めんどくさがりの文化祭 4
ビクビクと痙攣する体から、ゆっくりと広がる血の沁みが地面に吸収される。衛生兵とか呼んでる場合じゃない。
必要なのは自衛戦力で間違いないね。
僅かに逸らした視線を正面へ向ける。この毛先がダメージを受けてグネってる女男は、指先についた血を手を振って払うと、ユラリと視線を刺してきた。
顔が女だからって心まで女にならなくともいいのに。うん。
…………どうしよう。
先程までの威勢が嘘のように静かになった不良どもは、青い顔をして逃げるタイミングを図っているように見える。
十年来の友人のような感じを出したら混ぜてくれないだろうか。
静けさが耳に痛いほどだというのに、意に介することなく一歩を踏み出す女顔。
逃げよう。
おっと違った。国家権力を呼んでこよう。通報は善良な市民の義務だ。高校生の鏡のような俺が義務を怠るわけにはいくまい。えっと「女みたいな顔をした男が「退屈」とかほざいて目に手を突き入れてました! ほんとなんです! 追ってくるんです!」だな。
病院行きだろ。必要なのは倒れている奴らだというのに。
「……オレはさー」
なんだよ。今大切な事考えてんだよ。静かにしろよ。
女男が不良の海を抜けて前に出てきた所で足を止めて話し掛けてきた。
酷く気だるい感じだ。
「……どっちでもいいんだ」
女でも? 男でも?
バカいえ。重要だろ。
「あんたが逃げようがどうしようが」
「あ、じゃあこれで」
失礼しました。
「けどさー」
うん。わかってた。半分女性だもんな。
周りの不良は女男の一言一言を固唾を飲んで見守っている。どんだけヤバいんだよ。
「あんたが逃げたら後ろの奴らを狙う」
ピシッと挿されるロングウェーブとデブチン。ピシッと固まるロングウェーブ。
「わかった! その条件……飲もう!」
仕方ないね。平和のために犠牲って付き物だから。
「あー……いや待て待て。あたし無関係だよ? 偶々目撃しちゃった一般市民なんだけど」
「すげー死亡フラグだよ、それ。回収だな」
「確かに」
わかってくれる?
ポンと手を打ったロングウェーブに然りと頷く。
「いや死ぬし。目ぇ潰されたりしたらあたしきっと死ぬ。まだ加賀攻略まだなのに死ぬとかマジ止めて。せめて撮り溜めた夜アニの消化とパソコンの中身の消去はさせて。じゃなきゃ悪霊化必至」
じゃあ今の日本は悪霊だらけだね。地獄に流しなよ。
「……今の俺にはどうすることも……」
「ちょっと、できるできる。むしろあんたしかいないでしょ?! わ、わ、キタよ?! ね? 頼む頑張ってよ! わーった、頑張ってくれたらちゅうするから! ね?」
「ごめんなさい」
「あたしが御免なのこの状況を謝ってんの?! あ゛あ゛ー、夜アニ六話から見てないのにー」
それ大事?
押し潰すようにプレッシャーを放ちながら女男がゆっくりと近づいてくる。しかしその進路は俺とは重ならず、真っ直ぐにロングウェーブに向かう。
「……行けば?」
俺の横を通る瞬間、俺達が来た道を目で促す。視線を降られた逃げ道を塞ごうとしていた不良も、何も言わずにゆっくりと後退して女男の意をくむ。
足を止めることなく女男は通り過ぎ、もはや興味は無いとばかりに俺から視線を切る。
チャンス。はいキック。
後頭部を狙って上段に放った回し蹴りを、完全に死角からだったのに女男はしゃがんでかわした。後ろに目でも搭載してるんでしょうか。
くっ、騙された! これだから不良って奴は! 俺のピュアすぐる純真と信頼を返せ!
