34.浜辺の保養所(2)
夕食が終わると、瑠那はシャワーを浴びてから新薬で火照る身体に下着を身に着けた。
髪も乾かさずその姿のまま、部屋の中で静かに演武を始める。
――私の当番まで、あと二日。
絶望的なその時間をやり過ごすため、空手の演武に気持ちを集中させ、悠人への渇望を鎮めていく。
だが自分の手足が目に入るたびに、悠人がそこに触れた瞬間を思い浮かべてしまう。
この身体は悠人が愛し、『本当の愛』を刻み込んでくれている身体だ。
そんな自分の身体が愛おしく、汗だくになりながら、悠人と愛を交わしていた時間を思い出し、陶酔していった。
一人で身体を動かしながら、今の瑠那は悠人と共にあった。
彼との一体感を覚えながら、心が悠人に溺れて行くのを自覚し、その感覚に酔いしれた。
空が白み始める頃、瑠那の携帯端末がメッセージの着信音を鳴らした――悠人?!
慌てて演武を中断し、携帯端末を机からひったくり、メッセージを確認する。
『ロードワークは道がわからないし、表で組手でもやろうぜ』
震える指で、瑠那はメッセージをタップしていく。
(わかった。何時集合?)
『起きてたか。いつも通り五時でいいだろ』
(オッケー)
何気ないやりとり。だが瑠那は携帯端末を胸に抱きしめながら、悠人への渇望が増していくのを感じていた。
瑠那は夜を明かした演武で、渇望がさらなる渇きを訴えているのに気が付いていた。
渇望を鎮めるなんてとんでもない。これは彼との一体感で自分の心を慰める行為。それは渇望が増しこそすれ、静まる訳もなかった。
わかっていても、彼女は演武をやめられない。自分の業の深さに落胆しつつ、瑠那はシャワーで汗を流してから、道着に着替えてエントランスに向かった。
****
俺がエントランスで道着を着て待っていると、エレベーターから瑠那が降りてきた。
俺を見つけた瑠那は、駆け出して俺の元までやってくる。
「ごめん、待たせた?!」
「そんなわけないだろ、時間丁度だ」
俺が頭を撫でてやると、瑠那はくすぐったそうに頬を染めながら目を細めた。
俺は瑠那を連れて浜辺に降りて行き、向かい合って告げる。
「ここなら倒れても大丈夫だろ。もっと広い浜辺なら、ロードワークで走り込んでも良かったんだけどな」
プライベートビーチだからか、それほど広い浜辺という訳でもない。
往復して走り込んでも良かったけど、この二週間は瑠那と組手をしてないのが不安になり、こいつの実力を確認したかった。
俺は構えを取りながら告げる。
「お前は俺に当てて構わないぞ。ただし空手ルールな」
瑠那は頷いて俺に向かって構えを取った。
鋭く切り込んでくる瑠那を見守りながら、放たれた正拳を手で受け流す。
浜辺で足場が悪いから、こいつの強みである機動力が活かせてない。
体勢を崩した瑠那のボディに拳を寸止めして、俺は告げる。
「お前、ちょっと動きが悪くないか? いくら足場が悪くても、身体の切れがなさすぎるぞ」
「そう、かな……」
俺は瑠那の背後に回ってその両腕を掴んだ。
「この状態で、正拳突きをしてみろ。型が崩れてる気がする」
瑠那は顔を赤くしながら頷き、ゆっくりと拳を放っていく。
「ほれ、型がぶれてる。ここはこうして――こうだ。
もう一回やってみ。
――そう、その調子だ」
俺がサポートしながら空手の型を矯正してやる時間が過ぎていく。
突きと蹴り、体捌き――俺は空手家じゃないけど、基本的な空手の動きは知っている。
それを丁寧に手を添えて矯正していった。
ゆっくりと動いても汗はかく。最後は汗だくになった瑠那の頭を抱きしめて俺は告げる。
「よくできたな。やっぱりきちんと組手はした方がいいのかなぁ」
「……私、汗臭いでしょ、あんまり近寄らないでよ」
口では嫌がるが、瑠那は俺から離れるどころか、俺の道着にしがみついていた。
「馬鹿言え、身体を動かせば汗をかく。かいた直後の汗は臭くなんかないぞ。ここは風も気持ちいいしな」
俺たちは朝の海風にあたりながらお互いの体温を感じていた。
瑠那が俺を見上げて告げる。
「ねぇ、私にも昨日の由香里みたいに、少し時間をくれないかな」
俺は瑠那の目を見た――とろんと何かを期待するような目。こいつもなのか。
ふぅ、とため息をついてから、俺は瑠那の肩に両手を置いて、彼女の身体を引き離した。
「今日の曜日担当は優衣だ。自分たちで決めたルールなんだから、きちんと守らないと駄目だろ」
瑠那は切なそうに眉をひそめ、ゆっくりと頷いた。
俺はホテルに向かいながら瑠那に告げる。
「戻ろうぜ! もうすぐ朝飯の時間だ!」
「……私はもう少し、型の確認をしていくわ」
俺はきょとんと瑠那の顔を見た。
「でも、もうあまり時間がないぞ? ほどほどにしておけよ?」
「わかってる。先に戻ってて」
俺は頷いて、ホテルに向かって歩きだした。
****
朝飯はビュッフェ形式だった。
女子たちが料理を手にそれぞれの席に座っていく。
俺の隣は、今日の担当である優衣だ。
優衣は嬉しそうに頬を染めて俺に告げる。
「この一週間、本当に長かったわ。
ねぇ悠人さん、私たちもみんなと別行動しない?」
俺はきょとんと優衣を見て応える。
「別行動って、どういうことだ?」
「水着を着たら私の部屋に来て。
みんなには海に行ってもらいましょう。
可愛い彼女の頼みですもの、これぐらいいいわよね?」
曜日当番が俺を独占する権利を持つ。そういう約束だしなぁ。
俺は女子たちを見回す――瑠那の姿がない。
「おい、瑠那はどうした?」
美雪が肩をすくめて応える。
「今日はまだ見てないよ。どこ行ったんだろう?」
まさかあいつ、まだ浜辺で型の確認をしてるのか?
