道標の方程式(4)
是非、縦書きで読んでください。
毎週水曜日午前0時(火曜深夜)に次話投稿します。
4
東雲町から北に約百五十キロメートル。
人里はなれた山の奥にそれはあった。
「……なんですか?ここは……?」
電車とバスを乗り継いで一時間、その後徒歩で一時間、細い山道を越えた先に突如現れたのは、少し不思議な雰囲気の集落だった。白い玉ねぎみたいな形の家が、点々と緑の中にあって、何か異世界というか御伽噺の中に迷い込んだようだった。
「ここが、《こころのみちしるべ》が作った村。自立支援施設『みちしるべのさと』よ」
と愛子さんが目を細めて睨むように村を見渡す。
「なんだか……上手くいえませんが、ひどく…こう、子供じみていると言うか……子供の頃の夢の国みたいですね……」
しかし――
全く現実感が無いこの場所で、実際に人が監禁されたり、乱暴されたり、死んだりしているのは現実なのだ。その事実をまるで隠すように、また誤魔化すために、こんな形のメルヘンな家を建てているのでは?と思う。そう考えると玉ねぎ型の家、名づけて玉ねぎハウスも気味が悪く見えてくる。
「全く、全然、夢の国なんかじゃないわ。めったなこと言うもんじゃないわよ」
愛子さんに正論で諭された。
全くその通り。これからその悪事を暴きに潜入しようとしている所を夢の国だなんていったらそりゃあ怒られるよな。
そんなわけで――
佐々咲さんの依頼の遂行のため、
佐々咲糸くんを連れ帰るために、
僕たちは実際に《こころのみちしるべ》に入り込むことにしたのだ。
佐々咲さんから依頼を受けた後、僕と愛子さんは《こころのみちしるべ》とコンタクトを取ってみる事にした。表向きはクリーンな自己啓発セミナーといった趣の団体なのでコンタクトを取る事自体は非常に簡単だった。しかしそれからは少し厄介というか、いくつか段階を踏まないと入会(入信?)出来ないようで、僕と愛子さんそれぞれが送られてきた書類に必要事項(住所、氏名から応募の動機まで何と百問!のアンケート)を書き込んで送り返してから、十日が経ってやっと入会が許可された。入会自体には全くお金がかからないようだけれど、不思議と入会すると皆、自分の財産を全てつぎ込むぐらいの勢いで会費(お布施?)を払っていくらしい。
そして、それが行き過ぎるとみんな自分に生命保険をかけて死ぬらしい。
もちろん受取人は滋原晃法だ。
ある人は自殺。ある人は事故。ある人は事件。
なにはともあれ、みんな最後は死人になってここから出てくるのだった。
もちろん日本という国はそこまで秩序が崩壊しているわけではないので、国家権力、つまりは警察も捜査に乗り出し、滋原以下、幹部たちを一人ずつ取調べをすることになった。徹底的に調べつくしたようなのだけれど、その結果、結局は全員の無実を証明するだけになってしまったようだった。というのもこの事件には少し不思議な、腑に落ちない箇所があるとの事。
曰く被害者たちが喜んで会費を払っているところ。
曰く被害者たちに強要された痕跡がないところ。
曰くどこからも被害届がでていないというところ。
これだけ犯行を覆す証拠ばかりだと警察もあまり踏み込んで捜査も出来なかったようで、幹部たちは任意の事情聴取のみですぐに解放されている。
と、ここまでは木星の提出してきた資料に書いてあった。
「さて、それじゃ行きましょうか」
愛子さんはその村の中に入っていく。すると少し入ったところにキャンプ場の受付のような小屋があった。
「すみませーん……」
中に向かって声をかけても誰もいないようで、返事が無い。
「どうしましょうか?愛子さん」
「そうね……適当に入っていっていいものかも分からないし…もう少し待ってみましょうか?」
愛子さんはそう言って辺りをぐるりと見渡す。すると、
「あら?誰か来たわよ」
そう言って玉ねぎハウスが建っている坂の上のほうを指差す。そちらを見てみると、確かに上のほうから一人の人が下りてくる。近づくにつれて徐々にその風貌が明らかになっていく。悠々と歩きながら坂道を下りてくるその人は、白いスーツに身を包み、銀髪をオールバックにした男だった。男は坂道を下りながら大声で話しかけてきた。
「お待たせいたしました。あなた方が来られるのは分かっていたので、お出迎えをしようと思っていのですが、少し遅れてしまいましたね。申し訳ない、どうぞお許しください」
僕たちの目の前までやってきた男は微笑みながら続ける。
「はじめまして。私はここで副代表をやらせていただいています、天苑白と申します。以後お見知りおきを」
そう言って天苑は深々と頭を下げた。
「ただ――」
頭を上げた天苑は、意味ありげに口元を歪めながら、
「もうご存知かも知れませんが、ね」
と、不敵に笑った。
その笑顔は一見すると、とても人当たりのいい感じに見えるが、その奥には何か得体の知れない暗さを含んでいるようで、僕は思わず身震いした。
