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オカエリナサイ(11)

毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話更新します。

                       11

 

 

 木星は空中に何かを描くように、手をひらひらと動かす。

 その姿は、天に向かって何かのシグナルを送っているような。

 そのシグナルは届くのだろうか?

 天からは彼女が見えているのだろうか?

 彼女達が見えているのだろうか?

 木星が手を動かすたびに、ケーブルたちはズルズルと音を立てながらのた打ち回る。

 そのたびに百夜が恍惚とも苦悶ともとれる表情でうめくのだった。

「ぐうっ…そうだよ、ジュピター。僕の体にもっと君を刻み付けてくれ」

 そう言いながらも、百夜は額に脂汗を浮かべるほど苦しんでいるようにみえる。よほど痛いか苦しいのだろうけれど、どういった心理か、百夜は心から嬉しそうに、

「さあ!もっと、もっとだ!」

 と木星にねだる。

 ――明らかに異常だ。

 僕は一体、何を見ている?

 これは一体なんだ?

 呆気にとられる僕を尻目に、木星はますます激しく手を動かす。

「お、おい…木星……お前、本当に殺すつもりじゃないよな……?」

 僕の戸惑いは空しくも無視されて、木星は僕を一瞥もすることなく、静かに、しかしより激しく手を動かしだした。

「ぐああああああああああああっ!」

 さっきまでとは明らかに違う百夜の悲鳴だ。断末魔と言ってもいい。

「おいっ!木星!お前、何やってんだよ!」

 木星は答えずにただ手を動かすのみ。その動きに連動するようにケーブルたちが百夜をさらに締め上げる。

「げっ…げふぅ!ぐっ……」

 百夜は口からよだれを垂らして、今にも意識を失いそうだった。いや、もうすでに意識はないかもしれない。

「何で、そこまでする必要があるんだよ!お前が…木星、お前がこいつを殺す理由って何なんだよ!」

 僕のその問いに、初めて木星は動かし続けていた手を止めて、こちらの方を振り向いた。

「何で、お前がこいつを殺さなきゃいけないんだよ!木星!」

「それは――」

 静かに木星は言った。

「ハンドレットの願いだから。それに、それは私の願い……」

「願いって……」

「ハンドレットは私。私にはハンドレットが……ハンドレットだけが希望だった」

「その希望を殺すのが、お前の願いなのかよ!?」

 木星はいつも通りの陶磁器のように真っ白い肌に、血の気もないような表情を浮かべて続ける。

「そう。私たちは生きていてはいけない。ハンドレットをこんなにしてしまったのは私。私をこうしてくれたのは彼。でも、私たち二人が生きるには、この世界は適していない」

「だから、こいつを殺すっていうのかよ!」

「そう」

「それで、その後にお前も死ぬっていうのかよ!」

「そう」

「本気でそんなこと言ってんのか?」

「……………」

 木星は、無表情にこちらを見つめて黙り込む。

 その瞳にはちゃんと僕が見えているか?

「なあ、ちゃんと答えろよ、木星」

 ゆっくりと、静かに木星の口が動く。

「太郎にはわからない。私たちはこうするしか――」

「無いって言うんじゃないでしょうね?」

 僕たちの会話に、ずかずかと土足で踏み荒らすような乱暴さで割って入ってきたのは、

「そんな事、あたしが許すわけないでしょ?」

 後ろで成り行きをずっと黙って見守っていた愛子さんだった。

 ていうか、出てくるの遅くないか?

「いや~、何か太郎があっつい事言ってるし、水を差すのも何だかな~と思って、出て来れなかったのよ」

 あはは、と愛子さんは頭を掻いた。

「なかなか、熱くてカッコよかったわよ。ほら、あの『何で、お前がこいつを殺さなきゃいけないんだよ!』とか叫んで、しかもその後にもう一回『木星!』って呼びかけるとことか、何かそれっぽくて痺れるわ~」

「恥ずかしいから、蒸し返さないでもらえますか……」

「『木星、愛してるから止めてくれ!』とも言っていたわね」

「言ってません……」

 うふふ、といたずらっぽい笑みを浮かべてから、

「さてと――」

 愛子さんは木星に向き直る。

「いい加減にしなさい。木星」

 さっきまでの雰囲気とはガラッとかわり、愛子さんは実に厳しく言い放つ。

「いつまでそんなことを、やっているつもりなの。甘えてないで、さっさと帰るわよ」

 子供をしかりつける母親のような口調で、ピシャと音が聞こえそうなほどきっぱりと愛子さんは木星に言った。

 木星は手を止めて愛子さんのほうを向いてはいるけれど、何も返すことはなかった。ただ、じっと怒られた子供が拗ねるように、抗議の意味を瞳に浮かべて愛子さんを見つめていた。

