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神様のお仕事~管理職の天使ちゃん~

作者: ジャジャ丸

 天使。

 その言葉を聞いて、人はどんな存在を思い浮かべるだろうか?

 白い翼と光の輪を持つ、慈悲深く美しい女性?

 それとも逆に、感情のない無慈悲で機械的な神の代弁者?

 でも、どちらも違う。

 天使とは、読んで字のごとく天の使い。すなわち、


「ラミエル君、この案件の処理をお願いする」


 神様の使いっ走りだ。


「……これは?」


 長い白髭を蓄え、白い衣服に身を包んだ、いかにも神様ですと言った風貌のお爺ちゃんから手渡された書類に、私は思わず眉を顰める。

 いや、目の前にいるのは数ある世界のうちの一つを管理する、私の上司にして、正真正銘本物の神様なんだから、こんな態度は本当はよくないんだけど、今ばかりは仕方ないと思うんだ。

 書類には、一人の少年のプロフィールが顔写真付きで書いてある。

 見た目は、一言で言うなら美形。彫りの深い精悍な顔つきと、意志の強そうな瞳。そして何より、うちの管轄する世界としては珍しい真っ黒な髪が印象的だ。私が人間だったなら、お近づきになりたいなんて考えたかもしれない。

 けど、見た目はこの際どうでもいい。それより重要なのは、その経歴の欄――『転生者』と書かれたそこにある。


「見ての通り、その子は転生者なんじゃよ」


「はい、それは分かりますが……この、『転生特典』という項目はなんですか?」


 『転生者』のすぐ下に追記された、見慣れない言葉。

 本来、天使が神様の命令に対してあれこれ質問を返すのは失礼にあたるんだけど、そもそも転生者自体、輪廻課の天使達が記憶の浄化漏れをしてしまった結果起こるイレギュラーであって、当然その対処も輪廻課の管轄のはず。それが私に話が回ってきている時点で、面倒な事態になっているのは容易に想像がついてしまう。


「ああそれはの、ほら、最近下界で神様転生とかいうのが流行っておろう?」


「……神様転生……ですか」


 それなりに下界の娯楽にも手を伸ばしてるから、勿論知っている。神様のミスで死んでしまった人間が、お詫びの印に超常の力を付与され、別の世界に生まれ変わるという、下界で人気の物語。

 読み物としてはすごく面白いんだけど……まあ現実には、神様が直接出向いて謝るとか、謝る相手が最高神様でない限りあり得ないし、そもそも神様の力を譲渡された人間なんて、世界のバランスを崩しかねない存在、許されるわけが……


「それでの、他所の部署の神と試しにやってみようという話になってな。うちの世界の魂と一つずつ、ワシ等のミスということで事情を話して交換したんじゃよ。ついでに、神様特典という形で、一つスキルを与えての」


 許されてた!?

 いやいや、ダメでしょう神様!! それ絶対ダメなヤツでしょう!?


「【魔力無限大化】という、まあ、下級天使なら誰でも持ってるスキルならそう影響はないかと思ったんじゃがな……先ほどエネルギー調整課の連中が報告書を持ってきての、結構マズイ状態らしいんじゃ」


 でしょうね!! 私達天使は、神様の配下として下界の管理と調整を担うのが仕事だけど、その時、下界に対して直接力を振るうのは原則禁止されている。なぜかって、それをしたら下界を満たすエネルギーのバランスが崩れるからだ。それを、いくら下級天使のものだからって、大天使すら超える神様の力で与えたりなんてしたらしっちゃかめっちゃかになるに決まってるでしょうが!! このジジイはバカなの!? 死ぬの!?


「それでの、この転生者のスキル、どうにか抹消して欲しいんじゃ」


「どうにかと言われましても……神様のお力で魂に根差したスキルは、私達天使の力では引き剥がせませんが……」


 天使の加護なら、自分達で付けた物だしどうにでもなるけれど、さすがに神様の、それも生まれと同時に付与されたスキルを外すなんて、一天使にはとても出来ることじゃない。


「まあ、本人ごと始末するしかあるまい。死んだ魂からなら、お主達でも剥がせるじゃろう」


 うわぁ……嫌な役目。生きた、それも何も悪いことをしたわけじゃない人間を殺すなんて、気が重いったらないよ全く。

 けどこれを怠れば、私達のいる神界はともかく、下界はエネルギーの偏りでバランスを崩して崩壊しかねない以上、いくら申し訳ないと思ってもやるより他はない。

 ごめんね、転生者君。せめて次の人生は真っ当に平穏に送れるように頼んでみるから許してね。


「分かりました……では、エネルギー調整課に行って『天罰』術式の準備をお願いしてきます」


 これが特に力のない人間相手なら、気候管理課に行って雷の一つでも落として貰えばいいんだけど、相手は下級天使クラスの力を持ったチート人間。普通の雷じゃ防がれて終わりだろうし、ここは私が天使の力を解放して本物の『天罰』を落とす必要がある。

 事後報告だと面倒なことになるけれど、事前に言っておけば天使の力の行使もある程度は許可が下りるはずだし、早めに言っておかないと……


「それなんじゃが、『天罰』の使用は禁止する。もちろん他の天使の力を使うこともじゃ」


「は?」


 気の重い仕事はさっさと終わらせるに限る。そう思い、早速行動するべく立ち上がろうとすると、それを制するようなタイミングで神様から思わぬ制限を課せられる。

 えっ、『天罰』どころか、天使の力の使用禁止? いや、相手は下級天使クラスの力を持った人間でしょ? 天使の力なしでどう始末しろと?


「ほれ、最近随分と下界に力を振るってしまったからの。これ以上やると本格的にバランスが崩れるじゃろ? 何、ちょっと厄介なスキルを持っておるとはいえ、所詮人間の子供よ、いくらでもやりようはあるじゃろう?」


 いやいやいや、このジジイ、自分のミスで厄介事増やしておきながら何を言うか!? もっともそうなこと言ってるけど、いくらでもやりようはあるって言いつつ具体的な案の一つも出せてないじゃん!! どうせあれでしょ、事が大きくなって最高神様に見咎められるのが嫌だからそんなこと言ってるんでしょ!!


