前編
「盟約の花嫁Ⅱ」の外伝になります。単独で読めなくも無いですが…出来れば「盟約の花嫁Ⅱ」を読んだ後をお勧め致します。短編ですが色々ある外伝シリーズの中でも大好きな話です。同じく気に入って頂けると大変嬉しいです。
「リリアーヌ来てごらん。あそこにいらっしゃるどちらかが、お前の許婚になるお方だよ」
「いいつけ?」
「ははっ、違うよ。いいなづけ、だよ」
「いいなづけ…さん?」
そうだ、と優しい父親が笑いながら言った。
その父親がめぐらす視線の先にはリリアーヌが持っている人形よりも綺麗な少年が見えた。そしてその隣には長剣を下げたちょっと恐そうな男の人がいた。
その成人したばかりのような青年がこちらの視線に気が付いたのか、チラリと見たようだった。その様子に父親は幼い娘の手を引いて進みでた。
今日は王家主催といっても家族が同伴出来る気楽な茶会だった。現国王であるブリジット女王は気さくな人柄で自分の子供達が幼いせいもあるが大人中心の夜会より、このような会を好んで開くのだ。
進みでた親子に周りの視線は集まっていた。
〝まあミレー伯ですわ。ではあの方が例の?〟
〝うらやましいこと…〟
〝本当に幸運ですわよねえ〟
〝そうそう、ほらっ、ご覧になって!ラザル侯の悔しそうなお顔…〟
〝ああなれば哀れなものですね。でも自業自得ですわ…〟
リリアーヌの許婚とはこのオラール王国の後継者候補の王子達なのだ。
後継者候補…今この王国には真の後継者はいない。特殊な継承をするこの王家は王の第一子が男女に関係なく王統を継ぐ。それ以外は王となる事は許されないのだった。
真の後継者であった王子は暗殺され、王となるものはいなかった。だが、現女王が身罷った時には当然、王で無くても国を束ねる王の代行者がいる。天界より賜る〝天の花嫁〟が現れるまで国を守らなくてはならないのだ。それまでかりそめの王が国を動かす。
その後継者が現女王の第二王子ユベールと前国王の第一王子で女王の弟にあたるギスランだった。甲乙つけがたい血統の二人だ。そのような立場の二人なのだから当然ながらその花嫁となる者は厳しく選びぬかれる。王家の婚姻は全て神殿に委ねられ神殿の最高責任者である大神官によって管理されていた。
絶大なる力を持つ王家との婚姻は貴族の勢力分布に影響を及ぼす。だから尚更、神と王に仕える神殿が平等な心で選ぶのだ。
それでも野心のある者はどうにかならないものかと画策する。しかし現大神官は潔癖でそのような事を許さなかった。そこで失脚してしまったのがラザル侯爵だった。着任したばかりの年若い大神官だと軽く見たラザル候の浅はかな考えが敗因だったのだ。
そして浮上してきたのがこの血筋は良いが実直過ぎて宮廷では目立たなかったミレー伯爵が選ばれたのだった。
人の良さそうなミレー伯はその王子達の前で一礼した。
「ミレー伯。今日は天気がいいな」
ギスランが言った。声をかけて良いという合図だ。
ミレーは再度礼をした。
「ギスラン王子、ユベール王子。ご紹介させていただきます。娘のリリアーヌでございます。ほらご挨拶しなさい、リリアーヌ」
リリアーヌは父親の後ろからそっと出て二人の王子を見上げた。
お人形のような王子様と恐い王子様―――
まだ幼いリリアーヌには許婚という意味さえ分かっていないから、この二人が自分にとって何なのかもよく分かっていなかった。
父親の言いつけ通りに挨拶をした。
「はじめまして、リリアーヌです」
お人形の王子がにっこり微笑んだ。リリアーヌはその綺麗さにびっくりした。
「はじめまして。リリアーヌ。とてもお利口さんだね。それにとっても可愛いね。僕はユベール、宜しくね」
リリアーヌはまだ驚いたままで、すみれ色の瞳を見開いていた。
「どうしたの?」
ユベールが首を傾げて尋ねた。
「えっと…とてもきれいなのでびっくりして…」
父親が苦笑した。
「ユベール王子、申し訳ございません。まだ何分にも子供でして・・・」
「失礼なことは無いよ、ミレー伯。褒めてもらったのだからね」
ユベールはそう言ってまたリリアーヌに微笑みかけた。今度はリリアーヌも恥ずかしそうだったが微笑んだ。その二人の微笑ましい様子にその場にいた者達はユベールが本命だろうと噂した。年齢的にギスランよりもつりあっているから端から見ても可愛らしい組み合わせのように見えた。
それは当人達もそう思っていた。特にギスランは最初にこの話を聞いた時は何故自分が?と思ったぐらいだった。実際に今日初めてその許婚候補を見たら本当に子供で自分との年の差を感じた。
(ほんの最近生まれたようじゃないか?)
