おお、勝手に広がる日本中華の世界(五)
「まあ、餃子の味はよく分かった。こっちの料理はどうだ?」
何の気なしに私は赤っぽい皿に手を伸ばす。いかに赤くても、エビチリと同じようにマイルドな味なのだろう。何を恐れるものか。
──と、思っていたのに。
「か、辛い!! 口の中が痛い!!」
何やら白くてぶにゅっとした物と、挽肉が入っているのはいい。しかし、それに絡みついているタレが想像以上に辛かった。
あわてて水を飲み下したものの、口の中はきっとひどい有様に違いない。おのれ、いつの間にこのような毒を開発していた。
「私の盛りだけ多すぎるぞ!!」
「出た、ゲスの勘ぐり。ウケる」
「目の錯覚ですよ。良くあるでしょう、同じ長さの棒が全く違って見えるアレ」
「お前ら人間の目と一緒にするな!!」
私は抗議の声をあげた。
「いや、この麻婆豆腐は結構辛いですね。本場に近くて出来のいい味ですが、慣れてないとキツいかな」
副官は私の横で、美味そうにバクバク食べている。
「もしかしてこれでも日本人向けになった方なのか」
「ええ。本場の麻婆豆腐は花椒と唐辛子という香辛料を大量に使い、スープの色は真っ赤に近い。口に入れると辛くて痺れる、というレベルらしいですから」
「……それは本当に人間の食べ物か?」
侵略したのが隣国じゃなくて本当に良かった。ギリセーフ。
「魔王様は辛い物が苦手なんですねえ」
「上司の弱みを握ってやった、みたいな顔して言うな」
「そんなわけないじゃないですか。こちらは辛くないので、口直しにどうぞ」
そう言って副官が差し出してきたのは、麺料理のようだった。麺の上に赤や緑の野菜、焼いて細く切った卵や肉が載せてあって、見た目が大変華やかだ。
おそるおそるすすってみると、今度は全く辛くない。しかも料理全体が冷えていて、むしろ口の中のほてりをおさめてくれる。タレも甘味が勝った優しい味だ。
「タレにはゴマ、という植物を使っているようです。コクがあって、これも美味しいですね」
本場では具はもやしと細切り肉のみ、しかも麺は冷やさずに冷たいソースをかけるという料理らしい。全体的に生ぬるくならないのかな、それ。
「冷やし中華の改良には、日本のざる蕎麦もヒントになったと言われているようですよ」
副官の言葉を聞いて、孫が嘆息した。
「蕎麦かあ。最近食べに行ってないな。いつ行っても混んでるし」
「飯系の飲食店が、軒並み営業停止ですからね。麺類の店は客数が増えて活気がありますが……さばききれないという苦情もあります」
「そんな時はバフム団子を食うがいい」
「だよな。蕎麦や小麦アレルギーがあると、食べたくったってどうにもならないし。ジジイ、なんとかしてやれよ」
おい、無視するな。魔法で学校のガラスでも割って回ってやるぞ。
「……そうですねえ。なんとかしなければ」
「ま、魔法を貴様らごときがどうにかできるものか」
私の反発を軽く聞き流した様子で、総理は笑った。
「というわけで、一週間後にその対策のため、有識者会議がございます。当日はうかがえませんので、ご了承ください」
気安く言う総理と付き従う孫を見送ってから、副官が私にささやいた。
「その会議、どういたします?」
「無視はできないだろう」
この国のどこにいようと、知ったことか。総理の気配なら、もう嫌と言うほど体が覚えている。使い魔がそれを追って行きさえすれば、居所をつきとめるのは簡単。
そこでジジイ共が深刻な顔をつきあわせて話している内容は、伝達魔法で全てこちらに筒抜けだ。体力も準備も要るから滅多に使わないが、こういう時に使わなくてどうする。
「さて、一週間後が楽しみだな」
★★★
迎賓館を出た後──総理は振り返って、孫に優しく微笑んだ。
「それでは、《《留守》》をよろしく頼みますよ」
「ああ」
二人が交わしたその言葉の真意を、魔王はまだ知らない。




