68.幸福の象徴
由香里とティアの居る教室に踏み込むと、床に由香里が倒れ込んでいた。
お腹を押さえてつらそうにしてる――出血?! 怪我でもしたのか?! この部屋で?!
ティアが治癒の異能で由香里を癒してるみたいだけど、由香里の様子は変わりがないみたいだ。
……ただの怪我じゃない、のか?
俺は頭が真っ白になって、呆然と光景を見つめていた。
背後で湖八音先生がデュカリオンと通話をしている声が聞こえた。
「はい、そうです……わかりました。
竜端さん、すぐにデュカリオンが検査車両を回してくれるそうです」
俺は真っ白な頭のまま、由香里を見つめて黙って頷いた。
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白衣のデュカリオンが現れ、真剣な顔で俺に告げる。
「すぐに検診をするから、君は談話室で待っていて」
デュカリオンは職員と一緒に担架で由香里を連れていった。
俺は女子たちと談話室で、デュカリオンと由香里が戻ってくるのを待っていた。
重たい沈黙が続く中、ようやくデュカリオンが姿を現す。
深刻な顔のデュカリオンが俺に告げる。
「悠人、由香里の部屋に来て欲しい」
俺は黙って頷いて、席を立った。
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ベッドに寝かされている由香里は、もう落ち着いたみたいだ。
だけど不安気な表情で、俺を見つめていた。
「大丈夫か、由香里。もうつらくないか?」
「はい、もう痛みはないです。ティアが癒してくれたからだと思いますけど」
ベッドサイドの椅子に腰を下ろし、由香里の手を握ってやる。
背後からデュカリオンが告げる。
「これから大切な話をするから、二人ともそのままで聞いて欲しい」
俺は振り返ってデュカリオンを見つめた。
「なんだよ、大切な話って」
デュカリオンは少しためらった後、由香里に告げる。
「残念だったね」
由香里が呆然とつぶやく。
「どういう……ことですか」
「早期流産だよ。君のお腹の子供は、流れてしまった」
俺は慌てて由香里に振り返る――彼女の顔から、血の気が一瞬で引いていた。
俺の手を、由香里が強く握りしめてくる。
「……う、そ」
デュカリオンは眉をひそめ、つらそうに告げる。
「嘘ではないよ。
おそらく染色体異常だろうね。
この時期までの流産は珍しい話じゃない。
君のせいではないから、決して自分を責めないようにね」
……妊婦って、由香里だったのか。
デュカリオンが穏やかに微笑んで告げる。
「今は心と体を癒すことを考えなさい。
君は若い。まだいくらでもチャンスはあるんだ。
――お大事にね」
デュカリオンは白衣を翻し、部屋から去っていった。
俺は泣き崩れる由香里の肩を抱きしめながら、彼女が泣き疲れて眠るまでそばに居た。
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空気の重たい夕食になり、俺たちは言葉少なく食事を口に運んでいく。
瑠那が眉をひそめ、涙ぐんで告げる。
「今が八週目ぐらいでさ。十二週目になったら悠人に教える予定だったんだよ」
「なんで、すぐに教えてくれなかったんだよ……」
「デュカリオンの指示だよ。
たぶんあの人、こうなることがわかってたんじゃないかな。
元々、十二週目の安定期になるまで、流産の可能性って高いらしいし」
俺はうつむいてスープの皿に目を落としていた。
それで一番不安定に見えたのか?
妊娠してる身体でも、愛を求める自分を抑えられないことに、自己嫌悪でも感じてたのだろうか。
だとしたら、そんな身体にしてしまった俺にだって、責任があるんじゃないのか?