「何をやっているのよ。早くこっちに来なさい」

 愛子さんが手を伸ばし、誘う。

「……いや」

 愛子さんの誘いに、木星が駄々をこねるように首を振る。

「わがまま言わないの。帰るわよ」

「……帰らない」

 首を横に振る木星は、いつもと違いとても幼く見えた。

「何言ってるの。帰るわよ」

 愛子さんが一歩前へ足を踏み出す。

「いやだ!来ないで!」

 木星が声を荒げるのなんて初めて見た。

「来るなーっ!」

 拒絶するように木星が手を動かすと、ケーブルたちが愛子さん目掛けて一気に押し寄せる。まるで津波のように押し寄せる大量のコードやケーブルに愛子さんの体が飲み込まれた。

「愛子さん!」

 か、のように見えたが、思わず声をあげた僕の心配をよそに、愛子さんは無事だった。

「ご無事ですか?愛子様」

 押し寄せたケーブルたちを、華麗に裁き流鏑馬さんが愛子さんを守っていたのだった。

「ええ、なんともないわ。ありがと」

「当然です。さ、私がお守りいたしますので、どうぞ」

 まるで優雅に舞踏会へ誘うように、片手を前に道を示す流鏑馬さんに、

「ありがと」

 と、微笑を返しさらに前へと進み出る愛子さん。

 周りをコードやケーブルたちがのた打ち回り、時折、大蛇のように襲い掛かっていなければ、そこに豪奢な室内が見えるような優雅な歩みで、流鏑馬さんにエスコートされて守られながら、愛子さんは木星に近づく。

「来ないでって言ってるでしょ!」

 木星は激しく手を動かし、ケーブルたちを操る。

「無駄よ。木星。だって、あなた本気じゃないでしょ?」

 流鏑馬さんがケーブルたちを華麗にさばく中、優雅に愛子さんは木星に近づいていく。

「あなた、本気であたしたちを傷つけようとはしていないもの」

 ケーブルに足をとられて、その場に文字通り縛り付けられている僕の横を通りながら、

「だって、太郎にだってこれ以上はしてないでしょ?前までのあなたなら、とっくに殺しているはずだもの」

 そう言って愛子さんは僕にウインクを送る。

 って、そんなに危なかったの僕?

「あなたはもう以前とは違うのよ。木星」

 愛子さんは近づいていく。

「過去っていうものは『過ぎ去る』って書いて『過去』なのよ。もう過ぎ去ってしまっているの。もう戻れないし、戻らなくてもいいの」

 愛子さんはついに舞台のすぐ手前、木星の目の前までやってきた。

「あなたはもう前に進み始めていたじゃない。だから、ね?帰りましょう?」

 愛子さんは木星にゆっくりと手を差し伸べる。

「私は……」

 その手を一度、手に取ろうとして、しかしすぐにその手を引っ込めて木星は

「私は……やっぱり帰ることは出来ない……」

 と言い、俯いてしまった。

「何故なの?木星?」

 てっきり、さっきみたいに厳しい口調で責めるかと思ったけれど、愛子さんは意外なほど優しい声で木星に尋ねる。

「どうして帰ることが出来ないの?あそこは、あなたの帰る場所じゃないっていうの?」

「違う。そうじゃない…けど……」

 俯いたまま首を横に振る木星。

「けど?」

「あそこにいたら、私は幸せだと思う。でも、私は幸せになってはいけない」

「何で?何でそう思うの?」

「だって……私はたくさんの人を苦しめてきたから……。たくさんの命を奪い、数え切れない人たちの人生を狂わせてしまったから……そんな私には幸せになる資格はない。だから、一緒には帰れない。だから、せめてハンドレットをここで止めて、私はその罪で死ぬんだ……と思う……」

 木星の本当の心を、始めて垣間見たような気がした。

 本心をやっと語り始めた木星に、愛子さんは優しく静かに語りかける。

「あなたはずっとそれを考えていたわよね。あたしには視えていたのよ。でも、あたしにはどうすることも出来なくて、何を言えばいいのかもわからなくて、今まで、ずっと黙っていたの……」

 愛子さんは舞台によじ登り、木星のすぐ目の前で屈みこみ

「……ごめんね」

 と木星の頭を優しく撫でた。

 木星ももう抵抗するのをやめたようで、されるがまま頭を撫でられている。

「あなたがずっとあなた自身を責め続けていて、いつかはそれの決着をつけたがっていたことも知ってた」

 愛子さんには木星の心の闇が見えていた。傍にいる人間がずっと心を闇に閉ざしているなんて、知らなければどうという事もないかもしれないが、知ってしまったなら、それはどれほどのストレスになるのだろう?