あいつに引率を頼もうと思ったんだけど。仕方ねー奴だな。
「悪いけど美雪、お前みんなを連れて海で遊んでいてくれ。
俺は優衣と行動するから」
美雪が明るい笑顔で告げる。
「わかったよ悠人さん。
その代わり、私の時も同じルールでいいよね?」
「……朝から別行動ってことか?」
「そういうこと! よろしくね!」
ま、仕方ねーか。
俺たちは朝飯を済ませると、それぞれの部屋へ戻っていった。
****
水着に着替えた俺は、優衣の部屋をノックした。
「おーい優衣、準備できてるかー」
ドアを開けた水着姿の優衣が告げる。
「ちょっと中で話をしましょうよ」
「いいけど……」
俺は招かれるままに室内に入り、ソファに腰を下ろした。
優衣が俺の前に立って腰に手を当て、俺に告げる。
「どう? 可愛い彼女の水着。感想を言っても良いのよ?」
俺は苦笑を浮かべて応える。
「お前の女性らしい身体によく似合った、大人びた水着だよ」
優衣は満足そうに微笑むと、無造作に近づいてきて唇を重ねていった。
そのまま俺の耳元でささやいてくる。
「私は由香里と違って、外で何て嫌なの。だから部屋の中で……いいでしょう?」
「……泳ぎに行かないつもりか?」
「誰も『海に行く』なんて、一言も言ってないわ。
今日は私があなたを独占できる日。その時間を最大限有効に使うだけ。何か文句がある?」
俺は優衣の頭を抱きしめて応える。
「お前がそれを望むなら、俺はそれに応えるだけだ。お前の好きなようにすればいい」
優衣は満足そうに俺に抱き着き、再び唇を重ねた。
****
美雪は浜辺に向かう道で由香里に告げる。
「ねぇ由香里さぁ、あなた悪化してるんじゃない? 前はそんな我慢が出来なくなる子じゃなかったよね」
澄まし顔の由香里が応える。
「なんのことですか?」
「昨日のことだよ。夜まで我慢できずに外でなんて、そんな子じゃなかったでしょ」
「ああ、そのことですか。
悠人さんの逞しい胸板を見ていたら、気持ちが暴走しました。
別に不思議な事ではないんじゃないですか」
美雪は苦笑を浮かべて応える。
「あの怖がりで純粋だった由香里が、こんな子になるなんてね。
恋って怖いんだね。そんなに悠人さんが欲しかったの?」
「美雪さんはいらないんですか? それなら木曜日は私がもらいますけど」
「誰もそんなことは言ってないでしょ?! 私だってそろそろ我慢の限界なんだから、これ以上のお預けなんて嫌だよ!」
由香里がふぅ、と小さく息をついた。
「あの異能検査で泊まり込んだ二週間が悪かったですね。
あの間、私たちは朝から悠人さんと一緒に居られましたから。
これで女子寮に戻ったら、また夜までお預けの生活です。耐えられる気がしません」
美雪も切ないため息をついて応える。
「本当に憂鬱だよね。自分の担当の日が祝日になるまで、同じことできないし。
悠人さんに愛されるほど、あの人に溺れて行く自分がわかっちゃう。
わかってるのに、溺れて行くのが心地いいんだよね。
今からこんなんで、私たちはどうなっちゃうんだろ」
「どうにもならないんじゃないですか?
なるようにしかなりませんし、私たちに他の道はありませんから。
悠人さんから愛されて、初めて私たちは私たちで居られる。
これはティア以外、みんなが共有する認識のはずですよ」
浜辺に辿り着いた美雪が、目を見開いて驚いていた。
そこには、道着姿で演武に没頭する瑠那の姿。
「瑠那! あなたいつまでやってるの?! もう八時だよ?!」
瑠那は演武をしながら応える。
「ほっといて。こうでもしないと、自分を抑えられないの」
由香里も眉をひそめて告げる。
「朝食も抜いて身体を動かすなんて、倒れますよ?
そんなことになれば悠人さんが心配します。
あの人にそんな心配をかけないでください」
「倒れなければいいんでしょ! その程度の自己管理ぐらい、できるわよ!」
美雪が肩をすくめて告げる。
「だーめだこりゃ。完全に意地になってる。
――じゃあ私たちは海に居るから、合流したければ早めにおいでよ!」
「わかった」
短く答えた瑠那は、静かに演武を続けていった。
美雪は女子たちを連れて海に行き、ボール遊びを始めていた。
瑠那は浜辺で、悠人に矯正された型をひたすらなぞっていく。
――朝の悠人の手の感触が、まだ残ってる。
昨晩よりも激しい一体感と歓喜を覚えながら、瑠那はひたすら演武を繰り返していった。




