婚約者より幼馴染を優先するタイプのクズ
乳児の時から一緒の幼馴染が「今日も婚約者にどやされた」と愚痴をこぼしてきた。
「逢瀬の時間短いじゃないとかどうせ浮気してるんでしょとかさー、もー考え過ぎだってあの子…何故か遊んでるように見られるけど俺って結構忙しいし、何なら昨日先輩に付き合わされてあんまり寝てないし…」
あの先輩良い人なんだろうけど熱いんだよなあ、こっちにもそれ要求してくるし、などとグダグダと続けながら、幼馴染はため息を吐いて読書中のこちらの背にもたれかかってきた。
「はー、何ならあの子のご機嫌取りよりお前と遊ぶ時間の方が欲しいわ。最近お前ぜんっぜん外出てねえだろ。健康ってのはなくなって初めて有り難みに気づくんだぞ」
ぺたぺたと腹の辺りを触ってくるので、やめろと殴る。いってえ、と直撃した顎を押さえて幼馴染は「うわーん、お前まで俺に冷たくするのかよお」と手で顔を覆って泣き真似を始めた。
「うるさい…そんなに優しくされたいの?」
「だって、お前は俺の一番の理解者じゃねえか。突き放されたらそりゃ辛いぜ!」
なるべく軽く、それならその子とは婚約破棄して一緒になる?と提案すると、きょとんとした後、ハッハッハ、それもいいかもな!と笑い出した。
冗談だと思わせるように仕向けたのはこちらだが、何となくもやっとする。
「あー、そろそろ日付変わるな。じゃあ俺は自分の部屋に戻るわ。またなルー。たまには散歩でもしろよ」
そうこうしているうちに、幼馴染は速やかに退室していった。同じ寮内で、隣の部屋なのだし、もう少しいても大丈夫なのではないか。こちらとしては全く構わないが、あの様子ではきっと眠いのだろう。
…今日も「そんな子やめなよ。つり合ってない」とは言えなかった。
「何かおかしいと思ったら俺先輩に狙われてた…」
夜中訪れた幼馴染は青い顔をして訴えてくる。
曰く、やけに先輩からのスキンシップが激しいから別の先輩に相談したら、「あいつ男もいけるから気を付けろよ。もし訓練後に水浴びに誘われたら絶対に断れ」と忠告されたその翌日、その通りに誘われたらしい。
何てことのないように「汗かいたな、水浴びでもするか!」とごく普通に声をかけられたため、初見だったらのこのこついていって死んでいた、と幼馴染は頭を抱える。
「あっぶねえ、寿命縮むわ…つーか婚約者いるって知ってんのにどういう了見なんだよ…」
「それくらい好きなんじゃ?」と伝えると、「そういうのに偏見はねえが、俺ノーマルだぞ」とぶるりと震えた。やはり幼馴染にその気はないらしい。
先輩とやらは許せないが、婚約者がいても関係なしに突っ走るその気概は、羨むものがある。
「もうすぐ遠征だってのに、その先輩と同じ班だしよ…俺が生きて帰ることを祈っててくれ」
「そういえばもうそんな時期か」ととぼけると、「お前、俺がいない間に不摂生で死ぬなよ」と注意してきた。言われずとも幼馴染がいない場所で死ぬ気はない。
くだらない話をいくつかした後、じゃあ俺はいくわ、とすっくと立ち上がったその背中に思わず、遠征気を付けて、と声をかけると、
「お前みたいな放っておけない幼馴染置いて死んだりしねえよ。安心しろ」
にかっと擬音がしそうな笑顔を浮かべて肩をポンと叩いてきた。
…こういうことを素でするから襲われかけるんだと思う。
聞いてくれよルー!と久方ぶりの幼馴染がいつものようにドアを破る勢いで入ってきた。
「おかえり。今日は何?」
「ただいま!お土産だよ土産!あの子に何か買ってきてって頼まれたから俺が遠征先で選んだ髪飾り、だせえって言われた!」
「ふーん」
「ふーんじゃねえだろ!」
何の遠慮もなく部屋に上がり込んでくると、いくら何でも命懸けで戦って帰ってきたのにそれは酷いだろ!?とベッドの上に転がって喚く。
センスが致命的だったのでは?と指摘すると、だからって、こんなもんいらねえって突き返すことはねえだろうよ、と今にも泣きそうにこちらにその品を突き出してきた。
…デザインは前衛的としか表現しようがないが、国を守護する騎士の見習いである婚約者が疲労の溜まっている遠征中に自分のためだけに贈り物を探して用意したというのに、いくら気に入らなかったとしてもすげなく返却するなんて、有り得ない。
かの婚約者は上級貴族の令嬢で、一応同じ学園で生活しているが、顔は何度か遠くからしか見たことがない。だが、いかにもわがままそうで、目下の他人を使うことに何の抵抗も持っていなかった。
それだから、自らがどこまで恵まれているのか、考えたこともないのだろう。
腹が立つ。
「…やっぱり、そんな子やめなよ」
「おう?」
「お前とその子じゃ、つり合ってないよ」
言った。
言ってやった。
幼馴染はぽかんとしていたが、やがて「何だよ、お前が心配するなんて珍しいな」と苦笑した。
笑い事じゃない、真剣な話だ、と言い募ると、手をひらひらと振って、
「まあ確かに俺とあの子は価値観が違うし身分もすっげえ離れてるけどさ、団長がまだ見習いなのにわざわざ俺のために取り付けてくれた婚約だ。無下にするわけにもいかんだろうよ」
