Heart-Shaped Box(2)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
2
浮き足立っている。
まったく地に足がついていない。
どれくらい浮き足立っているかというと、宇宙遊泳とは言わないまでも、月面歩行ぐらいには浮き足立っている。つまり通常の六分の一だ。
月面に刻まれた、小さいけれど人類にとっては大きな一歩と同じくらいに、僕にとって今日という日は大切な日になるだろう。
すこし大げさか……。
とにかく、頭の中がそれでいっぱいになるぐらいに気になっている。
気になって、奇になって、機になって、器になって、きになっているのだ。
だから、冒頭のような浮つき具合を露呈しているのだと思う。
具体的に教えると、数分毎に鞄の中を確認してみたり、近寄ってくる男連中が全てこのハート型の箱を狙っているいるかのように思ったり、そして狂犬病の野犬のような目付きでその男たちを睨みつけたり、その事で南に叱られたり、叱られながらも「ああ、これはこれでいいものだな」と変な趣味が目覚めそうになったり、で、その事がバレてやっぱりまた南に叱られたりした。
あれ?最後の方が何かおかしくないか?
まあ、
とにかく僕は一日中おかしかった。
そんなおかしな一日を過ごした帰り道。いつものように放課後はドクロ事務所へとたいした用もないのに向かう事になっているので、なんの疑問も持たずに例の雑居ビルを目指し歩く僕の頭に、一つの疑問がむくむくと頭をもたげる。
「それはそうと、これって一体誰からなんだろう……?」
もらったはいいけれど、僕はなんとなくもったいなくて、まだ箱を開けていなかったのだった。
この約一年、たくさんの女の子たちと何故か知り合うことになったからな……。けど、誰もそんな素振りは見せなかったけれど……。
南……はあの時、僕よりも後に来たから違うだろうし……。
愛子さん……なわけないし。
ひまわりちゃん……だったらお兄ちゃん嬉しいぞ!
めるとちゃん……でもお兄ちゃんは嬉しいぞ!
う~ん……誰か忘れているような……。
「あっ!そうか!なだれちゃん!」
「何故わかったんです!?」
僕が思わず叫ぶと、うしろから驚いた声がして、振り向くとそこには東雲女子校の制服をきちっと着たなだれちゃんが立っていた。
「せっかくあなたを後ろからたたっ切ろうとしていたのに……。まだまだ修行が足りないみたいですね、私」
てへっ、となだれちゃん。
「いやいや、何、闇討ち宣言しちゃってるの!?」
人斬り以蔵もびっくりだよ!
「それで、何?僕の後をつけて」
シチュエーション的には僕のあとをつけてきてたんだよな?
「わ、私があなたの後をつけてくるわけないじゃないですか!」
なだれちゃんは顔を真っ赤にして必死に否定する。
「えっ?でも、さっき後ろからたたっ切ろうとって……?」
「そ、それは冗談です!あなたとはたまたま向かう方向が一緒なだけで、決して本当はチョコを渡したかったけれど、手作りしたら失敗しちゃって用意できなかったかわりに、買って渡そうかとも思ったけれど、いやいや、それじゃ南さんに勝てないと思ってどうしたものかと思い悩んでいた時に、あなたが目の前を歩いていたから、とりあえず他の女子から、あなたがチョコをもらう前に仕留めてしまおうと思って、後をつけていたわけじゃないですからっ!」
「いや結局、僕、仕留められてない?」
「だから、そんなことしようとしてた訳じゃないって、言っているではないですか!叩っ切りますよ!」
「やっぱり、切られるじゃねえか!」
まだ死にたくないよ!
