ヤキニクという名の麻薬(二)
「では、我が家秘伝の焼き肉のタレ、そのレシピを公開いたしましょう」
呼ばれてやってきた総理の奥方は、今日も柔和な笑みを浮かべていた。
「楽しみですわ!」
「……うわ、ホントにいたんだ。あいつら以外の地底人」
婚約者にえらい勢いで迫っているのは、総理の孫である。もちろんこいつは呼んでいない。勝手についてきたのだ。
「ちょっと、手元が見えないじゃありませんか」
「ふんだ。あたしのばあちゃんだもんね。そっちが離れな」
「こらこら、喧嘩はいけませんよ。まずはにんにくとショウガを刻んで……」
婚約者は、総理の妻の側を離れたがらない。同じく祖母にべったり抱きついた孫と一緒に、ポジション取りに忙しい様子だった。あのー……、私は?
「亭主は放置されるものと、心得ておいた方がいいですよ。その方が平和ですし」
総理がやけに悟ったような目で言う。そっちの家庭の事情は知らないが、私は無言でうなずいた。わざわざ痛い思いをしに行きたくはない。
「最後にレモン汁を少し入れるのがポイント。これでさわやかさが出るんですよ。入れたら、よく混ぜて完成ね」
そうやって放置している間に、秘伝のソースとやらは完成していた。遠目にみたところ、醤油に似たような色をしている。ずいぶん色々混ぜたわりには、地味な出来映えだった。
「……本当にこれがそんなに美味いのか? そうは思えないが」
「そんなこと言うなら、分けてあげないからね」
私と孫はまた、フーッと猫のようににらみ合った。
「はいはい、タレはもらってきましたから。男卓は男卓で気楽にやりましょう」
結局私と副官、総理という、全然変わらない面子で卓を囲むことになった。卓の中央には穴があいていて、その上に網がかぶせられている。どうやら、この網の上で肉を焼くらしい。
「ああ、待ってください。もう一人来ますので」
総理が言うと、室内を見ていたかのようなタイミングで、客が一人入ってきた。
「こんばんは。滅びろリア充」
「脳内が仕事よりも私情に占領されてるぞ、大臣」
険しい顔をした農林水産大臣が、しれっと副官の横に座る。副官、こんな奴をあっさり受け入れるんじゃない。
「まあいいじゃないですか。たくさんお肉を用意したと聞きましたから、助っ人が必要かと思って」
総理は絶対に悪いと思っていない顔のまま、頭を下げてくる。このまま揉めても押し問答になるばかりだろう。
「確かにこいつは食いそうだが……今日は襲いかかってくるなよ!」
私は改めて釘を刺した。肉を楽しみたいのに、いらん恐怖を抱え込みたくない。幸い、大臣もそれには同意した。
「コンロの火はつけておきました」
「さ、魔王様。肉の部位も、いろいろ用意しましたよ」
カルビにロース、サーロインにタン。そして各種ホルモン。副官は部位の名前をいいながら、次々に肉の皿を並べていった。
「豪華なものだな」
うるさそうな大臣も、納得した様子で肉を見つめる。
「まずはカルビ。肋骨周り──牛の腹の下あたりの肉ですね。脂がのっていてジューシーなので、肉の中では人気の高い部位だそうですよ」
副官がひとつの皿を押し出した。確かに、肉には脂の白い筋がけっこうしっかり入っている。横にある赤みが強い肉と比べると、一目瞭然だ。その肉が、総理の奥方特製のソースに浸かっている。
「じゃ、実際に焼いてみましょう」
副官が肉を箸で取り上げ、網の上に置く。じゅうっ、と音がして、みるみる間に赤かった肉の端が茶色に変化していった。




