32.ピグマリオン伝説
月曜日になり、俺たちは二週目の異能検査に入った。
女子たちはまた各部屋に散っていき、レクリレーションルームには俺とデュカリオンが残された。
デュカリオンが笑顔で告げる。
「君たちからは、実に興味深いデータが取れた。
そこで予定を変更して、段階的に濃度を上げるのをやめるよ。
代わりに理論値で君が耐えられる限界濃度のアンプルでデータを取りたい」
「おい! そんな危ないものを投与するってのか?!」
デュカリオンが笑顔で肩をすくめた。
「危なくはないさ。
理論値が間違っていて限界を超えても、君が倒れるだけで終わる。
常人なら死んでしまうのだけれど、君の星因子適性は桁が外れているからね」
褒められてる気がしねぇ?!
「俺はまだいい! けど女子たちの影響はどうなる!」
「それをサンプリングするのが目的だよ。
大丈夫、君の中で変質した賦活剤は、彼女たちを傷つけない。
言っただろう? 興味深いデータが取れたと。
君の身体が彼女たちを守ってくれる。そこは心配いらないよ」
「うさんくせぇんだよ!」
「おや? 僕が一度でも、君たちに嘘をついたことがあったかい?」
それは……なかったんだけど。
――くそ!
「じゃあ交換条件だ!
そのアンプルを受ける代わりに、ティアの事を教えろ!
あいつは本当に人間じゃないのか?!」
デュカリオンはきょとんとした顔で俺を見つめていた。
「……そんなに知りたいのかい?
前にも言った通りさ。
全く同じ素材、全く同じ構造、全く同じ機能を持った身体で、同じ魂を内包した生命体――そこに、人間との違いはあるのかな?
起源が違う――それはそうだろう。
だが、それがどうだというんだろう? 親が違うのと、何が違うんだい?
人の手が加わったことで人間ではなくなるというなら、人工的な生殖全てが否定される。
――果たして、ガラティアを『人間ではない』と断定する根拠はあると思うかい?」
「……俺に、そんな小難しいことがわかるわけねぇだろうが!」
「ハハハ! ではわかりやすく応えよう。
彼女はプロメテウスがこの世に生み出した人工有機生命体だよ。
だけど彼女を『人間ではない』とする根拠もない。完全に等価な生命体だからね。
なので君の問いに対しては『イエス』とも『ノー』とも言えない――これが答えだよ」
やっぱり意味が分からねぇ。
「なん……だよそれ。どっちなんだよ」
デュカリオンが困ったように微笑んだ。
「だから、どちらとも言えないんだよ。
君が信じれば彼女は『人間』だ。
だけど君が信じなければ彼女は『人間ではなくなる』。
――ピグマリオン伝説というのを知ってるかい?
彫刻家が自分で彫った彫像に対して人間のように接していたら、その彫像が神の力で人間に変わった、という神話さ。
はたしてその彫像から人間に変わった存在は、『人間』なのかな? それとも、『人間ではない』のかな?
少なくとも、彫刻家にとって、彼女は『人間』だった。彼はそう信じたからね。
つまりそういうことだよ」
ごまかされてる……というわけじゃないのか。
信じれば人間で、信じなければ人間じゃない? 言ってることがさっぱりわからねぇ。
デュカリオンは俺にアンプルを手渡しながら告げる。
「はい、じゃあこれが今週使うアンプルだ。
でも気を付けた方が良いよ。
先週使った物とは濃度がまるで違う。
いくら君でも、それなりに苦しむことになるからね」
俺はまじまじと手の中のアンプルを見つめた。
ティアに対する答えを聞いちまった以上、もう『打たない』という選択肢はない。
俺はアンプルをそっと腕に当て、ゆっくりと押し付けた。
カシュッという音ともに、俺の全身を火が巡っていた。
気が付くと、俺は床に倒れ込んでいた。
全身が痛ぇ……痛みで転げまわってた記憶は、うっすらある。
俺は何とか起き上がり、デュカリオンに告げる。
「どこが『俺が耐えられる限界値』なんだよ、死ぬかと思ったぞ」
デュカリオンはにこやかに告げる。
「でも、死んでいないし気絶もしていないだろう?
