それでもセカイは優しく廻る(3)
毎週水曜日午前0時(火曜深夜)に次話投稿します。
3
「ちょっ、ちょっ、ちょっ!」
ブンッ!
「ちょっと!ちょっと待って!」
ブンッ!ブンッ!
「はな、話を、話せば」
ブンッ!
「話せば!話せばわかる!」
ブンッ!ブンッ!
耳元で唸る金属バットが空を切る音に、僕は転げるように逃げて、数メートル分距離を開ける。
「は、話せば分かるから!」
片手で制しながら、僕は必死に訴える。
そういえば、こう言って暗殺された首相がいたな…なんて不吉な事が頭をよぎったけれども、陸軍将校ではない彼は、とりあえず攻撃を止めてくれた。
「話そうが話すまいが、てめえがぶっ殺されるのは変わらないんだけどな」
赤髪の男は僕を大層、殺気を込めて睨みながら、ネクストバッターサークルにいる二死満塁、一打逆転の打席に向かう四番打者のように、バットをブンブン振り回して、
「で、何を話すんだよ?」
と、威圧的に訊いてきた。
「ま、まずは…名前でも聞きましょうか…?」
「ああっ!?んだとっ!?」
「ひいっ!ごめんなさい!」
凄まれて、反射的に謝ってしまった。
「俺は不知崎鏨。一応、三年だ」
「不知崎鏨って…あの……?」
その名前に僕は聞き覚えがあった。
というか、この学校に通う生徒ならばおそらく全員が知っているだろう。
不知崎鏨。
またの名を赤警報。
所謂、不良少年。
かっこよく言うとストレンジャー。
かっこ悪く言うと番長。
いや、番長もかっこいいぞ!という意見はとりあえず無視して話を進めると、彼はわが校でもかなり有名な危険人物。厄介者。もし出会ってしまったとしたらすぐに逃げろ、といわれている。
そこで付いた名前が「赤警報」
噂によると――
小学生の時にすでに街で一番強かった、とか、
実はすでに何人も殺している、とか、
本当はガソリンを飲んでいる、とか、(これ、怖いか?)
全て根も葉もない噂ではあるけれど、まことしやかにそう囁かれていたのだった。
とにかく。
そんな、伝説の不良が、今、目の前にいる不知崎鏨なのだった。
伝説なのだから、ネッシーやビッグフットやツチノコみたいに、めったに人前に姿を現さないという話だったし、その姿を見たものは消されてしまうなんて話もあった。
えっ?消されてしまう?
それって、このシチュエーションから考えて、この人に殺されてってことだよね……?
そんなの伝説でも何でもない!
「それじゃ…次の質問もいいですか……」
僕はジリジリと距離を開きながら、そう訊ねる。
「おう、何だよ?」
バットを構えながら鏨先輩は、僕と同じようにジリジリと距離をつめてくる。
「あの…一体なんで、僕をぶっ殺すなんて言うんですか?」
「そ、そりゃ……」
僕の質問に、意外なことに鏨先輩の足が止まった。
ん?何で?
「あ…あの……」
「そりゃ…てめえが……」
足を止めて俯いていた鏨先輩が、ゆっくりと鬼瓦みたいな顔を上げる。
「そりゃ…てめえが、ムカつくからに決まってんじゃねえか!」
鏨先輩は振りかぶったバットを僕に向かって振り下ろしてきた。
「理由になってない!」
僕は紙一重で、何とかそのバットをかわす。
「ちっ!ちょこまかと逃げ回りやがって!大人しく俺にぶっ殺されろよ!」
「理由も分からずに殺されて、たまりますか!」
「んなこと、知ろうが、知らまいが同じ事。てめえは俺に殺られることに決まってんだよ!だから観念して大人しく殺されろ!」
「きけるか!そんなこと!」
僕は鏨先輩の隙をみて、屋上の入り口にむかって走り出す。
「あっ!てめえ!逃げんな!」
バットを振り回しながら、鏨先輩は僕を追いかけてくる。
追いつかれたら、最後だ。
僕は必死に走った。
この、数秒間は文字通り命がけで走った。
本当に必死だったんだ。
賭けてもいい。
だけど、
それでも、僕は鏨先輩に、冗談みたいにあっさりと捕まってしまった。
「覚悟しろ!」
鏨先輩はバットを頭上高く振上げた。
もともとの体力の差なんだろうな…。敵わなかったんだ、僕のこの貧弱な体力なら……こんな事ならもっときちんと体力づくりでもしておけば良かったな……。なんて、僕はぼんやりと考えていた。
もしかしたら観念していたのかもしれない。
少なくとも何かを諦めていた。
鏨先輩が振上げたバットを振り下ろそうとした時――
「何やってんのよ!」
屋上の扉を開けて、誰かが叫んだ。
その叫んだ人物を見て鏨先輩は、驚いた表情をその顔に貼り付けて、
「お、おまえ……何で……」
何て言っている。
遅ればせながら、僕も屋上の入り口のほうに視線を移動させてみるとそこには、
「何やってんのよ、たっちゃん!」
腕組みをして立っている睦月先輩がいた。
何で、睦月先輩がここに?
