めんどくさがりと新学期
あっついわぼけぇ!
何故か一枚しか掛けていなかった布団が三枚に増えており、エアコンはその稼働を止め代わりとばかりにハロゲンヒーターが部屋に四台も設置されてあった。
そらハネ起きるわ。
いつもは奪われまいとする恋人も三人もいたら三股になっちゃうだろ? 俺は手酷く三人ともベッドから蹴落とした。
なんだこれ……どうなってんだ? 疲れてる俺にこの仕打ち、もはや鬼の所業。つまり家族の誰かの仕業だね? 納得。
いつもの覚醒に掛ける時間もすっ飛ばしてハロゲンヒーターのスイッチをオフに。
汗が諾々だ。干からびて死なんとする俺の目の前に、具体的には机の上に、透明なグラスにはちきれんばかりに氷を浮かべたオレンジジュースが置いてあった。蜃気楼?
軽くつつくと冷たい感触が返ってきた。マジか。神は俺を見捨てなかったというわけだな。いただきます。
ゴクゴクいった。ぶはっと吹いた。
「ぐえぇぇぇ、にっっっっっげぇんだけど?! なにこれ毒? 毒なの? 毒じゃ死なないとかクールなことも言えねえほど苦いんだけど? 苦味が強烈に残ってむしろ殺してってほどなんだけど?!」
くっ、なんてことだ。砂漠で蜃気楼にあった旅人は、それと知りながらも希望を込めてオアシスに近づくという。一縷の望みを託して。だというのにこの罠はそんな心理を利用して巧妙かつ残酷に出来てやがる! オアシスが本物だと歓喜した旅人が真っ裸で水に飛び込むと実はスライムぐらいのショックがあったよ! なんて酷いことを……この酷さ、ははーん、さては八神家の人間だな? 机の上の物は俺の物ニズムまで利用するなんて……狡猾と言うに絶えない。ってかまだ苦い。口がおかしくなるわ。
グラスを机の上に戻しつつ、夏用の制服と着替えを掴み、とりあえず風呂から行くことにした。鳥風呂だ。烏の行水レベル。
今日から新学期だ……めんどくせぇ。
舌が溶けてんじゃないの? という苦味を抱えたまま、俺は風呂場に降りていった。
……じゃあ、いってきます……。
全力で後ろ髪引かれるどころか後頭部掴まれる思いで玄関のドアを閉める。
え、マジで? マジで学校行かなきゃ駄目? 学校で習うことの八割は将来使われないことって言われてるよ?
トボトボと自転車を道まで推して腰掛ける。ペダルを踏むのが大変。なんか全然前に進まない。
遅刻ギリギリな時間なため生徒の姿が皆無な道を通ってオジサンのアパートへ。いつものように駐輪場に自転車を突っ込んで歩く。ああ……学校だ。
何故か新品のような下駄箱にたどり着いて靴を突っ込み、持って帰っていた室内ばきを鞄から取り出す。このタイミングで鐘が鳴る。
あ、くらっときた。なにかなー、貧血かなー、貧血かもなー、無理はよくないよなー、どうせ始業式なんて直ぐ終わるし、俺なんていてもいなくても式は進む。うん。
サボろ。
そうと決まれば善は急げだ! 思いたったが仏滅だ!
俺は急にイキイキとした足取りで保健室へと向かった。ぶっちゃけクラスからダラダラと出てきて体育館に向かう行列に逆らいたくなかった。
保健室のドアをガラリ。
「すいませーん、俺に癒やしをください」
「すげー元気そうな奴が無理難題を振ってきたなぁ……」
無理なの?
保健室には保険医しかいなかった。相変わらず髪を首の後ろ辺りで纏めてストレートに流し、前髪が目を覆っている。着崩して少し煤けた白衣とくわえ煙草がやけに似合っていた。っておい。
「いや、先生。ここで煙草吸うのっていいんスか?」
「あ、違う違う。禁煙しようと思ってだな、これパイポなんだわ」
パタパタと慌てて手を振り回しながらくわえていた煙草を外す。ほうれん草食べたら回復する超人という理解で構わないかな? 全く女性は神秘だな。
「で、どうした? 教師と生徒の禁断の授業くらいしか受け付けんぞ? 寝たきゃ帰れ。それか抱け」
ちょっと! この人悪いことしか薦めてこないんだけど!
「やめてくださいよ……こっちはちゃんとした理由で来てんですから……」
「なんだ?」
「サボりです」
「…………」
全く。俺が紳士で良かったな? リビドー溢れ過ぎて無くなってる十代の草食系なら赤面して帰ってるとこだぞ?
ヤレヤレと息を吐き出し手を水平に肩をくいっ、保険医を鼻でハンっと笑ってから、俺はベッドにダイブした。この暑いのに布団に潜るとか無理。冷房が効いた室内でゴロゴロするだけして、始業式が終わったら帰ろう。保健室にいるだけで登校したことにはなるからね。
「おらっ(保険医)」
「きゃーー!!(俺氏)」
体の下にしていた、一時の恋人(布団)を無理やり剥ぎ取られベッドから転がり落ちる俺。これが寝とりってやつか?! くっ、分類が教師だからと油断した。さては貴様、女性だな?
「なにするんですかっ?!」
「保健室のベッドってのはムカつくカップルどもが盛る(さかる)ためにあるんだよ。ここで一人寝とかルールに反する。どうしても使いたきゃ相方呼んでこいや、ああ?」
怖い。
口に含んでいたパイポを噛み切り恫喝する保険医の髪の隙間から見えた瞳はマジだった。いつも姉と弟がこんな瞳してる。
「相方ってなんですか? お笑いの?」
「誰が芸人気取れって言った? こん前、授業サボってちちくりあってた奴いたろ。セミロングで、鋭い目つきの」
誰?
