が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「お前だなんて馴れ馴れしいわね。一体誰に断ってこの私にそんな口をきいているのかしら?」
「えーっと……ソフィア…さん?これは一体どういうことなのかな?」
僕の質問に対してその少女は「ふんっ」と鼻で笑う。
「私って、いっつも退屈なのよね~」
どこからか取り出した携帯ゲーム機をプラプラと振って彼女は言う。
「ほら、私って天才じゃない?だから、何やってても先が読めちゃうのよね~。」
そう言うと彼女は携帯ゲーム機の画面を僕に見せてくる。そこにはステージクリアの文字と見たこともないような高得点が映し出されていた。
「ほらね?だから、あんた私を楽しませなさいよ」
「はい?」
「いや、だ・か・ら!私を楽しませる何かを考えなさいって言ってんのよ!何?日本語わかんないの?」
「いや、日本語の意味は分かるけれど、その言葉の意味がよくわからないというか……」
「そうね……まずは日本の学校には七不思議っていうのがあるんでしょ?それを見てみたいわ!それに、何だっけ?……そう!文化祭!何よ?一体文化祭って!笑わせるわよね!文化の祭りって何やんのよ!?それにも面白いことで参加したいし、あとは……夏は日本では合宿をするんでしょ?それは絶対よね!それと――」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!なんだ?それは!?何で僕がそれに付き合わなきゃならないんだよ!」
「そんなの決まっているじゃない?」
その少女は高飛車に肩にかかったポニーテールを手で払い、
「あんたが私の前の席だからじゃない」
「はあ!?」
何言ってんだ?
「先生もおっしゃったでしょ?わからないことは教えてあげてって」
「確かにそう言ってたけど……これは……」
違うんじゃないか?
「何?まさかあんた断ろうとしてるんじゃないでしょうね?」
「そうだ。そのまさかだよ」
僕がそう言うとその少女はみるみる顔色を変えて、
「信じられない!何で断るのよ!あんた、今どういう状況かわかってんの!?」
と怒鳴る。
ええ、わかってますとも。
頭のおかしな外人に拉致監禁されている哀れな男子高校生、それが僕だろ?
「もし断ったら、どうなるかわかっているの?」
「ど、どうなるってんだよ……?」
「私のパパは世界をも動かすほどの大企業の社長よ。その力を持ってすればあんたのようなこんな辺鄙な島国の高校生一人、行方不明にするのなんて簡単なんだからね」
「………………」
脅してきやがった!?
「どうなの?やるの?やらないの?それともやられてしまいたいの?」
「最後の一個、意味が違う……」
しょうがない。ここはとりあえず話を合わせておいたほうが無難だな。
「わかったよ!やるよ!やらせてい・た・だ・き・ま・すっ!」
「わかればいいのよ、わかれば」
そう言うとその少女は微笑んだ。
ほんと、微笑だけは天使のようなやつだ。
「それじゃ、ソフィア、早速だけど僕の手錠を外してくれないか?」
「何あんた?私の名前を軽々しく口にしてるのよ?私の犬の癖に生意気だわ」
「犬?僕、犬になったの?」
こいつ、教室で見せていた顔はなんだったんだよ?
「じゃあ、お前のことなんて呼べばいいんだよ?」
「そうね……日本ではお互いにファミリーネーム、えーっと……何て言ったかしら?」
「苗字だろ?」
「そう!苗字で呼ぶのよね?」
「じゃあ、お前だったら……ユ、ユピーテル?」
なんか言いにくいな。
「なあ?ユピーテルって言いにくいんだけど…これって日本語に直せないのか?」
「日本語?日本語だと……確か、木星って意味だったと思うわ」
「へえ~いいじゃねえか?じゃあ、お前は今日から木星だ」
「木星?ふ~ん……まあまあね……いいわ、その名で呼ぶことを許可します」
そう言うと木星は少しだけ嬉しそうに笑った。
こうして木星と名乗る少女を楽しませる為に走り回る日々が始まったのだった。
――ナニカオカシイ。