ゆめうつつにたゆたう
ふわふわと
ゆめうつつをたのしんでいたら
子供の頃をおもいだした
何があんなに楽しくて
何があんなに哀しくて
わたしの喜怒哀楽は豊かだったのか
今のわたし
ことばと概念の膜につつまれて
現象を、状態を言葉で可視化するこで
痛みも半減したけれど
喜びも半減しちゃったな
色んなことを知ることで
膜が厚くなっていく
膜のなかは居心地がよくなっていくけれど
外部からの刺激が少なくなっていって
全てが他人事のようだなあ
突き抜けるような喜びを
突き抜けるような痛みをさあ
もう一度味わえたならば
胸が少しだけ苦しいな
最近はもう生きている感覚も薄まって
身体が機能を果たしていない
対人機能も果たしてない
転ぶととても痛いよね
だけれど転ぶと痛いことを知っている
痛みの感覚も知っている
それはそういうものなんだな
って思って
そして、なんにも思わない
人から悪口をいわれると
胸が張り裂けそうになるらしいけど
だけれど口が動いたなって
3メートル先に人間が生きているなって
相手と自分を関係付けなければ
悪口も意味をなさないからさ
それにその悪口も
ただ自分を評価しているだけで
自分がそう在るのだから
自分の状態を教えてくれているだけだから
もうそれは悪口じゃなくて
私にとってのリトマス紙だね
私のなかで脳だけが
精神だけが生き生きと
手は紙をめくること専用に
身体は本との媒介物
文字に対する感受性だけが強まって
感覚だけが強まって
生身の人間は薄まって
言葉は生身の人間が発しているのになあ
今のわたし
とっても生きやすいけれど
動物として大切なことを失っている気がするよ
何が正しいのかな
だけれどわたし知ってるよ
正しいとかそういう類いのものは後付けで
全てはただ存在しているだけってさ
ああ何度でも忘れられたなら
何度でも楽しめるのに
すきに忘れられるのなら
膜をはる必要もないのにな
精神だけになってさあ
ただただたゆたっていたいなあ




