めんどくさがりの文化祭 1
俺は眠れなかった。
睡眠は人間の三大欲求の一つであり、1日を健康に過ごすためには絶対に欠かせない、活力の回復を担っている。
睡眠欲って言うんだから、それはもう欲求ですよ。
しかし俺とて思春期男子。同じ屋根の下、可愛い女子と一晩なんて眠れないよ。
怖くて。
まあ、主な原因はそれじゃないけどね。一因ではあると思う。
窓から朝日が燦々と照りつけてくる。目に直撃。寝袋にくるまっているせいか避けれない。起きろってか? まず寝てないって言うのに。
薄い寝袋のファスナーを中から開けて体を起こす。寒いやら痛いやらで眠れなかった。
ここは文芸の部室、前の廊下だ。
もはや帰るのもダルくなったし、部室には畳にコタツにベッドになるソファーもあったので、明日、朝、わざわざ弟に布団を奪い取られるよりはいいかと部室に泊まったんだが。
いざ、寝る段階になると、黒縁が寝袋や歯磨きやらを廊下に放り出し始めて……女子の習性だろうと納得して頷いた俺も廊下に投げ出された。
女子の習性だろう。
しかしあまりにもあまりな扱いに理由を尋ねてみたところ、黒縁は非情に驚いた顔で「もしかして、同じ部屋で眠るつもりだったのかしら? ハレンチね」という言葉を投げ捨ててピシャリ、ガチャリ。
俺は仕方なく歯を磨いて寝袋にくるまったという訳だ。俺の部屋で寝起きを共にした記憶はなんだったのか。
寝袋はとても薄く、廊下の外気から俺を守ってくれない上に、なにかの泣き声が聞こえてきて、とても怖かった。
黒縁が窓を開けて「うるさい」と枕を投げてきたので泣き声が俺の口から漏れているのに気付いた。(黒縁が)とても怖かった。
吐く息が白い。学校の廊下の冷えること。
「ぐっ、体……いってぇ〜」
寝袋って意味あったんだろうか……。
とりあえず立ち上がって背伸びだ。ストレッチだ。バキバキと凝りをほぐしこれから何をしようか考える。
どうやら既に動き出してる奴らもいるようだ。向かいの校舎にはジャージやら制服姿やらで動く連中が見られた。若さだ。
一般のお客さんを入れるのが9時かららしく、劇やらダンスやら準備があるクラスは学校に来るのが早い。それこそ泊まり込み勢もいるしね。
さてどうしたものか…………帰ってもいいんじゃね?
幸い昨日頑張った俺は、今日は自由時間が多い。朝の方にシフトが入っているが、高校生特有スキル『ぶっち』を使えば乗り越えられる。まあぶっちゃけ、使えばブッチするのは相手なんだけどね。
なにか忘れているような気もするが、思い出せないなら大したことないんだよきっと。会えば絶対分かるってレベルじゃないなら大丈夫。避難訓練を行う必要もない。
チラッと背後を見やる。
黙して変わらない部室からは静けさばかりが漂う。
まだ起きてないらしい。
「さーて、今日の文化祭のために、一度家に戻らないとなー。うん。準備とか、アレがほら、それで」
チラリ。
頑として開かないスライドドアを警戒しながらジリジリと後退る。
階段と渡り廊下。選択肢は二つ。階段でしょう。渡り廊下とか逃走中にバレちゃう。黒スーツでグラサンの人が追いかけてきちゃう。ダッシュで。
ゆっくりと階段の方へ足を進めながらも、部室の中の様子を慎重に探り、ドアが開かないかどうかを凝視する。
曲がり角に到達。自由への架け橋だ。
クルッと反転すると、良い笑顔で曲がり角を曲がる。
「それで? 私の許可なく何処へ行こうというのかしら?」
曲がり角の先には黒縁。
知ってた。もうね、知ってた。曲がり角でぶつかるシチュエーションでしょ? 古典だ。今の女性に曲がり角でぶつかろうものなら罵声と暴力を頂戴すること必至。
見てよ黒縁のあの目を。『ブタ(男)は肥え太って死ね』と言わんばかりの冷たい目だ。
あと手に包丁持ってる。ここ大事。
起き抜けと思えない程、綺麗に整えられた容姿の黒縁は制服の上からエプロンを着けて、
冷たい目で、包丁を持ってる。
お菓子にアイスだ。買収だ。今持ってる現金で。いや待て。黒縁の欲しい物。手札が足りない。神様助けて。携帯で連絡。誰か通りかかってくれ。切り抜けろ。当たらなければどうということはない。当たれば大惨事。刀身を…滑らせろッ! 無理言うない。癒やしとかなかった。考えろ考えろ。相手の望みを。生くる術は。神の一手。
