Heart-Shaped Box(3)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
3
「それじゃ、調べた結果を教えてちょうだい、木星」
愛子さんはチョコケーキを一口大にフォークで切りながら、木星に尋ねる。
「ふぉれふぁ、ふぁふふぁん」
口いっぱいにチョコケーキを頬張ったまま、木星は答えた。
「それは爆弾だって、木星ちゃんは言ってるみたい」
何を言っているのか分からない木星の代わりに、南がチョコケーキを飲み込んでから通訳のように解説してくれた。
って、おい。
「僕のためのチョコケーキじゃないのかよ!」
何、勝手に食べてるの!
「けちけちするんじゃないわよ!」
僕の抗議に対して愛子さんはそう言い返すと、これ見よがしに僕に見せびらかせて、一口大に切ったチョコケーキを口に運ぶ。
「大体、誰があなたにあげるって言ったのよ?」
「いや、あんた胸を張って堂々と言ってたよ!」
V作戦がどうとか、言ったたよな?
てか、今さらだけどV作戦って何だよ。
「つべこべうるさいわね、少しは黙っていられないの?せっかく木星が、どこかの誰かからあなたがもらってきた箱を調べてくれたのに。ちゃんと聞きなさい」
「ちょっ、僕は別にうるさく言っては――」
「まあまあ太郎くん」
なだめるように南は言い、
「これでも食べて機嫌直して、ね?ほら、紅茶もつけてあげるから」
と、チョコケーキと相変わらず高そうなカップに入った紅茶を、僕の前に並べてくれた。
「ま、まあ、それなら……」
僕は出されたチョコケーキを一欠け口に入れる。その瞬間、口の中に広がるとろけるような甘さ、鼻の奥から突き抜けるように駆け上がってくる甘いカカオの香りに、思わず笑みがこぼれた。
「う、美味い……」
「へへへ~でしょ~?」
僕の驚きにも似た賞賛の言葉に、南が嬉しそうに微笑む。
「南、お前天才なんじゃないか?」
「それは褒めすぎだよ~太郎きゅ~ん」
くねくねと体をくねらせて、照れる南。
すると、それを見た愛子さんが、
「そうよ、太郎。あたしも手伝ったんだから、あたしの事も褒めなさいよ!」
愛子さん、あなたの脳組織には記憶を司る海馬というものはないのでしょうか?
面倒だし、適当に褒めておくか。
「はいはい、すごいですね~っと」
「なによ!その褒め方は!もっとちゃんと褒めなさいよ!」
「はいはい。で?爆弾ってどういうことなんだよ?木星?」
愛子さんはまだぎゃーぎゃーわめいていたけれど、僕はとりあえず木星が言った気になる一言をもっと詳しく説明して欲しかった。
それはそうと、
何か忘れているような……?
まあ、今は木星の文字通り爆弾発言のほうがずっと大切な事だろう。
(このときは忘れていたけれど、この後、僕は結局チョコケーキをみんなで食べてしまった事で、バレンタインチョコをもらい損ねたという事に気がついて、しかるべき所に訴えでようとしたのだけれど、愛子さんと南になんだかんだでうやむやにされてしまったのだった。)
木星によると、僕がもらったハート型の箱の中には箱を開ける事で電流を流す装置と、それを受けて自動的に音楽を鳴らす基盤。そしてそれを増幅する小型アンプと高性能なスピーカーが入っていたらしい。
それはわかった。木星にしてはよく説明できたと思うよ。
でも、それが何で爆弾になる?
「ミジンコ並みの頭だな」
木星はそう訊ねた僕に、心から蔑んだ目で見つめながら冷たく言う。
頼むからそんな道に落ちている雨に濡れて薄汚れたダンボールを見るような目で見ないでくれ。さすがに心が折れてしまいそうだ。
「この部分」
木星は箱の中の赤と青のコードが出ている機械を指でさす。
「これは箱を開くのと連動して何かを起動させる装置」
「それは、さっき聞いた。だから何なんだよ?」
「お前の頭に脳というものは入っているか?」
「お前の説明が不十分なんだよ!」
いい加減、訴えるぞ。
木星はめんどくさそうに、ため息を一つついて話し始めた。
「今回は音楽が流れたけれど、この先に起爆装置と爆薬をつければ、そのまま爆弾になる」
「マジかよ……」
「マジ」
木星は真面目な顔で頷く。
「シンプルだけど確実」
僕の背筋を冷たいものが流れた。
「まさか……でも、なんで?」
「知らない。お前、死んだ方がいいんじゃないか?」
木星は冷たくそう言い放って、チョコケーキを頬張って咀嚼し飲み下す作業に戻った。
その一言で僕の心はガラガラと音を立てて、適当に摘んだジェンガのように崩れ去った。
ああ、泣いてしまいそうだ……。
「太郎、あなた誰かに恨まれる…というか、好かれすぎて憎まれる…なんてことある訳ないし……」
そんな僕の心なんて知る由もない(いや、知ってて無視しているのか?)愛子さんの興味はすでに箱の方へと進路を変えていた。
面舵いっぱーい。
「……そんな事、全然思い当たりませんよ」
「箱の中にも手がかりは無いし、好きとか、気持ちを受け止めてとかいう割りに自分が誰かを伝えていないなんて……」
愛子さんは少しの間、考え込んでから何かを閃いたらしく、
「わかったわ!」
と顔をLEDのように輝かせた。
分かっている。
分かっているとも。
僕は経験上、もう十分に理解している。それでも訊かなければ話が進まないのだ。だから非常に不本意ながらこう訊ねる事にする。
「……何が分かったんですか?」
「犯人はおっちょこちょいよ!間違いないわ!」
ほらね?
