ON THE EDGE(1)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
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昔……記憶が定かではないが、誰かに言われた事がある。
世の中には情報を発する人と、それを受ける人がいると。
ミュージシャンや作家、そういったクリエーターやアーティストなんかは発する側、それを消費しクリエイトされたものを使用するのが受ける側、なのだそうだ。
当時、子供だった僕はいまいち良く分からなかったけれども、発する側のほうがかっこいいなと思った記憶がある。
今の僕はどうだろう?
自分としては発する側ではないような気もするし、でも時には何かを作り出しているものなのではないかと思う。
ただ、その時話していた人にはこういわれた気がする。
「君はまだ何にもなっていない。だから、何にでもなれるし何でも出来るんだよ」と。
それはさすがに都合が良すぎる考えなのではないかと当時の僕は思った。けれどもそう言われて何だか嬉しくもあった。
というか、
よく考えるとそれって何にもなれていないということでは?
そんなことを言われて喜んでいた僕はまだ単純というか純粋というか、簡単に言うと馬鹿だったんだろうなと思う。
さて、皆さんは〝こいつ、何言ってんだ〟と思っているでしょうが、僕がこんなどうでも良い事を考えているのには、一応理由がある。
「ねえ太郎、知ってる?蟹ってね、とっても美味しいのよ」
テレビ画面を眺めながら、うわ言のように愛子さんが僕に言う。
「そうですね。そんなに頻繁に食べたことがある訳じゃないですけど、美味しかったと思います」
テレビ画面では深海に住む蟹の生態が映し出されている。真っ暗な中、長い足で悠々と歩く姿は、まるで宇宙からやってきた生物に見える。
ドクロ事務所はいつも通りの絶賛開店休業中なので、僕と愛子さんは二人してテレビをダラダラと眺めているのだった。静けさの中、聞こえてくる音といえば某公共放送の静かな音声と南が掃除をしているパタパタという音だけだった。
「………………」
「………………」
静かだ。
そういう訳で冒頭のどうでもいい話に繋がるのだった。
ボーっとそんなことを考えでもしなければ、この暇な時間を有意義に過ごす事など出来ないのだった。いや、それでも有意義かどうかは分からないけれど。
「……でも、蟹って何であんなに食べにくいのかしらね」
「そうですね。そんなに頻繁に食べたことがある訳じゃないですけど、食べにくかったと思います」
テレビでは蟹同士が爪で何かコミュニケーションをとっている。
「大体、あんな殻に包まれているのがおかしいのよ」
「そうですね。おかしいと思いますよ」
「進化の仕方を間違えたんじゃないかしら?」
「と言うと?」
「だから、もっと食べやすく進化するべきだったのよ、蟹は」
「………………」
ん?
「硬くて食べられないものは中って相場は決まっているのよ。骨だって、アイスの棒だってそうでしょ?それなのに蟹といったら何を思ってあんな事になっているのかしら」
おかしなことを言い出したぞ。
「もっと食べやすい感じに、そうね…例えば殻があったとしても切り込み線が初めから入っていて、そこから簡単に殻がむけるようになっていれば、あたしだってこんなに文句を言わないと思うのよ。そんな風になれなかったのかしら?」
そうならないために蟹も真剣に考えた結果、今のような進化を遂げたんだと思う。
何も好き好んで食べにくくなったわけでは……あるのか。
食べられない為に食べにくくなったというのに、それについて文句を言われるだなんて蟹にとっては、まったくはた迷惑な話だろう。
テレビという媒体を通じて発せられたものを、愛子さんが受けることによって蟹に対して迷惑なだけの文句が生まれるのだった。
「ねえ?聞いてるの?太郎?」
「あっ、はい。聞いてますよ」
愛子さんはそんな僕の内面を盗み見ようとするように、目を細めじろじろと見てきた。
「な、何ですか?」
「あなた……別のこと考えていて、あたしの言う事をちゃんと聞いていなかったでしょ」
「何で分かったんですか?」
「ふふーん。あなたのことなんてなんだってお見通しなんだから」
そんなに分かっているなら、もう左目要らないですよね?
