〈アワ〉視点(糸の塊)
部屋に帰り着くと、〈ナルゴ〉が悩みだした。
丸い物を取ると、隙間が無くなってしまうのを、どう解決するか考えているようだ。
〈ナルゴ〉は、あまり頭が良くないみたい。
「あのう、代わりに石を置いたらどうですか」
「おぉ、〈アワ〉は賢いな」
「たいしたことじゃないです」
ここには、石しか無いので当たり前だ。
褒められるような事じゃないけど、他人に褒められたのは、いつ以来だろう。
思い出せないくらい、昔のように思う。
悪い気はしないな。
石を代わりにしても、問題が無いことが分かったので、もう一度《命の泉》に行った。
「少し離れていてもらえませんか。お願いします」
早く、《命の泉》の水を浴びたい。
久ぶりにワクワクする。
でも、〈ナルゴ〉の前で裸になるわけにはいかない。
〈ナルゴ〉は男で、私はハレンチな女じゃない。
裸を見せるのは、好きになった人だけと決めている。
今はむなしいけど、決めたことは守りたい。
常識でもある。
病んでいる私の裸なんか、見たく無いと思うけど、〈ナルゴ〉は邪魔だ。
「そう。分かったよ」
〈ナルゴ〉は、何の迷いも無く、素直に離れていってくれた。
ありがたい。
私の裸には、興味が無いのだろう。
丸い物に《命の泉》の水をくんで、身体にかける。
皮膚から、命の水がしみ込んでいくみたいだ。
私の身体が、癒されていくように錯覚する。
清らかな水は、すごいな。
気分まで、洗ってくれる。
心も、落ち着いていく。
服を濡らして、身体を拭いた。
何日振りだろう。
いいえ、何日では無いわ。
何月だわ。
気持ちが良い。
身体に付いていた、汚いものが落ちていくのが分かる。
これからは、いつでも身体を拭けるのが、とっても嬉しい。
少し前までは、思いもしなかった贅沢だ。
この《命の泉》のほとりで、死ねたら本望だわ。
道の上で死ぬより、百倍良い。
ここには、静寂と清らかさがあるもの。
私をさらった〈ナルゴ〉に感謝だよ。
ひと通り拭けたから、今日はこれで終わりにしよう。
いつでも来れるし、弱っている身体に無理させるのも良くない。
手拭き代わりに、使っていた服を両手で絞ると、マズイことが分かった。
服が、もう服じゃ無くなってしまった。
限界だった服が、濡れたことによって、限界を超えたみたい。
繊維がボロボロになって、絡まって、ただ糸の塊になってしまった。
困ったわ。
下着もボロボロだし、これじゃ、色々見えてしまう。
どうしよう。
「〈アワ〉、大変だ。骨があったよ。人が死んでるよ」
「キャー、こっちを見ないで」
コイツは何よ。
いきなり近づいて、バカなの。
離れたところから、声をかける頭が無いの。
「ああ、そうだったな。ごめん。後ろを向いているよ」
私は、好きになった人にしか見せないの。
もっと、気を使いなさいよ。
それにしても、ここに人骨か。
こんなところに。
本当かな。
「人骨が、あったのですか」
「そうなんだ」
「少し待ってください。服をちゃんと着ますから」
こんな糸の塊では、どうしようも無い。
自分で言っておいて何だけど、ちゃんと着れるわけが無い。
「ふー、どうしようもないです」
ため息と愚痴が出てしまう。
これが限界だわ。しょうがない。
「もう、こっちを見ても良いですけど、あまり見ないでください」
胸は何とか隠したけど、代わりに下半身が隠しきれなかった。
足はもうあきらめるとして、お尻が隠れていると良いのだけど。
〈ナルゴ〉を見ると、こっちを見てはいない。
それは、良いのだけど。
目を背けるような態度が、気にいらないな。
私の病気の身体を、汚いと思っているんだわ。
しょうがないけど、ムッとする。
「こっちだ。案内するよ。歩ける」
「水を飲んで、ましになりました。何とか歩けます」
私は、何とか歩けるようになった。
やっぱり、水はすごい。
こんな服の状態で、〈ナルゴ〉に負ぶってもらうのも嫌だ。
頑張って歩こう。
しばらく歩くと、緑の物が見えた。
教わったことがあるコケだ。
やった、食べ物だ。
「あっ、苦汁苔と酢汁苔がありますね。これ食べられますよ」
「本当」
「苦いのと酸っぱくて、美味しくはないですが、我慢すれば食べられます。
緊急時の食料と学んだことがあります」
「そうなんだ。これで少しだけ寿命が延びたな」
「少しだけですね」
〈ナルゴ〉の言う意味は、私も分かる。
少し生き延びたとしてどうなるの、と言いたいのだろう。
でも、出来る限りあがき続けるしか無いんだよ。
あなたも、死ぬのが怖いはず。
「人骨は、そこの窪みにあるんだ」
私は、〈ナルゴ〉が指し示した窪みを覗き込んだ。