と、思わずにはいられなかった。目の前の小さな生き物―――
(私には関係無いな…)
ギスランはそう決め込んで無視しようとしていると、その小さな生き物がじっとこちらを見ているのに気が付いた。そして可愛らしくお辞儀をした。
「はじめまして、リリアーヌです」
そう言った後、リリアーヌはビクビクしながらギスランを見上げていた。父親よりも背が高く大きな壁のような人物が恐かったのだ。
ギスランがちょっとでも動くとビクリとして怯えていた。その様子がまるで巣穴に隠れる小動物のようだとギスランは思った。
無言のギスランにユベールが非難めいて言った。
「叔父上、リリアーヌが挨拶しているのですよ」
(挨拶?ああそうか…一応許婚候補だったな…)
「ギスランだ。我らの花嫁候補殿」
有りえないという思いを胸に抱きながらギスランは淡々と挨拶をした。
そして嫁ぎ先はギスランなのか?ユベールなのか?その判定はつかぬまま数年が過ぎてリリアーヌは十二歳になった。六つ違いのユベールと十一違いのギスランのどちらの花嫁になるのかまだ分からなかったがリリアーヌも昔と違って許婚や花嫁の意味は理解していた。どちらに嫁ぐにしても一級の王族だから子供といっても花嫁修業は大変だった。リリアーヌにとって窮屈な毎日だったが従順で大人しい性格の彼女は文句一つ言わず頑張っていた。それでも唯一の楽しみがお菓子作りだった。普通の家庭のように料理する必要は全く無い。しかし侍女の菓子作りの失敗談を聞いているうちに興味を覚えて内緒で厨房を見学したところその不思議な魅力にすっかり虜になって習い始めたのだった。お菓子作りぐらいならとリリアーヌに甘い両親は許したのだ。
リリアーヌはその菓子に夢中だった。甘い夢のような香りに宝石のようなものなど、色々な形のお菓子を作るのはとても楽しかった。粉にまみれて作るその姿を他の貴人達が見たら下々のようだと呆れて嗤うだろう。高貴な令嬢の趣味としては変わっていた。
もともと引っ込み思案のリリアーヌだが王子の許婚候補として様々な会に呼ばれる事が多かった。実際にその場に王子達が現れなくてもだ。貴族達のご機嫌とりだろうがリリアーヌは内心嫌でたまらなかった。そんな時間があるなら読書をするかお菓子でも焼いていたほうが良かった。それに許婚候補といってもまだ子供で出席する場所も限られ、王子達とは年に数度会うぐらいで殆ど会う事は無い。ユベールは昼間の会にも結構顔を見せるがギスランは皆無に等しかったのだ。
成長した王子達は太陽も霞むかのような美貌のユベールと、ますます男らしく迫力が増し近寄りがたくなったギスランは妙齢の令嬢達の人気を二部しているようだった。
だからその二人の花嫁候補であるリリアーヌを羨む者から受ける嫌がらせも数多かった。誰がしているかも分からない陰湿なものもあったが、リリアーヌは騒ぐのは嫌だったので大人しく耐えていた。
そんなある日の会は久し振りにとても楽しみに出席をした。隣国から招待したという帝国一の菓子職人が手がけた菓子が用意されると聞いたからだった。
会場には前評判通りのお菓子が並んでいた。食べるのが勿体無いような綺麗な形のものや、色鮮やかなものに、お菓子で出来た大きな家等など、まるでお菓子の国に来たようだった。
リリアーヌは嬉しくて仕方が無かったが、周りの人達は感嘆したのは最初だけで各々、歓談したり遊戯をしたりと菓子に関心を示していなかった。だから誰にも邪魔されず夢のひと時を過ごせてリリアーヌは大満足だった。
その中で同じくこの菓子の周りから離れない人物がいるのにリリアーヌは気が付いた。そして驚いた。ギスラン王子だったからだ。ギスランを見るのは本当に久し振りだった。母方のオベール公爵領を継ぎ、西の元帥に就任して忙しく殆ど王都にいないと聞いていた。
ギスランはまだリリアーヌに気が付いていないようだった。相変わらず難しい顔をしているがどうも菓子を選んでいるようだった。
(甘く無いものでも選んでいるのかしら?)