「……分かりました、そのように手配しておきます」


 などといくら心の中で思っても、口にも表情にも決して出さないよう努める。

 ヘタレ? 違います、これが組織ってものです。ええ、決して後が怖いとか、天使クビになって下界に落とされたらどうしようとか考えてませんよ?


「そうかそうか、君ならそう言ってくれると思っていた。期待しているぞ」


 にこにこ笑顔で、そう言って私を送り出す神様。

 うん、これは、あれだ。

 殴りたい、この笑顔。






 自分の所属――アーランド管理部門・異常個体対策課のデスクに戻ってきた私は、渡されたプロフィールを眺めながら頭を悩ませていた。

 神様から、転生者をどうにか始末しろと言われたものの、相手は天使クラス。子供だからと言って、楽に倒せるような相手だとは思えない。

 ならどうすれば勝てるかと言っても……正直、ぱっとすぐには思いつかない。


「課長~、次元を割って現れた幻獣の討伐終わりましたー、環境保全課に提出する報告書出来たんで確認お願いします……って、どうしたんですか? なんだか100歳くらい老け込んだ顔してますよ?」


「ヘエルちゃん、私をババア扱いするとはいい度胸ね」


「あははは、冗談ですって、やだなーもー」


 ノックの一つもなく、入ってくるなり失礼なことをのたまう部下をジトっと睨みつけるも、すぐに笑って誤魔化され溜息を吐く。

 上下関係をまるっと無視する振る舞いには毎度頭が痛くなるけれど、これでも持ち前の明るさでもって嫌な仕事もキッチリこなしてくれる貴重な人材なのは確かだ。

 特に今回のような無理難題では、彼女の力が絶対に必要になる。私は上司なんだから命令すればそれでやってくれるだろうけど、モチベーションのことを思えばここであまり機嫌を損ねるのは得策じゃない。


「新しい仕事よ。神様直々のね」


「うわぁ、すごい面倒くさそうな匂いがプンプンしますね。私帰ってもいいですか?」


「ダメに決まってるでしょ」


「ですよねー」


 訂正。やっぱりこの子も面倒事は嫌いだったわ。まあ、面倒事を好んでやりたがる子なんていないだろうし、ようは結果としてやってくれればそれでいいんだけど。


「それで、どんな仕事なんですか?」


「ああ、それはね……」


 ひとまず、ヘエルちゃんにも転生者のプロフィールを見せ、それを始末しなければならなくなった旨を伝える。

 すると、説明が進むにつれてヘエルちゃんの表情は渋い物へと変わり、天使の力が使用不可なことを教えた頃にはもう苦虫を嚙み潰したように歪みまくっていた。


「……天使の力なしで、どうやって始末するんですか?」


「……何か良い案ない?」


「いやぁ……ちょっと無理じゃないかなぁって……」


「……まあ、そうなるわね」


 質問に質問で返しながら2人で顔を見合わせた後、どちらからともなくがっくりと肩を落とす。

 こんな風に、この部署にはいつもいつも神様から厄介事ばかり押し付けられているから、同期の間では『厄介事処理課』なんて不名誉極まりないあだ名を付けられるんだけど、だからと言ってただの中間管理職である私に何が出来るわけもなく。結局は、押し付けられた仕事をどうにかこなしていくしかない。


「ひとまず、現実的に実行できそうなことを順番にやっていくしかないわね。ヘエルちゃん、頼める?」


「やっぱり私ですかぁ……まあ、やるしかないんですよね?」


「残念ながらね。とりあえず、天使の力以外なら手段は問いません。ただし、作戦内容とその結果についてはちゃんと報告書を提出すること。いいわね?」


「は~い」


 なんとも頼りない、間延びした返事を返す部下だけれど、そのいつも通りの姿に逆に安心感も覚える。

 これで上手く行けばよし、行かなくても、試行錯誤をするうちに何かしらの対策くらいは思いつくはずだ。


「それでは課長、行ってまいります」


「ええ、行ってらっしゃい」


 最後に一礼して、部屋を後にするヘエルちゃんを見送った後、私は一人残された部屋でこっそりと溜息を吐く。

 どう転ぶにしても、まずはあっちこっちの部署に頭を下げて回らなきゃならないんだろうなぁ……

 今回の一件で下界に向かうヘエルちゃんのサポートのために、同じく下界管理を担う他の課との調整の手間を思い、私は気分が沈み込んでいくのを抑えられなかった。








「あぁぁ……もうダメだ、お終いだ……」


 地獄の底から響く呪詛のような唸り声を上げながら、私は頭を抱えて机の上に突っ伏した。

 今いる場所は普段仕事をするデスクではなく、天使達専用の休憩室だ。気分を変えるために来てみたものの、やはり仕事のことが頭から離れず、鬱々とした気分のまま悩み続けるハメになってしまった。これじゃあ、なんのために休憩室に来たのか分からない。


「ハロー、ラミちゃん。どうしたの辛気臭い顔して」


「……ミカぁ」


 顔を上げてみれば、そこにいたのは私の同期である大天使、ミカエルだった。

 一歩近づいてくる度に揺れ動く双丘が大変妬ましい彼女は、私の怨嗟の視線にも怯むことなく、笑顔を浮かべたまま私の対面に腰を下ろす。


「……どうもこうも、またあのクソジジイが無理難題を……」


 しばらくじとーっとした視線を送ってみたものの、笑顔を崩さず「話してみ?」と言わんばかりに見つめ返してくるミカに折れて、私は盛大に愚痴を零し始めた。こんなところ、神様に見られたら大目玉だろうなぁ……


「ラミちゃんのところはいつも大変そうだけど、今回は取り立てて大変そうね」


「そうなのよ! これ見てよ……」


 そう言って私が取り出したのは、ヘエルちゃんが行った転生者に対する工作とその結果のレポートだ。神様から貰ったプロフィールも添付してあるから、察しのいいミカならどういう仕事をしているか、説明しなくても理解してくれるはず。


