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ひとくい(5)

是非、縦書きで読んでください。

毎週水曜日午前0時(火曜深夜)に次話投稿します。

                        5

 

 

 最初、僕はやっぱりまだ夢の中なのだと思った。

 

 広い簪家。廊下を小織さんに案内されながら進んでいく。朝の光が差し込んだ廊下は驚くほど美しく輝いていた。空気はこの世界の何よりも澄んでいるかのようだ。

 しかし――廊下を進むうちに少しずつ世界は変わり始めた。

 それは始め、ほんの些細な変化だった。普段ならばおそらく気付かないかもしれない。その変化に最初に気が付いたのは、僕の鼻だった。朝の澄んだ空気の中に、少しずつ、ほんの少しずつ、何となく嗅いだ事のある臭いが混ざり始めた。

 この臭い……一体なんだったっけ……?

 廊下を進むうちに、その生臭いような臭いが強くなってくる。その臭いがむせそうなほど強くなった辺りで突然、小織さんが立ち止まった。

「ここからは悪いけど、一人で行って……。あそこの廊下の角を曲がったところだから……」

 小織さんはこちらを振り向きもしないでそう言った。

「えっ?何で?」

「もう…見たくないのよ……。だから、お願い……」

 僕はその言葉に少し釈然としないまま、一人で先に進んだ。

 突き当りを曲がりすぐの部屋。僕は深く考えずに障子を開こうと取っ手に手をかけよとしてその手を止めた。

 僕が目線を下げたその位置。障子の取っ手がべっとりと赤い液体で濡れていた。そのあまりの現実感の無さに、僕はすぐにはそれが血だとは気付かなかった。

 ここに来ても僕は、まだ現実というものが分かっていなかったのだと思う。

 この場につれてこられた。そういったただの状況に、ただ流されるままに僕はその障子を開けた。その時の僕には――

 美しい使命感も

 薄汚れた好奇心も

 どちらも小指の先ほども無かった。全く考えてもいなかった。

 ただ、その数秒後に僕はそのどちらも持ち合わせていないこの時の僕を、ひどく後悔する羽目になるのだった。

 

 障子を開いた僕の目に飛び込んできたのは、圧倒的な赤。

 赤!

 紅!

 真っ赤!

 部屋中を真っ赤に染める赤だった。そして鼻を突く凄まじいほどの血の臭い。

 僕は部屋の中に一歩踏み入り、その中央にあるものを注視した。

 部屋の真ん中には布団が敷かれていて、その上には当然、人が寝ている。しかしその布団はすでに飛び散った血とあふれ出た血で、元の色が分からないぐらい真っ赤だった。それだけでもこの布団の上のものが、決して触れてはいけないものだという事が分かる。しかしそれだけではなかった。それにはあって然るべきものが無かったのだった。それは――

 首。

 その死体にはあるべき首が――無かった。

 僕は、突然わいてきた抑えられない衝動に駆られて縁側から直接、裸足で庭に駆け下りる。そしてそのまま、そこにあった背の低い木の根元に、胃の中身を全部ぶちまけた。ありえないほどにすっぱい口の中にようやく意識がはっきりしてくる。

 今のは一体なんだった?

 何が現実か、何が幻か、心を落ち着かせて判断する。

「ちょっと、大丈夫?」

 振り返ると、すぐ後ろに小織さんが心配そうに立っていた。こころなし顔色がいつもより悪い。それはそうか、あんなものを見れば誰だって……。

「は、はい…大丈ぶうぇぇええ」

 あの光景を思い出して、もう一度ぶちまけてしまった。

 

 その後、その部屋は警察が来て立ち入り禁止に、それに伴い僕たちは居間に集められる事になった。どうやら僕たちは全員が容疑者という事で、逃走を防ぐ為にとりあえず一箇所に集めておこうということらしい。この中に犯人がいるなんて考えたくも無いけれど、状況的にはそう判断せざるを得ない。

