24.本当の愛
五月頭の水曜日、今日はゴールデンウィークの初日だ。
俺は朝のロードワークの帰り道、流して走りながら瑠那に伝える。
「なぁ瑠那、今日は一日中組手をやらないか」
「残念ね、今日は空手道場が休みよ。組手をやれる場所がないわ」
そうなのか、それじゃあしょうがないな。
「それなら、今日は一日一緒に居ないか?
たまにはお前とも、恋人らしい事をしたっていいと思うんだが」
こいつは時折キスをねだるくらいで、それ以上を求めては来なかった。
それはそれで気楽なので、この一か月そのまま来てしまっていた。
だけど、『平等な愛』を与えると約束している以上、瑠那にもっと幸せな笑顔を浮かべて欲しかった。
瑠那は戸惑いながら俺の顔を見て応える。
「恋人らしい事って、何をするつもり?」
「ん? 難しいことを考える必要はないだろう。
公園で過ごしたり、カラオケに行ってみたり、街をぶらついてみたり。
部屋でただ一緒に過ごしたっていい。
お前が笑顔になれることをしたいと思っただけなんだ」
瑠那があからさまに安堵のため息を漏らして、俺に応える。
「そっか、そういうことなら、私の部屋に来る?
静かな部屋で、ゆっくりあんたと話をするのも、悪くないよね」
「何を心配していたかわかんねーけど、お前がそれを望むなら俺は応じるよ。
部屋に行けばいいんだな? 何時ごろがいい?」
「そうだなぁ、じゃあ八時に女子寮前ってことで。
三食を二人分、適当に買ってきてよ」
三食って、朝食も一緒に食べるつもりなのか。
まぁ、瑠那がそれを望むなら俺は応じるだけだ。
俺は走りながら頷いた。
「わかった。でもそんな時間に俺が女子寮に行って、目立たないのか?」
「あはは! 今さらだってば!
もうあんたの事は、女子寮で知らない子の方が少ないくらいなんだから」
そりゃそうか、一か月通い続けてるしな。
「前から不思議だったんだけど、毎日俺が通ってることとか、週末のたびに五人が外泊してることとか、なんで怒られないんだ?」
瑠那も首をかしげて悩んでいた。
「同じようなことをしようとする他の子は、割と早めに注意が飛んでいくみたい。
でもなぜか私たちは、注意されないんだよね。
理由を聞いてみたいけど、それで『もうやるな』って言われるのも怖いし」
昼間にたまに遊びに来るくらいは許してもらえるらしいので、比較的管理が緩い方ではあるのだろう。
夜間に遊びに来る男子は、見つからないように色々努力してると聞いた。
だけど俺たちだけが特別扱いか……なんだろうなぁ。理由が思い当らねーや。
「まぁいいさ。許してもらえてる間は、今のままで行こう。
注意をされたら、その時に考えればいい」
瑠那が静かに頷いた。
俺は女子寮に瑠那を送り届けてから、自宅に向けて走っていった。
****
部屋に戻った瑠那はサッとシャワーで汗を流すと、散らかっていた部屋を急いで片付け始めた。
二週間ぶりに誰かと食べる食事――しかも相手は、心が恋しいと求めてやまない、愛しい恋人だ。
友人たちのように、愛で自分を見失うつもりはなかった。
だが『何か』を期待してしまう心も、抑えることが難しかった。年頃の女子なのだ、恋人とロマンチックな事だって当然したい。
はやる心を抑え込みながら掃除を終えた瑠那は、今日の部屋着に悩み始めた。
おうちデートなのだから、きちんと可愛らしい服にしたい。
だが、あまりに気合を入れるのも恥ずかしい。
丁度いいバランスを模索しているうちに、メッセージの着信音がした――もう八時?!
慌てて手に持っていた私服に着替え、一階で待つ悠人を迎えに、瑠那は部屋を飛び出した。
****
悠人は瑠那の部屋に入ると、手に持った買い物袋を床に置いて告げる。
「お前が私服でスカートを穿くの、久しぶりに見たな」
瑠那は真っ赤な顔でスカートを押さえて応える。
「えっ?! 変、だったかな……」
悠人は微笑みながら瑠那を見つめた。
「そうじゃねーよ。お前、最初の時以来、私服でスカートを穿くことがなかっただろう? だから珍しいだけさ。
お前は足が長くてきれいだからな。ミニスカート、良く似合ってるよ」
「あ、ありがと……」
思わぬ言葉で愛しい恋人から褒め言葉をもらってしまい、瑠那は顔を真っ赤に染めてうつむいていた。
その様子を微笑ましい気持ちで見つめながら、悠人が告げる。
「それより、飯を食っちまおうぜ。腹が減っちまった」
「――あ、うん! そうだね!」
悠人が買ってきたコンビニ弁当を温め、二人は朝食を食べ始めた。
瑠那は悠人の隣にぴったりと身体を寄せて、笑顔で話しかけていく。
「こうして二人きりで過ごすの、始めてかもね!」
「ああ、瑠那とはそうだったっけ。外では毎日会ってるんだけどな」
悠人は瑠那が密着してくることに違和感を覚えながらも、彼女の笑顔を見て心を温かくしていた。
瑠那は人恋しかった気持ちが悠人で急速に慰められ、えも言われぬ充足感を覚えていた。
――ああ、悠人の隣に居る時の私が、本当の私だ!