「えーっと、何々……? 転生者の始末? うわ、毒殺なんてしようとしたの? えげつないわね」


 私からの指示を受けてまずヘエルちゃんが行ったことは、転移魔法を使った、転生者の毒殺だ。

 いくら【魔力無限大化】があろうと、体はただの人間。普段の食べ物を食べる際に、こっそり無味無臭でいて強力極まりない神界の毒を仕込まれれば、容易に暗殺できる……はずだった。


「まあ、普通そう思うかもしれないけど……続き見てみてよ」


「んー……?」


 ミカが私に言われるがまま、1枚ページを捲る。

 そこに記された内容を見て、ミカは目を丸くした。


「えっ……お腹壊したせいで【毒無効】を習得されて失敗……?」


「そうなのよ……」


 ヘエルちゃんを一時的に下界に降ろす許可を取りつけるため、わざわざ神様のところにもう一度出向いて頭を下げてきたのに、結果は惨敗。毒は一切転生者に効果を及ぼすことが出来なかった。

 なんと私達の仕込んだ毒が効果を発揮するより前に、転生者が食べた料理の出来栄えそのものが酷すぎて腹を下し、それに30分耐えている間に【毒耐性】を通り越し、【毒無効】のスキルを得てしまったらしい。余計な嫌疑が他の人間に向かないよう、遅効性の毒にさせたのが完全に裏目に出た形だ。


「随分規格外ね……これも神様の加護なのかしら?」


「分からないけど、その可能性はあると思う……」


 同じ天使のスキルでも、私達と違って神様に直接付与された物だ。未知の効果が付いていてもおかしくはない。


「それで次は……魔物の大量発生を誘発しての物量押し? 相変わらず、ラミちゃんって1回搦め手をやってから正攻法に移るよね」


「下界で目立つ動きをするのはご法度な私達としては、それが正しい形だと思ってるんだけど……まあ、次のページ見てみなよ」


「んー……?」


 ミカがぱらりとページをめくり、具体的な手段と結果のページに移る。

 手段は単純。転生者がいる地域周辺で自然発生タイプの魔物を大量発生させ、それを討伐するよう人間に扮したヘエルちゃんに懇願させる。

 転生者が情に流されやすいことはプロフィールに書いてあった通りなので、予定通り二つ返事でOKした彼に向け、増やした魔物の群れを一気にけしかける。魔力量が無限でも、体力は無限じゃない。いつかは擦り潰せるだろうという見込みでやった結果……


「自然発生タイプどころか、その地域に元から住んでた魔物まで根こそぎ狩り尽くされたと……万を余裕で超える軍勢を単独撃破って、もう人間なのこの人?」


「環境保全課の課長に物凄い怒られたわよ……なんで事前に相談しないんだって……」


 確かに報告しなかった私が悪いけど、だからってあんなにネチネチ嫌味を言ってこなくてもいいじゃないのよもう……


「あはは……あそこの課長お堅いからね。ドンマイ、ラミちゃん。私からも適当にフォロー入れとくよ」


「ありがとうミカ。でも、それでまだ終わりじゃないの……」


「えっ、まだあるの?」


 こくりと頷くと、ミカは恐る恐る最後のページを捲っていく。

 ヘエルちゃんが立てた最後の作戦。それは、下界の宗教団体を唆し、転生者を悪魔として社会的に孤立させること。

 あまり気分の良い手じゃない上に、宗教統制課の課長はかなりのエロオヤジで、セクハラが日常茶飯事。それに頭を下げて頼み込みに行くなんて、もはや臨時ボーナスを請求したいくらい苦痛だったけれど、背に腹は代えられないと実行した。

 代わりに飲み会のセッティングをするハメになっちゃったけど……まあ、この際だしお尻くらいは我慢しようと心に決めて、承諾した。

 でも、これならスキルも力も関係なく、人一人くらいは世界の悪意で容易に呑み込めると思った。実際頑張った甲斐あって、転生者は無事指名手配され、国中を逃げ回ることになり、ヘエルちゃんの立てたシナリオ通りに追い詰められていった。……途中までは。


「……ラミちゃん、これ……」


「言わないで……頭痛くなってくるから……」


 最後の最後、元々謂れのない罪を被せられていた転生者は、教会の言うことがデタラメであると証明するべく教会本部へと踏み込んだ。これ自体は予想通りで、あとは待ち構えていた兵士たちを使って投降を呼びかけ、人を殺すにはまだまだ抵抗があるらしい転生者を捕縛してケリがつく……かに見えた。

 しかしそこで、万が一にも転生者が反撃の意志を見せないよう、教会の可愛らしい聖女を連れて行かせていたのが運の尽きだった。

 聖女と転生者が相対するや否や……なんと、聖女が以前、転生者に命を助けられていたことが判明。

 え、何その展開、聞いてないんだけど、などと突っ込む暇は、そもそもその場にいなかった私にあるわけもなく。転生者を追い詰めるはずだった教皇は、聖女を味方につけた転生者によって逆に過去の悪事を暴かれ、晴れてお縄に。めでたしめでたし……って、なんでやねん。


「いやあ、ご都合主義の塊というか……これぞ主人公補正ってヤツ?」


「その理屈で言うと、私悪役なんだけど」


「実際、転生者君からしたらそうじゃない? 黒幕的な」


「最悪の立場ね、そのうち倒されそう……」


 盛大に溜息を吐きながら、今度は腕を投げ出すようにして机に突っ伏す。

 ヘエルちゃんも私も、実行できそうな手段はもうないし、そろそろ神様に失敗報告をしなきゃならないかもしれない。

 うぅ、あのジジイ、元々自分の責任だって言っても絶対怒るよねえ……ああ、やだやだ、今から気が重い……


「じゃあ、そんな最悪な状態のラミちゃんに一ついい話を聞かせてあげよう。聖獣の使用許可が降りたよ」


「へえ、聖獣……聖獣!? えっ、ほんと!?」


「ラミちゃん、落ち着いて落ち着いて」


 ガタンッ!! と椅子を蹴飛ばしながら立ち上がると、ミカはそれを予想してたようにどうどうと宥めてくる。

 けど、聖獣はそれくらい重要な存在なのだ。

 下界に許された力の上限いっぱいに生み出された彼らは、強すぎるがために下界に干渉しづらい天使に代わり、直接下界に降りて世界のバランスを調整する役割を担う。

 だからこそ、場合によっては天使以上に他の案件で動くのが難しかったりするんだけれど、ミカはそういった聖獣たちの配属先を決める聖獣人事課の課長だ。だからこそ、苦労している私のために骨を折ってくれたんだろう。


