春に咲けなかった桜
冬が終わり、春の暖かさを感じ始める3月。
3月は冬の終わりであり、卒業の季節でもある。
毎日のようにどこかの学校で卒業式が行われ、
着飾った学生たちが卒業の喜びを噛み締めている。
その一方で、卒業できなかったものには厳しい季節でもある。
ある大学に通う男子学生がいた。
その男子学生は今年、大学4年生。
通常ならば卒業式を迎えているはずだった。
しかしその男子学生は、成績が悪く、卒業できなかった。
学校の仲間内で卒業できなかったのは、その男子学生だけ。
卒業旅行にも参加できず、
卒業式に出席した仲間たちを祝福する気にもなれず、
小春日和の晴天を拒絶するように、カーテンを閉めた部屋に籠もっていた。
「はぁ・・・。せっかく苦労して入学した学校なのにな。」
その男子学生は、家の事情で、留年することは親に許してもらえなかった。
留年は即ち退学を意味する。
その男子学生が在籍する学校は、それなりの有名校で、
入学する時には相当の苦労をした。
参考書をいくつも読み、高校の先生も何度も相談に乗ってくれた。
だから、合格通知が来た時は、家族一同飛び上がって喜んだものだった。
進学というものは、多大な努力と金を必要とする。
だが進学できれば、将来的に金を稼ぐ可能性が生まれる。
だから進学する時は、誰もが助けてくれるものだ。
しかし、一度進学してしまえば、それまで。
後は誰も助けてくれない。
大学は高校と違い、先生によっては学生の質問すら受け付けない。
大学の授業についていくための参考書なども少ない。
すべて自分で解決しなければならなくなる。
その男子学生も努力はした。しかし結果が伴わなかった。
このまま学校を退学し、実家に戻っても、
もう望んでいたような将来は得られないだろう。
「いっそ、死のうかな・・・。」
その男子学生はふらふらと立ち上がると、部屋着のままで外に出ていった。
部屋の外は晴天で、人々の表情も明るく、服装も薄着になっていた。
そんな中を、くたびれたジャージ姿の男子学生が虚ろな表情で歩いている。
学校でも社会でも、自分は溶け込めていない。そう感じていた。
今ここで腹を刺して見せたら、みんなどうするだろう。
その男子学生はそんなことを思ったが、刃物を持ってくるのを忘れた。
「ははは、俺、本気で死ぬ気あるのかな?」
その男子学生はポケットの小銭で、電車の切符を買って駅に入った。
「まもなく電車が通過します。」
駅のアナウンスが聞こえる。
遠くからは猛スピードで電車がやってくるのが見える。
今、駅のホームから線路に飛び込めば、電車が命を断ってくれるだろう。
3、2、1・・・今だ。
ゴーーーーー。
猛スピードで通過する電車を、その男子学生はホームの上で見ていた。
死にたいのに、いざ死のうとすると、足が動かなかった。
結局、その男子学生は、あてもなく電車をぐるぐると乗り続け、
最後は適当なターミナル駅で降りただけだった。
ターミナル駅の広い建物を出ると、外には高層ビル群が立ち並んでいた。
「あのビルから飛び降りたら、楽に死ねるかな。」
その男子学生は、適当な高層ビルを選んで上へと上ってみた。
しかしどの高層ビルも、関係者以外は上層階には上がれず、
飛び降りられるような窓や空間も開いてはいなかった。
昨今はどの高層ビルも、飛び降りの対策は万全だった。
つまりその男子学生は、居場所もなければ行動も制限されていた。
社会は落ちこぼれを受け入れないし、何の行動も許してはくれない。
「ははは、すべてお見通しってわけか。」
その男子学生は乾いた笑い声を漏らして、再び高層ビル群を徘徊していた。
自動車に跳ねられる勇気もない。飛び降りる勇気もない。
死ぬ死ぬと思うだけで何もしないまま、その男子学生はまだ生きていた。
今いるここはどこだろう。
ビルなどに囲まれた路地裏の一角だった。
ビルのエアコンの室外機が並んでいて、汚い空気を吐き出している。
誰も掃除しない地面は汚れ放題。
地面にこびりついて真っ黒になったガム。
山となって散らばったタバコの吸殻。
地面の隅を走り回るネズミ。
どれもこれも落ちこぼれにはぴったりの汚物たちだった。
そんな中に、たった一枚、ピンク色の花びらを見つけた。
「これは、桜の花びら?まさか。」
卒業式のシーズンは、桜が散るにはまだ早すぎる時期。
しかもこんなビルに囲まれた路地裏に、桜などあろうはずもない。
そのはずなのだが、地面の桜の花びらを拾う間にも、
どこからか桜の花びらがヒラヒラと舞ってきた。
どうやらこの路地裏の奥から飛んできているらしい。
その男子学生は、誘惑されるように、勝手に足が動いていった。
満開の桜は確かにあった。
路地裏の奥に小さな空間が広がっていた。
そこに、時期外れの満開の桜が立っていたのだ。
こんな場所に誰が植えたのかもわからない桜が、
まるで季節に逆らうように満開の花を咲かせていた。
「どうしてここだけ、桜が満開なんだろう?」
その男子学生の疑問は、周囲を見回すことで解消された。
ここはビルに囲まれた路地裏。
周りにはビルのエアコンの室外機が置かれ、
既にほの暖かくなった外気に対応して冷房が使われ、
その反動として生暖かい風がいくつも吐き出されていた。
さらには、見上げるとそこには高層ビル郡の外壁たち。
高層ビル郡の外壁が鏡のようになって、日光をこの路地裏の一角に集めていた。
