オカエリナサイ(3)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜24時)に次話投稿します。
3
「説明すると長くなるんだけれど……」
愛子さんはステアリングを握り、前を向いたまま静かに話し始めた。
クリスマス当日。
木星が連れ去られて、僕が情けなくも何も出来ずに、ただ気を失って倒れていた後、僕からの依頼を受けた愛子さんは、突然何も言わずに、僕を愛車の黒いポルシェの助手席に押し込むなり、ものすごいスピードでどこかに向かって走り出した。
急発進、急停車を繰り返して東雲町を爆走するポルシェ911。正直、舌を噛まないように歯を食いしばっているのが関の山だ。「ぐえっ」とか「うわあっ」とか「ひえっ」とかいったありとあらゆる悲鳴をあげ続けること数分、あげるべき悲鳴の種類も底をつくころに、車は高速道路に上がったらしく、安定走行に移行した。
というよりも、愛子さんの無茶苦茶な運転に僕が慣れたのかもしれない。
法定制限速度なんて道路に書いてある落書きぐらいにしか思ってないように飛ばしまくる車の中で、愛子さんはポツリポツリと話し始める。何から話せばいいか…と前置きをして、
「話は三年前に遡るわ。その頃、あまり知られていないことなんだけれど、世の中が実は危なかったのよ」
「危なかった?」
「ええ、この世界はある意味、危機を迎えていたの。すんでのところで、まあ無事だったから、いまあたし達はこうやって平和に生きていられるんだけどね」
僕はいまいち理解できずに愛子さんに、
「良く分からない話ですね…。具体的に話せますか?」
と素直に訊ねてみた。
「あまり、知らないほうがいいんだけれど……」
愛子さんは心から言いたくなさそうに、顔をしかめ、それでもその後には、やっぱり言わなくてはといった変な使命感に燃えるような顔つきになる。僕は自ずと緊張する。
何かを決心したように、愛子さんは続ける。
「たった六人のテロリストによって、世界は丸ごとひっくり返らされそうだったの。そのテロリスト集団の名前は――」
緊張のあまり、僕の喉がなる。
「ヴードゥーチャイルド」
「ヴードゥーって…それって……」
「そう、この間のあの曲の名前よ。でも、この名前、最初はテロリストの名前じゃなかったのだけどね……」
愛子さんは悪事を告白するように、言いにくそうにした。
だから、
「それで、そのヴードゥーチャイルドの六人にはそれぞれコードネームがあったの」
何かを誤魔化すように、話の筋を強引に持っていったとしても、それを僕は指摘する事が出来なかった。
「それはね――」
愛子さん曰く、その六人の名前は、
百
花
四角
蝶
楽譜
「そして……木星」
「それってやっぱり……?」
「ええ、あたしたちのよく知る木星のことよ」
静かに愛子さんは言う。
あいつにそんな過去があったなんて……。僕は、『自分は楽しみにしてはいけない』と言った木星の寂しそうな顔を思い出した。
「あの子を連れ去ったヤツって、ハンドレットっていったわよね。ヴードゥーチャイルドにはリーダーはいなかったらしいんだけど、そのハンドレットが実質、リーダー役だったみたいなのよ。そいつが連れに来たって事はまたメンバーを集めて、また何か始めるつもりなんじゃないかしら……?」
愛子さんは妙に神妙な顔つき。
「そういえば…三年前は一体、彼らは何をやろうとしたんですか……?」
「三年前、彼らは木星の圧倒的な情報収集能力で、世界中の国に対して同時多発的にテロを引き起こしたの。反社会勢力なんて、どこの国にもあるものでしょ?それらに有益な情報を渡し、武器が必要なら武器を調達して、人が必要ならどこからか人を集めて、それらの反社会勢力に引き渡していたのよ」
ジュピターシステムを持ってすれば簡単なことよ、と愛子さんは付け足す。
「木星ってそんなに凄いヤツだったんですか……」
凄いヤツだとは薄々感ずいてはいたけれど、まさかこれほどとは。
僕は次々に出てくる嘘みたいな話に、すっかりノックアウト気味だった。
「それでも、たった六人には世界は大きすぎたの。最初、奇襲のように世界経済の拠点、各国の軍事拠点を制圧寸前だった彼らは、後一歩で世界をひっくり返して、滅ぼすところまで来た。だけど、それぞれの思惑が違ったのね。、元々バラバラだった反社会組織を一つに束ねるには時間があまりにも足りなかった。彼らは焦ってしまったのよ。おかげでどんどん追い詰められて、最後には内部分裂。六人もバラバラに散ってしまって、まるで何も無かったかのように消えてしまったわ」
彼らはそれぞれに特殊能力ともいえるような力を持っていたらしい。なかでも木星の能力、彼女が作り上げたジュピターシステムはさらに特別で、彼らが短時間で世界を相手に喧嘩をおっぱじめる事ができたのもそのせいらしい。
曰く、ジュピターシステムを持ってすれば、世界中のどんな機密事項も近所のスーパーの安売りチラシ並みに簡単に手に入れることが出来、ありとあらゆる機械を遠隔起動出来るらしく、核ミサイルの発射ボタンもファミコンのBボタンぐらい気軽に押す事が出来るらしい。
それらを駆使して各国を脅したりしたものだから、これでは目をつけられないはずが無い。彼らの拠点を特殊部隊が強襲したりもしたらしいけれど、ことごとく返り討ちにあったらしい。それは、ヴードゥーチャイルドの中に戦闘的な能力を持った者も居たという事なのだろう。
そんな一見すると最強軍団なヴードゥーチャイルドが、何故敗れたのか?