「ありがとうミカーー!! 愛してるーー!!」


「はいはい、現金な愛情をありがとう」


 感極まって抱き着くと、ミカはよしよしと宥めるように私の背中をさすってくれた。

 こんなことしてるから男の天使が寄ってこないんだ、なんて前にミカに言われた気がするけど、男共なんてセクハラしかしてこないし、勘違いされたとしてももうどうでもいいや。


「それで、どうするの? 聖獣は確かに強力だけど、相手は下級天使クラスのスキルがあるから、真っ向からぶつかったら勝ち目はないかもしれないけど」


「大丈夫だよミカ、私に考えがあるから!」


 下界に降りても、正体がバレるわけにはいかない以上、人から見てもあまり強力な魔法が使えなかったヘエルちゃんと違って、聖獣ならかなり大規模な力が使える。

 これなら、“アレ”も十分実用範囲だ。


「手札は揃ったわ。見てなさいよ転生者!!」


 そう叫び、意気込みを新たにした私は、新たに私自身が下界に降りる許可を得るため、神様の元へと向かった。







 下界――私達の部署が管理する世界であるアーランドへと降り立った私は、早速ミカの手配してくれた聖獣の1体、聖龍エルシャードと合流するため、山奥にあるとある洞窟へと向かった。

 普段白・白・白で統一された、全く面白みのない神域にいるせいもあって、地上の景色はただの山であってさえ、澄み渡る青空、生い茂る緑に加え、時折覗く茶色い地肌など、私の目にはとても色彩豊かに映り、思わず仕事のことを忘れ見入ってしまいたくなる。……その暇さえあるのなら。

 ともあれそういうわけで寄り道一つせず洞窟にやってきた私は、端的に状況を伝えた上で、今回の仕事内容について説明した。


『ラミエル様、いくらなんでも下級天使クラスの人間と交戦して勝つなんて、俺には到底無理ですよ。どうしても仕留めなければならない人間なら、ラミエル様自身が始末したほうがいいんじゃないですか?』


 ……のだけど、ものっすごい嫌がられた。

 いや、気持ちは分かる。私だって、下級天使に天使の力なしで喧嘩を挑めと言われたら、全力でご遠慮したい。

 けど、残念ながらこれは仕事だ。どれだけ嫌がられても、やって貰わなきゃ困る。

 主に、私の胃のために。


「私は神様からの指示で、天使としての力は使えないの。サポートはするから、ね? お願い」


『チッ』


 おい、こいつ今舌打ちしやがったか。人が下手に出てるからっていい気になりやがってちくしょう。

 でも、我慢我慢。ここでヘソを曲げられたら、作戦が台無しになってしまう。


『もし死んだら、ちゃんと蘇生させてくださいよ……?』


「分かったわ、頼んでみる」


 頼んだからってその通りになるとは限らないけどね。

 けどまあ、ようは勝てばいいのよ、勝てば。


「それじゃあ、分かったところで作戦を説明するわよ」


『はーい……』


 やる気のなさそうな返事にイラっとくるも、ひとまずその気持ちは押し込んで説明を始める。

 作戦は、至ってシンプルだ。まずはヘエルちゃんが“移動中運悪くドラゴンに襲われ倒れた行商人”になりすまし、転生者に偶然を装って見つけて貰う。そこで、娘が悪いドラゴンに連れ去られたから助けてほしいと懇願するのだ。

 そうすれば、お人好しな転生者はすぐに助けにやってくるだろうし、そこを万全の状態で待ち伏せて叩く。


『いやいやいやいや』


 と、そこまで説明したところで、エルシャードがブンブンと顔の前で手を左右に振って何やら騒ぎだした。

 どうでもいいけど、聖龍の巨体でそんな風にされると風が結構な勢いで吹いてきて鬱陶しい。もう少し落ち着きを持ってくれないものかしら。


『色々ツッコミどころ満載ですけども、まず、いくらなんでもドラゴンがフラッと街の近くに現れて、たかが1人2人の行商人を襲うって設定に無理ないですか?』


「大丈夫よ、転生者は常識がないから、絶対に乗ってくるわ」


『えー……』


 というより、実は作戦のその段階はもう終わっていて、転生者はこっちに向かってきているんだけどね。もし延々渋られても、問答無用で戦闘させようと思ってそうしたけど、説得自体は成功してよかったわ。


『あと、俺悪役みたいですけど、この見た目でそれは無理ないですかね?』


 聖龍エルシャードは、その名の通り純白の鱗と黄金の角を持つ聖なる龍だ。確かに、いくら世間知らずの転生者とはいえ、これを見て邪悪な竜という印象は持たないだろう。

 けど、それも見た目がこのままだったらの話だ。


「大丈夫よ、それくらい変えられるから」


 えっ? と頭に疑問符を浮かべるエルシャードを他所に、私は彼に掌を向け、魔法を行使する。

 溢れ出た魔力の光が巨大な竜の身体を包み込むと同時、瞬く間に純白だった鱗が漆黒に代わり、その瞳の色さえ狂気を思わす真紅へと染まっていく。

 うん、適当に色を変えただけだけど、これなら十分に邪龍っぽいわね。


『……天使の力は使っちゃダメって言ってませんでした……?』


「何言ってるの、これくらい、人間と同程度の魔力でも出来るわよ?」


『いや、幻影ならともかく、本当に色を変えるなんて……ラミエル様、器用ですね……』


 急に何を言い出すかと思えば、そんなこと。

 魔法(これ)が私の取り柄だし、むしろこれくらい出来なきゃ課長にまで登れないわよ。


「はいはい、そんなことより、今はもうすぐやってくる転生者との戦いに集中しましょう」


『それはいいですけど、具体的にどうやって勝つんです? やっぱりどうしても勝てるとは思えないっていうか……』


「その辺りは、私に考えがあるわ。あなたにも協力してもらうからね」


 またうじうじ言い始めそうだったので、それを遮って強い口調で言いきっておく。

 通じるかどうかは未知数だけれど、聖獣の力まで使ってダメだったなら、それならそれでもう下界の枠内では到底どうしようもないという証明になる。良いも悪いも、どちらの結果でも良い。とにかく全力を尽くして、上にあーだこーだと口を挟む余地を残さないよう努めるのだ。