「ぶっ」
「ぶ?」
「文化祭を楽しむためには! まず朝から行動することが大事なんですよ!」
指を一本立ててしたり顔。自信満々に見えるかな? いや見える筈。
「……そう? いえ、でも……」
気が逸れたのか、包丁を持ってない方の手を口元に当てて何事か思案し出す黒縁。
どうやら興味を持たれたようだ。昨日から文化祭の過ごし方云々に興味を持ってたからな。
ならば是非もない。押せ押せだ。
「そうですそうです! ほら、他の生徒も早い時間なのに行動を開始してるでしょ? あれは今日という1日を味わい尽くすために1秒も無駄にしないための行動なんですよ! 決して準備の追い込みや早い時間からのリハーサルだけじゃないんです!」
「……そう、なのかしら?」
「そうですよ!」
いや準備とリハだと思うけどね。
「……では、朝早くから、何をしているのかしら?」
さあ?
「それは勿論!」
「勿論?」
「食事です!」
俺、必死。いや瀕死。
ノリと勢いで言葉を紡いでいたが、限界があるよ。なんだよ食事って。寧ろ食卓に並ぶ側だよ。包丁が朝日でキラキラって、いやギラギラってしてる。
「成る程」
通っちゃった?
死神さんが続けろとばかりに見つめてくるのでコクリと頷いて続ける。
「だから買い出しに行こうかなーっと……」
「無用よ」
上げて落とすってやつですか?
「調理は終わってあるから」
……んん?
「そうね……運ぶのを手伝って頂戴」
そう言ってスタスタと歩き出す黒縁。大人しく後ろについて行く弱者。
階段を降りて家庭科室に入室。そこには既に四人分の朝食が湯気を立てていた。
白飯に玉子焼き、漬け物にサンマにおすましに海苔。
「なにそのチョイス」
「文句でも?」
「まさかぁ〜」
はっはっは、やだー、誰? 文句言ってるの。
既にお盆にスタンバイされてるが、一人で持ちきれなかったからヘルプを求めて来たのだろう。どっから部室を抜け出したとか、包丁持ってる理由とか聞かない方向で。恣意的。
「でも一人で二つ持つのも不安定だから……」
俺が三つ持てと? わかります。うちの姉なら四つ持てって言うからね。やだ、優しい。
お盆の一つを頭の上に乗せて、あとは片手で一つずついったら、黒縁が変な目でこちらを見ていた。
フレーム歪んでんじゃねーの?
「…………言葉も無いわ」
「喋ってますけどね」
あ、包丁は置きませんか? 銃刀法って知ってます?
宥め空かして部室に戻って朝食を頂いた。黒縁は再び「成る程」って言ってたけど、もう女ってやつがわからなかった。
それでは開店。
流石に今日は厨房を一人で回すといった理不尽には晒されなかった。朝からフル稼働だ。
隣の相棒(多分、俺のクラスの男子?)とモーニングを作る。相棒がパンをトースターで焼く間に、俺が紅茶を淹れながらベーコンと豆を炒めつけてこんちくしょう。
マジ学生カーストがパない。
「変態、鎌田くん、ハニモニ一つと、ミルクティー一つ」
「ちょっ?! 何気に俺にも被害でてねえ?!」
「じゃあ、鎌田くん変態」
「め、目がぁ?!」
刺すように冷たいですね。
「……返事」
「「はい! あざまーすっ!」」
ちなみに相棒君は俺と同じ事をチャレンジしようとして未遂で逮捕されたそうだ。無茶しやがって。
「じゃあ、俺は蜂蜜パンの方な。八神、紅茶頼む」
「おっけ」
ミルクティーを淹れたポットを高所から注ぐ。散々炒めつけてカリカリになってしまったベーコンを皿に乗せる。
「おー、それすげーよな? なに、練習したん?」
「ああ。普段、姉から受ける強攻を参考にして炒めた。火で炙ってくるとこなんてソックリだ」
「いや、紅茶のっ、お前普段から火で炙られてんの?!」
「マレー式ってやつでね? 酸素を含ませると美味しいらしい」
「いやいや火は?! 炙りは?!」
「はいモーニング一つ。控えいねえから持ってってくれ」
「会話繋がってねえ!」
叫びつつも持っていく相棒。相棒が暖簾をくぐった瞬間、上がる嬉しそうな黄色い悲鳴。凄い人気だな。モテ男なのかな? トースターから弾丸が出るようにしとかなきゃ。
目玉焼きをポンポンと宙返りさせながらストックから茶葉を出す。ソーセージに切れ目を刻んでスクランブルエッグ用の卵をクーラーボックスから取り出したところで、暖簾が動いた音で振り返る。また追加ですか?