「そんなことよりも、そんなアホ面をぶら下げて、一体どこに向かおうとしていたのですか?」
なだれちゃんは構えていた木刀をしまいながら僕に訊いてきた。そうなのだ。これまでの会話は全て、僕の鼻先に木刀の鋭い切っ先を突きつけられて繰り広げられていたのだ。そう考えると、僕の精神力も、なかなかなものである。
「アホ面って……そんなに僕ってアホ面だったかな……」
僕たちは並んで歩き出す。よく考えれば、なだれちゃんはこれからバイトに向かうところだったのかもしれない。なぜなら、なだれちゃんが働いているのは、ドクロ事務所と同じ雑居ビルの一階にあるトルコ料理屋なのだから。
「ええ、とてもとてもアホ面でした」
「はあ……そんなに?」
「はい。アホ面がアホ面ぶら下げて、アホ丸出しに、アホ面でアホみたいに歩いていました」
「そんなに!?」
「ええ。世界中のみんなから少しずつアホを分けてもらったかのようにアホ面でした。もし間違って公共の電波に乗ってしまったら、間違いなく放送事故として処理されるか、BPOに苦情が殺到する事でしょうね」
至極、真面目な顔つきでなだれちゃんは話す。この子の場合、冗談なのか本気なのかがよくわからないんだよな……。まあ、ほとんど本気だけれど……。
「……気をつけます」
何をどう気をつければいいか、まったく見当もつかないけれど、僕はそう答えておいた。
「そういえば、いつもよりも少しアホ面度が高かったようですが、なにか良い事でもあったのですか?」
「アホ面度って……いや、良い事っていえばそうだけど、今日、こんなものが下駄箱に入っていたんだよ」
がさごそと鞄をあさって、僕はハート型の箱を取り出した。
「そ、それは……!?」
「う~ん…今日が二月十四日って事を考えると、多分バレンタインチョコ……かな?」
「やっぱり叩っ切ります」
「ちょっ、待った待った!」
確かに今、僕はだらしなくにやけてしまったかも知れないけれど、それで殺されてしまってはさすがに悔やみきれない。
僕の必死の制止が功を奏したのか、なだれちゃんは木刀を取り出すのを止めてくれた。
「……ちっ、遅かったか」
なだれちゃんは苦々しくそう呟いた。
って、何が?
「何でもありません。気にしないでください」
「……うん。そうするよ」
なだれちゃんからの「質問するなオーラ」に負けて僕はそう約束する。
「そ、それで、なだれちゃんは今からバイト?僕もこれから愛子さんのところだから、一緒に行こうか?」
僕は何気なくそう誘ってみただけだったんだ。なのに、
「あ、あなたみたいな変態と一緒に歩いているところを誰かに見られでもしたら、私は腹を切らねばなりません!先に行かせてもらいますので、もうついて来ないでください」
そんな言い方ないんじゃないか?
大体、さっきから一緒に歩いているじゃないか?
そんな僕の思いなんて、手旗信号よりも伝わっていないようで、
「では、さようなら」
なだれちゃんは、それだけを短く言って怒ったみたいに速足でスタスタといってしまった。
何を怒っているのだろう?
まあ、なだれちゃんは普段から結構こんな感じだから今さら気にする事もないかもしれないけれど。
僕からグングンと距離を離し、曲がり角までやってきたなだれちゃんは、不意にくるりと振り返り、
「ああ、言い忘れていましたが、そのチョコレート、多分毒か剃刀が入っていると思いますよ。せいぜい気をつけてくださいね」
そう言うと、つんっと角を曲がって行ってしまった。
「そりゃどうも……」
何の皮肉だよ、そりゃ。
「ところで、太郎?今日が何の日か知ってる?」
ドクロ事務所のドアを開けると、満面の笑顔で愛子さんがそんなことを訊いてきた。
「確か、偉大なる田中公平先生のお誕生日だったと思いますよ」
「誰よ、それ?」
「えっ?知らないんですか?ガオガイガーとかサクラ対戦とかワンピースの作曲をされた偉大な作曲家ですよ」
「……あなた、何だか糸くんに変な影響を受けているみたいね」
悪ふざけはこれぐらいにして、
「わかってますよ。バレンタインデーだって言いたいんでしょ?」
「そうよ。そのとおり」
僕がそう答えると愛子さんは満足そうに頷いて、
「だから、あたしはここにV作戦の発令を宣言するわ!」
