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Heart-Shaped Box(5)

毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。

                        5

 

 

「……悲鳴をあげないんですね」

 彼女がそう呟く。それと同時に、僕の喉元から突きつけられていた冷たい感触が消えた。

「もっと、泣き叫んだりすると思ったのに……」

「生憎、人の期待に応えるのは苦手なんだよ」

 つまらなそうに呟く彼女に、そんな軽口を叩くぐらいには精神的にも落ち着いてきている。

 嘘です。落ち着いたように見せているだけです。

 本当は大音量のダンスビートを刻んでいるような、心臓の鼓動が彼女にばれないようにするのに必死だったんだけど。

 それでも不思議と焦ってはいなかったし、妙に頭は冴えていたように思う。

「……僕は、少し前にある人を好きになったんだ」

 冴えた頭で思いつくまま、僕はその子に話し始めた。

「その人は自分の思いを殺してまで、僕じゃない別の人を思っている人だった。その別の人もその人のことを大事に思うあまり、傷つけないようにしようとするあまり距離を取ってその人を見守る事だけしかできないような人だったんだ。僕はそんな二人の関係を見ていてそんな風に誰かを思えるような人に憧れたんだろうと思う」

 僕の話を彼女は静かに聞いている。その表情は僕が照れくささのあまり、目をそらして話しているせいで読み取る事は出来ないけれど、きっと真剣に聞いてくれているんじゃないかと思う。

「だから、そんな彼女の事を好きになったんだ。僕もそうなりたいと思って」

「それで……」

「ん?」

 ずっと黙って聞いていた、彼女が唐突に話し出す。

「それで、太郎さまは私とは付き合えないというんですね……?」

「まあ、それだけというわけでもないんだけど、一番大きな理由はさっき言ったような事が関係してくるのかな」

 僕は極めて冷静に、いや、冷静に見えるように気を配りながら話す。

「僕は人を好きになるっていうのは、さっき言ったみたいに相手と自分の優先順位が入れ替わる事だと思うんだよ。これは心の中の問題で、心の中というのは誰にも強制できないんだから、つまりは――」

 僕は今度はしっかり相手を見て言う。

「どんなに脅されようと君を好きにはなれない」

「そ、そんなの」

 彼女は震えながら、必死に否定しようとする。

「そんなの、ただの自己満足じゃないですか!」

「そうさ。ただの自己満足かもしれない。独りよがりって人は言うかもしれない。結局、自分を納得させる為の方便なのかもしれない。けれど、究極的には人はエゴなものなんだよ。どんだけきれい事を並べたとしても、本当に相手の心が分かる人なんて――」

 愛子さんの顔が脳裏に浮かんだ。けれど。

「いない」

 僕は意識して強く言い切った。

「よくも悪くも人は誰かに自分の心を押し付けて生きているんだよ。でも、どうせ押し付けるならその人のことを出来るだけ思って、優しい気持ちを押し付けてあげたいじゃないか」

 あの二人は気持ちを押し付ける事さえも、相手の事を考えるあまりやめてしまっていたけれど。どれだけ優しい気持ちだとしてもそれを押し付けると相手の重荷になるということか……。

「僕は君に、それがたとえどんな気持ちだとしても押し付けたいとは思わない。そう、思うことが出来ないんだ。そんな相手を好きになんてなれるわけ無い。そうだろ?」

「……そんなのは詭弁です」

「詭弁じゃないよ。これは矛盾しているかもしれないけれど、自分の大事な人だからこそ自分の重荷を背負わせる事ができるんだよ。相手にとっては苦痛かもしれないし、迷惑かもしれないけれど、気持ちを、思いを伝えるというのは、大切に思っている相手にしか出来ないんだ。何故なら、その時には僕は相手の思いも、気持ちも、どんな言葉も態度も、好きも嫌いも、全部背負い込む準備が出来ているんだから。そう思える相手にしかそんなことできるわけ無い。だから――」

 自分でも驚くほど自然と言葉が出てくる。

「僕は死んでも君を好きにならない。殺されたって君と付き合う事は出来ないんだよ」

「そ、そんな……」

 彼女は僕の言葉に打ちのめされているようだった。

 僕自身も、自分自身でこれほどまではっきりと他人を拒否したことがなかったから、戸惑っている。でも、不思議と罪悪感はなかった。悪いとも、申し訳ないとも思わなかった。今の気持ちを誤解を生むかもしれないけれど、簡単に言うなら、

 仕方ないじゃないか。

 が正しいように思う。

 確かに、殺されるぐらいなら口先だけでも付き合うといえば済む事かもしれないし、少しは考慮してあげるとか、「まずはお友達から」といった言葉でお茶を濁してもいいと思う。以前の僕なら間違いなくそうしていただろう。

 しかし、僕は知ってしまった。

 人を好きになるということがどういうことかを。

 この0と1の間には地球とM78星雲ぐらいの隔たりがある。

 光の戦士ぐらいじゃないと、その間を行き来することは出来ないんだ。

 そして、僕は人間だ。それも一介のちっぽけな男子高校生。

 そんな僕は知ってしまったことを、おいそれと知らなかったことには出来ない。

 大人は光の戦士を作り出すぐらいだから、知らなかったことにできるというけれど、僕はまだその術を知らない。

 だから、こう言うんだ。

「僕は好きでもない相手とは付き合えない」

 