今まで最善を尽くしてきたつもりだった。それが間違ってたんだろうか。
悩む俺に、瑠那が告げる。
「十二週目になったら悠人に伝えるんだって、喜んでたんだよ。
『もうすぐ教えられる』って、毎日言っててさ」
あとたった四週間、だけどそれは叶わぬ夢と消えちまった。
楽しみに待っていた分だけ、由香里のダメージは大きいかもしれない。
俺は味のしない夕食を口に放り込みながら、自分の不甲斐なさに腹を立てていた。
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それからの由香里は、とても不安定になった。
一日を休養にあてたあと戻ってきたゆかりの顔から、笑顔が消えていた。
暗い顔で、必要最小限の言葉だけを交わしていく。
心細いのか俺の後をついて回り、そばから離れようとしなかった。
そして時々、思い出したかのように号泣するのだ。
俺も、女子たちも必死に慰めた。けどやっぱり、心の傷は深いみたいだ。
夕食後の午後七時、俺は憂鬱な気分で由香里のドアをノックした。
ドアの中から現れたのは、いつもと変わらぬ彼シャツ姿の由香里。
「なぁ由香里、今夜は早く寝るんだ。
眠りだけが、お前の心を癒すはずだ。
だから今夜は――」
「――嫌です! 今夜も全てを忘れさせてください! 何もかも、つらいことを全部です!」
不安定に泣き叫ぶ由香里を抱き止めながら、俺は小さく息をつき、部屋の中に入っていった。
その晩、由香里は今まで以上に俺の愛を求めた、
体力の限界を超えてもまだ、俺の愛を貪り続けた。
俺にできるのは、精一杯大切に慈しんでやることだけだった。
ようやく眠りに落ちた由香里を見守りながら、俺は時間ギリギリまで、その頭を撫でていた。
「……もう、優衣のところに行かないと。ごめんな」
俺はそっと、気配を殺して由香里の部屋から立ち去った。
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悠人は女子たちと一緒に由香里を支え、ようやく彼女にわずかな笑顔が戻る頃、もう季節は年末を目前に控えていた。
年内最後、金曜日の週末モニタリングを終えて、日曜日の大晦日を迎えた。
七人が談話室に集まり、年末特番を流しながら過ごしていく。
誰もモニターなんて見ていない。ただのBGVだ。
四月に出会ってからから今日までの九か月間、いったいどれだけの出来事があったのか。
そんなことを仲間たちと、思い出として語っていく。
つらかった記憶や悲しかった記憶も、今では笑い話に出来ていた。
うれしかった記憶や楽しかった記憶は、今も鮮明に残っている。
一緒に過ごした日々の気持ちを共有した七人は、まるでひとつの群体のような集団だった。
悠人を中心として、女子が笑いあう。そんな仲間たちだ。
楽しかった日々を口にするたびに、由香里の笑顔には力が戻っていった。回復の兆候だ。
瑠那は由香里の笑顔を微笑んで見つめながら、心の底から安堵していた。
優衣、瑠那、美雪、由香里は、幼馴染の四人組のまま、ここに居た。
ガラティアは変わらず、純粋で無邪気な笑顔を周囲に振りまいている。
セレネは新顔だが、もうすっかりメンバーの一人として馴染んでいた。
彼女たちを見守る悠人の表情も明るい。彼の太陽のような慈しみが、女子全員を照らし出していた。
瑠那が守りたいと願った絆はそのままに、さらなる絆もここには在った。
なんて心地の良い世界だろう。瑠那は自分の心が満たされて行くのを見つめ、満足感を覚えていた。
もうすぐ年が変わる。
ふと、瑠那の携帯端末がメッセージ着信を知らせた。フライングの挨拶にしては早すぎる――デュカリオンだ。
『週末のモニタリングのことで話があるんだけど、落ち着いて聞いて欲しい』
瑠那の心臓が締め付けられるように苦しくなった。
この話の流れ――まさか。
『君から高濃度の妊娠ホルモンが検出された。
この濃度は薬の副作用から逸脱した数値だ。
次のモニタリングでエコー検査を行うけど、おそらく妊娠で間違いないと思う。
彼に知らせるかは、君の判断に任せるよ』
新しい避妊薬も、まだ完全には副作用を抑えられていなかった。
そしてついに『その日』が、瑠那に訪れたのだ。
瑠那は震える指で、返信をタップしていく。
(何週目?)