というよりも――
「たっちゃん……?」
って誰だ?
キョトンとしている僕のことなんてお構い無しに、睦月先輩はズンズンと近づいてくる。少しずつ歩くスピードを上げて、ニ、三歩ステップを踏んで、そして飛び上がり、ぐるりと身体を反転させて、鏨先輩の側頭部に見事なローリングソバットを決めた。
ローリングソバットを決めた!?
それは非常に美しい角度で決まったようで、伝説の不良、不知崎鏨であってもあっけなくぶっ飛ばされた。
「ちょっ!何やってんですか!睦月先輩!」
肩で息をしながら、睦月先輩はぶっ飛んだ鏨先輩を睨みつけていた。
「男の嫉妬なんて、見損なったよ!たっちゃん!」
「いや、何、言ってちゃってんですか!?てか、もう遅いかもしれないけど、謝りましょうよ!もしかしたら、謝れば許してくれるかもしれないじゃないですか!」
そして、たっちゃんって誰?
そうこうしている内に、非常にゆっくりと緩慢にさえ見える動きで鏨先輩が立ち上がる。その緩やかな動きが逆に不気味で僕は震え上がってしまった。しかし、顔を上げた鏨先輩の表情は僕の想像した『それ』とはかけ離れていた。いてててて、何ていいながら立ち上がった鏨先輩は真っ赤な顔をして、
「そ、そんなんじゃねえよ。嫉妬とかそんなんじゃ……」
といって、乙女のようにはにかんだ。
「あんた、誰だ!?」
「あん!?てめえ、誰に向かって――」
「たっちゃん!」
乙女の表情から一転、悪鬼羅刹のような顔で僕を睨む鏨先輩を、睦月先輩がたしなめる。
ああ、鏨のたっちゃん、ね。
「んだよ、睦月。邪魔すんなよ。俺はそいつがムカつくんであって、決してお前と仲良くしてたから、嫉妬してるとかじゃねえんだからな!」
「じゃあ、太郎ちゃんの何がムカつくのか言ってみてよ」
「そ、それは……顔がムカつくんだよ!」
「今日、始めて会ったのに?」
「くっ……」
鏨先輩は、それ以上何も言葉が出てこなかった。
というか、わっかりやすい人だな~。
そういうことか。糸くんの予言が当たったって訳ね……。
「とにかく――」
睦月先輩はおもむろに、僕の腕に絡みつくように身体を摺り寄せてきて、
「あたしの太郎ちゃんに手を出したら、たっちゃんだって、承知しないんだからねっ!」
と、鏨先輩に向かって指を立てた。
「せ、先輩…?あの、当たってます……」
とっても嬉しいけれど、鏨先輩の目の前でそんなことしたら、僕の命が無いって言うか……ああ、でもこのまま幸せを噛みしめていたいし……。
そんな、自分の中の葛藤と戦いつつ、睦月先輩の甘い香りと柔らかい膨らみを感じていると、案の定、鏨先輩が僕のほうにゆっくりと近づいてきた。
「いやいや、これはあの、睦月先輩が言ってるだけっていうか、その、僕には鏨先輩に対して敵意は無いっていうか……睦月先輩もほら、冗談はやめて、早く僕から離れてくださいよ。鏨先輩に勘違いされてしまうじゃないですか」
僕が無理やり睦月先輩を、はなそうしても「いや~ん!」とか何とかいって、全然離れてくれない。
「そんなに激しく動いたら、睦月、感じちゃう~」
「あんた、何、言ってんだよ!」
今は僕の命が無くなるかどうかの分水嶺なんだ!
まあ確かに、よりしっかりと睦月先輩は引っ付いてきたから、その密着度たるや、もうすごい事になってはいるんだけど、その幸せを噛みしめている余裕が、今の僕には無い。早くこの状況を脱して、鏨先輩に許しを請わねば。
しかし、時すでに遅く、すでに目の前に鏨先輩は迫っていた。
「いや、何というか……ごめんなさい!」
僕は意味も分からず、とりあえず謝ってみた。
すると、予想外の事が起こった。
僕はてっきりぶっ飛ばされて、運が良くて半殺し、悪かったら二回死んでしまうと思っていたのだけれど、そんなことは全く無く、鏨先輩は僕の肩にそっと手を置いて、
「睦月を…たの…むぞ……」
と、静かに言って屋上から出て行ってしまった。
そう言ったときの、鏨先輩の顔といったら、まるで血の涙でも流しそうなほど悲しそうで、悔しそうな顔だった。
なんで、あんな顔してたんだろう……?