『分かりました……やれるだけやってみますよ……』


「それでいいわ」


 ようやくその気になったエルシャードを見てこっそりほっと息を吐きつつ、そういえばと、伝え忘れていたことを告げる。


「そういえば、エルシャード。転生者との戦闘中は、念話の使用は禁止します」


『えっ』


「じゃあ、もう転生者も来たみたいだし、後はよろしくね」


『ちょっ、もう!? 準備は!?』


 一応私は、今回は攫われた娘役としてこの洞窟の奥から様子を見ることになっている。

 これは別にお姫様願望とかそういうんじゃなくて、もしエルシャードが負けそうになった時に人質役になって反撃を封じたり、あるいは負けてしまった後に油断したところを私がサクッと()るためだ。街中や、冒険者が多くいる狩場では私の姿が見られる恐れがあるから出来なかったけれど、ここならそうそう人は来ないし、どちらかというとこれが本命だったり。

 ともあれそういうわけで、喚くエルシャードは無視して、人間の少女の姿に化けた私は、すたすたと洞窟の奥へと向かう。

 ジメジメとした薄暗い一本道を進んでいくと、やがて天井から外の光が仄かに差し込む広い空間に出た。

 そこにあったのは、静謐な雰囲気漂う白い祭壇。

 中央が一段高くなり、その周りをエルシャードを模した龍の彫像が守るように配置されているここは、神界と下界とを繋ぐ門の役割を果たす儀式場だ。

 これを守るのがエルシャード本来の仕事であり、今は異常個体対策課(ウチ)の仕事のためにそれを放棄して貰っているのだから、戦闘が終わるまでは念のため私が見張らなきゃならない。

 それと、もう一つ――こういう神聖な場所のほうが、集中して魔法を組み上げられる。


「さて、状況はっと……」


 祭壇の中央に立った私は、早速エルシャードを基点に、上空から俯瞰するような形で私の『意識』を魔法で飛ばし、外の状況を伺う。


「あら、もう始まってる」


 するとそこには、想定通りの状況が、予想よりも早く展開されていた。


「グオォォォォ!!!」


 聖龍改め、漆黒の邪龍となったエルシャードが吼えながら息吹(ブレス)を放つ、その先に立っているのは、プロフィールでも見た一人の少年。

 ゆったりとしたマントに身を包み、腰に刀を一本差しただけのその姿は、とても龍に挑む人間のそれとは思えない。


「甘いぞ、邪龍め!!」


 しかし、迫りくる龍の息吹を前に、少年は臆することなく掌を向け――あろうことか、真正面から受け止めた。


「えぇぇ……」


 何が起きたかは、特別なスキルがなくても一目瞭然だ。ただ、自分の正面に魔法によるシールドを展開し、防いだ。それだけのこと。

 けれど、曲りなりにも下界最強の生物である聖獣の一撃だ。それをあんな涼しい顔して受け止めるなど、いくら魔力量が無限だからとそう簡単に出来ることではない。


「これ、思ったより厳しいかも。急がないと」


 大量の魔物の群れと転生者が戦闘した時のデータにもちゃんと目を通していたとはいえ、実際に目にするとやはり驚きを隠せない。

 私は観察を早々に打ち切り、意識を一旦元の祭壇に戻すと、すぐさまとある大魔法の準備に取り掛かる。

 本命が私の不意打ちだからと言って、その前段階で事を成せるならそれに越したことはない。だからこその、エルシャードの魔力を利用した切り札を。


「――『聖域』術式、展開」


 私の足元に、光り輝く魔法陣が浮かび上がる。

 祭壇全てを包み込むほど巨大なそれは、ゆっくりと回転しながら輝きを増していく。


「構成自体はもう終わってるし……あとは微調整だけして……」


 魔法陣の外縁部を回る無数の神界文字が、あるべき場所を離れ宙を舞い、聖域術式とは似て非なる、別の文字列を組み上げていく。この魔法本来の形を離れ、下界の、今この時に最も適した形へと、私の手で最適化していく。


「『劣化版聖域術式ダウングレード・ホーリーフィールド』――起動!」


 意識を再び、エルシャードと転生者の戦いの場へ移す。そしてそのエルシャードの身体を基点に、その力を使って私が使った魔法が光のドームを形成し、2人を包み込んだ。


「な、なんだこれは……!?」


「ギャオォォォ!!」


 突如発動した魔法に転生者が狼狽した隙に、エルシャードがボロボロの身体を押してその巨大な尻尾を叩きつける。

 ……どうでもいいけど、私が魔法を発動するために意識を外してたの、10秒もないはずなんだけど、ボロボロになるの早すぎない?


「それくらい……! なにっ!?」


 転生者は迫りくる尻尾に掌を向け、再びシールドを張ろうとする。

 けれどその魔法は発動することなく、遮る物のない尻尾はその強靭な力でもって転生者の身体を打ち据えた。


「ぐはっ!! ぐっ、な、どうして魔法が発動しない……!?」


 咄嗟に手に持つ刀で軌道を逸らしたのか、聖龍の一撃を生身で受けたはずなのに、転生者はすぐさま起き上がる。

 神様から貰ったスキルに胡坐をかいているだけの少年だったなら、今の一撃で死んでただろうに、どうやら素の彼も随分強いらしい。


「ガウゥ!!」


「くっ……!!」


 エルシャードは転生者の疑問に答えることなく、身体に比して小さい手を振り回し、あるいは足で踏みつけるようにして畳みかけていく。

 それに対し転生者は、何度か反撃のために魔法を発動しようと試みているようだけど、どれも失敗に終わっている。うん、どうやら、私の魔法はちゃんと作用してるみたいだ。


 劣化版聖域術式――本来の聖域術式が、対象を害するあらゆる魔を払い、あらゆる災厄を退けるための絶対防御魔法であるのに対し、これは下界で聖獣が使えるレベルに魔力消費を抑えると共に、“魔を払う”という特性のみを強化し、更に対象を結界の“内側”に向けることで、対象の魔法を封じこめる機能を持たせた封印魔法だ。

