もう一つのプロローグ
最初から最後までビーズとは別人の一人称視点です
大粒の雨が俺を叩く。
海の大波が手元と足元を揺らす。
大シケはまずい。
シケとは強い風や雨でひどく海が荒れ狂うことを言うが、今回のシケは桁外れだ。
ただのシケでも大変なのに、大シケでは手元は狂うし波が荒くて重心がずれるし、手足も滑る上に視界は塞がれる。
しかも音まで聞き取りずらくなる。
音が聞こえなければ親方の指示が聞こえないし、手足が冷えれば感覚が鈍くなり指示が聞こえても即座に対処できなくなってしまう。
さらに波が荒くなれば船が転覆して本当に海に還ることになる。
まだ、今回のノルマも終わってないというのに。
「ヤナァー! 落としたワナを引き上げてくれ! 今日はダメだ!」
「あいよぉ!」
ヤナァというのは俺のアダ名だ。
俺の名前は熊淵梁賢。
漁師の息子だ。
産まれてこのかた陸にいた時間と同じくらい、ヘタすればそれ以上の時間を海の上で過ごしてきた。それほど長く、ずっと漁師をやってきたから、それ以外の仕事が俺に合わないし思い付かない。
と言うかそれ以外選択肢は無いと思っている。
理屈を並べればいくつかあるが、俺としては今まで殺した魚達の責任から逃げるような気がして嫌だから、と言うのが一番シックリ来る理由だ。
海の上では俺たち人間と魚達は平等で、魚も俺も互いの命を取り合って最終的に勝った方がその後の『晩飯』と『生』を得ることができる。ようは命の綱引きだ。魚達の命をもらうのだから、こっちだって命の一つや二つ懸けて挑まなければ失礼だ。
俺は漁師として人生をまっとうし、できれば土の中じゃなく魚のエサとして自然に還りたい。俺の密かな願いだ。友人にはおかしなヤツだって言われたが。
だからといって自殺志願者という訳でもない。もう何度も命を奪って生きてきたのだ。その奪った命の責任の分だけは真面目に生きたいと思っている。無駄に命を捨てるのもまた、奪った命に対して失礼だと考えているから。
ようは、命を粗末にすることが大嫌いだということだ。
死にはそれ相応の利益と責任がなければならず、俺はそれをできるだけ自覚して生きなければならないと思っている。
そして今日も、俺達漁師は死と隣り合わせで大シケ状態の海の上を必死に生きようともがき続けているわけだが、必死にワナを海から引き上げるなか、さらに雨は強くなり風はうるさく波は荒れ始めた。
「…ナァー……か………ろ…」
「え!? 何だって!?」
「あ…ぇ……」
「くそっ!」
とうとう大雨と荒波のせいで親方が何言ってるのか全く聞こえなくなった。
さらに、親方が手で何かジェスチャーを送ってるのに雨のせいで見えずらい。
親父の元まで戻らなきゃ聞こえないな。
船の先端からなるべく急いで、ただし滑ったりバランスを崩したりしないよう物を掴みながら親方の声が聞こえる位置まで移動すると、
「逃げろぉ!!!」
「ッ!」
しっかり聞こえた親方の指示に、体が意思に関係なく条件反射で反応する。
疑問は後だ。
とにかく生き残ることに思考を固めて、ひとまず船の奥の方に移動しようとする。
一瞬判断を迷ったら死、以外あり得ないのが海の上出の鉄則だ。
海に飛び込むのは論外。
こんな大しけの中海に飛び込んで助かる可能性はゼロだ。
海で死にたいとは言ったが、帰りを待ってくれてる人がいる内はまだ死ねない。死にたくない!
しかし、船の奥に今一歩差し掛かった瞬間、背筋が急激に冷たく泡立った。
今まで何度か味わったことのある死の悪寒だ。
目の前まで来ていた親方が必死に手を伸ばしている。
海の上で他人に手を貸すのは自殺行為だってアンタが教えたはずだが?
初めて見た親方、父さんの今にも泣きそうな顔を見て、俺は不思議と安堵した。
嬉しかったのかもしれないし、バカだなぁって思ったのかもしれない。
とにかく、不思議と安心したんだ。
その直後、視界の上と下が割れ、俺はどこかへ落ちていき、目の前は真っ暗になった。
■■■【バグン】■■■
「……んまっ!?」
……ハッ!?
何だ、何が起きた!?
海に落ちた後、変な夢を見たぞ。
大声を出したと思ったらうまく声が出ないし体も動かない。
周りは真っ暗だ。
辛うじて見えるのは冷たい岩肌。
そして巨大トカゲ……て、
「おぎゃあ!?」
ビックリして変な声出た。
いやいや、目が覚めたら目の前には人くらい簡単に丸のみにできそうな巨大トカゲが舌をチロチロさせながらこっちを見ているとか、悪夢どころの話じゃない。
目が真っ赤で全身が淡くオレンジ色に発光していて、若干周りが温かい。
固そうな髭が伸び放題になっている。
端的に言って怖すぎる。
もしかして魚を殺しすぎて地獄に落ちたのか?