リリアーヌは首を傾げた。今や国内でも有数の剣の使い手でもある猛々しい王子と甘い菓子の組み合わせは妙だったのだ。
様子を窺っているとギスランが手を伸ばしてそれを口に運びかけたので、リリアーヌは、あっそれは!と声を上げてしまった。
ギスランの手が止まり、その声の主に視線を向けた。
「お前は?」
リリアーヌは目が合ったので驚いたが自分を覚えていていないのだと思うと少し悲しかった。でも行儀良くお辞儀をした。
「リリアーヌです」
ギスランは内心驚いた。覚えているのは小さな生き物のようだったリリアーヌだったが今は随分大きくなっていたからだ。子供は成長が早いというが実際近くに同じぐらいの子供がいないので感覚が分からなかった。それでもまだまだ幼いのだがもう数年すれば立派な貴婦人だろう。
そう思っているうちにリリアーヌが直ぐ側まで来ていた。
「あの・・・差し出がましいと思うのですが・・・その菓子はこちらのソースをかけていただいた方が美味しいと思いましたので・・・」
ギスランは彼女が指し示すそれを見た。色とりどりの果物を使ったソースがあり、確かにそれをかけた方が美味しそうだった。ギスランは手に掴んでいた菓子を皿の上へ置くと、給仕を探すように周りに視線を廻らしたが見当たらない。
(だいたい自分達が勝手に取って食べるのが最近流行っているようだがこんな物がある場合は給仕がいるべきだ!)
と、ギスランは腹立たしく思っていると、その菓子がのった皿をリリアーヌが持ち上げた。
「あの…よろしかったら私がさせて頂きますが王子のお好みはございますか?」
「――私の呼称が違う。今はオベール公爵だ。以後そのように呼ぶように」
ギスランの怒ってはいないようだがそれでも低い声にリリアーヌはビクリとした。その怯えた様子をギスランは、チラリと見た。
「――私は甘いのが好みだ…」
「あっ、は、はい。ではこのソースとクリームもつけると甘くなって美味しいと思います。それと、向こうにあった砂糖づけの果物を添えるとですね――」
夢中に菓子の飾りつけをしていたリリアーヌは、はっと我に返った。ギスランに聞かずに自分勝手にしていたからだ。
「も、申し訳ございません・・・勝手に・・・」
「どうした?美味しそうだが何か問題があるのか?」
うつむいていたリリアーヌはその言葉に顔を上げて、ぱぁ~っと微笑んだ。
ギスランはその可愛らしい微笑に一瞬見入ってしまった。リリアーヌがくるくるテーブルを行ったり来たりして、嬉しそうに菓子を飾っている姿が可愛らしいと思っていたところに、この笑顔だったから自分でも少し落ち着かない気持ちになってしまった。
結局ギスランは彼女に菓子の選択は任せて自分は席についた。リリアーヌはギスランが以外な甘党でそれも激甘らしいというのが分かったのでそれらしいものを選んで運んだ。それを目の前に並べるとギスランのその難しそうな顔が少し緩んだような感じだった。その選択で大丈夫だろうか?とリリアーヌはドキドキしながら側に立っていると、ギスランがふとこちらを見た。
「何をしている?早く座ったらどうだ」
リリアーヌは思わず周りを見回した。壁際で目立たない場所で誰もこちらに注意を払っている様子は無かった。でも気楽な会とはいっても王族と席を一緒にする者はいないだろう。しかしその王族が座れと言うのだから座るしかなかった。
もともと狭いテーブルを挟んで座ったリリアーヌは緊張してしまった。ギスランは何食わぬ顔をして菓子を食べているが時折、その口元が満足そうな笑みを浮かべていた。