「…性格が最悪でも?」
良いところもあるだろうさ、俺はまだ見つけられてねえけど、これから発見すりゃいいさと幼馴染は太陽のように笑った。
これだから、いつも誤魔化されてしまうのだ。
幼馴染が苦しむ必要なんて絶対にないのに。
「ルー」
病室で、幼馴染は普段と変わらない笑顔を見せた。
「いやあ、ドジった。でもま、こういうこともあるよな」
学園で起こった傷害事件を止めようとして、利き腕を負傷した。生活に問題はないが、二度と剣を握って戦えはしないみたいだ。
そんな話を、幼馴染は何てことないように淡々と説明した。
事件というのは、例の婚約者の従者が、下級貴族の少年に愚弄され、怒り狂った従者がその少年を痛めつけようと剣を抜いたのを、幼馴染が止めた、という流れらしい。
正気を失っていた従者は幼馴染に斬りかかり、幼馴染はそれを難なく受け止めたが、腰を抜かして成り行きを見守っていた少年を狙われ、身を呈して庇った。
勢いよく振りかざされた剣は腕を貫通した。
怪我人が俺だけで良かった、俺は国一番の騎士になるはずだった男だからな、痛みなんてなんぼのもんよ、とわざとらしく見栄を張る幼馴染に、かける言葉が見当たらず、逃げるように病室を後にする。
その途中、見舞いにきたらしい婚約者と出くわした。犯人である従者はそばにはいない。
「あら、噂の幼馴染さんじゃありませんの」
「…どうも」
「ディルクさん、不運な事故でしたわよねえ。あれじゃもう、騎士にはなれませんわ」
「…お前のせいだろうが」
低く呟くと、「何ですって?」と小首を傾げる。
「お前が、ちゃんと従者を見張っておかないからだろうが」
「まあ!私のせいだと仰るの?言い掛かりはやめてくださいまし。私が仕組んだ茶番だというのならともかく。神童と謳われ王族に目をかけられているあなたでも、侮辱は許しませんわよ」
悠然と微笑む女に、刺すように告げる。
「此度の事件の発端となったあの少年の家は、あなたの家に多額の借金を抱えているそうですね」
「そうですわね。それが何か?」
「あの少年があなたの言いなりになる動機はある。グルの可能性は大いにあるわけだ」
「あらいやだ。証拠はございますの?」
「……」
「滅多なことを口にするものではありませんわよ」
それにしても、と婚約者は不自然なほど上機嫌に語る。
「これで婚約も解消されますわね。騎士になれない彼に価値はありませんもの。うふふ、騎士との繋がりを欲しがっていたお父様もこれで諦めるしかありませんわ」
どうしてそれを、さも嬉しそうに、世間話のように語るのか。
愕然としていると、ではごきげんよう、と婚約者は優雅に礼をして隣を歩き去っていった。
幼馴染はすぐに退院し、日常生活を送れるようになった。だが、もう騎士にはなれない。ということは、この学園に在籍している意味もない。
だらだらと過ごしている中で、退学しよっかな、と口走ったので、じゃあ二人でそうしようと賛同すると、お前はやめちゃ駄目だろと苦笑いを浮かべた。
「将来は城で文官になるんだろ?ここでやめてどうすんだよ。それにお前にだって婚約者がいるじゃねえか」
「別に、なりたくてなるわけじゃないし。職業にこだわらなければいくらでも生活はできる。婚約者だってほとんど会ってないし、破棄してしまえば…」
「駄目だ」
キッパリと否定した。否定、されてしまった。
「お前は国を動かして、俺は国を守る。それが夢だったじゃねえか」
「…お前は夢、叶える気ないくせに」
恨みがましく呟くと、そりゃあ不可抗力ってやつよ、と言い訳をされる。
沈黙の後、椅子の背もたれに体重を預けて天井を見上げ、幼馴染はぽつりとこぼした。
「俺は無理だったけどさ。お前が叶えてくれたら俺は嬉しいんだよ」
咄嗟に口を手で押さえた。
なんという卑怯者。そんなことを言われたら、もう何も言い返せないではないか。
「ルー…ルートヴィヒ。頼むよ」
「…分かったよ。ディルク」
そう答えるしかなかった。
「俺達の夢は、俺が引き継ぐ」
幼馴染は眉を下げて、ありがとな、と申し訳なさそうに礼を述べた。
そんな顔をするなら初めから頼まなければ良いのに。
そんなふうに負い目を感じられると、こちらは付け込む隙ができたと喜ぶだけなのに。
お前が俺に呪いをかけたのだと、勝手に夢を託してきたのだと、俺が今苦しんでいるのは昔のお前のせいだと、将来悪役に仕立て上げ、弾劾する口実が生まれてしまったではないか。
きっとその時幼馴染は、俺が何をしても俺を拒絶しない。
「お前、何笑ってんだよ」
「お前がしょぼくれた顔してるのが珍しくてつい」
「同情のかけらもなしかよ!」
同情なんてしない。むしろ、感謝しかない。あの女も最初は忌々しいだけだったが、ここまでしてくれるとは思っていなかった。なんという僥倖。
微笑むと、照れたのか幼馴染は俺の髪の毛をぐしゃぐしゃにしながら、「これからも仲良くしようぜ相棒」と声をかけてきた。
「ああよろしく、パートナー」