第一話 分たれた祖国
1945年8月15日
この日、日本は広島と長崎の原爆投下を受け、玉音放送を流した。
9月には連合国からのポツダム宣言を受諾した。
しかしこの年の8月20日、突如、ソ連軍が占守島へ侵攻。
武装解除され、弱体化していた日本軍はなすすべもなくソ連軍の北海道侵攻を許し、根室、網走、稚内といった都市や街は瞬く間に占領され、8月31日を迎える頃には札幌が陥落した。
しかしこの事態にはアメリカやイギリスは黙っておらず、特にイギリスのウィストン・チャーチルは次のように述べた。
「連合国の指示に従い、戦う意思がないことを示した相手に対して卑怯である。ソ連は戦後秩序において最も厄介である。この件において、我がイギリスは全力で日本を擁護する」と述べた。
加えてハリー・S・トルーマンも「日本は地政学的に重要だ。それゆえの行動だろうが、いくらなんでも看過できるものではない」と批判した。
この件は、茨城県水戸市で話し合われ合意されたことから、水戸合意と名付けられた。
この会議には日本の東久邇宮内閣の一部のメンバーも参加していた。
最終的に福島県を除く、東北五県と北海道をソ連の影響圏ないし衛星国とすることで合意した。
幸い、東京や茨城が最前線になることはなかったが、この件には福島県民からは「我々を日本の一部と見ていないのか‼︎」や「我々を防波堤に利用するつもりか⁈」など非難轟々であった。
かろうじて朝鮮半島の分断だけは避けられた。
なぜなら、水戸会議で話された内容で、スターリンは「朝鮮半島北部も我が影響圏に入れたい」と宣った。
するとこれに対しトルーマンは「ふざけるな!容認してもない北海道侵攻をし、加えて日本のみならず朝鮮半島も分断する気か!」
と大層キレたエピソードがある。
この件において、蒋介石ですら「スターリンは思い上がってやがる!アメリカに降伏し、武装解除した国に対して、漁夫の利をしただけだろ!」と怒っていた。
1950年まで米軍が南日本に、ソ連軍が北日本に駐留する運びになった。
また、南日本の統治範囲は沖縄までとし、台湾はアメリカ領となった。
南北に分かれた日本で、幸いにも東京がベルリンのように分断されることは許されなかった。
スターリンは当初、日本と朝鮮半島の北部と、東東京を支配下におこうとしていた。
しかし、北海道侵攻と日本南北分断に堪忍袋が切れていた、米英に中国、おまけにフランスまでソ連を批判する声明を出した。
東久邇宮内閣が総辞職をすると、鳩山茂内閣が誕生した。
反共を掲げながらも、企業協調主義路線へ鳩山内閣は舵を切った。
彼は所信表明演説で「1日でも早く復興と平和を享受できる国作りを推進します!」
力強くそう訴えた。
それと同時に、反共を強くすべく、総理府安全局を作り、北へのスパイ活動を開始しようとしていた。




