ヤキニクという名の麻薬(三)
……もう食べられるのか? いや、まだか。私はしばらく、困って肉をいじり続けていた。
すると、大臣がちらっと私が置いた肉をねめつけた。
「モタモタすると焦げるぞ」
大臣は恐ろしいまでに短い時間で肉を引き上げている。まだけっこう赤い部位が残っているのに、大胆な奴。
「牛肉は多少赤くても食べられますよ。さ、どうぞ」
総理に勧められるままに一口食べると、その違和感は吹き飛んだ。ひょっとしたらこのタレ、いかん薬でも入っているのではなかろうか。あまりにも美味すぎる。こうして見ると、残りの肉が燦然と輝いて見えてきた。
「ははははは」
勝手に漏れてくる笑い声とともに、私は白米と肉をがっついた。また、この醤油とニンニクのきいたソースが、抜群に米に合う。
「ソースの評価はいかがです?」
「……悔しいが認めざるをえん。お前の嫁は、料理が上手いな」
「いやあ、これ以上無いお言葉をいただきました。嬉しい限りです」
男どもは黙々と食べ進め、あっという間にカルビのほとんどがなくなってしまった。ここでようやく、皆がふっと息をつく。
「次はロース。肩から背中の前方くらいの肉ですね。こちらはカルビと違って、赤身がちなのが特徴です。ヘルシーで、女性にも人気です」
副官がゆっくりと次の皿を出してきた。確かに、さっきの肉と違って白い脂の部分がほとんどない。
「では、こっちもいただくか」
噛みしめると、さっきより濃厚な肉の味がする。噛み応えもあり、口の中に消化液がこみ上げてきた。柔らかすぎる肉より、肉食をしている感じは強いかもしれない。
「私はこちらが好きですね。年を取ると、脂の部分を食べるのがきつくなってきますので」
「地上人はそんなものか」
地底には老化という概念はないため、そういう話を聞くのは新鮮だ。全く、不自由な民族だな。
「俺はこれでは物足りない」
「あなたはまだまだ内臓が丈夫ですねえ」
まだ意気軒昂な大臣が、次の肉の皿に目を向けた。
「お待ちのようですので、こちらに参りましょう。タンです」
副官が差し出してきたのは、牛の舌の部分だそうだ。こんな部位まで食べるなんて、本当に日本人は食べることに関しては必死だな。
舌というから純粋な赤身かと思いきや、けっこう白い脂肪が入っているのが見える。他の肉と違って、丸みを帯びた形をしていた。そしてこのタンが浸かっているソースは、今までと違って透明に近い色をしていた。
「タン用に、家内が違うソースを作ってくれているんですよ。塩ダレです」
「聞いたことない名前だな」
「まあ、百聞は一見にしかず。食べてみてください」
言われるがままに食べ、私は思わず口ごもった。単なる塩味だけではない、重層的な深い味わい。何かを混ぜているのは確実なのに、材料はレモンの酸味くらいしか分からない。それが意外と脂っこいタンに合う。おのれ、どうやってこんなものを作り上げた。
「タンを最初に食べようと思った人に感謝しないといけませんね。あと、塩ダレとやらを思いついた人にも」
副官が言う。確かに、どれだけ前の人間かは分からないが、剛胆な奴がいたものだ。
「……それを言うなら、次の部位の方がもっと適切じゃないか」
大臣が言う。副官はそれを聞いて、奥の皿に目をやった。
「そうかもしれませんね」
その言葉とともに差し出されたのは、なんだか白い塊が積まれた皿だった。肉と同じように茶色いソースがかかっているが、肉から赤身をこそげとった残滓のように見えて仕方無い。
「……これは本当に食べられるのか?」
私がおそるおそる聞くと、副官はうなずいた。
「ホルモンですね。牛の腸の部分を切ったものです。ご覧の通り赤身はなく、脂肪が集まってプリプリした食感になっているとか」




