35.浜辺の保養所(3)
瑠那は気が付くと、大きなパラソルの下に居た。
「あれ……? なんで私……」
ゆっくりと体を起こすと、そばに居たガラティアが喜んで声を上げる。
「瑠那! 気が付いた? 駄目だよー、ごはんも食べずに動き続けたら」
瑠那はガラティアをぼんやり見つめたあと、辺りを見渡す。
海の中では、美雪と由香里がボール遊びに興じていた。
「今、何時?」
「もうお昼を過ぎてるよ。私たちはお昼ごはんも食べ終わってる。
でも瑠那、朝ごはんもまだでしょ」
そうは言われても、瑠那は食欲もわかなかった。
「私、なんでここに居るの?」
「私が浜辺で倒れてる瑠那を見つけたんだよ。
ぐったりしてたから治癒してみたんだけど、少しは具合よくなった?」
どうやら、徹夜明けで食事もせずに炎天下、演武を続けていて倒れたらしい。
いくら海風が心地良いと言っても南国の浜辺だ。倒れて当然だろう。
瑠那はガラティアを見て弱々しく微笑んだ。
「ありがとティア。ねぇ、飲み物持ってない?」
「あるよ! えーと――これでいい?」
瑠那は手渡されたスポーツドリンクのペットボトルを開封し、冷たい液体を喉に流し込んでいった。
「――ふぅ。もう大丈夫だから、ティアは二人のところに行ってきなよ」
ガラティアがきょとんとした顔で瑠那を見つめた。
「んー、顔色はよくなってるし、もう大丈夫かな。
でもちゃんとごはんは食べてね!」
駆け出していくガラティアの背中を見ながら、瑠那は寂しさを感じていた。
――美雪や由香里は、私を放って遊んでたのか。
親しい幼馴染だった。
いつからだろうか、こんなに心の距離を感じるようになったのは。
以前の彼女たちなら、ガラティアと共にこの場に居てくれたはずだ。
今は以前と違う、悠人を共有する仲間としての連帯感はある。
だがかつての友情が失われたように思えて、切なさが胸を締め付けた。
大切にしたいと願った絆は、もうないのだろうか。
瑠那は深いため息をついて立ち上がると、ホテルに向かって歩きだした。
****
軽食をレストランで食べた瑠那は、部屋に戻って道着を脱いだ。
汗をシャワーで洗い流しながら、これからどうするかを考える。
――もう耐えられない。あと十八時間もあるなんて、どうやって耐えたらいいんだろう。
渇望が胸を焦がす。こんな状態で海遊びなど、興じる気にもなれなかった。
浜辺に優衣の姿がなかった。ならば今頃、悠人を独占して愛を刻み込んでもらっているのだろう。
それを考えると渇望がさらに渇きを増していく。
自分が自分でなくなっていく、足元が崩れていくような錯覚を覚える。
――早く、早く悠人の愛で私を取り戻したい!
彼に愛を刻み込まれている時間だけが、自分を確かに思える。
冴月瑠那は、彼に愛されるためにこの世に生まれ、愛されている間だけ冴月瑠那で居られた。
自分を見失った瑠那は不安にさいなまれ、静かに涙を流していた。
悠人の優しい笑顔と言葉を思い出す。その記憶にひたって心を癒しながら、渇望が渇きを増していく自分を自覚する。
この心を癒してくれるのはただひとつ、彼との時間だけなのだ。
――ううん、もうひとつだけあった。
瑠那が瑠那であるという、もうひとつの拠り所。
シャワーから上がった瑠那は下着を身につけると、再び部屋の中で静かに演武を始めていた。
****
夜になり、ホテルのレストランで、美雪と由香里、ガラティアが食事をしていた。
由香里があきれるように告げる。
「優衣さん、悠人さんに何も食べさせないつもりなんですかね」
美雪が明るい笑顔で告げる。
「それはないでしょ。ルームサービス取ってるんじゃない? 降りてくる時間がもったいないだけでしょ」
「瑠那さんはどうしたんですか?」
美雪が肩をすくめた。
「私が知るわけないじゃない。
あの子、朝も昼もまともに食べないで、なにしてんだろうね」
由香里が料理の皿に目を落として告げる。
「瑠那さん、なんだか急速に悠人さんにのめり込んでる気がします。
『本当の愛』を知ったのは私たちの中で一番遅かったのに、たぶん今一番それを欲しがってるのが瑠那さんですよ」
美雪はのんきに料理を口に運びながら応える。
「そうだろうね。食事を抜いてでも空手に没頭しないと、明日まで耐えられないんだよ。
あの子は元々、悠人さんに憧れてたみたいだし。
今の由香里よりのめりこでるとしたら、今が一番つらい時間だろうなぁ」
「他人事なんですね」
「私に何ができる訳でもないし。
あの子を苦しみから解放できるのは、悠人さんだけだもん。
その悠人さんが優衣に捕まってる今、なんにもできることはないよ」
由香里がふぅ、と小さく息をついた。
「それほど重症なのに、なぜあれほど抵抗するんでしょうね。
素直に認めて、私たちと同じように悠人さんの愛に溺れればいいのに。
瑠那さん、必死に抵抗してますよね」
「悠人さんの『本当の愛』は、回数を重ねるごとに病みつきになっていく感じがする。
でもあの子、まだそんなに経験してないよね? 今何回目だっけ?」
「この間ので五回目ぐらいじゃないですか? 私たちの半分くらいです。
私たちは最初から受け入れてましたけど、瑠那さんはずっと抵抗してましたし。
――でもそれも、そろそろ限界だと思いますけどね」
美雪が眉をひそめて応える。
「限界って、どういう意味?」
「私以上に『本当の愛』が欲しくなってるとしたら、今頃は気が狂うような時間を過ごしてるはずです。
今はまだ夜七時――悠人さんの『本当の愛』にありつけるまで、十二時間くらいあります。
そんなの、耐えられる訳ないですよ」
美雪が困ったように笑った。
「あはは、きっと今の私には想像できないくらいなんだろうね。
そんな感覚は知りたくもないけど、いつか知ることになるのかなぁ」
「きっとそうですよ。たぶん、遠くないうちに」
二人の少女の会話を聞きながら、ガラティアは夕食にひたすら食いついていた。
『なんだか大変そうだなぁ』と他人事に思いながら、彼女は腹を膨らしていた。
****
俺はようやく優衣から解放され、テーブルの上の携帯端末を手に取った――瑠那からのメッセージ?