『四週目か五週目ぐらいだろう』
(わかった)
『ごめんね、年末最後のメッセージがこんなことで。
よいお年を』
瑠那はため息をついて、携帯端末をテーブルに置いた。
今回、悠人に知らせるかは、瑠那に任せると言われた。
前回と違って、十二週目を待たずに知らせても構わない――そういうデュカリオンの判断だろう。
あとは、瑠那が知らせたいかどうかだ。
――知らせるか、黙ってるか。
しばらく悩んでいると、年末特番が新春特番に切り替わった。
周囲で仲間たちが、悠人と共に新年を祝っている。
祝いの言葉が飛び交う部屋で、瑠那の胸に湧き出る思いがあった。
――ああ、私も悠人から妊娠を祝われたいな。
驚くほど素直にそう思えた。
あの太陽のような慈しみに、子供ができたことでお返しをしたかった。
悠人が瑠那にも新年の挨拶を告げる。
「あけましておめでとう!」
「うん、おめでとう――ねぇ、ちょっと話があるから、部屋の外に行かない?」
瑠那の言葉に、悠人はすぐに頷いて、部屋の外に向かった。
――大丈夫、悠人を今度こそ、喜ばせてみせる。
由香里と同じように、自分を抑えられず自己嫌悪になるかもしれない。
やっぱりだめで、同じように不安定になるかもしれない。
一抹の不安が胸に去来する。
それでもこの場には、確かに求めていた『幸せ』があった。
ここに居る仲間となら、必ず『幸せ』な未来を掴めると思えた。
一見すると安定した人生――その実、かごの中のモルモット。そんなことは、全員わかっていた。
それでも私たちは確かに今、『幸せ』なのだ。
この『幸せ』を象徴する子供が今、瑠那のお腹の中に居る。
この象徴を、無事に産み育てたかった。
『幸せ』を確信した瑠那は立ち上がり、悠人が待つ廊下に続くドアに手をかけた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
「幸福な蟻地獄」、これにて完結です。
かなりデリケートなモチーフを持ち込んだ物語だったので、気を使いながら執筆しましたが、不快感を少しでも軽減できていればと願っています。
序章である第1章、本編である第2章、そしておまけの第3章をお楽しみいただけたでしょうか。
第3章はガラティアという船頭に導きによって、踏み越えてはならない一線、シュワルツシルト半径を踏み越えてしまった思春期の少女たちの末路、その可能性の一つです。
第2章で想像の余地を残して終わらせるのが綺麗だったのですが、きちんと着地した結末が欲しい方のために、第3章では書き残したことを綴ってみました。
悠人の在り方、彼女たちの在り方、そんなものを問い直せる内容だったかと思います。
はたして彼らは、この破滅した幸福の中で真実の幸福を掴めたのか、それはご想像にお任せします。
この第3章は彼女たちの辿る可能性の一つ、くらいに捕らえておいてください。
並行宇宙です。読者の数だけ、他の幸福があっても良いと思います。
第3章では悠人をブラックホールに例えましたが、これには様々な意味が込められています。
社会規範や倫理観といったシュワルツシルト半径を、自由に踏み越えても自分を保てるガラティアに誘われ、悠人という魔性に囚われ自分を崩壊させてしまった少女たち。
そんな彼女たちの破滅と、愛や幸福を描いたのがこの作品です。
このメタファー、きっかけは「蟻地獄とブラックホールの重力井戸って似てるよね」とふと思いついたことでした。
我ながらよいメタファーだったなと思っています。
「原罪」という質量を持たないガラティアだけがブラックホールに囚われず、イデアの愛を体現し続ける。
彼女のイデアに惑わされた「原罪を持つ少女たち」は、逃れることが出来ない愛で苦悩し葛藤します。
人間だからこそ逃れることが出来ない「原罪」という質量を持ちながら、どうやったらイデアに辿り着けるのか。
そんな問いかけをする作品になっていたらよいなと思います。
まぁあまり長々と解説するのは野暮なので、このぐらいで自重しておきます。
この20万文字超を「指が勝手にキーボード叩くんだよね」で綴れるんだから、人間って面白いですね。
よろしければ評価など、何らかの反応をしていただければ幸いです。




