もし人魚姫が“超”現実主義だったら
海底宮殿『竜宮』には海の帝王が暮らしている。
彼には5人の妻がおり、息子を3人、娘を3人授かった。
彼は良い統治者であったので、海底中の生き物が使者を送り帝王の治政に協力していた。
5人の妻のうち最も寵愛を受けていた女性は最も年若かったが、その寵愛の重さゆえにとても大切にされたので、未だの1度も身籠ったことがなかった。
だがやっと、1人の娘が産まれた。後に人魚姫と呼ばれるほどの美貌を持つ、4人目の末娘だ。
蝶よ花よと育てられた彼女だったが、妙に達観したところがあり周囲を驚かせた。
彼女が特に好んだのは竜宮に滞在する使者たちと対話し、外の世界について学ぶことだった。
「あぁ、なんて美しいのかしら…」
使者の中でも特に賢いシャチが持ってきた、“ざっし”なるものを見ながら彼女は嘆息する。
陸で生活する人間には足という構造がある。自分の下半身はきらきらと輝くウロコとヒレなので泳ぐのには最適だが、陸での生活は難しいだろう。
さらに、陸の彼らはほぼ100%肺呼吸で生活しているので首筋がまっさらでとても綺麗だ。人魚である彼女は主にエラ呼吸で生活するので、首元に亀裂が入っている。
彼女は陸に憧れていた。
海の方が遥かに広いといえど、その分友好的でない種族もたくさんいるので帝王の末娘である彼女はあまり自由に動くことができない。
何度か、陸へ行ってみようと試みたことがあった。だが、どうにも圧力の変化が著しく彼女の肉体では耐えられそうにない。深く潜る分には良いのだが、浅瀬まで行くとなると激しい頭痛や嘔吐感に耐えなければならない。また、座礁してしまう危険もある。
どう考えても無謀である。だが、やってみたいものはやってみたい。
「ちょうど、耳寄りな情報が入ったんだが聞きたいか?」
賢者シャチが言う。
「ええもちろん。教えていただける?」
「潜水艇が、ここよりちょっと浅いところに来るらしい。お前さん興味はあるかい」
“せんすいてい”を具体的にイメージすることは難しかったが、陸製のものが見られることは分かった。
「とっても面白そうね、ぜひ連れてってちょうだい」
「あれの中には凶暴な人間が搭載されてるから姫が捕縛される危険もある。だがまぁ遠目に見るだけなら大丈夫か」
「まぁ素敵!もし捕まってしまったら、陸の人たちとお話しできるのかしらね!?」
「えぇと、うむ…私と会話をしている時点で、人間に言葉が通じる可能性は低いな。なにせ私たちの言葉は彼らに聞こえすらしない」
「なんてこと…」
肩を落としたのもほんの束の間、さっさと切り替えた彼女はシャチに牽引してもらって潜水艇を見に行く。他にもいくらかの動物たちが護衛に名乗り出た。
「姫、あれが潜水艇だよ!」
「おっきぃー!!あ、でもクジラさんには劣るわね」
「気をつけて。僕らの陰に隠れて」
普段はもっと浅い水域に生活しているはずのものたちがわざわざやってきて、魚群を形成してくれた。
そして彼女は運命的な出会いをする。
潜水艇の分厚い窓の向こうに、人影が揺らめく。それはどんどん近づいて、ついに窓越しに至近距離でこちらを見てきた。
ゆるくウェーブのかかった豊かな黒髪。こちらの世界を反射して煌めく真っ青な瞳。
異常な魚の数に驚いているのか?目を細めて懸命に何かを見ようとしているのは気のせいだろうか。
「姫よ、危ない!皆の者今すぐ撤退だ!!」
シャチの号令で一斉に逃げる。魚たちは人魚姫を強引に押して潜水艇から引き離した。
「あ、あの人私に気づいたのかしら?」
「もう2度といたしません、申し訳ない」
「いいえ、とても素敵だったわ!!」
「あぁ…姫……」
その後、人魚姫は部屋に閉じこもってしまった。
陸への憧れについて、父帝王や兄姉にキツく咎められたからだ…と、言うのは建前で。
彼女は窓越しに見た潜水艇の人間のことを考えていた。
(とても凛々しくて…女々しい顔のお兄様方とは全く違ったわ)
陸に行って、彼に会いたい。
…陸へ行く理由がひとつ増えた。
皆が寝静まるころ…人魚姫はこっそりと宮殿を後にした。向かう先は海峡をひとつ越えたところにある科学の街だ。
そこには海帝王の妹、人魚姫の叔母にあたる人魚が住んでいる。危険な科学者だとして人魚姫のいる街から追い出されたそうなのだが、人魚姫は、いつか役立つかもしれないと思い連絡先を保管しておいたのだ。
「もしもし叔母さま、私は帝王の末娘、アーリアですわ」
「よく来たね。入りな」
街の所々から煙がうねうねと立ち上っており、建物同士が密集するようで間の路地は仄暗かった。
「叔母さま…あの、こうして招き入れて下さってありがとうございます」
「なんだい、かしこまって。さっさと用件を言ったらどうだい。どーせ海帝王からの下らん伝言だろう?可哀想に、末娘だからってこんな所に来て…」
「いいえ、違いますわ。私、自分のためにここへ来たんですの」
「自分のため…?どういうことだい」
「叔母さまは…陸へ行ったことはありますか」
「あぁ…そういうことか」
そういうと、叔母は自身のヒレだった部分をドンと机の上に投げ出した。
「あたしゃ自分の体をここまで改造して、やっと陸へ行き来できるようになったのさ。」
その体はまるでタコのように枝分かれしていた。
「ヒトの言葉も習得した。魚だって食べた。人間がそうするからだ」
人魚姫は息を呑む。護衛を名乗り出てくれた献身的な魚たちが脳裏をよぎる。
それでも、彼女の憧れは消えなかった。
「叔母さま…お願いです。どうか、私も同じようにしてはいただけませんか」
「冗談だろう…?こんな、醜い姿になりたいと…?」
「関係ありませんわ。それで陸へ行けるのなら」
「はぁ、どちらにしろダメだ。ここまでの改造はとてもリスキーだし、そんなことしでかしたらあたしゃ極刑どころじゃないよ」
ここで身分が邪魔をするのか。唯一といっても良い頼みの綱があっさりと断たれた。
だがここで諦める彼女ではない。
「叔母さま、相談に乗っていただいてありがとうございました。あのぅ、もし良ければ私、貴女の研究をお手伝いしますわ。幸い人手はたくさんありますし、資材も手に入れやすいですから」
「いやいや、あたしゃ何もしてないね、だがまぁ今後も何かあれば話くらい聞いてやるさ…あんたも苦労してんだねぇ」
(よし。人材確保)
大人しく宮殿へ帰った人魚姫は、何事もなかったかのように過ごした。
おかげで家族からの咎めるような視線はすぐに解消して、元通りの自由な時間を取り戻す。
人魚姫は思索に思索を巡らせ、ひとつのとっぴな計画を立てた。
「叔母さま、ええ、アーリアですわ。少しお願いしたいことがございますの…」
(私の全身全霊をもって、“ラブレタァ”をお届けするわ……!)
陸、海、そして空をも利用する“ラブレター計画”が、今始まる……
短編にしてはあまりに長かったので続きは続編で…