「本当に人骨みたいですね。窪みから引き出してあげましょう」
本当にあった。
この人は、なぜこんなところで死んだんだろう。
こんな岩しかないところで。
この人を、このままにしては置けない。
霊魂が、現世に彷徨ってしまう。
「えっ、引き出すの」
〈ナルゴ〉が嫌がっている。
なぜ。奴隷なら人が死ぬことに、慣れているはず。
骨が怖いの。
骨を忌避する宗教があるのかしら。
「野ざらしは可哀そうです。埋葬してあげたいです」
私が説得すると、〈ナルゴ〉は渋々ながら、骨をスコップで引っ張り出した。
骨を忌避する宗教を、信仰しているわけじゃ無いみたい。
単に骨が怖いの。
不思議な人だ。
〈ナルゴ〉が、埋葬のための穴を掘っているうちに、私は祝詞をあげてあげよう。
見習い巫女の祝詞でも、無いよりは百倍ましのはずだ。
この人のために、心を込めて唱えよう。
この人が安らかに眠り、霊魂が清められ、聖なる高みに昇って行けるように。
「今唱えていたのは、何なの」
「死者を送る祝詞です。私は見習い巫女だったのですよ」
〈ナルゴ〉に聞かれて答えた「だった」が切ない。
もう、私は見習い巫女じゃないんだ。
仲間の元へは、帰れないんだ。
固い石に当たって、〈ナルゴ〉は浅い穴しか掘れなかったようだ。
でも、もう骨になっているのから十分だ。
骨を埋めてあげて、見えなくするのが重要なんだよ。
埋葬した人の前に立って、〈ナルゴ〉と2人で昇天を願った。
埋葬を終えて、私はこの人の上着を使うことにした。
私には大き過ぎるけど、今着ているのは、もう服じゃない。
「〈アワ〉、服とかはぎ取っても良いのかな」
「はぎ取ってはいません。有効に使わさせて頂いているのです。全然違います」
〈ナルゴ〉が変なことを聞いてくる。
「はぎ取る」のは、強盗や盗賊団のすることだ。
亡くなった人から譲り受けるのとは、全く違う。
〈ナルゴ〉の考えは、良く分からない。
〈ナルゴ〉はどこの国に生まれて、どんな育ち方をしたのだろう。
私とは、全く違う気がする。
「たたられたりしない」
もっと、訳が分からないことを聞いてきた。
たたられるのは、非道なことをした時だけだよ。
見ず知らずの人を、埋葬してあげたのに、やっぱりバカなの。
「しません。私達、ちゃんと埋葬してあげました。感謝されているはずです」
この人の着ていたズボンも、使わせて頂くことにした。
私は上着を使うから、ズボンは〈ナルゴ〉が使えば良い。
シャツと下着は、残念ながら、ボロボロで形がもう無かった。
それから、剣、針、コップも使わせて頂く。
全部錆びているけど、錆びを落とせば使えるだろう。
絶対あるはずと、探していた火打石も見つけることが出来た。
泉も見つけたし、服や剣とかも手に入った。
地獄で神と言うけれど、本当にあることなのね。
神様に、感謝の祝詞を捧げなくちゃいけないわ。
〈ナルゴ〉は、奴隷から抜け出して、あの部屋を見つけた。
泉も見つけたのも彼だし、コケや服や剣とかも、見つけたのも彼だ。
〈ナルゴ〉は、今、運のめぐりが良いのかも知れない。
しばらくは、〈ナルゴ〉の尻馬に乗るのも、ありかも知れないな。
もう一度、埋葬した人を祈って、あの部屋に帰った。
歩けないことは無いけど、〈ナルゴ〉に負ぶってもらった。
厚手で大きな上着を着ているから、恥かしさはあまり無い。
丈も長過ぎるのが幸いして、私の膝近くまでを隠してくれている。
〈ナルゴ〉は、埋葬した人の荷物を取りに行って、コケもスコップで採集しに行っている。
私はその間に、錆びを落とす砥石になる石を探しておこう。
硬くて粒子が細かい石が、良いと思う。
中々良い石を見つけた時に、〈ナルゴ〉が帰ってきた。
スコップは、こんもりと緑色だ。
あまり美味しそうには、見えないな。
コケは。
〈ナルゴ〉が、パンを一切れと、肉を千切って渡してくれた。
良く噛んで食べた。
これも、もう無くなるのね。
次はコケか。
私は「ごちそうさま」と礼を言った。
「どういたしまして。疲れたから、俺はもう寝るよ」
と〈ナルゴ〉はもう寝るようだ。
〈ナルゴ〉は、夜だと思っているようだ。
私も、何となくそう思う。
私も疲れているから、もう寝よう。
〈ナルゴ〉から離れるのは、当然だ。
まだ、信用は出来ない。
相手は若い男だ。
二人切りでいるのは、オオカミといるのと同じだ。
襲ってきたオオカミを、どうにか出来るかは疑問だけど。
今日は、泉の水を飲めたし、身体を拭けたから、気分良く寝られる。
唯一の汚点は、〈ナルゴ〉に半分裸を見られたことかな。
ああ、眠い。