そんな実感が胸を満たし、幸福感で満ち足りていく。
空手を上達させてくれ、今もこうして一緒に食事をしてくれる。
自分を変わらぬ愛で死ぬまで愛すると誓ってくれた、優しく誠実な恋人だ。
彼が隣に居ると思うだけで胸が高鳴り、期待感が心を突き動かす。
衝動的に瑠那の頭が動いて、気が付いた時には悠人の唇を奪っていた。
ハッとした瑠那が、慌てて身体を悠人から離して告げる。
「ご、ごめん! 食事中に! なんだか無性にうれしくて、つい!」
悠人は優しく微笑みながら応える。
「いや、構わないさ。お前がうれしいなら、俺だってうれしいんだ。
お前の幸福が俺の幸福なんだからな。
今日一日はお前のためにある。お前の心が望むことを言ってくれ」
それは、今の瑠那にはあらがいがたい甘美な言葉だった。
これほど自分を思いやってくれるのは、今はもう悠人しかいないのだ。
まごうことなき善意から発せられる言葉の数々が、傷付き疲れていた瑠那の心をみるみると癒していく。
胸から溢れた多幸感が限界を超え、瑠那の身体は再び悠人に抱き着き、唇を奪っていた。
****
夜遅く、明かりの消えた暗い部屋で、悠人はベッドで横たわる瑠那の頭を優しく撫でていた。
瑠那は恍惚としながら、その日に覚えた多幸感に心をひたしている。
「じゃあ俺はこれで帰るから、ちゃんとシャワーを浴びておけよ」
慣れたように一人で帰って行く悠人にも気づかず、瑠那はただ、胸を満たす幸福で満ち足りていた。
――これが、『本当の愛』。
生まれ変わった気分というのは、まさにこれを言うのだろう。
頭の先から足の先、髪の毛一筋に至るまで、全身にくまなく悠人の愛を刻み付けられていた。
すべての細胞が入れ替わり、悠人の愛で溢れた細胞が『新しい瑠那』を構成していた。
あれほど感じていた虚無感や孤立感、絶望感が、今の瑠那の心には微塵も残っていなかった。
あるのはただ、満ち足りた至福だけ――世界が悠人の愛で、溢れて見えていた。
惨めに思えていた瑠那自身の全てを、あるがままに価値を認めてくれて、全肯定してくれた。なんとたまらない経験だったのだろうか。
――悠人に愛される自分こそが、本当の自分だったんだ。
瑠那は時間も、身体が訴える疲労感も忘れ、そのまま初めて知った感覚に身をゆだねていた。
****
朝、女子寮の食堂では五人の女子が食事を取っていた。
二週間ぶりに瑠那が、優衣たちの前に姿を現していた。
由香里が小馬鹿にした微笑みで告げる。
「あら、誰かと思ったらお子様の瑠那さんじゃないですか。
私たちが怖くて隠れていたのかと思ったんですが、もう大丈夫なんですか?」
瑠那はおかずを口に運びながら応える。
「何言ってんのよ由香里、あなたが一番お子様に決まってるでしょう? 年下なんだから」
平然と口答えをしてきた瑠那に、優衣、美雪、由香里は目を丸くしていた。
優衣が目を細めて瑠那を見つめる。
「そういえば、昨日はあなたの担当曜日だったわね。
あなたも『本当の愛』を知った、ということかしら。
これでようやく、私たち四人が横並びか」
美雪が下卑た笑みを浮かべて告げる。
「横並びなわけが無いじゃない。私たちの方が三週間も早いのよ?
刻み込んでもらった愛の数は、桁違いよ」
瑠那が淡々と朝食を口にしながら美雪に告げる。
「美雪、そのらしくない笑いをやめなさいよ、みっともない。
それに半年もすれば、三週間程度の差なんて誤差になるわ」
由香里が困惑しながら瑠那に尋ねる。
「瑠那さん、本当に『本当の愛』を教えてもらったんですか?
なんで態度が以前のままなんですか」
瑠那がため息をついて箸を置いた。
「あなたたち、悠人が見てないからって約束を破るの、そろそろ止めなさいよ。
それとも、あなたたちの愛は、所詮その程度のものだったの?
――私は違うわよ。悠人が見て居なくても、彼の言うことを守って見せるわ」
由香里が怪訝な顔で瑠那を見据えた。
「……いいですよ? あなたが言う通り、彼が望む私たちを演じてあげます。
それで満足ですか、『お子様』の瑠那さん」
「ええ、いいわよ。『お子様』の由香里。
せいぜい彼に知られて落胆されないよう、気を付けなよ」
平然と言い返していく瑠那に、以前の怯えた影はない。
生まれ変わった彼女の心には、巨大な『悠人からの愛』という柱が立っている。恐れる物など、なにもないのだから。
見た目は穏やかな、その実、陰険な悪意を応酬する朝食の時間が過ぎて行った。
ガラティアは一人、無心で食事を腹に収めていた。
ようやく男女関係のセットアップ完了です。つまりここまでが序章。
蟻地獄に花鳥風月の4人がはまり込んで、第2章が本編です。
逃れられない破滅の中で足掻く彼女たちが、いったいどうなっていくのか。お楽しみください。
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