 正直、相手は神様が直接付与したスキルを持ってるわけだし、これでちゃんと封じれるかどうか不安だったけど、ちゃんと効果があってよかった。


「ぐっ、うぅ……!」


 転生者は、まだ諦めていない。けれど、手に持つ刀は強化魔法が使えないせいでエルシャードの鱗を傷つけることも叶わず、逆にエルシャードの一撃は直撃せずとも確実に彼の身体にダメージを与えていく。そして、それを癒すための回復魔法も今は使えない。

 これは、勝負あったかな。


「ふぅ、一時はどうなるかと思ったけど、これでやっと安心だね……」


 そう考えて、地上で繰り広げられる一方的な戦いから意識を洞窟の奥にある本体へ戻し、んーっと伸びをする。

 ここのところ、あの転生者の件で根を詰めすぎたせいか、肩が凝ってしょうがない。戻ったら、ヘエルちゃんにでも頼んでマッサージしてもらおうかなぁ……


『ラミエル君、聞こえるかね?』


「ひゃい!? あ、はい、聞こえています、神様」


『あー、よかったよかった、今、少し良いかね?』


「はい、大丈夫です」


 などと、余計なことを考えていたのが良くなかったのか。突然、頭に神様からの念話が響き、変な声を上げてしまった。

 特に意味はないけれど、慌てて取り繕うようにその場で正座し、ピシっと背筋を伸ばして続く言葉を待つ。まあ、このタイミングで掛かって来たってことは、十中八九転生者絡みの件だろう。早くしろとか催促に来たのかもしれない。


『実はの、例の転生者の件なんじゃが……』


 ほら来たやっぱり。


「その件でしたら、大丈夫です。そろそろ決着を付けれるかと」


 散々苦労してきた仕事をもうすぐ終えられるとあって、私は少しばかり浮かれていたのかもしれない。いつもなら、必要最低限のことしか受け答えしない私が、自分から神様の話を遮って報告を上げる。


『ああ、それじゃあ困るんじゃよ。転生者を始末するのは無しじゃ』


「……はい?」


 だからこそ、神様から告げられた言葉を理解するまで、私は数秒以上の時間を要した。

 えっ、始末するのは無し? えっ、どういうこと?


『実はの、今回トレードした向こうの世界では、転生者が随分馴染んだようでの。魂を元の世界に戻すのはお互い送った魂が自然に死んでからにしようという話になってしまったんじゃ。このままこっちだけ早く死んでしまうと、魂の管理が面倒じゃからな。今回はこのまま様子見ということにしておく』


「は、はい……?」


 突然のことすぎて、頭が混乱する。悪い夢だと言われたほうがまだ納得できる、というより、そう言って欲しい。実はただのドッキリで、他に伝えたいことがあったんだと言って欲しい。


『間違っても殺すでないぞ。ではまたの』


 けれど、神様は無情にも、これで話は終わりだとばかりに念話を打ち切ってしまった。


「…………」


 問いただすことも反論することも出来ないままに念話が切れ、神様との繋がりが断たれる。

 言われたことは、理解出来た。理解したくなかったけど、残念ながら現実逃避しても命令は変わってくれない。

 つまり、あれだ。


「ざっけんなぁぁぁぁぁ!!!」


 叫びながら、私は全速力で洞窟の外へと向かう。

 あのまま放っておいたら、間違いなくエルシャードが転生者を殺してしまう。私がそう命令したんだから当然だけど、そうなったら私の首が飛ぶ。急いで止めないと!


「ギャオォォォ!!!」


「くっ、そぉぉぉ……!!」


 洞窟から飛びだした私の目の前では、今まさにトドメを刺さんとエルシャードがその手を振り上げたところだった。

 転生者は全身傷だらけで横たわり、刀も折れ、とても戦える状態じゃない。でも、まだ、なんとか生きていた。

 その事実にほっとしつつ、私は速度を緩めることなくそこへ向かって飛び込んだ。


「そこ、ストーーーップ!!!」


 叫びながら飛び込み、転生者の身体を掴んでそのままエルシャードの攻撃範囲の外まで退避する。

 直後、ズドンッ!! っと腹に響くような音を立てて私のすぐ傍にその巨大な手が叩きつけられ、その衝撃だけでバランスを崩して転がってしまう。


「うぐぐ……!」


 あちこち擦りむいた痛みで顔を顰めつつも、取り合えず起き上がって転生者の様子を見る。

 うん、ボロボロではあるけれど、ひとまずは大丈夫そうね。


「き、君は……?」


 と、思って見ていたら、バッチリ目が合ってしまった。

 まあ、予想していたシチュエーションと違うけど、私が誰と伝えるかは最初から決めてあるから、淀みなく答えられる。


「ラミと言います。大丈夫ですか? 冒険者様」


「ラミ……? もしかして君が、ドラゴンに浚われたっていう!?」


「はい。冒険者様がドラゴンの気を引いてくださったお陰で、こうして洞窟から抜け出すことができました」


 もちろん嘘だけど、一応それなりに筋は通ってるだけに疑われた様子はない。冒険者様という呼び方も、この世界じゃこんな辺鄙な場所に武器を携えてやって来る者は冒険者だと相場は決まっている以上、そう不自然な呼び方でもないしね。