「……はっ」
馬鹿にしたように鼻を鳴らして、下から女男が刺すような視線を投げかけてくる。
上目遣いとかあざとい。そんな趣味はないと断らなければ。
反回転する勢いを利用し体の捻りをスピードに変えて零距離から貫手を放ってくる女男。
狙いは喉。
今度真剣に法律について考えてみたい。なんか周りに命の大切さを知らない輩が多い気がする。
身内とかね? 身の内には優しさが半分を超えて溢れかえっているっていうのに。
貫手を白刃取りの容量で受ける。思いっきり叩いてやった。パーンといい音が響いた。ふふふ、手が痺れたにちまいない。超痛い。
しかし女男は我慢しているのか貫手の勢いは止まらず、突き出されたままに体が浮かぶ。
マジかよ。
すぐさま手を離したが慣性は止められず後ろに飛ばされる。
しかし追撃はなく、女男はアルカイックスマイルを浮かべると、再び反転。身を低くしてロングウェーブの方に向けて駆け出す。
サッとデブチンの陰に隠れるロングウェーブ。
やぁーろう。
大人しく後頭部を打って終わらせようという俺の優しさを踏みにじりやがって! そんなに女に飢えてるんなら女(姉)紹介してやろうと思ってたのに!
駆け出す。
こちとら足には自信がある。毎日と言ってもいい頻度で終末への足音(姉)を回避してんだぞ? 実績が違うよ実績が!
デブチンの壁(慣用句)の一歩手前で追いつける。女顔の男を後ろから襲いかかる図がここに完成する。なに、刑務所じゃよくあることだ。偏見。
気分を出すために両手を広げて指をワキワキさせたところで女男が急反転。両手を広げたために防御が疎かになった胸に肘鉄を突き入れてくる。
石同士がぶつかったような鈍い音が響く。正中線ではなく、左胸を女男の肘が深く抉る。嘲るような笑みがムカつく。
喉をせりあがってくる鉄臭い液体をぐっと飲み干す。
ああ、なんだろう。
俺の体が停滞した一瞬を狙って女男の重心が後ろに引かれる。こちらに襲いかかるというより、距離をとるような位置取り。視線は俺に向けているが、意識はこれ見よがしに背後だ。
それに俺は反応しない訳にはいかない。体が前へ。
それに女男が反動をつけた横蹴りで向かい撃つ。溜めを作ったその蹴りは吸い込まれるように俺の顔へ。女男は退屈な表情を隠しもしない。こいつは強く言外に言ってる。
つまんねー、ってか。
骨が砕ける鈍い音が耳に遠く響く。ロングウェーブの口が開いている。後ろの不良の誰かが短く息を飲む音がやけに大きく聞こえた。デブチンの意識は戻っていない。決まったと思っているのか女男の視線は明後日の方に向いている。そのつまらなげな表情からは何を考えているのかは知れない。多目的ホールから轟いてきた歓声に気を取られたのかもしれない。ライブが始まったんだろうな。
あー、くそ。いてぇ、
鼻をへし折った女男の足を掴み力任せに不良どもの方に投げる。
軽く目を開いて、驚いているというより、ああ頑張るね? といった気怠げな表情で女男が一回転して着地する。不良どもが巻き込まれまいと落下点からフェンス際へと素早く下がる。
女男は仕切り直しのつもりか、トントンとつま先で地面を叩いて足の調子を確かめている。
俺も合わせるように鼻に詰まった血を片穴に指を当ててフンと噴き出す。
「……ふぅ。終わったかと思ったんだけど」
返事を待つというより、俺のダメージを確かめるように問いかけてくる女男。
「ああ、なんだ。もしかして喧嘩売ってた? 俺の姉弟が朝起こしにくる時より優しかったからなにやってんのかと」
本気だ。
「……ああ、そういうのいいよ。うざい」
……ああ、そうだ。
「勘違いすんなよ?」
なんでかな。こいつは相手が傷つくよう傷つくように動いてる。倒れてる奴や女を見捨てて逃がそうとしたり、わざわざ挑発して誘い込んだり、相手が傷つく過程を楽しんでる。圧倒的に上から状況を見るように。
……だから言っとかなきゃな。
「挑発じゃねえから。――こいよ両生類。起こし方を教えてやる」
八神家風でいい?
