めんどくさがりの後夜祭
野球のボールのように飛んでいった女男が、反対側の見張りを巻き込んで壁に叩きつけられる。
スイッチを切る。
ふぅ。疲れた。
まだうじゃうじゃいる不良はどうするべきか。毎朝来なくてもいい時に来るくせに、来て欲しい時に来ない正義の味方に任せたいよ。悪人虐殺の正義に。
今撃った一発だけで右腕がストを起こしてる。
なんだったら賛成したい勢いだ。
「うわ、すご」
デブチンの盾からそろっと顔を出しているロングウェーブが全然凄そうじゃない口調でそう呟く。やめたげて。デブチンなんか白目むいてるから。
「……あー……なんだ、いまの?」
ギクリとした。
正直振り返らずに帰りたい。笑い声が上がっているホールが羨ましい。このままそろそろと歩いていったらフェードアウトできないかね?
チラリと振り返る。
見張りの男はダウンしているが、女男は腫れ上がった頬を不思議そうに触りながら立ち上がった。
が、やはりガタがきているのかガクガクと膝を震わせると力が抜けたように尻餅をついた。
「む、無理はよくないと思うよ」
ボソッと呟いてみる。
不思議そうに膝を見つめる女男が踏ん張ろうと脚に力を入れているが、立ち上がってくる様子はない。
「……なんだこれ。……面白えー」
全然面白くないよ。
這ってでも近付いてこようとする女男。怖い。井戸から出てくる系だ。なんか頬が腫れてるし。
「いやいやいや、限界だろ」
「……あ? 誰が?」
「俺が」
……。
「……」
ほんとボロボロです。強い奴とやりたい系のバトルジャンキーなら他をあたってほしい。この学校には電気生産系の女子とか銃刀法違反系の女子とかあと女子とかいっぱいいるから。
やられてこい。
散々やられたら考え方も変わるだろう。踏んだら終了の猫科の虎もいるからね。気をつけて。
こいつは女っぽい顔してるくせに、女子をわかっていない。瀕死の男子を盾にしてるのが見えない? あれが女子だよ。
いや待てよ。だから男子に喧嘩売ってるのか。納得。
「……あ」
「え?」
這いずって近寄ってきていた女男の頭上に石と呼ぶにはやや大きめの石が迫る。
女男は避けれない。
ゴスッとな。
鈍い音を響かせて砕けた石の下で、女男が停止する。ジンワリと広がりを見せるあれは涙かな?
涎だな。突発性居眠り症候群とかだよね。きっと。
石の軌道を逆さに辿ると行き着く俺の背後に不良の視線が集まる。
振り返りたくないな。このままそろそろと帰れないかな。
チラリと振り返るとそこにはクールビューティーなロングウェーブ。
手に持っていた石がなくなっている。
迷宮入りだね。僕にはわからない。
なんとも奇妙な間だ。つまりここしかない。
スイッチを入れるとデブチンとロングウェーブを小脇に抱える。
「やだ、たくましい……」
ちょっ、黙って。
「あ」
不良の一人が何やら気付いた時には全力で走り出していた。
逃げてる俺は勝ち組だと思うんだ。
保健室にドナドナしたデブチンに対する保険医の発言は「青春だねー」だった。その口にくわえたパイポと言い張る物体からは煙が立っていた。不思議。
「失礼しましたー」
「ほんとだよ……」
扉を閉める寸前に聞こえてきた呟きは、医者が「もう来ないようにね」と言ってくれるようなものだよね? きっと。
「あーあー。ブーメンのライブ見れなかったなー」
指が残像を生み出すスピードでスマホをいじっているロングウェーブがボヤく。
ほんとだよ。
特に話すこともなし。話し掛けずに歩き出した俺と同時に並んで歩き出すロングウェーブ。
ピタリ。ピタリ。
俺の足が止まると相手も止まる。不意に視線がぶつかる。
「「……」」
スマホ凄いな。ブラインドタッチ。
再び歩き始めると少しばかりスピードを上げた。別に知り合いでもないのに一緒に歩くとか気まずい。
相手のスピードを同時に上がる。
下駄箱に向かってコーナリング。同時に曲がる。ピタリと止まる。
「「いやいやいやいや」」
