44.妙見計画
海燕の女子寮、朝の食堂に、五人の女子たちの姿があった。
結束を強くした花鳥風月の四人は、今日も朗らかに言葉を交わしていく。
悠人と出会う前、親しい幼馴染だったころの空気を取り戻していた。
由香里が茶碗を持ちながら告げる。
「やっぱり、曜日当番制って良くなかったんですね。
毎日平等に愛してもらってる今は、心に余裕がありますし。
なんであの頃はギスギスしてたのか、もう今じゃわからなくなりました」
美雪が味噌汁を一口飲んでから応える。
「最初にギスった原因がよく言うよ。
優衣と由香里が始めたんじゃん。
私はそれに煽られただけ」
優衣が微笑みながら告げる。
「まぁまぁ、終わったことは言わないで。
今が平穏なら、それでいいじゃない」
――ここに来るまで、どれだけ心労があったと思うのか。
小さくため息をついた瑠那の携帯端末が、メッセージ着信を知らせた。
他の四人の携帯端末も、ほぼ同時にメッセージ着信を知らせる――悠人からのグループメッセージだ。
箸を置いた瑠那が、メッセージをタップして文面を読んでいく。
「……妙見計画? 誰か知ってる?」
ガラティア以外の三人が首を横に振った。
四人の視線が、ガラティアに注がれ、瑠那が尋ねる。
「ティアは何か知ってるの?」
「んー、知らなくはないけど、私の事は教えられないから」
優衣がガラティアを見つめて告げる。
「つまり、あなた自身が妙見計画に関わってるってこと?」
ガラティアは眉をひそめて応える。
「だから、教えちゃダメなんだってば。
どうしても知りたかったら、デュカリオンに直接聞いてよ」
「……そうね、聞くだけ聞いてみましょうか」
優衣が携帯端末をタップし、デュカリオンへメッセージを送信する。
(妙見計画って何? ティアとなにか関係してるの)
『どこでそんな言葉を聞いてきたんだい?
でも企業秘密だからね。教えられないんだ。
――それより丁度良かった、君たち次の治験には来てくれるんだよね?』
(悠人さんはそのつもりだったはずだけど)
『ありがとう、それなら早めの夏休みってことで、明日からこっちにきてくれないかな』
(性急すぎるわよ。そんなの、私が決められる訳ないじゃない)
『君たちの副作用について、少しだけわかったことがあるんだ。
それで追検査をしたい……って言っても駄目かな?
悠人と学校には、僕から連絡を入れておくよ』
(悠人さんが応じるなら、私たちは付いて行くだけだけど)
『わかった、じゃあ悠人の了承があれば、明日から来てくれるんだね?』
(そりゃあ、まぁ)
『明日の朝、悠人の家の前にバスをまた回すよ。それじゃあよろしくね』
まるで確定事項のように明日の予定を告げられてしまった。
思わず優衣が呆気に取られていた。
「……みんな、明日からまた治験に行くことになりそうよ」
美雪が驚いて声を上げる。
「明日?! どういうこと?! 学校は?!」
「全部デュカリオンが手を回すって。
悠人さんにも話をして、彼が了承したら決まりよ。
新薬の副作用でわかったことがあるらしいし、もしかしたらなんとかなるのかも」
由香里がふぅ、とため息をついた。
「今さら副作用を解決しても、もう手遅れですよ。
あれから私たち、何度『本当の愛』を味わったと思うんですか。
濃密な一時間を、一か月間毎日ですよ?