君はきちんと耐えきった。
理論値上限はだいたいあっていた、ということだね。
――さっそく、格闘ボットを殴りに行こうか」
俺はデュカリオンに連れられて、別室へ移動した。
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俺は先週のロボット、三体と向き合っていた。
デュカリオンが俺に告げる。
「先週と違って、人間の限界値を超える動きをするから、油断してると結構痛いよ?」
「……全部壊してもいいんだな?」
デュカリオンは笑顔で応える。
「ああ! もちろん壊せるなら壊してみたまえ!」
俺はロボットと向かったまま、呼吸を整える。
次の瞬間、俺はスローモーションな世界の中、一人で駆け出していた。
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由香里は悠人の部屋の前で迷っていた。
もう心は悠人に会いたくて仕方がないと泣き叫んでいる。限界なんて、とっくに超えていた。
だが異能が強化される恐怖が、ノックをする手を止めてしまう。
由香里の異能、音響調律は半径二メートル以内の音を自在に操る能力だ。それだけなら、一見すると無害に思える。
しかしこの能力を持つ由香里が我を忘れて叫んでしまう時、彼女の声は音の大砲として発射されてしまう。
強烈な音波砲となった彼女の声は、目の前の相手を簡単に吹き飛ばしてしまう――そんな厄介な能力でもあった。
そんな能力が強化されたら、いったいどういう事になるのか、由香里には判断が付かなかった。
それでも限界を超えて悠人を求める心が、つい勝手に手を動かし、意志に反してドアをノックした。
由香里が戸惑い、呆然としていると、ドアが開いて悠人が姿を見せる。
悠人は静かな表情で由香里を見つめて告げる。
「……やっぱり、怖いのか」
由香里は黙って頷いた。
悠人が言葉を続ける。
「今週のアンプルは、先週より強い薬だ。お前たちに何が起こるか、デュカリオンでも予想が付かないらしい。
もしも怖いなら、今日はこのまま部屋に――」
「それは嫌です!」
由香里の口が、勝手に叫んでいた。
慌てて口元を手で抑え、由香里はうつむいていた。
悠人は優しい瞳で由香里を見つめ、静かに告げる。
「じゃあ中に入れ。そばに座って、ただ一緒に居るのでも構わないだろう?」
由香里は黙って頷いた――そばに居て、悠人の与える『本当の愛』を我慢できる訳がないと知りながら。
肩を抱かれた由香里の姿が悠人の部屋に入り、ドアが静かにしまっていった。
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翌日、優衣は平然と悠人の部屋のドアをノックした。
姿を見せた悠人が、きょとんとした顔で告げる。
「怖く、ないのか?」
「何を怖がると言うの? 言ったでしょう? 私には悠人さんしか居ないの。
迷う必要すらない。私の身体に何が起ころうと、後悔なんてするわけがないわ」
苦笑を浮かべる悠人が、優衣の肩を抱いて部屋に招き、ドアが閉まった。
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瑠那は悠人の部屋の前で、三十分ほど迷い続けていた。
由香里や優衣から、『今週の薬はとんでもなく強い』という話だけ聞いていた。
そんな薬の影響を受けたら、自分の異能がどうなるのかわからない。
ただでさえ兵器でしかない異能がこれ以上の『何か』になるとしたら――そう考えると、どうしてもノックをする手が止まってしまう。
だが心は悠人を激しく求め、苛んでいた。気が狂う一歩手前だ。
気が付くと、目の前に悠人の姿があった。無意識に手が動いてしまっていたらしい。
悠人が瑠那に告げる。
「遅かったな。今日は来ないのかと思ってた」
「そんなわけ、ないじゃない」
「……由香里や優衣は、薬の効果に驚いているみたいだった。
お前も多分、びっくりすることになるぞ。後悔するくらいなら、我慢して部屋に戻れ」
瑠那の手が、悠人の胸にしがみついていた。
切ない瞳で悠人を見つめる。
「我慢なんて、もう限界なのよ! でも怖いの! 私はどうしたらいいの?!」
悠人はため息をついて告げる。
「何があろうと、俺がお前を守る。
お前の異能がとんでもないことになっても、俺がお前のそばで止めてやる。
何ができるかはわからないけど、一緒に悩んで苦しんでやることぐらいはできると思う」
瑠那は黙って頷き、部屋の中に吸い込まれて行った。
****
木曜日の食堂、女子四人が昼食を取っていた。
優衣がため息をついて告げる。
「まだ体中が熱いわ。この熱、いつ引いてくれるのかしら」
由香里が困ったように笑って応える。
「ふふ、私もまだ体が熱いです。たぶん一週間くらいは残るんじゃないですか?」
瑠那は黙って水を飲んだあと、ガラティアに告げる。
「そんなことより、ティアは苦しくないの?
あなた、悠人の愛を受けてから六日目、今が一番苦しい時でしょう?」
ガラティアはきょとんとした顔で瑠那の顔を見て、小首をかしげた。
「苦しいって? なんで苦しくなるの?」
優衣が呆然としてティアの顔を見つめていた。
彼女の言葉に嘘はない――ガラティアは、悠人の愛を求めて苦しむ心を持っていないのだ。
「あなた、『本当の愛』を受けて、あれをまた欲しいと思っていないの?」
ガラティアは無邪気な笑顔で応える。
「なんのこと? 私は悠人と普通に愛し合っただけだよ?