「それがわかって、一体どうなるってんですか?そんなことよりも、このまま返事を返さなかったら僕は本当に……」
まさかそんなことは無いと思うけれど、そこから先を話すことに僕は抵抗があった。嘘でも自分が殺されるなんて考えたくない。
「返事をしようにも、相手が誰だかわからないんだし、思い当たる節も無いっていうなら、手の出しようが無いわよ。心配しなくても、もしそんなことになったら――」
愛子さんはチョコケーキにフォークを刺して
「あたしたちが守ってあげるわよ」
と言い、口にそのチョコケーキを放り込んだ。
「それはそれは……とっても心強いですね……」
不安だ。
言葉とは裏腹にとっても不安だ。
「あなた、何か不愉快な事を考えているわね?隠しても無駄よ。何なら視てあげましょうか?」
そう言って愛子さんはぺろりと舌なめずりし、意地悪く笑った。
「遠慮しときます……」
僕がそう答えると愛子さんは「あら、そう」なんて返す。
「まあ、どうせ悪戯か嫌がらせでしょ。太郎は友達もいないし、クラスでも浮いているんでしょ?」
「な、なんでその事を!?」
僕の中の一番触れて欲しくない部分に、愛子さんはなんの躊躇いも無く乱暴に触れてくる。
「ご、ごめん……太郎くん」
「お前かよ……南」
南は心から申し訳なさそうに、しょんぼりする。
「ついつい言っちゃったの……ごめん」
南はしょぼーんと擬態語が見えるぐらい肩を落とし、
「本当にごめんなさい……反省してます」
と言い、頭を下げた。
「そ、そんなに謝られると……」
怒るに怒れないじゃないか。
「まあ、本当の事だし、そんなに謝んなよ。べつにそんな怒ってねえよ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
僕の言葉に南は、今までのしょんぼり顔を、ジャムおじさんに顔を変えてもらったアンパンマンみたいに瞬時に輝く笑顔に変えて、
「よかったー!ありがとうね、太郎くん」
と言い、また頭を下げた。
「何で、お礼言うんだよ」
「あっ、本当だ。あははっ」
南と僕はお互いに笑いあった。
そんな僕たちを見ながら、愛子さんは目を細める。
「太郎がそんなことぐらいで怒るわけ無いじゃない。南ちゃん」
「もともとはあんたが余計な事を言うからだろ!」
あんたの事を許した覚えはないからな!
「もう、うるさいわね。とにかく、あの箱は悪戯かなんかなんだから、気にするなって言ってるのよ!わかった!?」
愛子さんは強引に話を終わらせて、チョコケーキを食べ始める。
「悪戯……なんですかね……?」
僕はいまいち納得できなかった。
「悪戯じゃないなら、嫌がらせね」
「嫌がらせって、どっちにしても最悪じゃないですか……」
僕が何をしたっていうんだ。
僕としてはもう一つの可能性を視野にいれ…いや、そうであって欲しいのだけれど……。
「本当に僕のことを好きな娘がいるって事は無いんで――」
「そんなのある訳無いじゃない。あははっ!」
愛子さんに笑いながら否定された。
一笑にふされるというやつだ。
「そうですか……」
そのときに感じていた嫌な予感を僕は愛子さんに話すことが出来なかった。
結局、僕はチョコレートを一個ももらうことなく帰路につくことになった。
毎年、そうなのだから別に悲しくも寂しくもない。
はずなのだけれど……。
「なんだかな~。これじゃ生殺しだよ……」
貰えると思うと人は欲しくなるものだ。
「こんな事なら、何も無い方がまだマシだ……」
僕は自分で自分を慰めるように呟きながら、夕暮れの町をトボトボと帰る。周りから見るとチョコレートをもらうことが出来なかった男子学生が自分を慰めながら帰っているように見えるだろう。
ってその通りだけど。
いや、それよりも酷いな。
改めて言おう。
「バレンタインなんて大っ嫌いだーっ!」
夕日に向かって叫んでやった。
「うふふふ」
そんな恥ずかしい僕の背後から笑い声がしたので、驚いて振り返るとそこには一人の少女が立っていた。
「いや、これは…あ、あははは」
恥ずかしさのあまり愛想笑いしか出てこない。少女はその様子にさらに微笑んでいる。
「違うんだ、いや、違わないけれど、違うっていうか…何と言っていいか……」
「うふふふ、やっぱり面白い人なんですね」
その子は夕日に照らされてキラキラと輝きながら微笑んだ。
「いやいや、面白くはない……って、えっ?やっぱりって?」
知っている子なのか?