「こちらこそ、はじめまして。ご連絡させていただいた髑髏塚愛子です。こっちは連れの田中太郎といいます。どうぞよろしくお願いいたします」
愛子さんは何も言えずに固まっている僕の代わりに、実に堂々と天苑に挨拶した。今日は二人とも一応、入会希望者の見学と言う事できているので、愛子さんはいつものマント姿ではなく、白い、清楚っぽいワンピースに低いヒールのパンプスという出で立ちだ。その格好でこんな挨拶をしたらどこかのいいとこのお嬢様にしか見えない。ただ、名前と眼帯を除いては、だが。
「ご丁寧にどうも。それにしても変わったお名前の方ですね。髑髏塚さん…ですか。なかなかいませんよね。それに、その眼帯も実に変わってらっしゃる」
ふふふ、と天苑。
「それでは、ご案内しますのでどうぞ」
手で促されて僕たちは、天苑の後について施設の中に入っていった。
「ここは、世間からはみ出してしまった人たちの受け入れ先なんですよ」
玉ねぎハウスの間を縫うように進みながら天苑が説明しだした。
「ここには今、およそニ百人ほどの人がそれぞれ思い思いに過ごしながら、自立に向けて頑張っています。ここに来るほとんどの人が何らかの形で世間から拒絶され、迫害され、侮蔑されて傷ついてやってきます。自暴自棄になったりして、自分も周りもみえなくなってしまう、一時的に道に迷ってしまうようなものです。ただ、彼らは世間では迷う事さえ許されていない。早く道を進めとせっつかれて、また道を誤り世間から孤立してしまう。そんな悪循環を繰り返してしまう」
あ、ここが集会場です、と天苑は指差して続きをまた話し出した。
「その悪循環を断ち切るために、一度世間を離れてじっくりと次の道を探す、そのためにこの施設を偉大なる滋原晃法様がお作りになられたのです。あの方はそういった人々が道を誤らないための道標に自らなろうとしておられます。そうやって最後にはみなさんここから次の進むべき道を見つけて歩みだし、また世間へと帰っていくのです」
前を進んでいた天苑がくるりと振り返って、僕たちに笑顔を向け、
「髑髏塚さんも世間ではなかなか受け入れてもらえずに大変だった事でしょう。ここでは何も気にする事はありません。ありのままの自分でいいのです」
と言い、ふふふと笑った。
「……大きなお世話よ」
愛子さんはその言い草が気に食わなかったのか、ふてくされた様にそう言ってそっぽを向いてしまった。
「ただ実際にはそんなに上手くばかりいきません」
天苑はくるりとまた前を向いて進みだし、僕たちはまた天苑についていく。
「ここに来られる方たちは多かれ少なかれ、心に何か病を抱えられている方も少なくないです。そういった方たちは結局ここで次の道として自分で自分を殺す、自殺という道を選んでしまわれます。これは私たちとしても非常に残念に思っていることなのです」
天苑は大げさにため息をついて続ける。
「皆さんの自主性に任せているのでしょうがないと言えばそうなのですが……それをどうして止められなかったのかと思うと自分達の無力さを痛感いたします。我々もまた、道の途中ということなのでしょうか」
こんどは首だけで振り返って、天苑は笑う。
「さて、田中さんはここまでです」
「えっ?な、なんで?」
いきなり話を振られたので思ったよりもうろたえてしまう。
「そこの少し大きな建物が男性の宿舎になっています。ここから先は一応、女性の宿舎もあったりして男性の立ち入りは制限されています。まあ、髑髏塚さんとは食堂や集会場でお会いする事もできると思いますのでご心配なく。したがって、田中さんはここまでとなっているんですよ」
「そういうことなら……」
僕は不承不承といった感じに頷いた。
「それでは、また」
と天苑。
「じゃあね、太郎。頑張るのよ」
と愛子さん。
「……はい」
と僕。
二人はそこに僕を置いて坂を上って行ってしまった。
「………………」
完璧に取り残された。
ものすごく心細い。
悔しいけれど。
さてと――
いつまでも突っ立っていても仕方ないので、僕は行動を起こすことにした。
こうなる事は予想されていたので、これからの僕の行動、任務というのは決まっているのだ。それは、今回の依頼の目標佐々咲糸くんになるべく早く接触するという事だ。今の彼がどんな状況か、監禁されているのか?まだ無事に生きているのか?などということを調べ、愛子さんに報告後、指示を仰ぐ。これが当面のミッション。
「………おじゃましま~す……」
僕はその男子宿舎と教えられた建物の扉を恐る恐る開け、首を差し込む。中には体育館の入り口のような靴脱ぎ場があり、その奥は引き戸で区切られているので見ることはできない。僕は意を決して中に踏み入る。愛子さんではないけれど潜入しなければ、このミッションは成功不可能なのだ。