あり? いねえ……。
「おかしっ!」
「はい喜んでー」
膝にズンときた。そっちにゃ曲がらねえ。
視線を下に降ろすと、フリフリの洋服を着て髪を編み込んだ幼女がワシワシと俺の体を登り出した所だった。ズボンがね? わかるだろ?
今日のパンツの色を衆目に晒す前に飴幼女の脇に手を入れて抱き上げると、ニコニコとご機嫌なご様子。
公共の場でパンツ晒させようなんて鬼の所行だよ全く。
「おかしぃーー!」
「うん。ここってスタッフオンリーだからね。確かに、君がいるのはおかしいね」
君の居場所はここじゃない。
汚物は消毒、もとい、異物は排除するのが世紀末を過ぎた現代の発想。おら帰れ御客様。
火元を止めて抱き上げた飴幼女を返すために暖簾をくぐる。確かスーパー君が接客だったはず。お兄さんに返そう。
俺が暖簾をくぐると再び黄色い悲鳴が上がる。
モテ期キタ。始まってしまう薔薇色学校生活。
「おかし、おーか」
「あぃー、うぅー」
あん?
ペシペシと頬を叩く飴幼女が床を指差すので、従うがままに視線を床に動かすと、クリクリとした目の、前掛けを掛けたヨチヨチ歩きの赤ん坊が見上げてきていた。
…………なんだこれ。
しばらくジッと見つめていたら、赤ん坊が地団駄? のようなものを踏み出し、それを見守っていたクラスメートの女子から歓声とシャッター音が上がる。ああね、モテ期じゃなかったのね。
「んむー……あぅー」
赤ん坊のよだれ塗れの手が俺のズボンを掴み、もう片方を自分の口にパイルダーオン。避けようとしたら女子どもから「八神、動くな!」「好きにさせとき」「空気読めや」やらの言葉の弾幕に被弾したので動けなかった。メィディィィック!
「あのねー、おーかはねー、りっかのねー、いもうとなの! いいでしょ?」
「うん」
妹いいなあ。ということは飴幼女は姉でしたか。やはりな。
「おーかかわいい?」
「うん」
「りっかは? かわいい?」
「うーうん」
「んもお! りっかもかわいいっていって! いぃってぇ!」
えー……。
「りっか可愛いよ。綺麗だよ。見惚れるよ。ビックリだよ。ドッキリだよ」
「やぁ〜〜〜ん」
あ、肯定しても否定してもペシペシするんスね?
「うっわ、キモイ」
「さいてー」
「お巡りさん、こいつデス!」
女子からは漏れなく冷たい視線を貰った。俺に何が出来たというんだ?!
笑いをこらえてプルプルしてた飴幼女の母と、家族が来店して微妙な表情で笑っていたスーパーに妹達を返却して厨房に戻った。
その後は特に触れる要素なんてなく仕事を続けたよ? 呼び方が「おいロリ」やら「ペド変態」に変わったくらいかな。登校を断ってもいいレベル。
もはや心を凍てつかせるしか道はないとばかりに淡々と料理に励んだ。一切の雑音を排して無我の領域に。
――だから暖簾の向こうが一斉に静かになったのにも気づかなかった。