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004_心なき妖精

 シスフィナは翌日から、早速と動き始めることにしました。何せ、やるべきことは山ほどあるのですから。


 豚王子ことヴィクス王子との挙式は半年後。新参者であるシスフィナはそれまでにこの国の知見と支持者を増やし、婚約者としての立場を確固たるものにしなければなりません。


「半年ですか……あまり時間はありませんね」


「わたくしの婚約者様は随分追いつめられているらしいもの、あんまりもたもたしてはいられないわ。それに聞くところによれば、殿下は政務を全て母方のご実家に任せきりらしいじゃない」


「外戚が力を持つと碌なことになりませんし、早めに片を付けたいところですが……面倒ですね」


 古今東西、国と呼ばれるものは多く興りましたが、外戚が政治に口出しして良い結果になった例はほとんどありません。


 それだけこの国での王家の力は揺らぎ、政治が混乱しつつあるということなのでしょう。


 しかし、エリナの言葉を聞いたシスフィナは心底不思議そうに首を傾げました。


「面倒? 好機の間違いでしょう? 次代の為政者が生まれるのは、常に混迷の時と相場が決まっているわ。わたくしたちには今、追い風が吹いているのよ」


 大胆不敵ともいえるその発言に、エリナは『また始まった』と呆れ顔。シスフィナにとっては昔から、窮地とは何よりも楽しい退屈しのぎの事を指す言葉です。


 この程度の逆風は、道端の小石程度の障害でしかないのでしょう。


「それで、何から始めますかお嬢様」


「そうね……まずは地盤固めからかしら。細々と足を引っ張られても面倒だし、邪魔者をあぶりださなきゃならないもの」


 小物を片付ける。そう聞いてエリナの脳裏によぎったのは、この城を訪れた際に彼女らを笑った者たちの姿でした。


「それなら先に、邪魔者の排除から始めた方がよろしいのでは?」


 大人しい顔立ちとは裏腹に、エリナは意外と過激派です。


 シスフィナの言葉を聞いた途端、彼女の視線は厳しさを増しました。しかしシスフィナは相変わらず、穏やかな表情のまま首を横に振ります。


「忘れたの? 前回の国盗りが失敗したのは、ゼンワーズ大臣の自死が原因よ。あれがギュール王子を追いつめて、婚約破棄なんて暴挙を取らせてしまったわ。けれど元を辿れば、大臣が自死を選んだのはわたくしが追いつめすぎたせい。これは明確なわたくしの落ち度よ。そして学んだの。敵は除かず、追い詰めず、無力化して呑み込むのが一番だって」


「そうは言いますが……」


「まぁ見ていなさい。久々の国盗りだもの。まずは準備運動と行きましょう」


 それからまずシスフィナが手を付けたのは、自身の衣服や家具の買い付けからでした。


 元々シスフィナたちは修道院から来た上に、メルヴィナが持ってくるはずだった嫁入り道具の数々が馬車と共に泥水でグチャグチャになってしまったものですから、私物と呼べる物が全くなかったのです。


 しかしエリナは少々肩透かしを食らった気分でした。何せ見てなさいとまで言った割に、やることはただの買い物なのですから。


 確かに必要なことは理解できますが、大見得を切るほどのことには思えなかったのです。


 とは言えそこはシスフィナ・オルヴィルス。当然ぬかりはありませんでした。


「お嬢様……このようなデザインがお好きでしたか? 随分と赴きが異なっているように思えますが……」


 彼女が買い漁った家具やドレスは、どれも彼女の趣味とは大きく外れたデザインの物ばかり。確かに質は良く、出来も悪くはないのですが、珍しい買い物をするものだとエリナは首を傾げます。


 するとシスフィナはエリナの問いににこやかに答えました。


「ヴィクス殿下の支持者は義理や伝統や義務を重んじる、古臭い保守派の方々よ。何せ、愚鈍な豚王子でも第一王子だからというだけで支持するような方々ですもの。そんな方々の支援を得るには、一体どうすれば良いと思う?」