「そうですか……分かりました……」

 僕の長々とした説明とも言い訳とも取れない説得が功を奏したのか、彼女はゆっくりと頷き小さくそう言った。

「そうか。分かってくれたんなら僕のこの手錠を外し――」

「やっぱりあなたを殺します!」

 喜ぶ僕に向かって彼女は剃刀を向ける。

「何で!?僕の気持ちは伝わっただろ?」

「ええ、太郎さまの気持ちはよく分かりました。その気持ちを知って、私のことをそんなに真剣に考えてくださったなんて、ますます好きになったぐらいです」

「じゃあ、どうして!?」

「それとこれとは全く別問題なのです」

 彼女は手首から滴り落ちる、真っ赤な血をぺろりと舐めて僕に微笑んだ。

「もとより太郎さまがそう言うだろう事は予想していました。あっ、もちろん私のことを好きになってくださるほうが良いんですが。そうならないだろうな~と思っていたのですよ。だから、こんな風に太郎さまをこの場所にお連れしたのです」

「どういう……?」

「最初に言ったとおりですよ。私と付き合ってくださらないなら――」

 彼女はとても魅力的に微笑む。

「太郎さまを殺すだけですわ」

 だめだ。

 最初から分かっていたじゃないか。

 この子は普通じゃないって。

 話してどうにかなる相手じゃないんだ。

 分かっていたはずなのに。

 分かっていたはずなのに。

 分かっていたはずなのに。

 分かり合うことは出来ないと。

 破綻しきっているこの子に何を言っても無駄だろう。

 彼女はゆっくりと僕に近づき、目の前に跪く。

「太郎さまはもう私のものです」

 そう言うと、血だらけの左手で僕の頬を撫でる。

「無駄だよ。殺そうが、どうしようが僕は君のものにはならない」

 僕は精一杯、強がる。

「なぜなら――」

「あたしがいるからよっ!」

 僕にはこんな時に必ず助けに来てくれると信じている人がいる。

 勢いよく扉を開いて現れたその人は

「やっぱり来てくれたんですね――」

 腰に手を当てて不適に笑う。

「――愛子さん!」

 当然のように突然現れた愛子さんは血まみれな僕や、謎のゴスロリ少女に臆することなくカツカツと監禁部屋に入ってくる。

「まったく、あなたはどうしてそんなことになっているのよ。わざとそうなっているとしか思えないわね」

 呆れたような顔でこちらへやってくる愛子さん。

「……すみません」

「あなたは本当に飽きないわ。面白くてオスカーかパルムドールをあげたいぐら――」

「こっちに来ないでください!」

 急な展開に一瞬置いていかれそうになっていたゴス女が、僕の首筋に剃刀を突きつけて声を荒げる。

「あなたね、太郎の事が好きっていう奇特な女の子は。にしても……」

 愛子さんは僕たちを上から下まで眺めて、

「それは一体どういうつもりなの?」

 愛子さんはそう言うと颯爽と左目の眼帯を外す。

「太郎さまは私のものなんです!あなたには関係ないことなんです!」

「なんで太郎なのよ?おかしいじゃない?」

「……何がですか?」

「あなたからは視えてこないのよ。太郎のことを殺したいほど好きだって気持ちが」

 愛子さんの琥珀色の左目がきらりと光ったように見えた。

「な、何を言っているんですか!私の気持ちが見えるとでも――」

「視えるのよ。そして……視えないの」

 愛子さんは少しだけ寂しそうに微笑んだ。ように見えた。

「視えないのよ、あなたから太郎への気持ちが」

「そんなわけ……」

 彼女は小さく呟くと、みるみる血の気が引いていく。

「図星だったみたいね。あなたの気持ちから視えてくるのは……」

「やめて……」

 彼女は今までに見せていた強気で狂ったような顔では無く、弱弱しい年相応の少女の表情で涙声で呟く。

 それにお構いなく、愛子さんは淡々と続ける。

「あなたの気持ちからは、あなた自身への憎悪しか視えてこないのよ。その生贄にどこかで見た太郎を選んだんでしょ?」

「生贄……?」

 物騒な言葉が突然出てきたから、僕は意味を分かりかねていた。

「そう、生贄。生贄っていうと聞こえが悪いなら、そうね……道連れ、かな?」

 愛子さんに対して彼女はもう何も反論をしなくなっていた。

「この子は自分を変えたくて、自分を傷つけて、それでも変わらなくて、それであなたに目をつけたのよ。あなたといれば自分も変われるんじゃないか、あなたとならば自分もまた新しくなれるんじゃないかと思っちゃったのよ」