と高らかに文字通り宣言した。
「……なんですか?V作戦って?」
どうせろくでもないに決まっているが、一応は聞いてあげないと、愛子さんは不機嫌になるからな。
「よく聞きなさい。あたしが今、教えてあげるから」
愛子さんは冬になっても全くかわり映えせず、慎ましやかさを保ち続けているその胸を反り返るようにして大いに張って、鷹揚に話し始めた。
「何ものにもなることなく、地べたを這いつくばって、あらゆる進化も進歩も望めないあなたに告げるわ。このあたしが、そんな可愛そうなあなたにチョコレートをあげようというのよ!どう?嬉しいでしょ?どうせ、誰からももらってないんでしょ?だから、このあ、た、し、が、いみじくも助手であるあなたにチョコレートをあげるというのよ。どう?なんなら、嬉しくて死んでくれてもいいわよ?」
意味が分からん。
「だ、か、ら、あたしがチョコをあなたにあげるっていうのよ!もっと喜んだらどうなのよ!」
「いや、それに何でV作戦なんて名前がついているんですか?」
「これは、遠大な計画なのよ。そう、まずはあなたや下のマスターとか流鏑馬とかにチョコをあげて、一ヵ月後にそれらが何倍にもなって還ってくるっていう、素晴らしいしきたりを利用した一大プロジェクトなの。あ、ちなみにVはバレンタインのVだからね。間違っても連邦の白い新型なんて出てこないわ」
「その説明じゃ、テンションの高さとそのチョコに込められた邪な想いしか分かりませんが……ようは、チョコレートを僕にくれるって事ですよね?」
ややこしい説明の仕方だ。
「とりあえず、その目に焼き付けなさい!さあ!持ってきて南ちゃん!」
その声に扉が開き、ガラガラと台車を押して南が現れた。
「ごめんね、太郎くん。愛子さんに内緒にしとけって言われたから、学校では何も言えなかったのよ」
ニコニコとしながらも南はちょっと申し訳なさそうにする。
「いや、そんなに気にしてないよ。で?それは?」
僕の視線の先には、よく料理番組で見るような銀色の丸い蓋が被せられた皿があった。
「ふっふっふっ、さあ!見るが良いわ!南ちゃん、お願い!」
愛子さんの号令に、南によって銀色の蓋がゆっくりと取られる。
「こっ…これは……!?」
そこから現れたのは、全体をチョコレートコーティングされた丸く大きなホールケーキだった。つややかに輝くその表面はまるで鏡のように滑らかで、蓋を開けた瞬間から甘いチョコレートの香りが部屋中に広がって、食べていないけれどそれがかなりの出来のチョコケーキだという事を分からせた。
「すごい…すごいじゃないですか!愛子さんと南が作ったんですか?」
「ええ、そうよ!木星だって手伝ったんだからね!」
「ま、まさか!本当なのか?木星!?」
僕がそう訊ねると、木星は機械の裏から顔を出し、
「心して食え、クソ虫」
と、無表情に言い、また引っ込んだ。
あれ?前回でなんかいい感じに仲良くなれたと思ってたのに……クソ虫?
「何、泣いているのよ?太郎?そこまで喜ばれるとちょっと引くわ」
「いえ、これは嬉しくて泣いているんじゃなくて、クソ虫と呼ばれ――」
「まあ、いいわ!とにかく食べなさい!食らいつきなさい!貪り食うがいいわ!」
僕の嘆きを遮って、愛子さんは脅迫するように僕に迫ってきた。
「愛子さんと木星ちゃんは、この上の飾りを乗せただけなんだけどね。まあ、とにかく食べてよ、太郎くん」
その横で南が微笑みながら、ケーキを切り分けてくれようとしている。
「たとえ飾りを乗せただけでもあたしも手伝ったんだからね!感謝しなさい!あなたにチョコをあげるのなんて、あたしたちぐらいなんだから!」
「そんな事ないですよ。僕だって今日、ちゃんともらいましたよ」
僕の言葉に愛子さんは驚いて目を見開き、南はケーキを切る手を止め、木星は……大して変わりなかったけれど、多分驚いているのだろう。
「それって、あなた……本当――」
「本当なのっ!?太郎くん!」
愛子さんを押しのけるような勢いで南が僕に訊ねる。
「ねえ!どうなの!太郎くん!悪ふざけだったら承知しないんだから!」
南は持っていた包丁を僕に突きつけて言う。
「わ、分かった。分かったから包丁を下げてくれ……」
もし悪ふざけだったら、僕は一体どう承知されないんだ?