「それは……なるほど、そういうことですか」


 そう。これらの買い物は、全てシスフィナの国盗りの一環だったのです。


 人の住む場所には必ず人々が定住し、開拓し、国を興し、そして今に至るまでの歴史があります。そしてその歴史に根差すのが伝統と文化なのです。


 ディグランツ王国でもそうであったように、自身の国に強い愛着を持つ者たち――それこそ父祖代々続く由緒正しい貴族や王族などは、この伝統や文化というものに強い誇りを持っているものです。


 それらは彼らを一つの組織として強く結束させる代わりに、部外者を強く拒絶する理由にもなってしまいます。


 そして、豚王子ことヴィクス王子を支持する者たちは、この強い愛国心を持った保守派の者たちが多数派でした。


 だからこそ、部外者であるシスフィナが彼ら保守派の支持をどう取り付けるかは最大の課題でした。そこで今回の家財集めを利用することにしたのです。


 彼女が買い揃えたのは全て、モスティア王国の歴史と伝統に根付いたデザインや意匠の物ばかり。そのうえ、それらを購入する際に頼ったのは保守派の息がかかっている商人たちです。これには保守派の者たちも驚きました。


 まさかシスフィナが彼らの力を利用して、この国を掠め盗ろうとしているなんて夢にも思っていませんでしたから、貴族たちはてっきり彼女がこの国への理解と敬意を示したものだと勘違いしたのです。


 おかげで保守派貴族たちからの反応は上々。それだけの心構えでこの国にやってきたのであればと、彼らの態度はあっという間に軟化しました。


 保守的な思想を持つ者たちは大抵の場合、自身たちの国や歴史に敬意を払ってくれる部外者には甘くなるものなのです。


 そんな心理を巧みに突いたシスフィナの計略が見事にはまりました。おかげであっという間に第一王子派の貴族たちはシスフィナの支持を表明したのでした。


「とは言え……随分と古臭い意匠の物ばかりね。ディグランツの流行から半年は遅れているわ」


 自室に並ぶ家具の数々を眺めて溜息を付くシスフィナに、エリナは頷いて答えます。


「私たちは修道院に三年いましたから、合わせて三年半遅れと言ったところですか」


「ま、ディグランツから落ち延びた田舎貴族の興した国だもの。当然と言えば当然かしらね」


 きっと保守派の者たちが聞いていたら顔を真っ赤にして憤慨したであろう会話を交わして、二人は次なる一手に取り掛かるのでした。


 入用な物が揃ったら、次は令嬢たちとの交流の時間です。シスフィナは早速、挨拶回りを兼ねた女たちの社交界を開くことにしました。


 それも、第一王子派に所属する貴族令嬢を、身分に関わり無く全て集めた大規模な社交界です。


「お目に書かれて光栄です、メルヴィナ・リッシュラード様」


「ごきげんよう、テリーナ・ノシルズィリア様。お父上の果樹園は、今年豊作だと伺いましたわ。良かったら今後、お伺いしてもよろしくて?」


「私なんかのお名前をご存じだなんて……もちろんです、是非ともおいでくださいませ。ノシルズィリア子爵家一同、必ずやメルヴィナ様を歓迎いたします」


「ええ、楽しみにしているわ――あら? そちらにいらっしゃるのはもしかしてキャロア・ケブレナート様かしら? 殿下からケブレナート家は忠義に厚い家だと伺っているわ。お父君はお元気?」


「わ、我がケブレナート男爵家のことまでご存じでしたか……感激ですメルヴィナ様。それに殿下にもお気にかけて頂けるだなんて……はい、父は元気にしております。今日のことを知らせれば、きっと大喜びいたします」


 もちろんここでもシスフィナに抜かりはありません。たった一日で頭に叩き込んだ全ての貴族令嬢の名前と、商人や使用人たちから聞き上げた彼女たちの特徴を瞬く間に一致させ、初対面だというのに次々名前を当てていきます。


 そのうえメルヴィナは更にもう一手加えます。社交界ではまず、子爵家や男爵家と言った貴族の中では身分の低い者たちに率先して声をかけて回ったのです。


 第一王子を支持しているのは公爵、侯爵、伯爵と言った比較的高位の貴族たちばかりで、子爵家や男爵家の者は僅かでした。


 これは身分の低い中流・下流の貴族ほど、既得権益で凝り固まった上流貴族が多数派を占める第一王子派を嫌ったためです。


 今回の王位を巡る争いは、言い換えてみれば既得権益と伝統を守りたい保守派上流貴族層と、既得権益を打破して新たに自分たちが主流となりたい下流貴族層の代理戦争でもあったのです。