画面をタップして履歴を開く。
『たすけて』
時刻は……午前二時ごろ。今は午前四時、二時間も前だ。
俺は慌てて優衣の部屋を飛び出し、瑠那の部屋に向かった。
瑠那の部屋のドアを叩いて声をかける。
「瑠那?! どうした?!」
中で気配がして、静かにドアが開く――そこには、下着姿で汗まみれになった瑠那が立っていた。
一瞬、気圧されながらも俺は瑠那に告げる。
「どうした、何があった」
瑠那は眉をひそめ、つらそうに涙を流しながら俺の胸に飛び込んできた。
「やっと本物に会えた! もうだめなの! いくら空手に打ち込んでも、悠人を忘れられないのよ!
お願い、早く私を私にして! あなたの愛を私に刻み込んでよ!」
「瑠那……」
胸の中でむせび泣く瑠那を抱きしめて、俺は困惑していた。
こいつ、こんなに不安定な奴だったか?
「お願い! 早く!」
俺を見上げて懇願してくる瑠那を、俺は抱え上げて唇を重ね、部屋に入っていった。
****
朝、ホテルのレストランで優衣が呆れながら告げる。
「まさかあの子、夜までどころか朝までも耐えきれなかったっていうの?
なんで悠人さんに朝食すら食べさせないのよ」
由香里が大人びた笑みで応える。
「昨日一日、悠人さんを朝から独占していた人は言うことが違いますね。説得力があります」
美雪がニタリと笑って告げる。
「耐え切れなくなったらルームサービスぐらい取るでしょ。
今日は瑠那の日なんだから、あとは悠人さんに任せようよ」
優衣がため息をついて告げる。
「そうね、それじゃあ私たちは、火照った身体を海で冷ましてきましょう。
本当にこの効果、切れるんでしょうね? 鬱陶しくて仕方ないわ」
由香里が小さく息をついた。
「せっかく水着を買ったのに、悠人さんにほとんど見てもらってません。
これじゃあ買った意味がないですよ」
美雪が告げる。
「ほんとだよねー。悠人さんに見せるために買ったってのにさ。
ねぇみんな、来週は午前中ぐらい我慢しようよ」
優衣が頷いた。
「そうね、さすがに毎日朝から晩までじゃ、悠人さんだって体力が持たないわ。
普通に保養地で息抜きをしてもらいましょう」
由香里が静かに告げる。
「そうは言いますけど、当番の日に悠人さんの水着を見て、午前中だけでも我慢できるんですか?」
二人の女子は視線をそらし、静かにコーヒーを口にした。
あの鍛えこまれた上半身を見て平常心を保つ自信など、三人にはなかった。
女子たちは食事が終わると、水着に着替えてから今日も海へ繰り出した。
****
悠人はベッドで疲れ切って眠る瑠那の頭を撫でてから、ルームサービスでとったカレーを口にしていた。
よほど疲れていたのか、体力を使い切るような愛の受け取り方をした瑠那は、気絶するように眠っている。
時計を見る――午前十一時だ。瑠那が眠ってから、一時間くらいだろうか。
あれほど不安定になっていた瑠那は、悠人が愛を与えた途端に歓喜の涙を流していた。
これほど極端な反応は、他の女子でもまだ見ていない。
初期の由香里が一番不安定だと思っていたが、それを遥かに上回る不安定ぶりだった。
何がそこまで彼女を追いこんでしまったのか。悠人には全く見当がつかなかった。
元々自立心が高く自信に満ち溢れ、自分をしっかりと持った女子だった。
こんなことになるはずがない子だ。
今では自己の脆弱さは他の女子の比ではなかった。
かつての彼女が、見る影もない。
カレーを食べ終わった悠人は、水着のままだった自分を思い出し、普段着に着替えようと席を立つ。
「――悠人! どこに行くの?!」
部屋から離れようとした悠人のわずかな気配で、深く寝入っていたはずの瑠那が飛び起きていた。
悠人は絶望で顔面を蒼白にしている瑠那に近付き、優しく抱きしめた。
「どこにも行かない。今日は一日、お前のそばにいる。だから安心しろ」
「……良かった。お願い、もっと私を思い出させて。悠人の愛を、忘れられないくらいに刻み込んで、お願い……」
悠人は額にキスをした後、瑠那と唇を重ねた。




