インターミッション - 墜落論
いかがだっただろうか。
恐らくこの投稿が行われたであろう瞬間たる令和五年四月一日の午後五時時点において、ChatGPTないしその他のプログラムという存在は、一定の生活基準および学術素養を持っている人々にはある程度広くその存在が知られているものと推測される。
なので、その手のAIを使用していろいろと試行錯誤あるいは切磋琢磨していらっしゃる、私からみると先輩にあたる方々が、それはもうこのちっぽけな一塊の肉塊たる身からしてみればとても想像できないというくらいにはこのありとあらゆる広大な世界にある場所に存在していると思うし、そしてそのような先輩諸氏からしてみれば、「そんなのよくあることじゃないか、何を今更そんなこと言ってんの?」というような、そんな感じの方々も多数いるものと推測される(※)。
先程のような台詞を、あえて悪意的に解釈し、そして表現してみるのであれば。
それは浅学への冷笑、および蔑みをもって発される台詞である。そしてそれは、自分自身の過去を冷笑し、蔑視していることに他ならない。
概ねそのように表現され得るものであると、今の私は考えている。
ただ、その辺りの話はこの際どうでもいい。
この話の本題は、要するに先程のような会話を行った直後の私が、一体全体どのようなことを感じたのか、ということである。業界用語で言えば、学び、と呼称されるもののような。
それは、端的に言うとこうだ。
恐怖。
その、ごくごくありふれた言葉であり、それでいて何だかよくわからない概念であるところの存在。
学びが恐怖って何? バカなの? 死ぬの? みたいに思う方は結構いるとは思うけれども、流石にこの二文字では伝わらないと思ったので、改めて表現させて頂きたい。
私という人間はかつてテーブルトークRPG(※※)の界隈に耽溺するようにして過ごしていたのだが、その時によく使われていた一種の業界用語の中でぴったりなんじゃないだろうか、というものがあったので、知らない方々には大変申し訳ないものの、こう表現させていただく。
根源的恐怖。あるいは、宇宙的恐怖。
得体の知れないものを目撃した際に抱くとされる、概ねそのようなものを、私はその時に感じたのだ。
恐らくはごくごく普通の、ある種の業界においては日常の所作のうちに含まれているような、そんなありふれた事実に直面した私は、そのAIと名付けられた最新技術からまったく何も学びのようなものが得られなかったことに気づいてしまい、気が狂ってしまった。
恐らくはそうならなかった多元宇宙もごくごく普通に存在していたであろうと言うことは、今の私にとっては容易に推測が出来る事柄ではある。だが、少なくとも。
少なくとも、その時の私は、非常に残念ながら知覚判定で致命的成功の目を出してしまい、そして正気度を大幅に削られてしまったために、他人からしてみれば本当に意味のわからない、しかしそれでいて何処か理路整然としているようにも思えるような、そんな奇怪な行動を取るに至ったのだ。
その行動とは、要するに。
『ゲーミングちんぽ華道部』の起源となった、画像出力AIを用いて作られたあの謎めいた画像の、その作者である無名の誰かがそれに込めた意味を何とか理解しようとし、会話AIであるところのChatGPTにその概要を入力することで、AIから産まれたものをAIに母体回帰させた後で産み直させれば何かしらのわかりが得られるのではないかという考えに基づいて行われた、冒頭の入力のことだ。
私がいうところの奇怪な行動というものの具体的な内容については、ここまで読んでいただいている読者諸氏には十分伝わっていると、私は考えている。
◆
そして。
そんな何の意味もない無駄な行為をして、そしてそれに没頭するあまり連日連夜眠らないといった生活をした結果、わたしは現実世界での活動にある程度の支障をきたしてしまったのだ。
※:
今のわたしの耳には、そのような声が届いている。今もなお、と言った方がより正確かも知れないが、とにかく体感としてはそんな感じだ。
※※:
その存在について分かりやすく説明しようとした場合、それはそれはもう長く長く長く、本当に永い話になってしまうし、それにまつわる話を始めたら恐らく皆様はこのエッセイらしきものの後日談が始まる頃にはもうこの世から去ってしまっているのではないか、と思えるくらいには本当に巨大な概念なので、ここでの言及は避ける。
ただ、あれは本当に楽しい机上遊戯であるので、もし興味があったら暇な時にでも調べてみたりして貰えると個人的には嬉しく思う。
◇
それは本当に、ある程度、という言葉で形容されるくらいの事柄で、現にその時のわたしの上司に当たる人物は直前になって休む旨を連絡したわたしを優しく受容してくれたので、今ここでこうやって駄文を書き散らしている訳ではあるのだが。
もし、彼(※)がわたしのことを厳しく叱責したと仮定したならば。そうなっていたら、恐らくわたしは完全に発狂してしまっていたことだろう。
でも、そうはならなかった。非常に幸運なことに、そういう悲劇的なことにはならなかったのだ。
そうやって何とか生き残れたからには、改めて考えなければならない。将来的にどうなるかはわからないにせよ、ひとまず正気に戻れたのだから、その間に考えておかなければならないことが、IT企業に勤める身であるわたしにはあった。
つまりは、このようなことについて。
わたしはこれからどうやって、そしてどのような気持ちをもって、AIをはじめとした最新技術と向き合えばいいのだろうか。
※:
便宜上の表記。ここでいう彼というのは、無性別的な、概念としての『先輩』を指す。あるいは、『親』でもいいかも知れない。