 手が急に楽になったと思ったら、後ろに流鏑馬さんが立っていて、手錠を外してくれたようだ。

「さあ、帰るわよ、太郎。あなたはこんな子のものじゃなくて、髪の毛一本まで全部、あたしのものなんだからね」

 愛子さんはウインクをして眼帯を着けなおした。

 彼女は俯いたまま、もう何も言わなくなってしまっていた。

 

「そういえば、僕がさらわれたのをどうやって知ったんですか?」

 僕は体についた埃を払いながら、愛子さんに訊ねる。

「えっ?あなたさらわれてたの?てっきり、ほいほい付いて言ったんだと思っていたわ」

 人をゴキブリか何かだとでも思っているんだろうか。

「あれ?でも、じゃあなんでここに助けに来てくれたんですか?」

「ああ、それは――」

 愛子さんは僕の足元でうずくまっている彼女を見て、

「太郎が出て行った後にあたしたちのところに依頼があったのよ。その依頼っていうのが――」

 彼女を指差し

「その子の捜索だったの」

「捜索って?」

「その子、家出少女みたいなの。その子の家族から探して欲しいって依頼があって、木星に頼んだら携帯電話のGPSですぐにここが分かったってわけ。で、来てみたらたまたまあなたが監禁されていたのよ」

「たまたまって……」

 ちょっと酷くないか?

「それはそうと、ちょっと静か過ぎるような……」

 あれだけ雄弁に自分の気持ちを語っていた彼女が、さっきから一言も発していない。いくら愛子さんの言ったことが図星だったとしても、もう少し弁明してもいいんじゃないだろうか?というか、僕を好きだと言うのは、嘘だったのか?その辺りをはっきりさせておかなくては僕のこの気持ちは一体どうすればいいっていうんだ。

 ちょっとは嬉しかったのに……。

「おい?どうしたんだよ?何とか言って――」

 僕が彼女の肩に手を触れると、そのまま彼女はゆっくりと倒れた。

「っ!?」

 眠るように目を閉じて彼女は床に倒れこんでしまった。

「大丈夫か!?おい!?なんだよ?どんな冗談……」

 僕はそこで気がついた。

「まさか……愛子さん!こいつ、手首からだいぶ血を流しているんです。出血多量なんてことには……」

「……まずいわね。流鏑馬!」

 さっきまでの余裕の顔から一気に顔色が変わった愛子さん。

「はい。愛子さま」

「今すぐ木星にこの子の血液型を調べさせて」

「かしこまりました」

 そう短く言うと流鏑馬さんは懐から拳銃でも取り出すようにすばやく携帯電話を取りだし、電話をかける。もちろん相手は木星だろう。

「血液型を調べるってまさか……」

「その、まさかよ。ここで輸血をするわ。じゃないときっと間に合わないわよ。大丈夫、あたしに任せなさい」

「そんな……こんな何も準備出来てないところで、輸血なんて出来るわけ……」

「何よ!あたしの事が信じられないって言うの!それとも――」

 愛子さんは僕の真意を確かめるように瞳を見つめて言う。

「その子を助けたくないの?」

「そんなことは……」

「その子はあなたを確かに殺そうとしたわよ。そんな子をあなたは助けるの?」

 確かに彼女は僕を殺す気だったらしい。それは分かるけれど。

「それとこれとは全く別問題ですよ。僕はこの子に死んで欲しくありません」

 僕の答えを聞いた愛子さんはつとめてあっさりと

「あら、そう」

 なんて、軽く返事する。

「…………あの」

 倒れこんだ彼女が少しだけ意識を取り戻したようだ。

「いいから、黙っていろ」

 僕が強く言うと、彼女は少しだけ口元を緩めて、

「……ありがとう……」

 そう言うと目を閉じて意識を失ってしまった。

「大丈夫か!?おい!しっかりしろ!」

「大丈夫よ。今、この子の血液型が分かったから」

 愛子さんの手元にはメモのような紙切れが握られていた。

「そうですか……」

 それは良かった。

「さあ、じゃあこっちの広いところにその子を運んで」

 愛子さんに示された部屋の真ん中の方へ僕はゴス女を背負って運ぶ。

「あ、そうそう。太郎に言っておかなくてはいけないことがあったのよ」

 彼女を背負ったままの僕に、愛子さんは唐突にそんなことを言い出した。

「何ですか?今、言わなきゃいけない――」

『パンッ!』

 乾いた音が響いて僕の左頬に衝撃が広がり、少し遅れてじわじわと痛みが広がった。

 僕は愛子さんに平手打ちされたのだった。

「な、何ですか!?急に!何、考えて……」

 最盛期の星〇監督ぐらい矢継ぎ早に抗議しようと躍起になっていた僕は、愛子さんの顔を見るとその意気も塩をかけられた青菜のように萎れていった。

 愛子さんは目に涙をためて、

「もう二度と死んでもいいみたいなことは言わないで。そんなこと言ってたら本当に死んでしまうんだから」

 何時に無くしおらしくそんなことを愛子さんは言った。

 その顔が自分でも驚くぐらいに僕の胸を締め付ける。

 だから、全ての抗議をキャンセルして、

「わかりました。ごめんなさい……」

 僕にはこう言う事しか出来なかった。


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