動物に生きたまま食われる地獄か。どうせなら魚に食べられたかったな。
いやいや、やっぱ生きたまま食われるのはいやだ。怖い。
『ほう、ほう、これはこれは……』
ん?
今目の前のトカゲがしゃべったような気がしたが。
『気のせいではないぞ』
って、本当にしゃべってる!?
そして心を読まれている!?
『また魔力がイタズラを働きおったな……。はじめましてイレギュラー。ワシはサラマンダーの長老じゃ。長い年月を生き、多少の知恵をつけ、今はサラマンダーの長をやっておる』
(こ、これはどうも、はじめまして)
すごい、人間以外の動物と会話している。
少し嬉しい。
しかし、サラマンダーって神話に出てくる燃えるトカゲじゃなかったか?
地球にいるはずないからここは、どこだ?
やっぱり地獄か?
『ここは地獄ではない。ヌシの言う場所とは別の場所じゃ。どうやらヌシは向こうで死んだのち、ここに来たようじゃの』
(……マジで?)
『マジで』
マジかよ……。
漁師として生きていた以上いつかは死ぬだろうと思っていたが、まさか実際は死んだ後に後悔する時間があるとは。
あぁ、時間があるとわかったとたん後悔ばかりが浮かんでくる。
家族はみんな悲しんでいるだろうな。特に許嫁と妹。
遺書は残してあるけど絶対泣くだろうな、あの二人。
ああああああああああああああああ、心残りがあり過ぎる。
せめて一言言っておきたかった。
『今はそっとしておいてやりたいが、皆がそろそろしびれを切らしそうじゃからな。つれて行くぞ』
くそ。死んだらそれまで、その後なんて無いだろうと思っていたが、まさかサラマンダーの長老と会話をすることになろうとは。事実は小説より奇なりとはよく言ったもんだ。
もう少し漁の後に仕事の後片付けとか掃除やっとけばよかったな。漁師仲間の皆ともっと釣りがしたかったな。母さんとばあちゃんの料理とかも教わっとけばよかったかも。ジイちゃんとの将棋、まだ一度も勝ててなかったのに。妹とバアちゃんの畑仕事を手伝う約束してたんだけどな。
許嫁のお願い、聞いとけばよかった。
(くううううううあああああああああああああああああああ後悔先に立たずううううううううううううううう!!!)
『いろいろ残念に思うが、そろそろ周りを見てくれぬか?』
(え、何……うおお!?)
トカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲトカゲだらけ。いやこの場合サラマンダーだらけと言った方がいいのか。
今さら気づいたがここ、おそらく洞窟の中だ。
天井にも分厚い岩が蓋してるうえに、ちらほら結晶が見えるからかなり深い場所だ。
大きな広場に数えるのもバカらしくなるほどの石碑がところ狭しと並んでて、文字がビッシリ彫られている。規則正しく並んでいる訳ではないが、文字は一文字一文字丁寧にしっかり彫り刻まれている。
しかもなぜかこの石碑に書いてある字が日本語とは全く違うのに読める。なぜだ?
そしてそこに折り重なるようにして数百、下手すると千に届きそうなほどのサラマンダー達が、俺を見ていた。
(い、いよいよ俺は食われるのか? ここに放り込まれてムシャムシャやられるのか? って俺、今長老にくわえられてるのか。後悔に夢中で気がつかなかった……)
『最初に言っておくが、ワシらは貴様を食うつもりはない。ただ少し頼みがあるだけじゃ』
(え? 頼み?)
『うむ。ここの石碑には我らの忘れられた悲願が記されておる。しかしその読み方がワシの代まで受け継がれず、全て消失してしまってな。そこで、ヌシにはこの文字の解読を頼みたい。まだ赤ん坊であるヌシに頼むのはいささか気が引けるが、許してくれ』
(は? 赤ん坊?)
『やはり気づいてなかったか。ヌシの体は今赤子じゃよ』
……死んで転生したと?
それなら声がうまく出せないのも体がうまく動かせないのも納得がいく。
でもそれなら俺の現世の親はどうなった?
『ヌシをワシらの巣に置いて去っていったぞ?』
(ひっでえええええええ! マジかよ、ふざけんな!)
『本来なら喰らってワシの栄養にするところじゃったが、ただの気まぐれが思わぬ当たりじゃな。文字の解読が無理なら食うだけじゃが、しばらくは面倒を見てや……』
(生んだら生んだでちゃんと責任取りやがれ! 生んだ命に対する冒涜だろ……ッテェ!)
『聞けえええええい!!!』
長老が俺の頭を尻尾で叩いた。
俺は頭を抱えることもできずに涙目になって悶えるしかできない。
むしろ良く死ななかったな。
大変な事になってきたぞ。
作者は漁師ではありません
エゴイズム全開の作者の妄想です
気軽にこういうキャラが出た、ぐらいの感覚で十分です