引き戸の前まで来ると中から数人の話し声も聞こえてきて否応無く緊張感が高まる。僕は引き戸に手をかけて「バンッ!」勢い良く開いた。
「………??」
引き戸の中にはだだっ広い空間が広がっていて、そこで数十人の男たちがそれぞれこちらを見て固まっていた。
「あ、あの……こ、こんにちは……」
僕が遅ればせながら挨拶をすると、みんな何事も無かったようにそれぞれの作業に戻っていった。
「あ、あの……僕は、どうすれば……」
見ると周りの男たち年齢も様々で、みんなバラバラにいろんな事をしているようだ。あるものは本を読み、あるものは歌を歌い、あるものはあるものと卓球に興じる。絵を描いているものや、壁に向かってひたすらに何かを投げつけているもの、全く共通性の無い行為を、皆繰り返しているようだ。共通なのはその服装ぐらいなもので、皆一様に麻みたいな固い繊維で出来たような、何だか着心地のひどく悪そうな白い上下を着ている。
「――あんた、新入りかい?」
僕がその光景に呆気を取られて立ち尽くしていると、一人のおじさんが話しかけてきてくれた。
「あ、はい。そうなんです。あの、こういうところ初めてなもんで、どうすればいいかわからないんですが……」
中里と名乗ったおじさんは、うんうんと頷いて
「はじめはそんなもんだ。みんな気合が空回りして普段の実力が出せないものなんだよな。目立ちたいがために余計にみんなと同じ行動になって、何と言うか思ったほどインパクトの無い登場になっちまうもんだ」
と言って僕の肩に手を置き、
「スベッたって気にすんなよ」
と哀れむような表情を僕に向けた。
そんな言い方したら、まるで僕が転校初日に目立とうと勢い良く教室に登場したのに、外してしまって辛い状況になってしまった奴みたいじゃないか!
ちょっとツッコミが説明的過ぎるか……。
「何でもわかんねえ事があるなら、俺に訊いてくれよ」
僕のツッコミはともかく、この中里さんはどうやらこうやって新人の世話を焼いてくれる、お人よしさんみたいだ。
「それじゃ早速なんですが、ここに佐々咲糸という男の子はいますか?」
「おっ?なんだお前、イトっちの友達かなんかなのか?」
中里さんは驚いたように目を見開く。
にしてもなんだそのあだ名。
いい大人が使うにしてはあんまりだろう。
「へえ~あのイトっちとね~」
そう言って中里さんは僕の身体を上から下までじろじろと眺める。
「珍しい人だ。まあいい、イトっちならあっちの端っこの方にいるはずだぜ」
僕は中里さんにお礼を言って教えられた方向へ行った。
確か佐々咲さんから貰った糸くんの写真には少し前とのことだけれど、なかなか聡明そうな男の子が写っていた。僕と同じ年という事なので、それぐらいの年齢っぽくてあの面影の男の子を僕は探しながら建物の隅のほうへ進んでいった。キョロキョロと周りを見回しているのだけれど一向にそれらしい男の子を見つけることが出来ないまま、建物の角の部分が近づいてきた。
「ん……?あれ、なんだ……?」
建物の一番端っこに人がうずくまっている。何と言うか、ずんぐりむっくりとしたその雰囲気は一言で言うと熊といった感じ。さらに言うと、そこだけなんか黒いオーラが立ち込めているようなそんな不穏な空気。恐ろしく話しかけにくいオーラなのだけれど……。
まあ、でも訊くしかないか……
「あの~失礼ですけれど、この辺りに佐々咲糸という人がいると聞いて――」
「何?」
彼は僕の言葉を遮りこちらを向きもせずに訊ねる。
「いやだから、佐々咲糸って人を探し――」
「だから何?」
「その、何度も言っているように僕は佐々咲糸って人を――」
「だから、ぽっくんが佐々咲糸だけど何?何の用なわけ?ぽっくん忙しいんだから手短にしてよね」
「ぎゃ……ぎゃ嗚呼あああああああああああああああああ!」
あまりの衝撃で絶叫してしまった。
「うるさいな~ぽっくんの邪魔するならどっかいってよ」
「だ、だって……」
今、僕の目の前にいるのはとてもあの聡明そうな男の子とは似ても似つかない人物だった。伸び放題でボサボサの髪にはフケが浮いて、いつから洗っていないのか分からないほどに脂ぎっている。その髪を鉢巻状にしたバンダナで縛り、その下にはビン底のような分厚いレンズが入った眼鏡。そして、何ということでしょう、あのスラっとして俊敏そうな体型は今では見る影も無く引きこもりという名の匠の手によって、まるで愚鈍な豚といった有様です。そんなビフォーアフターを見せられたら、どんな奴でも人格が崩壊してしまう事だろう。
しかも一人称が「ぽっくん」って……あんまりだ……。
「ん?ぽっくんの顔に何か付いている?」
僕が驚きすぎて固まっていると怪訝そうに糸くんは訊いてきた。
「いや……あんまりの変わりように少し驚いてしまっただけだよ……」
「ああ…ぽっくん昔に比べて少しぽっちゃりしたからね」
「……ぽっちゃりって」
それを言うならぼっぢゃりだろ!
