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考察っぽいなんか

作者: ESF

最近、何となく窮屈な感じがする。


私はふつうの体形だ。ジーンズだって楽にはけるし、ベルトを緩めなくてもジーンズが下がらない、なんてこともない。

私の家も普通で、広いとは言えないが、狭くもない。家庭内環境だって、いたって良好だ。

学校では、クラスには友達もいるし、いじめられているなんてことはない。


とにかく思い当たる節がない。しかし、窮屈な感じがする。


なぜだろう?


ふとテレビを見るとSNSが原因とされる事件が報道されていた。その内容がひどく印象に残った。どうやら被害者の子は、学校ではいじめられてなかったそうだ。彼女はSNS上でのみクラスメイトから誹謗中傷を受けていたのだった。不幸なことに彼女はSNSをやっていなかったらしい。そのため彼女は裏で自分がさげすまれていることも知らず、日々学校生活を送っていたのだ。


「これだ・・・」


このニュースで、私は私を襲う窮屈が何なのかを突き止めた。

同時に私はショックを受けた。


現代社会において、最も大切なのは、「いかに自分が大きな集団に所属するか」だ。ここでいう「大きな」とは、単純に数が多いということだ。

こんなこと当たり前だ。小さい集団にいては、いずれは淘汰され、自分に被害がでてしまう。

だからこそ、人は自分がその集団への帰属意識を示すため、その集団の意志に即した行動をする。


さしずめ、何かしらの理由があって、誰かが彼女を嫌ってしまったのだろう。そして偶然にもそれに賛同する人が出てきてしまった。やがて賛同人は多くなり、いつしか「彼女を嫌うグループ」という

一つの立派な集団ができてしまったと考えられる。

そこから先は簡単だ。その集団の構成員は、集団の存在意義「彼女を嫌うこと」を遂行するため、日々彼女を「監視」し何かネタを見つけてはそれを集団内で共有する。彼女をディスらないと、今度は自分が被害を受ける。それは嫌だ。だから彼女をしつこく「監視」する。


この「監視」が私に窮屈と感じさせていたのだ。

つまり私も誰かから「監視」されている・・・断定はできないが、私も誰かから快く思われてないのかもしれない。


技術によって私たちが住む社会は、精神的にも物理的にも縮まってしまった。だからこそ「監視」は誰にでもできる。言ってしまえばこの世は監視社会とも考えられる。






            そのことをゆめ忘れぬよう














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