「ど~も。みなさんお集まりですね」

 黒っぽい背広を着た中年の男が、ふてぶてしい態度で僕たちに挨拶をする。

「え~、はじめまして。私は長野県警、捜査一課、警部の斑田まだらだといいます。さて、集まっていただいたのは、お分かりかもしれませんが、みなさん全員に簪小越さん殺害の容疑がかけられているからです。はじめに聞いておきますが、皆さんの中でどなたか、私が犯人ですという方は、その場で挙手して下されば、我々はひじょーに楽なんですがね~」

 そう言うと斑田さんは全員の顔を見回す。僕は目が合ったときに、何となく気まずくて目を逸らしてしまった。

「まあ、私もこの仕事が長いですが、こう訊いて、はい、そうですと正直に名乗りだす犯人なんて一度もいませんでしたがね。さて、ここからは任意の事情聴取ということになるのですが、皆さんが昨夜、何をしていたかということを教えていただけますかね?」

 これが所謂、有名なアリバイってやつですね、と斑田さんは微笑んだ。しかしその目は僕たちの表情を読み解こうと鋭いままだった。

「私は……」

 最初に話し出したのは小雪お母さんだった。いつものふんわりした雰囲気が見る影も無いのは言うまでもない。

「私は…なだれと一緒に食事の後片付けをした後、お風呂に入って早めに寝ました」

「私も、お母様と一緒にお風呂に入ってすぐに寝ました」

 なだれちゃんが小雪さんに続いて斑田さんに答える。

 それにしても一緒に入浴なんてなだれちゃんって意外に子供なんだな……。っとなだれちゃんを見ているとまた変なこと言われかねないし、本人には危ない目に合わされるからこの辺で目を逸らしておこう。

「何ですか…そんな目で私を見て、何か文句でもあるんですか?」

 おっと、目を逸らすのが遅れたか。

「太郎はなだれちゃんをかわいいな~って見てただけよね?まあっ!こんな時になんて不謹慎なんでしょう!いやらしい!」

 愛子さんは大げさに口を隠し驚きの顔を作る。

「そんな訳無いでしょ!そんな誤解されるような事を言わないでくださいっ!」

 ほら、そんなこと言うからなだれちゃんと南に睨まれてますよ、僕。

 南はほんと、こういったセクハラみたいな冗談が嫌いだよな。

「あたしは木星と南ちゃんとは同じ部屋だから、みんなでそれなりにガールズトークを楽しんでから、気が付いたら寝てしまっていたわ」

 愛子さんはつっけんどんな態度で、斑田さんのほうを見もしないで言う。性格的にこういった警察関係の人たちとか嫌いそうだもんな。

 愛子さんの言葉に南が頷く。

「お風呂にも、みんなで入ったから私たちはずっと三人一緒でした」

 その証言になるほど~、と斑田さんは大げさに頷いてみせる。

「それで――」

 斑田さんは並んで座っていた僕と小織さんのほうを見る。

「それで、後はあなた方お二人なんですがね。どうなんですか?」

 微笑んではいるけれど、目はやっぱり僕たちを観察するような鋭さだ。

「あ、あたしは…普通に過ごして…特に変わったことも無く部屋で寝ていたわ」

 その視線に気おされたのか、つっかえながら小織さんはそう答えた。

「僕も早くに布団に入って寝てました。昨日は疲れていたんで」

「なるほど…そうですか…それではこの中で現場を見た人というのは?」

 この問いには、僕と小織さんだけが手を挙げた。

「ほお~お二人だけですか。他の方は見られてないんですね?」

 みんな顔を見合わせて無反応だった。

「見られたのはお二人だけ……第一発見者は?」

「……あたしです」

 小織さんが答える。

「なるほどね~……」

 斑田さんは腕組みをして、小織さんをじろじろと見る。

「それで、あの部屋で何か気が付きましたか?何か変わったところとか?」

「それは……」

 小織さんは言いよどんだ。あんな光景、誰でも思い出したくないはず。僕は小織さんの代わりに答える。

「あの…首がありませんでした……後は血まみれではっきりとは……」

 僕の言葉に誰かが息を呑むのがわかった。

 僕も、何度も吐いてしまうような現場だ。あまり詳しくは思い出したくは無い。

「そうですね。布団の上の遺体には一部欠損がみられた。ただ、それは首だけではないんですよ」

「えっ?どういうことですか?」

 よく見てはいないから僕は気が付かなかったのだろうか?