「でも、太郎とか南ちゃんとか、他にもたくさんの人たちと触れあう事で、あたしだけじゃ救えなかったあなたも、徐々に変わっていくと思ったし、実際に変わっていっていたと思うわ。自分じゃ気がつかなかったかもしれないけれどね」

 木星の目をしっかり見て、愛子さんは言う。

「それで、時間がたてばきっとあなたも自分を責め続ける事を止めてくれると思っていた。でも、百夜が連れ出して、否応なく過去へと引きずり戻されて、そこで自分の罪を目の当たりにしてしまったら過去へと立ち返ってしまった。それはそうよね、どれだけ今のあなたが変わったとしても、過去は絶対に変えることが出来ないのだもの」

 木星は俯いたまま、大人しく聞いている。

「苦しかったわよね。自分をずっと責め続けて、けじめをつけるために、昔の仲間を自分の手にかけて殺すなんて」

 愛子さんは俯いたままの木星にそっと腕を回す。

「だからあたしがはっきりと言ってあげるわ。よく聞きなさい。いい?」

 そのまま愛子さんは木星を優しく、だけど強くしっかりと抱きしめる。

「あなたはもう苦しまなくてもいいの。いい?あなた自身がどれだけ自分を責めて、自分を許せなくても、このあたしがあなたを許してあげるから。自分で自分自身は許せないかもしれないけれど、それならあたしがあなたの全てを許して受け止めてあげるわよ。あなたの心の闇も、犯してしまった罪も、もう取り返せない過去も、全部ひっくるめてあたしが許してあげるから、だからもう自分を責めるのはやめて」

 抱きしめたまま、愛子さんは木星の髪をいとおしそうに撫でる。

「あなたは幸せになれるの。いい?よく覚えておくのよ。あなたは幸せになっていいのよ」

 ここからは木星の表情はよく見えないけれど、一体どんな顔をしているのだろう。

 出来る事ならば、いつもの心を無くしたアンドロイドみたいな顔つきではなくて、年相応の少女の顔でいて欲しいものだ。

 その頬に光るものが見えたのは、僕の錯覚だけではないだろう?

「それを踏まえて、あなたにもう一度聞くわよ」

 愛子さんは体を少し木星から離して、その顔をよく見るようにしてからこう言った。

「さあ、帰るわよ」

 その言葉に、木星は力強く頷いて、

「うん」

 と答えた。

 

 木星の感情に連動しているのか、ケーブルたちも動きを止め、吊り上げられていた百夜もするすると下ろされ、僕の足に絡み付いていたケーブルたちもほどけていった。

「やれやれ……」

 何とか一件落着。

 と思ったその時。

「待ってくれ」

 ケーブルたちをかき分けて、体育館から出て行こうとする僕たちを、いや、正確には僕たちの中から木星だけを後ろから呼び止める声があった。

 振り返るとズルズルと巣穴に変えるように消えていくケーブルたちの中(これ、後始末どうすんだ?)一つの人影がこちらに近づいてくる。

「まだ、何かようがあるのかよ?百夜」

「一般人には何も言っていない。割って入ってくるな」

 凄みを聞かせた声でそう言うと、暗闇の中、百夜の左目が赤く光った。

「何?ハンドレット?」

 すっかりいつもの無表情のビスクドール顔に戻ってしまった木星が、冷たく百夜に尋ねる。

「本当に行ってしまうのか?」

 さっきまでの凄みもどこへやら、なんとも頼りなさそうに百夜は木星に訊く。

「うん」

 それに即答する木星。

 もうちょっと考えてやってもいいんじゃないか?

 なんて僕が、お人よしにも程があるとばかりに、さっき殺されかけた奴のかたを持つようなことを考えているなんて露知らず、

「置いてかないでくれ。頼む」

 などと、全くへこむ素振りも見せず、傲慢にも言い放つ百夜。

「もう、一緒に死のうなんて言わない。僕と一緒に居よう。いや、居てくれ。居てください。お願いだから」

 最後の方なんか、もう懇願だよ。

 こいつってこんな奴だったんだ。

 ていうか、木星のこと、どんだけ好きなんだよ。

「………………」

 少しの間、黙っていたけれど木星は静かに

「……それは出来ない」

 と、しっかりと言った。

「そんな…なんで……僕と居たくないというのか?」

 いや、居たくないだろ。

「そうじゃないけど……それは出来ない」

 そうじゃないんだ……。

「じゃあ、なんでなんだ?理由を教えてくれ」

 百夜に訊かれた木星ははっきりと答えた。

「それは…私には帰る場所があるから。だからハンドレット、あなたとは一緒に行く事は出来ない」

 そう。木星にはきちんと帰る場所がとっくの昔に用意されているのだ。

「ハンドレット、……あなたはあなたの帰るべき場所を見つけて。それは……それは、きっと見つかるはずだから……」

「そんな……」

 その場に崩れ落ちるように膝をつく百夜。

「あなたのこと、本当に好きだった。でも……さようなら」

 そう言うと木星は百夜に背を向けて歩き出した。

「待ってくれ!ジュピター!」

 百夜の呼び止めにも応じず、木星は体育館の出口を目指す。

 まるで自分の過去と決別するように、毅然とした態度で歩む木星は何だかいつもと違って見えて、僕の瞳にはカッコよく映った。

 本人には絶対、言ってやらないけど。


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