旅の終わりに
雑多な空気から抜け出した気がする。
身を切る寒さも体に纏わりつく熱さをどこか浄化してくるような。
「さみー」
呟いた声が低い駆動音を響かすエンジンと波の音に紛れて消える。
どこまでも続く闇を星の光が切り裂いているようだ。意外と明るい。
柵の縁まで歩く。流石に乗り越えないけどね。深夜にフェリーから高校生が海に転落とか笑う。黒縁眼鏡の先輩じゃあるまいし。
ベンチがないので床に直座りだ。なんとなく星を見上げる。ノスタルジック。見られたら死ね。
「例えばさぁー」
ぎゃあああああああああああああああああああああ?!
海があったら飛び込みたい! 明日の一面が俺の黒歴史!
外気なんか目じゃねぇ俺の体温がマジシバリング。平成を装いながら実は昭和並みに動揺。
顔、上げらんねー。
「どんなに努力しても、欲しいものが手に入らなかったら、その努力って無駄だよねー。…………どんな取り繕っても、さ……」
「なにそれ才能?」
「……うーん、そだね。才能」
それは誰もが抱える悩み。
いつかはぶつかる苦しみ。
自分の中で消化する痛み。
壁や山で乗り越える云々と達成者が語るモラトリアム。しかし万人が万人そうじゃない。むしろ大抵の人が超えられないから苦悩し苦渋を舐め諦め傷を残すものだ。
「最低でも1パーの才能が無ければ意味ないんだって……ずいぶんだよねぇ? ……」
「昔の偉い人?」
「昔の偉い人」
カツカツという音に近づいてくるのがわかった。
「才能ねぇ」
「そう、才能。もしくは運命とか? そうなるべきって……」
溜め息が出た。
「八百屋に魚を求めない」
「……んん?」
突然の話題転換にやや戸惑った声が返ってくる。
「八百屋に魚をさぁ、売ってくれって言わねーよなー」
「う、うん。まあ」
「でも八百屋は魚を売りたいかもな」
「……んー」
体の中も浄化できないかと冷たい空気を吸い込む。
「八百屋は人より優れた野菜を売る才能があるかもしれないけど、その才能が本人の欲しい才能とは限らないとは思わねぇ?」
「あー……」
「才能を生かすなら、その才能を使うべきだよな。なんせ才能がある。でも自分には才能の無いなにかに興味があるなら、持ってる才能は意味ないわな」
「……」
さっきまで聞こえてきていた雑音がいつの間にか届かない空間に、俺の声が響く。
「そうなったらもう努力しかないわな。なんせ自分には才能がない」
「でも……報われないかもよ。無駄かもよ。嫌だなー……嫌だよ」
「そらそうだ」
「じゃあさ、やっぱり……」
「でも確かに残るよな」
「……なにが? 努力したって自己満?」
それに俺は少し笑った。
「いや、魚。八百屋は魚を売ることにしたって話だろ? 魚が売れ残る」
隣の柵に体重を掛ける音と溜め息が聞こえた。
「……なにそれ」
不満そうな声。
「八百屋の話」
からかうような声で答えると肩を軽く殴られる。
「でもさ」
「ん?」
「売れ残ったんなら自分で食うしかないわな。売れなかったんだから仕方ない。でもさ、意外と美味いかもよ? 俺、魚好きだし」
「……なんの話よ……」
「八百屋の話」
月に雲が掛かったのか徐々にフェリーを影が覆う。
おう、暗い。
クイっと引っ張られるままに左隣に座っている某に顔を向けるが、暗くてよく見えない。その袖を引っ張る手と声だけが存在を主張している。
「毎日魚ばっかじゃ飽きない?」
「肉も売れよ」
「猫が盗ってく」
「ショーケースに入れろ」
「予算がない」
「釣ってこい」
「ライバル店が?!」
「共存で」
くつくつと笑われてしまった。真面目な相談じゃないの?
「あー、おもしろーい」
「そりゃどうもー」
「あのさ、もっと話してもいい?」
「ごめんなさい」
「そっかー」
再び出てきた月がゆっくりとフェリーを照らす。いや、気づかなかっただけでゆっくりと進んでいたフェリーが影から出たのか?
「あのね」
「んー?」
生返事を返して月を見上げる。雲がゆっくりと月から逃げているように見えた。
「大切な話があります」
少し嬉しそうな弾んだ声に、俺は横を向いた。