『本当の愛』とか、よくわかんないよ。『偽物の愛』が、世の中にはあるの?」
瑠那も呆然とガラティアの顔を見つめて告げる。
「ティアには、自分が満ち足りた感覚がない……っていうの?」
ガラティアは小首を傾げて応える。
「私は最初から何かが足りないって感覚、ないからなー。
だから悠人とは、愛して愛されて、それで心が嬉しくなったけど、それだけだったよ?」
彼女には、『本当の愛』を受けた実感がない――そのことに、優衣、由香里、瑠那は少なからず驚いていた。
この年頃なら当然のように持っているはずの『自分が何者なのか』と迷い探求する心がないのだろうか。
万能感と虚無感がないまぜになった、言いようのない焦燥感――そんな思いを、ガラティアからは感じ取れなかった。
優衣が小さく息をついて告げる。
「やっぱり、作られた命だから違うのかしらね。
私たちとどこかずれてるみたい」
由香里がガラティアを見ながら告げる。
「でもティアは人間にしか見えないですよ。
『人間じゃない』なんて、とても信じられません」
瑠那が苦笑を浮かべて告げる。
「悠人が言ってたけど、彼の前で『ティアが人間じゃない』って言葉は使わないで欲しいって。
ティアの事は、これからも人間として扱いたいみたいよ」
ガラティアが無邪気な笑みで応える。
「ほんとに?! よかった! 悠人がそう信じてくれるなら、私も自分が人間なんだって思える気がする!」
優衣が真面目な顔でガラティアを見つめた。
「あなたは自分が人間だと信じられるの?」
ガラティアは微笑みながら優衣を見つめ返した。
「わからないけど、愛する悠人がそう信じてくれるなら、私も自分を信じるだけ」
そこには絶対的な信頼感があった。
愛に飢える様子など微塵も見せない、ただ静かな愛。
彼女たちが心のどこかで憧れていた、心穏やかに相手を愛する心を、ガラティアは胸にたたえていた。
ガラティアが静かに昼食を再開するのを、女子三人は呆然と見守っていた。
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金曜日の食堂で、花鳥風月の四人が昼食を食べていた。
美雪が明るい笑顔で告げる。
「いやー、身体が火照ってしょうがないね! 熱くて夜眠るのも一苦労だったよ。
悠人さんから愛を刻み込まれるたびに身体が熱くなっていったから、これが新薬の効果なんだろうね。
――みんなは、これどうやって抑えてるの?」
優衣が苦笑を浮かべて応える。
「どうにもならないわ。夜中に冷水でシャワーを浴びて、それで何とかするぐらい。
でもそろそろ由香里は、効果が切れてもいい頃なんじゃない?」
由香里がため息をついて告げる。
「そんなことないですよ。月曜日から変わらず熱いです。
いつまで続くんでしょうね、これ」
瑠那が考えこみながら告げる。
「じゃあ少なくとも、五日程度じゃ変わらないってことか。
ずっとこのままってことじゃないだろうけど、早く収まって欲しいなぁ」
美雪が瑠那に尋ねる。
「それで、瑠那の異能はどのくらい強化されたの?」
瑠那が苦笑を浮かべて応える。
「そうね……『とっても物騒なくらい』、と言っておくわ。
人間に対して全力で放ったら、相手が地上から消えちゃうわね」
「何それ……どういう威力なの……」
「私に言われも、わかるわけないでしょ。
あれを自在に曲げるようになるには、訓練しないと駄目ね」
他の女子たちは精度があがったり効果範囲が広がった程度のようだった。
威力が上がったのは、瑠那一人だ。
瑠那が小さく息をついて告げる。
「ティアの異能には何が起こるんだろうね」
治癒の異能が強化された時、何が起こるのか――それは、研究所の職員しか知らないようだった。
美雪が思い出したように告げる。
「――そうだ、ティアはどこ?! まさか、まだ部屋に居るの?!」
由香里が食事を再開しながら応える。
「みたいですよ。このままだと、夕方まで出てこないんじゃないですか」
「ずるくない?! いくら金曜日担当だからって言っても限度があるでしょ?!」
優衣が何かを考えるように告げる。
「明日は最終日で日曜日だし、みんなで悠人さんにお願いしてみない?」
瑠那がきょとんとした顔で応える。
「どういう意味?」
「明日は『みんなで過ごさないか』って」
瑠那が眉をひそめて困惑した。
「そんなの、いつもの事じゃない」
優衣がニコリと微笑んで応える。
「明日になればわかるわ」
瑠那が優衣の言葉の意味を知るのは、翌日の朝だった。




