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春に咲けなかった桜

作者: ウォーカー
掲載日:2026/03/22

 冬が終わり、春の暖かさを感じ始める3月。

3月は冬の終わりであり、卒業の季節でもある。

毎日のようにどこかの学校で卒業式が行われ、

着飾った学生たちが卒業の喜びを噛み締めている。

その一方で、卒業できなかったものには厳しい季節でもある。


 ある大学に通う男子学生がいた。

その男子学生は今年、大学4年生。

通常ならば卒業式を迎えているはずだった。

しかしその男子学生は、成績が悪く、卒業できなかった。

学校の仲間内で卒業できなかったのは、その男子学生だけ。

卒業旅行にも参加できず、

卒業式に出席した仲間たちを祝福する気にもなれず、

小春日和の晴天を拒絶するように、カーテンを閉めた部屋に籠もっていた。

「はぁ・・・。せっかく苦労して入学した学校なのにな。」

その男子学生は、家の事情で、留年することは親に許してもらえなかった。

留年は即ち退学を意味する。

その男子学生が在籍する学校は、それなりの有名校で、

入学する時には相当の苦労をした。

参考書をいくつも読み、高校の先生も何度も相談に乗ってくれた。

だから、合格通知が来た時は、家族一同飛び上がって喜んだものだった。


 進学というものは、多大な努力と金を必要とする。

だが進学できれば、将来的に金を稼ぐ可能性が生まれる。

だから進学する時は、誰もが助けてくれるものだ。

しかし、一度進学してしまえば、それまで。

後は誰も助けてくれない。

大学は高校と違い、先生によっては学生の質問すら受け付けない。

大学の授業についていくための参考書なども少ない。

すべて自分で解決しなければならなくなる。

その男子学生も努力はした。しかし結果が伴わなかった。

このまま学校を退学し、実家に戻っても、

もう望んでいたような将来は得られないだろう。

「いっそ、死のうかな・・・。」

その男子学生はふらふらと立ち上がると、部屋着のままで外に出ていった。


 部屋の外は晴天で、人々の表情も明るく、服装も薄着になっていた。

そんな中を、くたびれたジャージ姿の男子学生が虚ろな表情で歩いている。

学校でも社会でも、自分は溶け込めていない。そう感じていた。

今ここで腹を刺して見せたら、みんなどうするだろう。

その男子学生はそんなことを思ったが、刃物を持ってくるのを忘れた。

「ははは、俺、本気で死ぬ気あるのかな?」

その男子学生はポケットの小銭で、電車の切符を買って駅に入った。

「まもなく電車が通過します。」

駅のアナウンスが聞こえる。

遠くからは猛スピードで電車がやってくるのが見える。

今、駅のホームから線路に飛び込めば、電車が命を断ってくれるだろう。

3、2、1・・・今だ。

ゴーーーーー。

猛スピードで通過する電車を、その男子学生はホームの上で見ていた。

死にたいのに、いざ死のうとすると、足が動かなかった。

結局、その男子学生は、あてもなく電車をぐるぐると乗り続け、

最後は適当なターミナル駅で降りただけだった。


 ターミナル駅の広い建物を出ると、外には高層ビル群が立ち並んでいた。

「あのビルから飛び降りたら、楽に死ねるかな。」

その男子学生は、適当な高層ビルを選んで上へと上ってみた。

しかしどの高層ビルも、関係者以外は上層階には上がれず、

飛び降りられるような窓や空間も開いてはいなかった。

昨今はどの高層ビルも、飛び降りの対策は万全だった。

つまりその男子学生は、居場所もなければ行動も制限されていた。

社会は落ちこぼれを受け入れないし、何の行動も許してはくれない。

「ははは、すべてお見通しってわけか。」

その男子学生は乾いた笑い声を漏らして、再び高層ビル群を徘徊していた。


 自動車に跳ねられる勇気もない。飛び降りる勇気もない。

死ぬ死ぬと思うだけで何もしないまま、その男子学生はまだ生きていた。

今いるここはどこだろう。

ビルなどに囲まれた路地裏の一角だった。

ビルのエアコンの室外機が並んでいて、汚い空気を吐き出している。

誰も掃除しない地面は汚れ放題。

地面にこびりついて真っ黒になったガム。

山となって散らばったタバコの吸殻。

地面の隅を走り回るネズミ。

どれもこれも落ちこぼれにはぴったりの汚物たちだった。

そんな中に、たった一枚、ピンク色の花びらを見つけた。

「これは、桜の花びら?まさか。」

卒業式のシーズンは、桜が散るにはまだ早すぎる時期。

しかもこんなビルに囲まれた路地裏に、桜などあろうはずもない。

そのはずなのだが、地面の桜の花びらを拾う間にも、

どこからか桜の花びらがヒラヒラと舞ってきた。

どうやらこの路地裏の奥から飛んできているらしい。

その男子学生は、誘惑されるように、勝手に足が動いていった。


 満開の桜は確かにあった。

路地裏の奥に小さな空間が広がっていた。

そこに、時期外れの満開の桜が立っていたのだ。

こんな場所に誰が植えたのかもわからない桜が、

まるで季節に逆らうように満開の花を咲かせていた。

「どうしてここだけ、桜が満開なんだろう?」

その男子学生の疑問は、周囲を見回すことで解消された。

ここはビルに囲まれた路地裏。

周りにはビルのエアコンの室外機が置かれ、

既にほの暖かくなった外気に対応して冷房が使われ、

その反動として生暖かい風がいくつも吐き出されていた。

さらには、見上げるとそこには高層ビル郡の外壁たち。

高層ビル郡の外壁が鏡のようになって、日光をこの路地裏の一角に集めていた。

