12 『欲しいものは一つ』
カチャッと、ドアノブが捻られる音が響く。
扉が開かれ、中に入ってくるのは国の王――ルカ・モイ。
彼に対して、敬意を示すように軽く頭を下げる者が二人――本棚の前で書物の一つに目を通していた半人半竜と、長机に座る王の弟――カルシーゴ・モイ。
再び顔を上げるカルシーゴに対して、ルカが尋ねる。
「言伝は届いたな?」
「はい。朝日が顔を覗かせる前に伝えました」
それだけの簡単な受け答えを交わし、ルカは、長机に置かれた六つの椅子で唯一光沢を放っている一つの椅子に腰を下ろす。
ここは、『柱』と呼ばれる山の高いところに位置し、書物の匂いを漂わせる会議室の中。
「カリョナ、何か見えて来たものは」
コップにブドウ酒を注ぎ込みながら、ルカは半人半竜にそう尋ねる。
「……信じがたい内容であるとは思いますが、一つの可能性には辿り着きました。それは、深層に生息する『侵食者』が中層に上がり、美速の竜を襲った可能性です」
その半人半竜の言葉を聞いて、ルカは黙ったまま彼を見続け、カルシーゴは鼻で笑った。
「一晩考えた結果がそれですか」
カルシーゴは嘲るように軽く笑いながらそう言い、続ける。
「理に叶わないですね。第一に、『侵食者』が深層から中層に上がることは稀です。その上に、稀に中層に上がる『侵食者』は大抵が弱体化されたものだと聞いております。あの偉大な美速の竜が『侵食者』に、更には弱体化された『侵食者』にやられると思いですか?」
カルシーゴは妙な微笑みをその顔に張り付けながら半人半竜にそう返した。
「すみません。しかし、美速の竜がやられるという到底起こりがたいこの出来事の原因として、最も有力な仮説でこれしか考えられませんでした」
「美速の竜が何らかの理由で深層に潜り、そこで大量の『侵食者』に囲まれてやられた可能性は?」
ルカがそう尋ねた。
「美速の竜が自殺の意思を抱かなかった限り、それは有り得ないと考えます」
数秒間、考え込むように会議室はしばらく静まり返った。
そして、その沈黙を破ったのはルカ。
「『侵食者』についてもう一度聞かせてもらいたい」
「はい」
半人半竜は目を閉じ、書物も何も見らずに、言葉を紡ぐ。
「『侵食者』は深層に生息する人型のモンスター。
サイズにして、人類の中で彼らより背の高い者はいない。
彼らは、ダンジョンに生息するモンスターを強化させるために生きていると観察されている…………」
――半人半竜の説明は、まだまだ続いた。
◇ ◇ ◇
「お前……なかなかやるじゃねぇか」
茶色い髭を生やした大男――ガートがそう言った。
称賛された二クロは臆病心の故、特に反応することもなく、剣を地面に向かって強く降って付着していた血を拭い、モンスターを背に抱えた籠に入れる作業に取り掛かる。
「遊び道具にする予定だったが、なかなか助かる野郎だな。まぁ、いなくても何も変わらんがな。がっはっは!」
二クロ一同がダンジョンに入り、一時間は経っただろうか。
背に抱えた大きな籠に殺めたモンスターを入れ、すぐに一杯になったら近くにある昇降機に収納する、という作業を繰り返している。
ゲートを通った後、高さ二十メートル程はある螺旋階段を下った。
そこでやっと、ダンジョンの浅層と呼ばれる領域に入ったと言う。
その螺旋階段を降りたところに、昇降機がある。
昇降機に皆の殺めたモンスターを集め、一杯になると、上へと昇ってダンジョンの外へと運ばれる流れだ。
現在は、一度昇降機に戻った後のことで、再び浅層の奥の方でモンスターの狩りを進めているところである。
「――――」
同行している戦士が多くて、二クロがモンスターと対峙する機会は生憎と多いいとは言えないが、不思議と懐かしい感覚に陥っていた。
森でモンスターと戦っていた日々の感覚が蘇ってくるのだ。
しかし同時に、個人と複数人とでモンスターと戦う経験は全く違うものだとも感じられた。
一体の竜の手助けの下だと尚更感覚が違う。
竜は強力な戦闘能力でモンスターをものともせず、更には周囲の状況を把握できる、頼もしい以上の戦士と言えるだろう。
そんな、一人で戦うのとは全く違った環境に二クロは、なんとなくだが男たちが煩わしくも思えてしまった。
しかし、今は、モンスターや環境のことはどうでもいい。
「強いのはいいが、お前、さっきから何か考えっぱなしだろ」
ガートが訝し気な表情で二クロに聞いた。
が、二クロは再び、何を返せばいいか分からなくて黙ったままでいた。
その反応を見て、ガートはフンッと鼻で笑って再び正面を向き直った。
――それから数分後。
一同は、最初に下ってきた螺旋階段とは別の所にある、更に下へと続く螺旋階段に突き当たった。
「よーし、ここで折り返しだ」
正面を歩いていたガートがそう指示し、一同はその螺旋階段を降りることはしない模様である。