一か月前とは比べ物にならない喜びで毎日満たされている私たちが、今さら副作用が消えてどうにかなるんですか?」
瑠那は困ったような笑みで応える。
「まぁまぁ、話を聞くだけ聞いてみましょう。
それにこのままエスカレートしていったら、私たちがいつまで正気で居られるかわからないし」
悠人に愛されている一時間、彼女たちは我を忘れて愛を貪っている。
その刺激が強くなり続けているという実感は持っていた。
そんな刺激に心をさらしていて、健康に良いわけがない。
破滅の道だろうと幸福なまま歩いて行く決意はしたが、正気を失うのは幸福とは言えないだろう。
由香里がため息をついて応える。
「……そうですね、私だって悠人さんがわからなくなるような状態に、なりたい訳ではありませんし」
一足先に朝食を食べ終わったガラティアが告げる。
「みんな、そんなにのんびりしてると遅刻しちゃうよ?」
ハッと我に返った四人は、急いで朝食を胃に収めると、学校に行くために部屋に戻っていった。
****
朝の教室で、俺は携帯端末をタップして『妙見計画』を調べていた。
ネットを調べて何かがわかるとは思えないけど、名前に意味があるならヒントぐらい掴めるだろう。
……妙見菩薩? なんで仏教が出てくるんだ?
調べても「北斗七星信仰」とか、そんな話しか出てきそうになかった。
デイビッドが気にするなら、ギリシャ神話がらみなんじゃねーのか?
さっぱりわからねぇな。
もう少し調べようとすると、個人メッセージが届いた――デュカリオンか。
『やぁ! 悪いんだけど明日から治験にまた参加してくれないかな?』
(いきなりだな、おい!)
『ハハハ! 君たちにお願いしてる治験薬で、新しく検査をする必要があってね。
少し時間がかかりそうだし、早めの夏休みってことで応じてもらえないかな?』
(女子たちにも聞いてみないと答えられねーよ)
『それならもう聞いてあるよ! あとは君が頷けばいいだけさ。
君たちの治験薬を、なるだけ早めに調整しておきたいんだけど、どうだろうか』
(……そう言われると、断れねーよ)
『助かるよ! じゃあ学校には僕が連絡を入れておく。明日の朝、君の家に迎えに行くよ!』
俺は携帯端末をしまってため息をついた。
また勉強が遅れちまうなぁ。女子たちは喜ぶかもしれないけど、また忙しい日々になるんだろうか。
今度こそ、きちんと自習する準備をしていかねーと。
ため息をついている俺に、霧上が告げる。
「どうした悠人、心配事か」
「あー、また治験で来て欲しいって言われちまった。
たぶん帰ってこれるのは、夏休みが終わる頃だ」
「ほぅ、今度こそXランクの謎が解けるのかな?」
「どうだかね。二か月間のモルモット生活だから、何かわかるかも知れねーけどな」
その日の午前、数学の授業中に烏頭目先生が教室の入り口にやってきて、俺に告げる。
「竜端くん、校長先生がお呼びなのです! 校長室に来て下さいなのです!」
校長先生が? なんでだ?
仕方なく席を立った俺は、教室を出て烏頭目先生のあとについて行った。
****
校長室では真っ赤なスーツを着込んだおっさん、つまり校長先生がソファに座って待っていた。
校長先生が人の良い笑みで告げる。
「よく来たね、ちょっとそこに座ってくれないか。話があるんだ」
「はぁ、じゃあ失礼します」
俺は言われた通り、校長先生の向かいに腰を下ろした。
校長先生が告げる。
「早速だが、君は明日から早めの夏季休暇ということになる。
これはデュカリオンから聞いて知っているね?」
俺は驚いて校長先生の笑顔を見つめた。
「……なんで校長先生が、デュカリオンを知ってるんですか」
「ははは、ここはヴォーテクス傘下の私立学校だよ?
つまり私も、ヴォーテクス・グループに所属している。
君にわかりやすく言うと、デュカリオンは私の上司みたいなものだね」
よくわかんねーけど、繋がりがあるってことか。
「それで、何の話なんですか」
校長先生が頷いてから告げる。
「実は、君の学力が少し心配でね。
自習だけでは心配だから、講師を手配してもらおうと思ってる。
そのことを伝えておこうと思ってね」
ああ、前回の治験から帰ってきて受けた中間テスト、ズタボロだったしなぁ。
「講師って、どんな人なんですか?」
「同じくヴォーテクス傘下の学習塾から、腕利きをお願いするつもりだよ。
彼女たちなら、君らの勉強が遅れることにはならないはずだ」
彼女『たち』?