そう思ってその子の姿をよく見てみると、何というか変わっているというか、なかなかキャラのたった出で立ちだった。
身長は体格は普通なのだけれど、その顔をよく見ると芸能人だといわれてもおかしくないほどに整っていた。さらにその顔の上にはさらさらの長い髪を頭の両側で二つに束ねていて、夕日にキューティクルが輝いている。
まあ、ここまではただの美少女の見た目を実況中継しただけなのだけれど、ここからは少し違う。
その少女は、黒いまるで中世の絵画から出てきたようなクラシカルなドレスを着て、夕日を浴びて立っていたのだった。現実感がアンドロメダ星雲よりも遠のくぐらいに、その空間だけが異常だった。暮れなずむ町に突然現れたゴスロリ少女に微笑まれている。しかも、どうやらその少女は僕のことを知っているようだ。こんなの絶対おかしいよ。まともに対処できるわけ無いじゃないか。だから僕はとんまにも、
「あの…どなたか存じませんが、どこかでお会いしましたっけ?」
なんて訊いてしまったのだった。
言葉が古めかしく丁寧になっているのは、その子の雰囲気に呑まれちゃっているからです。
「会ったことはありません。でも私はよく存じてますよ。田中太郎さま」
「あっ、名前も知ってるんだ。でも、なんで?」
「それはこれから知っていけばいいのですよ。太郎さま」
「これから?てか、太郎さま??」
この子、何言ってんだ?
「太郎さまは何も知らなくていいんです。私に任せてください」
そう言うとその子はニコニコと微笑んだ。
ちょっと、この子危なくないか?
そんな僕の危機感を裏付けるように、彼女は続けた。
「それはそうと、私からの贈り物は喜んでいただけましたか?」
「贈り物?」
「そうです。今朝、太郎さまの下駄箱に入れさせていただいたんですが……?」
「それって、もしかしてピンク色の紙でラッピングされたハート型の箱だったりする?」
「ええ。そうですよ。いかがでしたか?私のメッセージは?」
「君だったんだ……」
何かを期待するみたいにニコニコと微笑みながら僕を見つける彼女。
「それで、返事を聞かせていただきたいのですが……?」
「僕は……君の期待には応えられないよ」
「えっ?」
ゴスロリ少女は微笑んだまま固まってしまった。
「だってそうだろ?言いたくは無いけれど、あんな脅すような事を書いてそれで君と仲良く笑顔で付き合えるとは思えない。悪いんだけど――」
「そんなの嘘よ」
僕を遮るように彼女は低く強く呟く。
「そんなわけない。そんなはずない。そんなの嘘。そんなの嘘。そんなの嘘。そんなの嘘。そんなの嘘。そんなの嘘……」
ブツブツとつぶやく彼女。
これはちょっとやばいかも……。
「じゃ、じゃあ僕はこれで。また、どこかで会いましょう」
こんな時は逃げるが勝ちだ。
僕はそのゴスロリ少女に背を向けて、歩き出そうとした時だった。
「そんなの許さない」
背後でそう聞こえ、僕が振り返ろうとした時。
「えいっ!」
と背中に何かが押し当てられた。その瞬間、
「っ!?」
体中に衝撃が走った。僕はそのままその場に崩れるように倒れこんだ。体が痺れたように動かない。意識が遠のいていく。
「太郎さまはこれから私と一緒に生きていくんです。何も心配要らないですからね。だから今は――」
遠のいていく意識の中で僕が見たのは、片手にスタンガンを握って僕を見下ろすゴスロリ少女の恐ろしいほどの優しい笑顔だった。
「おやすみなさい。太郎さま」
息がかかるぐらいの耳元でそう囁かれ、僕は気を失った。