 しかし政治的・地理的理由から第一王子派に付いた下流貴族たちも僅かながら居て、彼らは肩身の狭い思いをしていました。


 何せ味方の上流貴族たちからは見下され、同じ下流貴族たちからは敵視され、味方がどこにも居ない状態だったからです。


 シスフィナはそんな肩身の狭い者たちを厚遇することで、造反の抑止をするとともに、使える手駒を増やすことにしたのでした。


 彼ら下流貴族の情報網は馬鹿にできません。何せ、彼らは上流貴族たちがそうであるように横の繋がりが強く、敵の第二王子派の中にも多くの親族を抱えているからです。


 そのうえ、身分の低さ故に使い捨てにもしやすいとなれば、シスフィナからすれば好都合な存在なのでした。


 一方、そんなこととは露知らず、真っ先に自分たちに挨拶にきたシスフィナの態度に、第一王子派の下流貴族たちは心を寄せました。


 そしてシスフィナの目論見通り、彼らはそんなシスフィナの話を横へ横へと広げていったのでした。


『シスフィナ・オルヴィルスは上流貴族だけでなく、下流貴族も厚遇してくれる人格者だ。だからヴィクス王子が王になれば、きっと彼女が上手く取り計らってくれるはずだ』と。


「少々上手く行きすぎかしらね」


 それから毎日のように届くようになった手紙の山に目を通しながら、シスフィナは今日も優雅に朝の紅茶をたしなみます。


 シスフィナがこの国に来てから、ここまで僅かひと月の間のことでした。


「相変わらず、見事なお手並みですお嬢様」


 焼きたてのパンケーキを切り分けるエリナを尻目にシスフィナは笑います。


「わたくしが子爵や男爵を優先したせいでヘソを曲げていた令嬢たちも、別でお茶会を開いて差し上げたらすぐに機嫌を直したわ。どこに行っても高位の者たちは特別扱いが好きなのね。それに――」


 手にしていたカップを置いたシスフィナは、山積みになった手紙の中から二、三通ほど取り上げると、差出人の名前に目を通しました。


「――第二王子に付いたはずの貴族たちからもご機嫌伺いが来ているわ。どうやら思っていた以上に効果があったみたい」


 どうやらシスフィナが思っていた以上に、下流貴族たちの繋がりは強かったようで、敵味方問わずシスフィナの噂を聞きつけて、一度ご挨拶を、と手紙をよこす始末だったのです。


 ついひと月前まで旗色を悪くしていた第一王子派は、シスフィナの手によって一瞬のうちに形勢を立て直したのでした。


 しかし、何もかもが上手く行っているわけではありませんでした。もちろん目下の悩みの種は、肝心要の第一王子です。


「とは言え……肝心の王子があれでは。一体いかがするおつもりで?」


 実は初日に面会してからというもの、王子とシスフィナはこれまで一度も顔を合わせていなかったのでした。


 王子の従者、グイストを介して「今日は顔色も良さそうです」なんて義務的な報告を幾度か繰り返す程度で、とても婚約者らしい関係が築けているとは言えない状況でした。


 今はともかくとして、これから先もずっとこのままという訳にはいきません。もちろん、この国を掠め盗ろうとするシスフィナからすれば、いずれは引きこもってもらうのが一番なのですが、それは今ではないのです。


 せめて顔だけでも表に出させて、シスフィナとの良好な仲を内外に見せつけねばなりません。


 もし両者の不仲がささやかれようものなら、最悪の場合婚約破棄という可能性もあり得るからです。


「とは言っても、さすがのわたくしも刃の通らない貝の開け方はわからないわ。今回ばかりは力に任せる訳にもいかないし……もどかしいけれど、そちらは一旦放っておきましょう。それより、今は次の手よ」


 手にした手紙を置いたシスフィナの前に、エリナが切り分けたパンケーキを差し出しました。


「次は一体何を?」


 そのパンケーキにフォークを突き立てて、シスフィナはいつものように笑います。


「敵情視察。第二王子、エルセロア・バルメーヌの顔を拝みに行くわ」

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