竜を含め、男たちが皆振り返り、来た道を戻ろうとする。
「……何故折り返すんだ?」
が、二クロは正面を向いたままでいた。
「寡黙な奴かと思いきや、急に王の命令に背けること言ってきたぞこの野郎」
その言葉に、男たちは軽く笑った。
「王の命令に背けることって、どういうことだ?」
「どういうことも何もそういうことだ」
そう言って、この場をささっと片付けようとするように、ガートは再び歩き出した。
しかし、二クロは立ち止まったままで、とあることに気付いていた。
王の命令に背けること。
それはつまり、
「この下は中層に繋がるのか」
独り言のような言葉で、しかしガートと皆に語り掛けるような視線。
再び男たちが立ち止まり、二クロの方を見るガートの表情は真摯なものに変わっていた。
「……歩け、小僧」
「すまない……皆とはここで縁を切らせてもらう」
そう言う二クロは強気な雰囲気を醸し出せていたが、実のところ、心臓はバクバクと音を立てていた。
ガートたちに背を向け、螺旋階段に向かう二クロ。
しかしそこで、彼の肩が力強くガシッと掴まれ、横に投げ倒される。
常人なら容易に地面に倒れ伏してしまう勢いで投げられたが、二クロは秀でた身体能力を用いて足を地面に付ける。
「王の命令に一翼団が反したらどうなるか分からないらしいな、小僧」
「――――」
「特にお前みたいな無価値なガキなら好都合と言わんばかりに首を刎ねられるぞ」
二クロは焦燥に息を荒げていた。
それでも、できる限りの虚勢を張る。
「……中層に行ったら、どうなるんだ?」
「は?」
今言っただろ、と主張するように呆れた息を吐くガート。
「中層に行ったら首が無くなる。俺らも道連れで罰を受ける」
「ここに監視の目があるようには見えないが?」
「……小僧。そんな甘い考えでは命が危ない。いいか、ここで引き返すんだ。そうすれば引き続き無難な生活を送ることができる」
「……無難に生きる?」
二クロの抱いていた焦燥感は不思議と去っていた。
逆に、決意を再確認できたかのように、心が落ち着いた気分になった。
「そうだな――オレが無難に生きるには、ラオを救う必要がある」
その発言は、人の常識を外れているようでもあっただろう。
一つの目的――更には自分にとってそれほど大切だとも言い難い目的の為にどんなリスクをも厭わないそんな発言が、ガートたちからすれば非道に映ったに違いない。
「小僧。俺の忠告は覚えている筈だ」
ガートがそう言いながら、剣を鞘から引き抜いて二クロへ近づく。
二クロに向けられるガートの視線は暗い。
殺意が宿っていた。
ガートは確かに、邪魔になればお前も竜の餌とみなすと言っていただろうか。
二クロはガートと対峙することはせず、横――中層に続く螺旋階段へと発走した。
「――おい!」
ガートの重たく大きい声が二クロを呼び止めるが、彼は止まらない。
螺旋階段を下っていく二クロを、ガートは追うことができないでいた。
中層に入るのは、王の命令に反することだからだ。
「――――」
少年が下へ離れていく間、背後では竜のヤローが数体の蜘蛛型のモンスターと戦っていた。
他に三人いる男たちの内二人がそれに応戦しており、もう一人は狩りを任せた状態で、ガートと二クロとの間で起きた事の流れを間近で見ていた。
その彼と、ガートの視線が合致すると、
「……ゴミクズは勝手に死んでくれるだろ。美速の竜と同じように」
ガートがそう言い、応戦に入ろうと歩み出す。
「放っておいていいのか?」
しかし、二クロが中層に下るのを見届けた男がそう返し、行動を遮る。
「どうした」
「あいつは、テントで姫様のために美速の竜を救いたいと言っていた。姫様と何か縁があると思わないか?」
「…………」
ガートは何かを考え込むように、辺りに視線をキョロキョロさせた後、言葉を紡いだ。
「俺らは奴を見たことがない。見た目からしても心配するほど身分が高い筈がねえだろ」
「そうかもしれない。だが、その通りでもなかったららどうする」
「…………」
「姫様を助けようとした者が死んだ原因が、俺たちに擦り付けられる」
「あの小僧を連れ戻せってか? それで死んだらどうするよ」
「お前ならまだ間に合う。今の内なら、奴を探さずに連れ戻せられる筈だ。連れ戻さずに帰るのは……増しては邪魔だからと言って殺すのは些かリスクが高すぎる。小僧を無事に国に帰すのが、俺たちにとっても安全だ」
ガートは少しの間考え込む。
丁度その頃、竜のヤローと男二人は数体の蜘蛛のモンスターを片付けられたらしい。
自然と、皆の視線がガートに集まる。
ガートは、下に向けていた視線を上げると、
「お前たちは引き続き狩りをしてろ。小僧を連れ戻してくる」
そう言って、螺旋階段を下って行った。