…………。
「「ストーカー? 誰がだよ」」
…………ヤバい先に動いた方が負ける。
ピンと張り詰めた空気に息がし辛い。なんだ? ビンビンに感じるこの怠惰なオーラは……。
スマホおいとけ。そこだけ別の生き物みたくなってるから。
静かな廊下に見つめ合う男女。でも俺が読んでる漫画と違う。
状況を動かすべく相手の出方を探っていると、突如流れ出すアニメロ。
スマホからだ。
やはりそこだけ寄生されてるみたいに動く指。ハンズフリーなのか聞こえてくる声。
『コマ、いまどこ?』
人生の終わりに聞こえてくる声(姉)だった。
ドッペルとかしてる場合じゃねえ。俺は全力で駆け出した。
猟奇的な現場を生み出さないために人に出来ることってなんだろう? いずれ訪れる死(姉)から逃げ出すのは人類の命題と言っても過言じゃない筈。不安で夜眠れずに過ごす気持ちが相手には分かるまい。誰もがこの気持ちとは孤独に戦い各々が答えを見いだす。でも逃げるのってそんなに悪いことか? 臆病で卑怯で醜悪で、泥の上を這いずってでも遠ざかりたい気持ちだってある筈だ。そうだ。生まれた時からこの気持ちとみんな戦ってる。出会った時から常に持ち続けている。だから前を向いていける、胸を張って言える!
姉が怖い、と。
運動場に向かう途中にある石段に腰掛けて、囂々と燃える炎を見つめる。
時刻は夜だ。
何が楽しいのか、運動場の真ん中で炎を上げるキャンプファイヤーの周りを沢山の生徒が囲んでいる。
やっちまった日は帰りたくないよねー。
最近、自分でもちょっとだけ姉に対する恐怖がヤバいんじゃないかと思う。実は下に弟がいるんだが、これでは兄の威厳が保てなくなる日も遠くないじゃないだろうか?
あー、火っていいなー。暖かいし、落ち着くよねー?
「……俺、火になりたい」
「うわー、君のそれは自殺願望っていうより逃避だよね」
おいおい、独り言に突っ込むのはマナー違反だぞ?
ゲシっと背中を蹴ってきたところを見るに、ははーん? 女性だな?
振り返る間もなく隣に腰を降ろしてきた茶髪。
「貸しだからね」
とげとげしい口調にもかかわず、少し嬉しそうにも見える。女性って大丈夫なんだろうか?
「貸しってなに? 今の蹴り?」
だとしたらどんな高利貸しより高くついてるよ。蹴ったら貸付とか。暴力が吹き荒れるわ。
「ちーがーうー! 今日……いや昨日! あたしんとこ寄ってって約束! した!」
え、うそ、初耳。
でも今まさにこれ以上ないほど近寄ってるから履行されてるよね? 返済。
「だから貸しね? なに奢ってもらおうかなー」
「自分の漫画を貸し出したことで相殺では?」
「バナナはおやつに含まれません」
世になんという理不尽が制定されていることか。今なら一本何千円するバナナもあるというのに。
「じゃあ仕方ないな」
踏み倒そう。
「そーそー。仕方ない仕方ない」
ニパッと笑う茶髪を見てると、何故か二の句が継げなかったので、踏み倒しは今度にするか。
誰かがギターを鳴らして歓声が上がり、渋面の教師陣が出てくる。火は知らずとばかりにパチパチとはぜる。
「結構楽しかったよねー、文化祭」
「そうなー」
そうだとは思えないが、反論するのも面倒だったので合わせた。
追いかけられているバンドメンを見てケラケラと笑っている茶髪を見てると、楽しかったのかもなと思えてくる。
「あっは! いいよねー。あ、ライブ見に、あ、どもー」
話し掛けてきた茶髪が突然頭を下げた。
「こんばんわ」
あっはっは、突然帰りたくなったぞー。気が変わらない内に帰るべきだよね?
立ち上がる俺の肩に細い指をした手が食い込む。
「座りなさいよ」
問い掛けられた言葉は命令だ。勿論古式ゆかしい僕らの姉が言うのは正座だろう。
外なのに。
こうして祭りの清算は後夜祭で行われることになった。あー、だから後の祭りって言うんだねと、考えたかどうかは定かではなかった。
もちろん、意識が、だ。
文化祭終了〜