「朝、学校に行ったら下駄箱にこれが入っていたんだよ」
僕は鞄から例のハート型の箱を取り出すと、テーブルの上に置いた。
「へえー。で?誰からなの?」
愛子さんは観察するみたいにその箱をまじまじと見ながら、僕に訊いてきた。
「それが、分からないんですよね」
「なんでよ?」
「いや、どこにも名前が書いてないし……」
「開けたら書いてあるんじゃないの?」
「何か、もったいなくて開けられなかったんですよね……」
「何、言っているのよ。開けないと、あたしが食べられないじゃない」
「何で、愛子さんが食べるんですか……」
「そりゃ、あなたの物はあたしの物だもの。あたしが食べるに決まっているじゃない」
どんなガキ大将だよ。
「早く開けてみましょうよ。あなたにどんな子がチョコなんてあげるのかとても気になるわ。きっとよっぽどの物好きか、変態よ」
「私は、物好きでも変態でもありません!」
愛子さんの言葉を何故か南が否定する。
でも、何で?
僕にはさっぱり分からなかったけれど、愛子さんには何か感付くところがあるらしく、
「ああ、ごめんごめん、南ちゃん。そういう意味じゃないから」
って謝っていた。で、どういう意味なんだよ?
「あなたには関係ない話よ、太郎。そんなことよりも早く開けてみなさいよ」
何だかな~。
そんな風に誰かに強制されて開けたくないんだけど……。
出来れば家で一人で開けたかったが、こうなった愛子さんはきっと総理大臣だろうが、大統領だろうが、国連事務総長だろうが止める事はできないだろう。僕は仕方なく、ハート型の箱のピンク色の包装紙をゆっくりと丁寧にはがす。
「早く、早く、早く」
と、せかす愛子さんが見守る中、僕は箱の蓋に手をかけ慎重に開いた。
その時――
「っ!?」
箱を開けた途端、中から大音量で音楽が流れ始めた。
「うっるせーっ!何なんだよ!これっ!」
耳を塞いで箱を見ると、何かの機械と一緒に、スピーカーが入っている。
「くっそ……何だよ……」
僕は力を込めて、思いっきりスピーカーを箱から引き剥がす。そのまま力任せにスピーカーに入っていた線を引きちぎると、音はぴたりと止まった。
「何?何なのよ?その箱?」
まだ、耳を塞いだまま愛子さんが訊ねてくる。
「知らないですよ、僕だって知りたいぐらいです」
まだ耳がキンキンする。誰がこんな悪戯を……?
「あなたがチョコをもらうなんて、そんな上手い話があるなんて、どうにも信じられなかったのよ。大方、誰かにおちょくられでもしたんじゃない?」
「思い当たる節がないですよ……なんでこんな事を……」
そのとき機械と一緒に紙切れが一枚入っているのを見つけた。
「これは……?」
「何なの?その紙切れ?」
「中に入っていたんですよ……」
二つ折りにしたその紙切れは、よく見るとファンシーなレターセットについている、可愛らしい便箋のようだ。中に何か書いてあるらしい。
「手紙……?ちょっと読んでみなさいよ、太郎」
「は、はい。じゃあ……」
僕は恐る恐る手紙を開き読んでみる。
「愛しの太郎様。あなたのことがずっと好きでした。どうかこの気持ちを受け止めてください。もし受け止めてくれないなら、あなたを……」
あまりの内容に、僕はこの先を読むことを躊躇ってしまった。
「どうしたのよ、太郎。早く読みなさいよ」
「いや、でも……」
「もう!貸しなさい!」
愛子さんは僕の手からその手紙を奪うと、
「えーっと…なになに……もし、受け止めてくれないなら、あなたを……って何これ?」
愛子さんもその内容に驚いたようだ。
「どういうことよ?受け止めてくれないなら、あなたを殺すって!」
「そんな事、僕に言われても……」
そんな甘い話は無いと思いながらも、心のどこかでは期待していたのにな……。
悪ふざけにしてはたちが悪すぎる。僕のほうこそどういうことかと、もし責任者がいるなら、そいつを徹底的に糾弾したいところだ。
僕の気持ちと鼓膜の代償は、おそらくお前が思うよりもずっとデカイぞ。