 と、そんなやり取りをしていると、目の前のエルシャードから直通の念話がつなげられた。

 まさか敵であるはずのドラゴンと親しげに話しているところなんて見られるわけにもいかないし、私もすぐに念話を繋ぐと、案の定思いっきり狼狽した声が聞こえてきた。


『ラミエル様何やってんですか!? 今やっと終わるところだったんですよ!?』


『神様からのお達しよ、今回の仕事は中止! この転生者は殺さないことに決まりました!』


『はぁぁぁ!? ざっけんなこらぁぁぁ!! 俺ボコられ損じゃねえかぁぁぁ!!』


 私に言うな!! とは思うけど、叫びたい気持ちも痛いほどよく分かるからひとまずは黙っておく。


『それにここまで来て、じゃあやめますんではいさようならってわけにも行かないでしょう? どうすんですかこれ!』


 そう、そこが一番のネックだ。

 私が本当の姿と名を晒せば、ドラゴンが押し黙っても説得力があるだろうけど、天使の力というのは単に力の行使に留まらず、その姿や名を使って干渉することそれ自体も禁じられている。

 だからそう、非常に不本意だし、後がすごく面倒だけど……


『ええそうよ、だからエルシャード。今から転生者治して聖域解除するから、大人しく()られなさい』


『えぇぇぇぇ!? ちょっ、それは勘弁してくださいよ!! いくら後で蘇生されるにしたって痛いもんは痛いんですよ!?』


『大丈夫大丈夫、痛いのは一瞬よ。それじゃあ、よろしくね』


『ちょっ……!?』


 それだけ言って、念話を一方的に切る。

 直後、ギャオォォォ!! とエルシャードの悲哀に満ちた咆哮が響いたけれど、それは意図的に無視して改めて転生者に向き直る。


「くっ……! ラミさん、逃げるんだ! ここは俺が時間を稼ぐ……!」


 けれど、事情を知らない転生者には、それが終末を告げる悪魔の叫びにでも聞こえたのか。決死の覚悟を決めた表情でボロボロの身体を引きずり起こし、折れた刀を構えて私を庇うような位置に立った。

 ……ああもう、かっこつけて、今のままじゃ勝ち目ないの分かってるでしょうに。バカな男なんだから、全く。


「いえ、大丈夫です」


「ラミさん? 何を……」


 庇おうとする転生者の横に並んで微笑むと、彼は困惑した表情を浮かべる。

 彼からすれば、私はただの商人の娘ということになっているし、ドラゴンを前にビビるどころか自信満々に対峙されれば驚くのも無理はない。

 けど、()()()()()ならまだギリギリ人間の枠内だ。


「私、魔法の解析は得意なんです。今から少しの間だけ、この結界魔法をなんとか無力化しますから、その隙にあのドラゴンに全力で撃ちこんでください!」


「なんとかって、出来るの……!?」


 何事か言おうとしたその言葉を遮って、私は展開中の『劣化版聖域術式』を解除して、転生者に治癒魔法をかける。

 あれこれ説明するよりこうして証拠を見せたほうが早いし、何よりこれ以上エルシャードの動きが止まっていると不自然だ。さっさと仕留めて貰わないと困る。


「お願いします、あまり長くはもちません!」


 だからこそ、細かい不自然を気取られないように、急かすように言葉を重ねる。


「分かった……すぐに仕留める!!」


 それに促されるように、転生者が両掌をエルシャードに向け、攻撃魔法を放つ準備に入る。

 けれどほっとしたのも束の間、異変が起きた。


「ぐっ……!」


 転生者が苦悶の表情を浮かべると同時に、掲げた腕から血が滴り落ちる。

 えっ、と思ったのも束の間、彼の周囲を膨大な魔力が渦を巻き始めた。


「……っ!?」


 人の枠を超え、聖獣すら凌駕し、天使に匹敵する、下界の種には許されざる圧倒的な力。

 けれど、いくら天使と同じだけの魔力をその身に宿していようと、天使と同じ規模の魔法を放てるように人の身体は出来ていない。

 ただ魔力が無限なだけで扱えるほど、天使の魔法は易しくない。

 それを目の前のこの少年は、術式そのものすら不完全なまま、ただ無理矢理魔力を解放する力技でそれを為そうとしている。そんなことをすれば、魔法の反動で自分の身体が崩壊しかねないのに。

 それが分かると同時に、気付けば私は叫んでいた。


「やめなさい!! そんな魔法使ったら、あなた自身が死ぬわよ!?」


 演技も忘れ、素のままに叫ぶ私に向け、転生者のほうはむしろにっと笑顔を向けてきた。


「このドラゴンは強い、倒しきるためにはこれくらいの力は必要だ……! 何、心配はいらない、俺の悪運は最強なんだ!」


 いやいや、あんたエルシャードを10秒足らずでボコボコにしてたでしょうが! 普通の魔法撃てばいいのに何命掛けの攻撃なんてして英雄ぶってんの!? バカなの!? 死ぬの!?

 ていうか、今まで散々、何しても全く死ななかったくせに、死なせるわけにいかなくなった途端死に急ぐって何の嫌がらせよ!!


 などと心の中で叫んでみたところで、それをバカ正直に打ち明けられない以上どうしようもない。

 もう、なんだか面倒になってきた。後で色々言われるかもしれないけど、もうこの際、こうしてしまったほうが手っ取り早い。


「っ、ラミさん、今度は一体何を!?」


 狼狽する転生者を無視して、掲げられた腕に私自身の手を添える。


 ――展開中の術式を解析開始(アナライズ)。並行して天罰術式を参考に再構築(リビルド)開始。


「私が導きます。あなたは魔力の制御に集中してください」


 彼の中に私の魔力を注ぎ、同調させ、彼の中にしか存在しない術式を解析して作り変える。

 正直、もう人間の枠内だ、なんて言い逃れも出来ないくらい高度な技術だけど、この転生者なら誤魔化せると信じたい。


 ――出力70%カット。内20%で結界を展開し、周辺環境への被害を最小に留めつつ、破壊対象を拘束。


「分かった……君を信じる!」


 ついさっきまでドラゴンに殺されそうになってたのが、私のせいだなんて夢にも思ってないんだろう。羨ましくなるくらい曇りない目でそう言って、彼はエルシャードを真っ直ぐ見据える。

 全く、知らないとはいえ、こんな胡散臭い女をホイホイ信じるなんて、とんだお人好しよね。


 ――『劣化版天罰術式ダウングレード・ジャッジメントスペル』、最適化完了(フルコンプリート)