リリアーヌはそれを見逃さなかった。昔から大きくて恐い印象のギスランがちょっと可愛く見えた。そしてリリアーヌも自分の分を一口食べた。ふわぁ~と広がる口当たりと、とろけるように甘い菓子は絶品だった。
「おいしい…」
思わず声が出たが、それにギスランが反応した。
「どれが?」
「えっ?これです」
ギスランは自分の皿の中にそれがあるのを見つけると早速食べていた。
「これはうまい。流石に国が違うと意外なものがあるな」
「そうですね!私もそう思いました!」
ギスランは驚いた。さっきまでオドオドと話していたものが瞳を輝かせて元気良く答えたからだ。年相応の感じだ。リリアーヌの立場だと幼い頃から自分達の花嫁候補に指名されていたから当然ながら厳しく躾されただろうから子供らしく無いのだ。見掛けは子供なのに話し方や立ち振る舞いはもう立派な大人だった。だから一瞬、出た子供らしい様子がギスランは好ましく思った。
(菓子が好きなのだろうか?)
そう思って、色々質問すると嬉しそうに答えている。それもかなり詳しい。ギスランは今まで気にも留めていなかったこの少女に興味を抱き始めた。
リリアーヌは追加の菓子を取りに席を立った。最初は緊張していたが話しが好きな菓子のことばかりで会話が楽しくいつの間にか寛げていた。楽しい気分のまま次の菓子を選んでいると、時々嫌がらせをする令嬢達から囲まれてしまった。いずれも名家で自分達こそが王族の花嫁に相応しいと思っている令嬢達だった。年齢はリリアーヌより上だからいつも彼女の事を馬鹿にしていた。
「あら?小さかったから見えなかったわ。今日はお父様とご一緒じゃないのね?」
父親がいないと確認したから嫌がらせをしに来たのだろう。いつもそうだった。
「まあ、大変!子供は親が同伴じゃないと来ては駄目なのよ。困った子ね」
クスクスと皆で嗤った。同伴は十歳未満の者だけなのにわざとそう言うのだ。リリアーヌも始めは嫌われる理由が分からなかったので一生懸命対応して答えていたが、最近では無視するのが一番だという事に気が付いたのだ。だから今日も黙って言われるままにしていた。
「あらあら無視かしら?あなたは嬉しいでしょう?子供はお菓子が好きよね」
「本当!そんなに沢山とって好きなのね」
「まあ―皆さんリリアーヌ様は子供ですから許して差し上げて」
「そう言えばあなたお菓子を作るそうね?」
リリアーヌはドキリとした。
「ええっ―そうですの?ご自分で作って食べますの?まあ嫌だ」
「なぜ嫌なのですか?」
リリアーヌはこの趣味は馬鹿にされたく無かったので言い返してしまった。令嬢達はお互いに顔を見合わせて意地悪く嗤っていた。
「何故ですって?自分で食べるものを自ら作るなんて人を雇えない家がするものよ。あなたの家には料理人がいないのかしら?と思ったのよ」
リリアーヌは家を馬鹿にされて悔しくて青くなった。確かにミレー家は王族の結婚相手に選ばれるぐらいの高貴な血筋だが財産的には一般的な貴族と変わらなかった。今、取り囲んでいる意地悪な令嬢達の家の方が遥かに裕福だろう。当然父親達の宮殿での力も強い。だから彼女達はリリアーヌが花嫁候補だというのが気に入らないのだ。
「そんな家ならいつ高貴なお方の許婚候補から外されるとも限らないわよ。ねえ皆さん。そう思われません?」
同意しながら皆で嗤っていた。
リリアーヌはうつむいて耐えたが持っていた菓子をのせた皿が震えていた。その皿を後ろから誰かが取り上げた。リリアーヌは、はっとして顔を上げたが、周りの令嬢達の顔が驚きの表情で自分の後ろを見ていた。リリアーヌもその後ろを振り返って見た。
皿を持って立っているのはギスランだった!