「首から上の頭部、それに手が無くなっているんです。正確に言うと、こう手首から先が」

 そう言うと、斑田さんは手首を切るような動作をしてみせた。

 手首から先?首がなくなっていることに気を取られていてそこまで見ていなかった。

「きょ、凶器は…凶器は何だったんですか……?」

 なだれちゃんが意を決したような口調で斑田さんに尋ねる。

「日本刀です。枕元にそのまま落ちていました。血も大量に付着していましたしおそらくこれが凶器でほぼ決定でしょう」

「……《人喰丸》……」

 なだれちゃんが呟いた。

「何ですか?《人喰丸》というのは?」

 斑田さんが目ざとくその事をなだれちゃんに尋ねる。

「その刀は…呪われているんです……」

「呪われている?ほお…それは非常に興味深い話ですな。詳しく教えて頂けますかな?」

「はい……」

 なだれちゃんは頷いて、僕たちにしたように人喰丸にまつわる伝説を斑田さんに話した。

「なるほど…それでは、今回のこの事件もその呪われた刀《人喰丸》が起こしたと、そうおっしゃりたいのですね?」

 そう問い詰められても、なだれちゃんはただ俯いて黙ったままだった。

「まあ、この中に犯人がいて欲しくないというお気持ちはお察しいたしますが、それでそんな荒唐無稽な話を、おいそれとは信じる事は出来かねますな~。それよりも――」

 斑田さんはそういって、僕のほうをちらりと見る。

「私としてはこの状況から言って、何となく目星は付いてはいるんですがね。どうでしょう?ここで名乗り出ていただければ、自首ってことになって、後々何かと有利になるんですが……?」

 斑田さんは何かを含んだような表情で僕、そして小織さんを順番に見る。

「何ですか?僕がやったって、そう言いたいんですか?」

「いえいえ、別にそんなことは言ってませんよ。ただ、状況から見ると、昨夜のアリバイが無いのも、現場を見たというのもどちらもお二人だけだ。これで、怪しむなってほうが無理があるってもんですよ」

 僕が睨みつけても一切表情を変えずにニコニコとそんなことを言ってのけるとは、刑事ってのはなかなかクエないものだ。

「そんな事…一概には言えないじゃないですか…」

 思わず自信なさげになってしまった。

「何も田中さんだけが怪しいって言ってる訳じゃないですよ。ね?」

 斑田さんは小織さんを見て微笑む。

「あ、あたしが、んなことするわけないじゃない!あいつがあたしを殺すってんなら分かるけど、あたしにはあいつを殺す理由がないわよ!」

「あなたか、田中さんか、それかその両方か…まあ、私としては、刀が勝手に人を殺してその一部を食べてしまうという話よりも、よっぽど信憑性があるとお話しているだけですよ」