その結果、この場所だけひと足早く春がやってきていた。
いや、春はやってきてはいない。にせものの春だ。
それでもこの桜は、まるで世間に抗うように、嘘の春を受け入れていた。
春は一つだけではない。
その桜がそう語っているように、その男子学生には感じられた。
季節に抗うように花をつけている桜を見て、その男子学生は勇気付けられた。
「今だったら、本当に死ぬことができるかもしれない。」
周囲には工事に使われたであろう資材が置いてあり、縄が落ちていた。
その男子学生はその縄を輪に結ぶと、手近な桜の枝にかけた。
「これで僕も楽になれる。」
桜の枝にかけた縄の輪に首を通した。
ぶらん、とその男子学生の体が宙吊りになった。
首吊り。よくある自殺の方法だ。
苦しいのは少しの間だけ。すぐに楽になれる。
そのはずが、縄をかけた桜の枝がバキッと折れて、
その男子学生は首を吊った縄ごと地面に落ちてしまった。
「いてて・・」
したたかに腰を打ち付けて、その男子学生は立ち上がった。
首吊りは失敗した。首吊り自殺するには、枝が細すぎたのだ。
しかしその男子学生は諦めない。
この早咲きの桜が勇気をくれている。
それからその男子学生は、何度も何度も首吊り自殺をしようとした。
しかしその度に、縄をつけた枝が折れたり、縄が外れたりして、
首吊り自殺は失敗してしまった。
「だったら、これならどうだ!」
その男子学生は、桜の木に登ると、幹の最も高い位置に縄を引っ掛けた。
これならば幹が割れない限り、首吊り自殺は成功するはずだ。
その男子学生は覚悟を決めて、あるいは嬉しそうに、縄に首をかけた。
頭に血が上っていく。
その時、ありえないことが起こった。
バキバキと音がして、男子学生の視線がずれていく。
あの丈夫な桜の木の幹が、割れて剥がれたのだった。
しかしその男子学生は慌てず、事態に身を委ねた。
この高さなら、頭から落ちれば無事では済まないはず。
こんな裏路地には誰も来ない。助けも来なければ死ねるはず。
そんなその男子学生の考えを察知していたように、
その男子学生は激しくもふんわりと地面に着地した。
頭から落ちたのに、頭にも首にも怪我はない。
その男子学生の自殺を止めたのは、またもや桜だった。
路地裏の地面には、満開の桜からこぼれたの花びらが積もっている。
それが衝撃を吸収し、その男子学生の自殺を妨害したのだった。
「これでも、僕は死ねないのか?
お前はどうして僕が死ぬのを邪魔するんだ?」
その男子学生は、無事な体で、桜に不満をぶつけていた。
どんなにしても、その桜はその男子学生を死なせてはくれない。
他の方法を試そうか。
その場を離れようとしたその男子学生に、一陣の風が吹き付けた。
満開の桜の花びらが、その男子学生を包み込む。
「生きて。」
風の音だろうか。
そんな声が、その男子学生の耳に届いた。
「生きろって、どうやって?
僕にはもう、何も残ってないのに!」
「学校の卒業だけが生きる道ではない。
学校も卒業は、生きる過程の一つでしかない。
違う環境で生きることもできるはず。
私を見て。
私は自然の日光ではなく、人工的な春で花を咲かせられた。
あなたにも、別の春があるはず。
それを探して。
きっとそんなあなたを見てくれる人がいるはず。
あなたが私を探してくれたように。」
ぶわっと風が吹き上げる。
桜の花びらで視界が遮られる。
風が収まって後ろを振り返ると、
そこにはもう満開の桜はなくなっていた。
花びらを散らしきった桜は、次の春を待つだけの身。
しかし人は違う。
自らいくつもの春を探し出す体を、心を、持っている。
「そうか。今、わかったよ。
お前は僕に、死ぬ勇気ではなく、生きる勇気をくれたんだね。
生きる勇気、確かに受け取ったよ。
学校は卒業できなかったけど、実家もあるし、何とかやってみる。」
その男子学生は、しっかりした足取りで路地裏を出ていった。
行く先には冷たく厳しい社会が待っている。
その社会で生きていけるのかは、まだわからない。
それでも、生きていこうと思えるだけで今は十分だった。
どこかの高層ビル群の裏路地に、早咲きの桜があるという。
その桜は、春でもないのに、人工的な温もりから花を咲かせる。
その花を見つけられるのは、同じく真っ当な生き方から外れたものだけ。
もしもあなたが予定通りの生き方ができなくても、
どうかくじけないで欲しい。生きて欲しい。
エアコンの排気やビルの反射光で花をつける桜のように、
花の咲かせ方はいくらでもあるのだから。
終わり。
3月は卒業式のシーズン。
大抵の人にとってはおめでたい時期です。
しかし中には、そうではない人たちもいます。
進級できなかったり、卒業できなかったり、就職できなかったり。
そんな人たちも必死に生きているということを伝えたかった。
それがこの話を書くことにした理由です。
卒業か退学か。
0か1かではなく、それ以外の生き方もあるということを知ってほしいです。
そうでなければ、進学は保障のない非常にリスキーなものになってしまいます。
特に学校の関係者は、そのことを肝に銘じるべきでしょう。
学校は一度学生として入学させた以上は、
それがどんな出て行き方であれ、面倒を見る責任があります。
卒業式を行うことだけが学校の役割ではありません。
今の学校には、その部分が不足していると思います。
お読み頂きありがとうございました。