一つには、味方だと思っていた反社会勢力からも敵対されて。その対応に追われた六人には休む暇も与えられなかったから、さすがに体力的に音を上げた。
もう一つの理由、こちらがより直接的な理由らしいが、それは六人の中から反乱者が出たことらしい。詳しくは分からないらしいが、どうやら木星が原因らしい。おそらく木星の能力に魅せられた者が反乱を引き起こしたのだろう、という事だ。
というわけで長々と説明してきたこれらが、三年前の顛末だった。
とてもじゃないけれど、こんな話、信じられない。
しかし、愛子さんによると全て本当の事らしい。
愛子さんによると、だ。
僕は説明を語り終えた愛子さんに、ふと思ったことをぶつけてみる。
「…ふと思ったんですが、愛子さんはなんでそんなに詳しいんですか?」
僕の疑問に愛子さんはすぐに答えてはくれなかった。
「それは……」
と言ったきり黙ってしまう。
「………………」
「………………」
どれぐらい沈黙が続いたのだろうか。僕が、もういいですよと言おうとしたときに、
「それは、あたしにとってもヴードゥーチャイルドは関係あるものだからなのよ」
と愛子さんはとても言いにくそうに話し始めた。
「関係が…ある……?」
僕の戸惑いなんて聞こえていないように、愛子さんはまるで独白のように続ける。
それは、さらに信じられない話だった。
「もともと、ヴードゥーチャイルドというのはプロジェクト名だったのよ……」
それは、とある機関のプロジェクトだったそうだ。
いつ頃、誰が始めたのかは定かではないが、そのプロジェクトは人知れず、裏の世界で連綿と続けられていた。
今の管轄はその『とある機関』という事なのだけれど、始まりは大昔、一説には陰陽師の時代から続いているといわれている。
「彼ら、テロリストとしてのヴードゥーチャイルドは、そのプロジェクトが、言わば母体になって産まれたのよ」
そのプロジェクトというのは、世の中の所謂天才、もしくはある一定の能力に秀でた子供を集めて、その力を伸ばすというものだった。
それだけを聞くとまるで何だか夢のある話のようだけれど、愛子さんに聞いたのはそんな優しいものではなかった。
「結局、最終的には世界の特務機関、まあ、有名どころだとCIAとかMI6とかに派遣というか売られるのよ。とてもじゃないけれど人道的とは言えないわ」
そう言うと愛子さんはステアリングをギュッと握って、まるで苦いものでも噛んだような顔をした。
「酷いものよ。能力開発と銘打って、結局は非人道的な薬物投与や洗脳を繰り返して、それはもう所謂、人体実験というほうが正しいわ。公にはされていないけれど、おそらく命を落とした子供もいたと思うの。それもきっと少なくない数よ……」
「そんなまさか……」
「嘘ではないわ。だって――」
愛子さんは僕の方をチラッと伺うように見た。
「見てきたから」
えっ?