というか、伝説の不良の威厳のために黙っておこうかと思ったけれど、言ってしまおう。
鏨先輩は実は泣いていた。
血の涙ではないけれど。
まさに鬼の目にも涙。
いや、別に上手く言ったつもりはないんですが。
「…何か、ごめんね~」
睦月先輩は僕からスッと離れる。
僕はもう少しこの幸せを噛みしめていたかったので、心の底からガッカリだったのだけれど、それを先輩に悟られないように、ごく自然を装って訊ねる。
「何が…ですか……?」
「いや…何となく……」
そう言うと睦月先輩は、黙り込んでしまう。
ん?何だ?この気まずい雰囲気は……?
「な、なんですか~!もう!変だな~」
僕はわざと場違いなほど明るい声を出す。
「それで…たっちゃんなんて呼ぶってことは、先輩と鏨先輩ってどういう関係なんですか~?もしかして元カレとか?」
「そうだよ」
「へえ~そうなんですか~って、ええぇーーーーーーーーーっ!」
マジかよ!?
確かに『男の嫉妬』とか言ってたしな。
それってマズくないか?
「正確に言うとちょっと違うんだけどね。元カレっていうか、幼馴染ってやつなんだよね。気が付くといつも、たっちゃんがあたしの隣にいた。お互いに、付き合うなんて言わなかったけれど、あたしは付き合うならたっちゃんなんだろうなって思ってた。そして、きっとそれはたっちゃんも同じだと昔は思ってた」
「昔は、と、いうことは……」
「そうなの。違っちゃったのよ。たっちゃんがというか、あたしが変わっちゃったんだよね」
「だから、元カレって言ってるんですか……?」
「まあ、付き合ってはいないわけだから、その言い方も少し違うんだけどね」
付き合ってないなら、元カレっていうか…?
「だけど、どうして――」
理由を訊ねようとした僕の唇を、睦月先輩はつまんで黙らせる。
「ふぁふぃふるんふぇふふぁ(何するんですか)」
「それは、な・い・しょ…」
そう言うと睦月先輩は僕にウインクしてきた。その顔があまりにも魅力的だったので僕は黙ってしまい、それ以上は訊けなくなってしまった。
「まあ、少しだけ教えてあげるなら――」
睦月先輩は、少しだけ寂しそうに笑って、
「あたしは…もう誰からも愛されてはいけないんだよ……」
と言って俯いてしまった。
その表情からは何かしら拒絶のような意思を感じて、僕はさらに黙り込む。
沈黙の数秒が過ぎた。
僕にとっては数分、数時間にも感じられる数秒が過ぎた。
「……じゃあ」
睦月先輩は僕から身を翻して、
「またね……」
と、後ろ手に手を振って、彼女は屋上から出て行ってしまった。
行ってしまう彼女に、僕は何も言えなかった。
何も、
言えなかった。
何も言えない、情けない僕が見上げると、そこにはどこまでも高く高く空は青く澄み切っていた。
そんな僕の気持ちとはうらはらに。
さて、実は話はここからが本題だ。
僕が情けない気持ちを土産に帰ろうと、下駄箱を出たところで、
「おい」
とてもぞんざいに呼び止められる。
振り向くとそこには、真っ赤な長髪の長身の男が。
「ああ、何だ、あんたか……」
「あんたかなんて、てめえちょっと調子に乗ってんじゃねえか?」
不知崎鏨先輩は相変わらずの威圧感で僕に迫ってくる。
「とても、さっきベソかいてた人とは思えませんね……それで、何なんですか?」
この時の僕は、はっきり言って自暴自棄になっていたのだと思う。だから、こんなまるで喧嘩をうるような口調を鏨先輩相手に出来たのだろう。
この時の僕は、誰かに殴って欲しかったのだ。
情けない僕もろとも、この現実をぶっ飛ばして欲しかった。
しかしその僕の考えとは逆に、鏨先輩は僕の目の前まで来て、
「頼む!」
と言って僕の前に土下座する。
「は、はい?」
「睦月と仲直りさせてくれ!てめえは何でかあいつに気に入られてる。てめえが言ってくれれば、俺の話もあいつは聞いてくれると思うんだよ。だから、頼む!この通り!」
そう言って鏨先輩はおでこを地面にこすり付けるように頭をさらに下げる。
「いやいやいやいや、何やってんですか!ちょっと困ります!」
あ~あ、困ったな~。
今回もしっかりちゃっかりばっちり巻き込まれてしまった。
さて、どうしたものか……
そうだ。
そういえば。
こういう時の『トラブルシューター』じゃないか?
もっとややこしくなる予感もするけど……。
いや、予感じゃなくて、予知かも。