冷めた反応の女男が駆け出す。場所がよくない。ロングウェーブにもデブチンにも避難してほしい。出来れば俺も避難したい。
しかしこの場所で闘うという有利を、女男は捨てないだろう。圧倒的に不良どもの数の方が多いのだ。俺に鎧袖一触とか無理。外食一食ならいけるけど。
いかん。考えがまとまってないというのに女男がもう近い。ええい、せっかちめっ。まだくんなよ。
女男がクルリと背を向けたかと思うと、死角から蹴りが飛んできた。勢いのままに一回転してあびせ蹴りを繰り出してきたようだ。
コメカミを狙う踵を腕でブロックするが、衝撃まで受け止めきれられず頭が揺らされる。痛い。お返しとばかりに女男が蹴り足を引くと同時に踏み込み拳を放つ。
狙いは顔だ。男らしくしてやる!
しかし寸前でかわされ酷薄な瞳が俺を映し出している。あれぇ?
女男は俺の腕と胸ぐらを掴むと重心を下に落としてきた。
投げられるのはマズい。
咄嗟に踏ん張り、逆の手で女男を引き剥がそうとするも胸ぐらを掴んでいた親指がその一瞬を待っていたとばかりに右目に伸びてくる。
くっ……そ!
反射的にかわすが目端に引っかかったのか軽く鮮血が舞う。
この目に気を取られた一瞬を女男は見逃さず、腕を掴んでいた手がいつの間にか俺の鳩尾にめり込む。トイレ行きたくなった。
当然攻撃の手を緩めはせず、蹴りを放とうとした女男が、何故かバックステップ。
疑問に思う間もなく、石と呼ぶには些かデカいコンクリート塊が俺の顔のすぐ横を通過する。耳元にブォンとやたら鈍い音を掠めてドッと地面に落下しゴロゴロ。
…………。
女男を警戒しつつチラッと後ろを見ると、ロングウェーブがドヤ顔。
「どやー。ナイスアシスト、あたし。誉めろー」
「ちょっと引っ込んでてもらえますぅ?」
こちらは完全に女性だもんね。仕方ないよね。片方の手に石を掴んでいるところを見るに追撃があるとみた。狙いは男で間違いないだろう。
警戒は後ろに8、前に2の割合で振っておこう。
意外と一発が重い。これ以上のダメージはヤバいな。経験からわかる。あれ? 泣きたくなってきたよ? この頬を滑る液体はなに? 血ですね。わかります。
どうやらこの状況に血涙を流さんばかりに心を痛めているらしい僕は無類の優しさを持っているらしい。人類の半分に見習ってほしい。
再び開いた距離だが、女男は特に焦りを抱いていないのかポケットに手を突っ込んで俺を待っている。なんだよ、面倒なのか? このめんどくさがりめっ。きっと録な大人にはなるまい。
深く吸い込んで深く吐き出す。
スイッチを入れる。
呼吸により摂取した酸素が体内を巡る。加速した血流が熱を生み、鋭さを増した神経が空気の流れを読む。
チェンジスーパーモードだ。外的な変化はありません。
どこぞのポニテにやられてから俺は学んだ。出し惜しみは痛い。
物理的に。
女男は当然ながら気付かない。卑怯? 不意打ち?
大好物です。
踏み出した足に力を入れる。限界を超すそれは地面にピシピシといった不吉な音を立てながら亀裂を入れる。
女男が何か感じとったのか、ポケットから手を出したが、もう遅い。
コマ送りのように女男の懐に潜り込む。その表情は初めて強い驚きを表していた。踏ん張った足が再び地面に悲鳴を上げさせるが、構うことなく拳を顔面に叩き入れんとする。咄嗟に上げられた腕の防御ごと女男を殴る。
女男の両腕が鈍い音を立て、障害をモノともしなかった拳が頬に突き刺さる。
落雷のような音が響いた。