いや、ぼっぢゃりって意味もわかんないけれど、そっちの方がまだしっくりくる。
「それより君は誰?ぽっくんに一体何の用?」
手元で何か作業をしながら、いまだにこちらを見もしないで糸くんは僕に訊ねる。
「僕は田中太郎。君のお母さんに頼まれて君を……って何やってるんだ?」
僕は糸くんの手元を覗き込んで驚いた。
「えっ?何ってガレージキットを作っているんだよ」
糸くんの手には所謂美少女フィギュアというものが愛おしそうに握られていた。
「いやだから、何やってんだよ!」
「ああ、これは失礼。これは今、コトブキヤの八分の一ホシノルリ艦長服ヴァージョンを製作しているところだよ」
「………はい?」
「この、流れるようなツインテールが素晴らしいよね!」
糸くんは自慢げにその『ホシノルリ』を僕に見せ付ける。
「いや、何やってんだってそこじゃねえよ!」
親に心配かけて何やってんだよ!
愛子さん、どうやら僕たちはとんでもないものに手を出してしまったようです。
ああ、全部放り出して逃げてしまいたい……。
そんな僕の葛藤なんてまったく気にする素振りも見せずに糸くんは作業を続ける。
その時――
「〝ピンポンパンポーン〟これより滋原晃法様よりお話があります。入所者の方々は速やかに中央集会場にいらしてください」
館内放送で聞こえてきたのは天苑の声だった。この放送にみんなそれぞれがやっていた事をすぐにやめて出口へと向かいだした。それはもちろん糸くんも同じで、彼もあんなに大事そうに手に持っていたフィギュアを放り出して出口へと向かいだした。
「おい、いいのか?あんな大事にしていた人形をあんなに雑に置いて」
「人形じゃない!ルリたんだっ!」
糸くんは僕をキッと睨んで怒鳴った。
ああ、心底めんどくさい……。
「はいはい、そのルリたんをあんな感じに置いてっていいのかよって訊いてんだよ。大事なんだろ?」
「確かにルリたんはぽっくんにとって大切な人であることは変わりないけれど、いや、もはや愛しているといってもいいだろう」
いや、正直、愛してんだろ?
「でも、そんなぽっくんでも、それよりも大切な事があるのだよ。それが――」
「それが、滋原晃法のお話ってことね」
「そう……ってちゃんと様をつけないと駄目じゃないか!」
「ふうん……お話、ねえ……」
糸くんにそこまで言わせるものが何なのか、ある意味気味が悪いけれど、どうやらそれが今回の依頼の鍵になりそうだな。
「あのお方のお話は、僕らに道を指し示してくださるんだよ。僕らはそれを信じて進んでいけばいいんだ。あの方はみちしるべなんだから」
糸くんはまるで、何かにとり憑かれているように弛緩して虚ろな表情でうわごとのようにそう言った。その表情は僕に冗談ではなく危ないものに手を出してしまったと思わせるのに十分だった。
「くそう…やっぱ、やめときゃ良かったかな……」
でも今さら逃げるわけにもいかない。
ここには愛子さんもいるんだし。
全ては後の祭り。
僕は覚悟を決めて、みんなの後についていく事にした。
これからその身に降りかかる不幸などまるで知らずに。