「今です!!」


「よし……いけぇぇぇ!!!」


 心の中で愚痴愚痴言っている間に、頭の冷静な部分が完成させた術式が展開され、転生者の掌の先から光の奔流が放たれる。

 光は、結界に包まれ身動きの取れないエルシャードを呑み込み――私の無意味な戦いは、ようやく終わりを迎えた。





「………………」


「え、えーっと……元気だしなよ、ラミちゃん」


 すっかり魂の抜けた亡骸になって休憩室で突っ伏している私に、聞き覚えのある声が呼びかけてくる。

 体を起こすのも億劫だった私は顔だけ声のした方に向けると、案の定そこにいたのは私の同期、ミカエルだった。


「ミカぁ……私この仕事やめるぅ……」


「ちょっ、ラミちゃん!? 落ち着きなって、偶にはそんなこともあるよ!」


 再び顔を下に向けながら言うと、ミカは私の肩を揺さぶりながら慌ててそう励まそうとしてくる。

 顔面が机に擦れて地味に痛いなぁこれ……


「だってこんだけ……こんだけ散々苦労して追い詰めたのに、土壇場でやっぱなしって……私の苦労、全部なかったことにされるとか……ないわぁ……」


 いつもいつも面倒事を回されてはいるけど、今回の仕事は格別に大変だった。

 毒殺に始まり、魔物による猛攻、宗教を使った孤立策、どれも準備や失敗後の後処理などで方々の課に頭を下げて周り、嫌味やセクハラに耐え、ようやく仕留められると思った矢先でのあの仕打ち。

 しかも、あの場を乗り切るために転生者に使わせた術式がやっぱりまずかったらしくて、エネルギー調整課やら環境保全課やらから大目玉を喰らってしまった。

 更に、エルシャードが死んだことについて報告書を纏めたり、蘇生のために輪廻課に頼み込んだり、転生者を殺さないと決められた以上その状態のままでもアーランドの世界に及ぶ影響が最小限で済むように手配したり……正直、終わってからも怒涛の忙しさが続いて、もう精神だけじゃなくて肉体的にも屍と言えるほどに疲れた。この休憩の後には神様に呼び出されてるけど、もう、動きたくない……


「気持ちは分かるけど……ラミちゃんのしたことが全部なかったことになんて、なってないと思うわよ?」


「う~……?」


 どういう意味? と視線で問いかければ、ミカは私の前に一つの水晶を転がして寄越してきた。


「これは……」


 それは、神界から下界を覗き見るための、天使用の監視アイテム。

 そこには一人の男が、たくさんの仲間に囲まれて笑っている姿が映し出されていた。

 私達天使に毒を盛られた彼を食中毒にしてしまい、結果的に彼を助けることになった町娘。

 常識を超えた魔物の群れに囲まれて、追い詰められていたところを彼に助けられた、冒険者の少女。

 絶体絶命の危機に瀕した彼を、昔の恩義を忘れず手を差し伸べることで救い出した聖女。

 そして、邪悪なドラゴンを共に打ち倒し、生きて帰ることが出来た商人の娘――もとい、そんな奇想天外なことをしてしまった私と()()()()入れ替わった天使のヘエルちゃん。

 最後に、完全な状態での蘇生が出来なかったために記憶はそのままに幼体として新たに生まれ変わったエルシャードを加えた4人と1匹が、転生者である彼と一緒に笑っていた。


「ラミちゃんがやった仕事は確かに、仕事としては無意味だったけどさ。この笑顔は、ラミちゃんが真面目に仕事しなかったら、ここになかったんじゃないかな?」


 だから、全部が全部無意味なんかじゃないよ、とミカは微笑む。

 実際のところ、彼がこんな風に慕われているのは彼の人柄が為したことであって、私はむしろそれを壊そうとした立場だ。

 でも、


「……そうかもね」


 それでも、私のしたことが、この笑顔のほんの切っ掛けにでもなれていたのなら……確かに、少しくらいは意味があったのかもしれない。


「さて、と」


 そんな風に思うことにして、少し気が楽になった私は、いつまでもしょげているのはやめて立ち上がる。


「あら、もう大丈夫なの?」


「うん、それに、この後神様に呼び出されてるからね。早く行かないと、また怒られちゃう」


 どうせ要件は、今回の件で最後に彼の目の前で術式の再構築なんてやったことに対する小言か、もしくは無断でヘエルちゃんやエルシャードを彼の監視役兼、魔力制御役として下界に残してきたことに対する口出しだろう。

 前者についてはもう諦めて受け入れるとして、後者に関しては、やっとなんとか下界のエネルギーバランスの調整に目途が立ったところだし、その辺りを切り口になんとか認めて貰わないといけない。

 それに、今回の件でヘエルちゃんには大分無理をかけたし、この様子を見る限り、彼女にとってこの仕事はいい休暇代わりになるだろうしね。


「そっか、頑張ってねラミちゃん。相談くらいはいくらでも乗るから」


「うん、ありがとうミカ。また後でね」


 ミカと別れ、神様のいる部屋に向かった私は、毅然とした態度で神様と対峙する。

 さあ、怒るなら怒れ。何を言われても、今日の私は動じないぞ。

 そんな風に意気込んでいた私の覚悟はしかし、神様の第一声で霧散する。


「ラミエル君、例の転生者、やっぱり始末して貰うことになった」


 …………は?

 今このジジイ、なんて言った?


「今回の件、最高神様にバレてしまっての、早急に対処せよとのお達しが出てしまったんじゃ」


 神様に会ったら言おうと思っていたことがいくつもあったはずなのに、真っ白になってしまって何も言えない。

 神様があれやこれやと理由を話してる気がするけど、それも頭に入って来ない。


「『天罰』の使用も許可するから、早めに頼むぞ」


「…………はい」


 辛うじて頷きを返した私は、神様に断りを入れて部屋を出る。

 バタンと扉を閉めると、即座に私の周りに魔法で遮音フィールドを形成。すぅーっと息を吸い込んで……


「ざっけんなクソジジイィーーーーー!!!!」


 やっぱり、決めた。

 私、いつかこの仕事辞めてやる!!!


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