そんな風にグダグダとしているときだった。
コンコン。
突然、ドアがノックされた。
「はい。どちら様ですか?」
トテトテと南が応対に出る。
「あら!いらっしゃいませ。珍しいね」
南の応対から、ドクロ事務所を訪れてきたのが親しい人物である事がわかる。
「どうぞどうぞ」
「はい。お邪魔します」
訪問者は折り目正しく挨拶をしてから事務所の中に入ってくる。
「あら、本当に珍しいじゃない。なだれちゃん」
愛子さんにそう言われてなだれちゃんは、はにかんだように笑った。
彼女は以前の仕事の依頼者で、今では立派な戦うウエイトレスである簪なだれちゃん。なだれちゃんはドクロ事務所と同じビルの一階にあるトルコ料理屋でアルバイトをしているのだが、今日はそのバイトの休憩時間にでも来たのだろう、いつもの制服姿ではなくウエイトレス姿だった。隣に並ぶ南と相まって、全男子垂涎の光景となっている。こういうのを眼福というのだろう。拝みたいくらいだ。
「……太郎くん、何しているのかな?」
「……何を拝んでいるんですか?叩っ斬りますよ」
どうやら僕は無意識のうちに二人を拝んでいたらしい。
「いえ、何でもありません」
物騒な台詞に我に返った僕は、かぶりを振りながら答える。
「そうですか。じゃあ、叩っ斬ります」
「じゃあって何で!?」
「どうせならあたしの手でとどめを刺して差し上げようかと」
「どんな理由だよ!」
弁解の余地無し!
「まあ、それは置いておいてこっちに来て座りなさいよ」
置いとくのかよ!
「は、はい……」
愛子さんに促されてなだれちゃんはおずおずと僕の正面に座る。そんなに嫌がらなくても……。何だか目を逸らすし……。
何となくショック……。
「さて、なだれちゃんが一人で来るということは、一体どんな依頼なのかしら?」
「依頼?」
なだれちゃんが依頼だなんて。
「また何か、困った事でもあるのか?なだれちゃん?だったら、僕達が力になるけど」
「困った事というか……」
となだれちゃんは困った顔をした。
「困っているみたいじゃないか!言ってみてよ。力になるからさ」
「困っていると言えばそうですけど…力になってもらえるかどうか……」
「ん?どういう意味だ?」
その時だった。
コンコン。
さっきまでの閑古鳥が嘘のように、再度、ドクロ事務所のドアがノックされた。
「はーい。ただいまー」
南が応対に出る。
「来たかしら?」
なだれちゃんが呟いた。
「来た?誰が?」
南がドアを開けるとそこには、小さな女の子……もとい身長の小さな女の子が一人で立っていた。俯きがちでモジモジしているその子に、
「迷わなかった?ナカコちゃん?」
となだれちゃんが声をかける。
「ナカコちゃんって……」
ナカコと呼ばれたその子はなだれちゃんの姿を発見すると、安心したようでさっきまでの強張った表情崩し、コクンと頷く。
顔を上げたナカコちゃんを見て僕は思い出した。
この子、年末にライブで見た子だった。
そのときの彼女はステージの上で堂々とギターをかき鳴らしていたのだけれど、今、僕の目の前にいるその子は恥ずかしそうにもじもじとするばかりだった。
「まあ、なにはともあれ入ってもらって南ちゃん」
「はあーい。どうぞー」
ゆるーく南に案内されてナカコちゃんも事務所に入ってくる。
「それで、その子は何なのかしら?なだれちゃん?」
「はい。それはあたしの依頼に関係あるんですけれど……」
そう言うと、なだれちゃんとナカコちゃんは一瞬だけ目配せをした。そしてこちらを向いたなだれちゃんの目は何かを決心したような目だった。
「私の依頼というのは――」
その後、なだれちゃんの言った依頼の内容に僕達は心から驚かされたのだった。