その結果、この場所だけひと足早く春がやってきていた。

いや、春はやってきてはいない。にせものの春だ。

それでもこの桜は、まるで世間に抗うように、嘘の春を受け入れていた。

春は一つだけではない。

その桜がそう語っているように、その男子学生には感じられた。


 季節に抗うように花をつけている桜を見て、その男子学生は勇気付けられた。

「今だったら、本当に死ぬことができるかもしれない。」

周囲には工事に使われたであろう資材が置いてあり、縄が落ちていた。

その男子学生はその縄を輪に結ぶと、手近な桜の枝にかけた。

「これで僕も楽になれる。」

桜の枝にかけた縄の輪に首を通した。

ぶらん、とその男子学生の体が宙吊りになった。

首吊り。よくある自殺の方法だ。

苦しいのは少しの間だけ。すぐに楽になれる。

そのはずが、縄をかけた桜の枝がバキッと折れて、

その男子学生は首を吊った縄ごと地面に落ちてしまった。

「いてて・・」

したたかに腰を打ち付けて、その男子学生は立ち上がった。

首吊りは失敗した。首吊り自殺するには、枝が細すぎたのだ。

しかしその男子学生は諦めない。

この早咲きの桜が勇気をくれている。

それからその男子学生は、何度も何度も首吊り自殺をしようとした。

しかしその度に、縄をつけた枝が折れたり、縄が外れたりして、

首吊り自殺は失敗してしまった。

「だったら、これならどうだ!」

その男子学生は、桜の木に登ると、幹の最も高い位置に縄を引っ掛けた。

これならば幹が割れない限り、首吊り自殺は成功するはずだ。

その男子学生は覚悟を決めて、あるいは嬉しそうに、縄に首をかけた。

頭に血が上っていく。

その時、ありえないことが起こった。

バキバキと音がして、男子学生の視線がずれていく。

あの丈夫な桜の木の幹が、割れて剥がれたのだった。

しかしその男子学生は慌てず、事態に身を委ねた。

この高さなら、頭から落ちれば無事では済まないはず。

こんな裏路地には誰も来ない。助けも来なければ死ねるはず。

そんなその男子学生の考えを察知していたように、

その男子学生は激しくもふんわりと地面に着地した。

頭から落ちたのに、頭にも首にも怪我はない。

その男子学生の自殺を止めたのは、またもや桜だった。

路地裏の地面には、満開の桜からこぼれたの花びらが積もっている。

それが衝撃を吸収し、その男子学生の自殺を妨害したのだった。

「これでも、僕は死ねないのか?

 お前はどうして僕が死ぬのを邪魔するんだ?」

その男子学生は、無事な体で、桜に不満をぶつけていた。


 どんなにしても、その桜はその男子学生を死なせてはくれない。

他の方法を試そうか。

その場を離れようとしたその男子学生に、一陣の風が吹き付けた。

満開の桜の花びらが、その男子学生を包み込む。

「生きて。」

風の音だろうか。

そんな声が、その男子学生の耳に届いた。

「生きろって、どうやって?

 僕にはもう、何も残ってないのに!」

「学校の卒業だけが生きる道ではない。

 学校も卒業は、生きる過程の一つでしかない。

 違う環境で生きることもできるはず。

 私を見て。

 私は自然の日光ではなく、人工的な春で花を咲かせられた。

 あなたにも、別の春があるはず。

 それを探して。

 きっとそんなあなたを見てくれる人がいるはず。

 あなたが私を探してくれたように。」

ぶわっと風が吹き上げる。

桜の花びらで視界が遮られる。

風が収まって後ろを振り返ると、

そこにはもう満開の桜はなくなっていた。

花びらを散らしきった桜は、次の春を待つだけの身。

しかし人は違う。

自らいくつもの春を探し出す体を、心を、持っている。

「そうか。今、わかったよ。

 お前は僕に、死ぬ勇気ではなく、生きる勇気をくれたんだね。

 生きる勇気、確かに受け取ったよ。

 学校は卒業できなかったけど、実家もあるし、何とかやってみる。」

その男子学生は、しっかりした足取りで路地裏を出ていった。

行く先には冷たく厳しい社会が待っている。

その社会で生きていけるのかは、まだわからない。

それでも、生きていこうと思えるだけで今は十分だった。


 どこかの高層ビル群の裏路地に、早咲きの桜があるという。

その桜は、春でもないのに、人工的な温もりから花を咲かせる。

その花を見つけられるのは、同じく真っ当な生き方から外れたものだけ。

もしもあなたが予定通りの生き方ができなくても、

どうかくじけないで欲しい。生きて欲しい。

エアコンの排気やビルの反射光で花をつける桜のように、

花の咲かせ方はいくらでもあるのだから。



終わり。


 3月は卒業式のシーズン。

大抵の人にとってはおめでたい時期です。

しかし中には、そうではない人たちもいます。

進級できなかったり、卒業できなかったり、就職できなかったり。

そんな人たちも必死に生きているということを伝えたかった。

それがこの話を書くことにした理由です。


卒業か退学か。

0か1かではなく、それ以外の生き方もあるということを知ってほしいです。

そうでなければ、進学は保障のない非常にリスキーなものになってしまいます。

特に学校の関係者は、そのことを肝に銘じるべきでしょう。


学校は一度学生として入学させた以上は、

それがどんな出て行き方であれ、面倒を見る責任があります。

卒業式を行うことだけが学校の役割ではありません。

今の学校には、その部分が不足していると思います。


お読み頂きありがとうございました。


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