第一話 チャン島沖海戦 1
昭和十五年(1940年)、欧州でフランスがドイツに降伏し、日本がフランス領インドシナに進駐した報を受け、タイ王国は奪われた領土を奪回し積年の恨みを晴らすべくヴィシー・フランス領のカンボジアに対して侵攻を開始した。
いわゆる「タイ・フランス領インドシナ紛争」の始まりである。
現地兵が主体の植民地軍など鎧袖一触、そう甘くみていたタイ陸軍であったが、予想に反してフランス植民地軍は粘り強く抵抗した。このため戦線は膠着状態に陥り、むしろ逆にタイ陸軍の方が国境に押し戻されつつあった。
その影響は海にまで及んだ。カンボジア国境近くのチャン島に停泊していたタイ海軍の主力艦隊が、自国の領海内にもかかわらずフランス極東艦隊の奇襲を受けたのである。
■昭和十六年(1941年)1月17日 早朝
タイランド湾 チャン島沖
タイ海軍 スループ艦 メクロン
海防戦艦「トンブリ」を旗艦とするタイ海軍第二戦隊が敵艦隊の奇襲を受けたとの通報を受け、チャン島北部の哨戒任務に向かっていたスループ艦「メクロン」と水雷艇「ラヨーン」は慌てて泊地に引き返した。
「なんということだ……」
だが朝日に照らされた海上は、すでに地獄だった。
「トンブリの姿しか見えないぞ!チョンブリーとソンクラはどこに行った!?」
もともと第二戦隊はトンブリとメクロン、そして4隻のトラッド級水雷艇で編成されていた。水雷艇のうち1隻はメクロンと一緒にいるラヨーンで、もう1隻のトラッドは現在サッタヒープに移動中である。
つまり残り2隻の水雷艇チョンブリーとソンクラはメクロンと一緒に停泊していたはずだった。
「海岸近くに二つの残骸と煙が見えます。おそらく既に撃沈されたものかと……」
目の前ではトンブリがたった1隻でフランス艦隊に抵抗していた。しかし損傷が酷いのか速度も遅く袋叩きにあっている。艦橋も被弾炎上しており司令のプロム・ウィーラファン中佐とも連絡がとれない。
一方で軽巡1隻と通報艦4隻の戦力を有するフランス艦隊はいまだ無傷に近い。このままではトンブリも撃沈されてしまうのは時間の問題だった。
「第一戦隊からの報告は?」
タイ海軍には第二戦隊とほぼ同じ編成の第一戦隊があった。それはトンブリと同型艦の「スリ・アユタヤ」、メクロンと同型艦の「ターチン」、そして5隻のトラッド級水雷艇で構成されていた。
「こちらに急行中ですが……到着まで数時間はかかります」
「航空隊の方はどうなっている?」
「現在、出撃準備中ですが、急いでも到着まで2時間はかかるとのことです」
つまり当面は強力な援護は望めず、戦力はここにいるメクロンとラヨーンしか無いということだった。このままでは航空隊が到着するころにはトンブリも撃沈されてしまうだろう。
「くそっ!……仕方ない、我々だけでトンブリを救うぞ!総員覚悟を決めろ!目標、前方の敵艦隊!突撃!」
敵よりはるかに劣勢であるがメクロンとラヨーンは戦闘を決断した。そして最大速力27ノットでもって敵艦隊に向けて突撃を開始した。
■メクロン級スループ艦について
ちなみにこのメクロン級スループ艦と呼ばれる「メクロン」と「ターチン」はタイ国内で建造された艦ではない。タイには軍艦建造能力がないため、タイ海軍は保有する艦艇のすべてを輸入に頼っていた。
海防戦艦トンブリ級は日本製であり、トラッド級水雷艇はイタリア製だった。トンブリより大型の巡洋艦「タクシン」「ナレスアン」も現在イタリアで建造中である。
そしてメクロンとターチンの2隻も日本で建造された艦だった。
この2隻の外観は日本海軍の松型駆逐艦に非常によく似ていた。というよりほぼ松型そのものだった。このためこの2隻はジェーン年鑑においてはスループ艦ではなく松型と凖同型の駆逐艦に分類されている。
なぜタイ海軍が松型駆逐艦を保有しているのか。その理由は10年前のロンドン海軍軍縮条約にまで遡ることになる。
【あとがき】
この海戦、日本語のWikiでは「コーチャン島沖海戦」となっていますが、「コー」は「島」と言う意味なので、正しくは「チャン島沖海戦」です。
史実ではメクロンとラヨーンは海戦に参加していません。そのメクロンもほぼ松型駆逐艦に変わっています。