 僕たちが何も反論できないでいると、ニコニコと斑田さんは続ける。

「とりあえず凶器もその場に残っていましたし、もうすぐそれの鑑識結果も分かる事でしょうから、詳しいお話はその後にしましょうか」

 斑田さんがそう言うと、はかったように一人の警官が居間に入ってきた。

「あの…警部、鑑識の結果が出ました」

「それで、どんな結果だった?」

 その警官の言葉を聞こうとみんな静まり返り、次の言葉に注目した。

「はい。被害者は、現場の状況から簪小越で間違いないと思われます。死亡推定時刻は昨夜午前0時から午前3時の間。死因は頸部切断による失血死だと推測されます」

「そこまでは予想通り。それで、何か犯人に繋がる手がかりは?凶器もすでに発見されているんだから、指紋でも何でも出るだろ!?」

「それが……出るには出たんですけれど……」

 報告に来た警官はそこで口ごもった。

「おかしいんですよ……凶器の刀からは一人分の指紋しか検出されませんでしたが、それが被害者の簪小越のものなんです……」

 その言葉に斑田さんはじめ、そこにいたメンバー全員が息をのんだ。

「……えっ?今、何て言った?」

 斑田さんに訊かれて、その警官はゆっくりと言葉を選んで答えた。

「ですから、犯行に使われた刀からは、被害者本人の指紋意外なにも出てきませんでした」

「そ、そんな訳ないだろ……」

 ずっとニコニコしていた斑田さんの顔色が変わった。

「いえ、間違いないようなんです。何度調べてみても同じ結果のようです」

「そんな……じゃあ一体誰が……」

「《人喰丸》だ……」

 静まり返った空気の中、小織さんがつぶやいた。

「やっぱりあの刀が……」

 みんながまた黙り込む。

「と、とにかくみなさん、とりあえずこの家からは出ないようにしてください。私はこれからちょっと席を外しますが、何か分かり次第また集まっていただきますので」

 あてが外れたのか、斑田さんは焦ったように席を立ち、大声で指示を出しながらどこかに行ってしまった。


「私、あの人ちょっと苦手……」

 普段はあまり人の好き嫌いをしない南が、珍しくそうもらす。

「だってあの人、何の証拠もない太郎くんや小織さんを、まるで犯人扱いなんだもん」

「ありがとう。そう言ってもらえたら気が楽になるよ……」

「警察ってのは、大体そんなものよ。それより太郎」

 愛子さんが珍しく真剣な顔つきで僕を見る。その雰囲気に思わず気後れしてしまう。

「……は、はい?何でしょうか?」

「やったってんなら正直に言いなさいよ。あたしが良い弁護士紹介してあげるから。それに、今ならまだ自首ってことになるから、言うなら今よ」

「んなわけないでしょ!真剣な顔で何言ってんですか!?」

「うふふふ…冗談よ。そうじゃなくて、今の話、どう思った?」

「……正直言うとわかりません。こんな事信じたくないですけれど、それこそ斑田さんじゃないですが、状況から見るとこれは……」

 僕はあまりの恐ろしさにそれ以上言葉を続けられなかった。

 まさか、刀の呪いだって言うのか?

 抜いた本人が呪われて、刀に殺されてしまったなんてありえない。

 しかし、それじゃ一体誰が?

 何のために?

 そして何よりもどうやって?

 

 その事を口に出すと、現実になってしまうみたいで僕はとても言えなかった。

 小越さんが呪いで殺されたなんて。

 

「そうと決めるには、まだ早すぎるわよ」

 そう言われて僕が見ると、愛子さんは眼帯を外そうとしていた。

「そうか!その左目で見れば犯人が誰かすぐ分かりますね!」

「ええ、まあね…ただ……」

 愛子さんは顔色を少し曇らせた。

「どうしました?」

「あたしだって、これでも人間だから、出来れば人殺しの心なんて見たくないのよ……」

 苦虫を噛み潰すように愛子さんは

「気分が悪くなるのよ……」

 と、言い捨てた。

 そうか、僕たちと違って、愛子さんはダイレクトに視てしまう。それは僕たちではとても想像できないほどのストレスだろう。そんなことをこの人はずっとやってきたのか……。

「…太郎、あなた、何やっているのよ……」

 気が付くと僕は、眼帯を取ろうとしていた愛子さんの手を掴んでいた。

「愛子さん、それは最後まで取っておきましょう。それまでは僕に任せてもらえませんか?もう少し考えてみましょうよ」

 そんな僕の行動に、愛子さんは最初戸惑ったような表情を浮かべていたが、

「うふふふ…あなたってほんと変わってるわ」

 と言って目を細めて薄く微笑んだ。

 

 


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