地底からの不穏な影とモチ(六)
「なんだその姿は。人間の子供になんぞ変化して!!」
翼の王は、七~八歳くらいの子供の姿になっていた。金色の髪に海を思わせるような真っ青な瞳、抜けるような白い肌。そしていかにも育ちの良い子供が着るような、上等な半袖シャツとロングパンツを身につけている。
肌が白、服が真っ黒なのが対照的で、悔しいほどに見目が良かった。おのれ、無駄にキラキラしたオーラをまといおって。
「ど、どうやってここまでの結界を突破した」
「それはまあ、ちょっと魔術でいじってここまで来たんだよ。……しかし、この部屋の最後の結界だけはどうしても無理だね。これほどの防御能力を作り出すとは、君の魔術の実力はやはりズバ抜けているな」
う、嬉しい。そうなのよ。私が体術で一段劣るのは、魔力でカバーできているの。
……って、内心でうきうきしてる場合じゃなかった。
「褒めても誤魔化されんぞ。もう一個の質問に答えろ」
「いやあ、この姿の方が皆がチヤホヤしてくれて都合がいいんだ」
声までちゃんと子供らしく、高い。だが笑う彼の右手には、魔力がたっぷり籠もった短剣があった。さすがに因縁のある私に会いに来るということで、最低限の武装はしている。
……だが、殺気がない。その前提である悪意や敵意も感じない。これは、どういうことだ?
「仕方無いな。入れてやるから大人しくしてろよ」
私は結界に隙間を作って、翼の王を迎え入れた。まだ信頼しきってはいないので、入り口付近で停止するよう指示を出す。
「ああ、総理。お前はここまでだ。今日はその奇妙な道具を持って、さっさと帰れ」
ここでこのタヌキに話を聞かれたら、完璧に誤魔化すことは難しくなる。なんて気の回る私、と自画自賛しておこう。……そうじゃないと、今後の話し合いに必要なプライドが保てそうにないから。
「そうですか? 残念ですねえ……では、後日必ずお伺いします」
総理は冷静なまま、翼の王の横を通って部屋を出て行った。しばらく無言で総理の背中を見つめていた翼の王だったが、やがてため息をつく。
「なかなか肝の据わった個体だね。いいよ、あれは」
彼の声ににじむ敬意が本物なのが分かって、なんとなく面白くない。
「ああ。地上の低級種族にしては、なかなかレベルの高い個体だ。で、そろそろ本題に入ったらどうだ」
翼の王の視線が、にわかに鋭くなった。
「お前が最近、妙な動きをしていることはこちらにも伝わっている。──そろそろ私を殺そうという気になったか?」
「私はそこまで愚なことはしないよ。見れば分かるだろう」
翼の王は、大げさに両手を開いてみせた。
「……しかし、どうも若い連中がね」
やはり、気のせいではなかったか。一旦ほっとしただけに、落胆が大きい。
「どこからそんな余計な知恵をつけたか知らないがね。碧の国が負けたのは、紅の国が邪神に取り入って卑怯な手を使ったからだ、という変な陰謀論にハマっているようでねえ」
「どこの国にも、一定数バカがいるもんだな……」
この場合、正しい情報を教えてやったところで、大して役には立たない。彼らの頭の中には一つの考えだけがびっしりこびりついていて、容易には剥がせないのだ。
翼の王も、ため息をつく。
「気をつけたまえ。群を抜いて過激な思想を持ち、他の考えを認めない連中が動いている。私が最初に確認した時は五十名程度だったが、今では思考の偏った屈強な戦士がもっとそろっているはずだ。……近いうちに、この地上が戦場になるかもね」
私はもう笑うしかなくなって、乾いた笑い声をたてた。
「お前がなんとかしてくれないのか?」
「奴らは非合法な部隊だ。私が大規模に動くことに、法の上ではなんの問題もない」
「……しかし感情的にはそうではない」
私は頭を抱えたくなったが、かろうじてそう言った。
「分かってくれて何より。地上の面々など、碧の国の人々には面識がなく、正直どうでもいい相手だ。君も紅の国の民だから、親近感があるとは言いがたい」
「それはそうだろう」
「この状況で私が彼らの討伐をやったとしても、民衆から支持を得るという効果は極めて低い。最悪の場合、同士討ちをしたととる者も出てくる。君に叩き潰してもらうのが一番助かるんだよ」
翼の王ははっきり言い放った。確かに、私がなんとかするしかないようだ。
「魔法を使えるなら、瞬時に転移してくることは可能だな……」
「屈強な戦士が分散して襲いかかってきたら、全てに対処できるか。個々の戦力はどのくらいか。計算が必要ですね」
副官が真面目な顔になった。心なしか、傍らに佇む犬もきりりとした顔になっている。
「他の者への報告は」
「今はしていない。藪をつついて事態が悪化しても困るからね。まあ、どういう結果になるかという好奇心がないわけじゃないけど」
「そのまま黙っていてくれ。ただでさえ、お前が動いたというだけでいらん憶測が走っている。これ以上ややこしい事態にはしたくない」
私の頭の中では、すでに誰に何を伝えるか、シミュレーションが始まっていた。そのメッセージを読み取ったように、翼の王が薄く笑う。
「たとえ大地を隔てようとも、悪意は時に届くものだ。しっかり準備をしないと、足下をすくわれるよ」
翼の王の忠告は、的を射ている。私は今までに無いプレッシャーを感じて、思わず身を震わせていた。