「あたしもそこの出身なのよ。だから、あたしも見てきたのよ」
「ど、どういう、どういうことですか……?」
まるでどうという事もなさそうに、愛子さんはさらっと言ってのける。
「どうって、そういうことよ。あたしもそのヴードゥーチャイルドの出身なのよ。ただそれだけ」
「えっ?でも、出身者は色んな機関に売られるって……?」
愛子さんの左目が、もしその能力開発の賜物なのだとしたら、これほど強力な力がどこからもお呼びがかからないわけ無いだろう。
「あたしは…その……ちょっとね……」
僕の問いかけを曖昧にはぐらかして、愛子さんは話を続ける。
「その、過酷な実験に耐え切れずに、ある時数人の被験者が反乱を決起して施設を乗っ取ったのよ。それがあの六人のテロリストって事になるわけ」
愛子さん自身のことはあまり話してくれなかったけれど、大体の話は分かったような気がする。
「それじゃ、そのヴードゥーチャイルドの首謀者、その…ハンドレットでしたか、そいつがまた何かを始めるために、昔の仲間を集めようと木星を連れ去りに来たという事なんですね……」
「ええ、多分ね……」
少し目を細めるようにして、愛子さんは何かを思い出すような表情をする。
「でも、もしかしたら仲間を集めるというよりも、木星だけを迎えに来たんじゃないかしら……あの子、木星の事を特別、気に入ってたみたいだったから……」
その表情は不謹慎なほどに穏やかなものだった。
テロが失敗に終わったあと、ハンドレットはその施設に幽閉されていたのだそうだ。それが出てきているということは、もしかしたらその施設も何らかの被害を受けているかもしれない。というのが愛子さんの考えらしい。
「という事は、今、僕たちが向かっているのって……」
「ええ、ヴードゥーチャイルドの施設のある場所よ」
甲高いエンジン音の中愛子さんは
「トばすわよーっ!舌噛まないようにしなさいよっ!」
そう言って、話はこれまでとでも言うように、アクセルを踏み込みスピードをあげる。
「ひいいいいいいいいいいいいいっ!」
僕はシートベルトを握り締めて歯を食いしばるのがやっとだった。
どれぐらい走ったのだろうか。
窓の外にはうっすらと雪化粧した冬山が広がっていた。
あまりのスピードにまるで一瞬だったように思える。
いや、
あまりのスピードに実は気を失ってしまっていたので、一瞬にしか感じられなかったのだけれど。
「よく寝ていたようね。ちょうど、もうすぐ着く頃よ」
「あっ、はい。ちょっと寝てしまってました……」
本当は失神していたんだけどね。
「ところでここは一体どこの山の中なんですか……?」
「この辺りは地図にも載っていない場所。秘境中の秘境。その場所の名前は――」
もったいつけて愛子さんが教えたその名前は、聞いた事が無い名前だった。
「その場所の名前は、黒塚」
「黒…塚……ですか……」
「そう、黒塚。あたしの実家よ」
「実家……って、ええーーーっ!実家なんですか」
そんな重要な事を、何て軽く言ってのけてるんですか!?
「そ、それって一体どういうことなんですか!?」
「うふふふ、あなたって本当にいいリアクションをするわね。それでこそ驚かしがいがあるってものよ」
愛子さんは嬉しそうだった。好きですよね、僕を虐めるの。
「そうでもないわよ。まあ、あなたがどうしてもって言うのなら、しかたないわね、虐めてあげなくはないわよ」
「はあ……ありがとうございます……」
ありがたいのか?
「じゃあ、あたしが今からもっとあなたが驚く事を教えてあげるわ」
愛子さんは不適に笑う。
「ハンドレットの本名は実は黒塚百夜」
「黒塚って……」
その施設のあったところと同じ名前……?
「さらにいうと、実はあたしの弟だったりするのよね~」
「はい……?」
何を言っているんですか?
「何?その伝書鳩が、手紙を届けようと羽ばたいているところを、散弾銃で撃たれたみたいな顔は?」
「何ですか?その妙に詳しい鳩が豆鉄砲の話は?って、それよりも!」
「ああ、あとこれも言っておかないといけないわね」
僕をまるで無視するように、愛子さんはどんどん話を進める。
「あと、どんな驚く事が待っているというんですか?」
これ以上、驚く事もないような気もするけれど……。
というか、愛子さんは何でまたこんな話を始めたのだろう?
そんな話をしているうちに、車は深い山中に分け入っていて、細い一本道を走っていた。
「あなたはもう全てを知らなくてはいけない。いや、あたしはあなたに全てを知って欲しいの。全て話してしまいたいのよ」
細い道をグネグネと進むうちに、車が少しずつ減速していく。
何を聞かされるのかと身構える僕に、愛子さんは微笑みかける。
「そんなに硬くなる事はないわ。話してしまえば大した事ないことかもしれないし……」
愛子さんの微笑に見とれていて気がつかなかったけれど、車はすでに止まっていて、その目の前にはとてつもなく大きな門が行く手を阻んでいた。
しかし、なんでこんな山の中に古めかしい大きな門があるのかなんて、全く気にならないほど愛子さんの次の言葉に、僕は衝撃を受けたのだった。それは――
「それは、あたしの本当の名前……あたしの名前は――」
門がその大きさが嘘のように静かにゆっくりと開いていく。
「あたしの名前は……黒塚愛姫」
さまざまな事を詰め込まれて、すっかり混乱してしまった頭を抱えた僕を乗せて、愛子さんの運転する真っ黒いポルシェは、その門の中にすべるように進み入った。
まるで全てを拒絶するように佇んでいたその厳しい門は、久し振りに帰ってきたわが子を引き入れる母親のように、進み入るポルシェを先へ促していく。
その先には一体何があるのか?
僕はまた一つ、新たな扉を開いてしまったようだ。