「俺一人に、二人も講師を付けるんですか?」
「ははは! そうではないよ!
海燕の子たちも勉強に遅れないよう、君ら六人の面倒を見てもらうという話さ。
名物講師だから、君もきっと驚くだろう」
俺たちのために、学習塾の名物講師を付けてくれるのか。なんだか申し訳ないなぁ。
「なんでそこまでするんですか?」
校長先生は楽しそうに微笑んで告げる。
「私は教育者だよ? 所属する生徒たちに、教育を施す環境を整えるのが私の役割だ。
君にも日本を背負っていけるだけの学力をきちんと備えてもらえるよう、万全を期すというだけさ」
教科書も書いてる人だし、教育熱心なのかなぁ。
でも俺、日本を背負うとか興味がないんだけど。
普通に大学に入って、普通に就職……ってそれじゃあ女子五人を養っていけないか。
なんとか高収入の就職先を探さないとなぁ。
校長先生が俺を見つめて告げる。
「君次第だが、ヴォーテクスに就職するという道もある。
君はとても貴重なサンプルらしいからね。
デュカリオンは君を抱え込んでしまうことも選択肢として考えているようだ。
彼に雇われるなら、高収入が保証される。
海燕の子たちを養いたいなら、おそらくそれがもっとも手堅いだろう」
……なんで俺の考えてることがわかったんだ? 顔に出てたのかな。
「はぁ、一生モルモット生活ですか。
灰色の人生って感じですけど、高収入は魅力的ですね」
「ははは! そう深刻に考えることもないよ!
一研究者として就職する、ということさ!
あそこはエリートぞろいだが、君だって今からしっかり勉強すれば可能性は充分ある。
貴重なサンプルとして期待されれば、その分だけ就職のハードルも下がるだろう。
決して世間に顔向けできないような就職にはならないはずだよ。
そのためにも、勉強の手は抜かない方がいいね」
なるほど、研究者か。
俺には似合わない肩書だけど、彼女たちの幸福のために必要なら、俺は頑張らないといけないな。
「話はそれだけですか?」
校長先生が微笑んで頷いた。
「ああ、以上だ。もう教室に戻って構わないよ」
俺は立ち上がって校長先生に頭を下げた。
「はい、失礼しました」
俺は校長先生に見送られながら、校長室を後にした。
****
「失礼しました」
瑠那たち五人は、海燕学院の校長室から出て廊下を歩きだした。
由香里が憂鬱そうに告げる。
「今回はみっちりお勉強があるんですね。せっかくの夏休みなのに」
優衣が微笑みながら告げる。
「仕方ないわ。私たちの中間テスト、赤点ばっかりだったし。
このままじゃ私は高等部にも進学できないもの」
美雪がため息をついて告げる。
「学習塾の名物講師ってどんな人かなぁ。厳しくないといいんだけど」
瑠那が苦笑を浮かべて告げる。
「そこは覚悟をしておこうよ。
それに勉強の遅れを取り戻すだけなら、そんなにみっちり勉強するわけじゃないだろうし」
ガラティアは無邪気に微笑んでいた。
「みんなでお勉強なんて、楽しそうだねー!」
由香里がジト目でガラティアを見つめた。
「ティアはいいですよね、成績落ちてなくて。なんでそんなに頭がいいんですか?」
ガラティアはきょとんとした顔で由香里を見つめ返した。
「なんでって、教科書に書いてあることを覚えるだけだし?
別に難しくないよね?」
瑠那がため息をついて告げる。
「私たちと違って、ティアは悠人で頭がいっぱいってわけじゃないし。
ちゃんと授業を受けてたってだけでしょ。
この子は素直な分、教えられたことをそのまま覚えちゃうんじゃない?」
優衣が微笑んでガラティアを見つめた。
「その素直さは、純粋に羨ましいと思えるわ。
だから私たちみたいに、悠人さんに依存せずに済んでるのかも」
苦笑を浮かべる花鳥風月の四人を、ガラティアはきょとんとした顔で見つめていた。