共に首を傾げる保険医と俺。秘孔の実験する人みたい。
そんな感じで撤退を余儀なくされそうな時にガラッと扉が開く。
入ってきたのは肥満体。
顎下とお腹の肉を贅沢に使う眼鏡男子が、俺と保険医を見てビクッとした。
「……あ、あのー、気分が悪いので、ベッド借りても?」
「ああ、いいぞ。頭痛や腹痛はないか? だるかったりキツかったら遠慮なく言えよ」
ちょっと待て。
「先生。僕もダルくてキツいのでベッドでゴロゴロしてもいいですか?」
「駄目だ」
おかしいな。この状況が? いや女性の存在がさ。
口にしようものなら口にも出来ないことされる考えを浮かべつつ、隣のベッドで転がる肥満体を羨ましげに見る。いいなー。俺なんて追い出され掛けてんのに。
「……いや、そんなに見つめられたら、気になって寝れねーから」
「おう、悪い。邪魔したな。どこが悪いんだ? 体型?」
「うるせーな?! 骨太なだけだわ!」
「先生。こいつ元気っスよ」
「わ、わたしは太くないぞ」
聞いてねーよ。
再び保険医から視線を切って肥満体を眺めると、肥満体は居心地悪そうに睨んでくる。その目の下にはクマが。
「寝不足か?」
「おう。撤ゲーしてたら今日から学校って忘れててな。どうせゲーム出来ないんだから時間を有効利用するために、ってヤバ」
肥満体の引きつった顔に釣られて視線の行き先をたどると、いい笑顔の保険医がいた。
「よし、出てけおまいら。じゃなきゃ服脱いで大声出す。社会的にヤる」
こうしてすごすごと撤退を余儀なくされたのでした。だって白衣脱ぎ出すんだもん。肥満体が本気なのか聞いてきたから、正気に見えるか聞き返しておいた。
いつも屋上だと思っているの? 残念、食堂でしたー。
肥満体と食堂ナウ。
とっても自然な光景なので「食堂がよく似合う」と褒めたら「ピザが好きでふー」と返された。
俺は一頻り感心したように頷いちゃったよ。
「いける口だな」
「……ねえ、どっちの意味で?」
げんなりとしてる肥満体と共に適当なテーブルに腰掛ける。
保健室を不当な理由で追い出された俺たちは、今から体育館の中に入っていって目立つのが嫌だからどこか適当な場所で時間を潰すことにした。教室いけば? と提案したところ、あくまで体育館で式を受けた態で他の奴らと合流しなきゃ出席が貰えない、と至極もっともな意見をされたので、連れ立って食堂にきた。
ちなみに食堂は閉鎖されていたので、裏口から厨房を通って入った。肥満体が「いざとなったら売るからな!」と勢いこんで発言していた。なにを当たり前なことを。当然、俺もお前を売る。
そんな、腹に一物抱えた二人が、式が終わるまでダラダラと時間を潰すため向かい合って座る。
「あー、お前さあ……隣のクラスの八神だろ?」
「え、なんで名前知ってるの? やだ怖い」
「俺もお前がこえぇよ」
意見が合ったね?
目の下にクマを迸らせながらこちらを陰気に見てくる肥満体は呟くように吐き捨てた。
「リア充め」
「異議ありっ!」
してねーよ! 現実に満足してたら俺に姉弟はいねぇ!
「いーや、お前はリア充だわ。女子と話できるってだけで度し難いのに、滅茶苦茶可愛い子を何人も侍らしてるコマシなんだろ? もう王様だわ、リア王だわ」
「シェイクスピアとかいいから。滑ってるから」
「う、うううるれえ!」
あ、こいつコミュニケート能力ゼロだな。なんか横文字で言うと異能力っぽく見える不思議。
「まあ、落ち着け。お察しの通り俺が八神だ。あの一年、八神健二の兄を務めている」
「……いや、自分の紹介に弟の名前出すのはどうなの?」
なかなか鋭い刃物をお持ちですね? 互いに手加減しないかね?
「俺は、隣のクラスの佐藤朋也だ。言っとくけど、体育で何度か見かけてっからな?」
「はっはっは、何をバカな」
「なんでだよ?! 何も変なこと言ってねーよ!」
しかし危険な名字だな。追いかけられても知らないよ?
「それで? なんのゲームをしていたか詳しく聞こうか? えーと……名前なんだっけ? まあデブチンとかでいいだろ。デブチン」
「めっちゃ漏れてるから。心からの声がダダ漏れだから」
「失礼だね? 本音ってだけだ!」
「なお悪いわっ?!」
少しオーバーリアクション気味なデブチンに抑えるよう手を翳したら、火に脂を注ぐが如く燃え上がってしまった。一体何が彼をそんなに追い詰めてるのだろう……。体重かな?
「わーかったって。俺が悪かった。謝るよデブチン。許せ」
「謝ってねー! ……もういいわ。すげーループに陥り出してっから。俺にはずっと魔女と闘い続けるとか無理だから」
女性って凄いよねー。
漸く落ち着きを取り戻したデブチンと今やってるゲームの話になる。やっぱりアレか。俺もやってるやつだ。
「で、時間無制限課金アイテム無しで一晩やったわけよ? でも勝てないというね……」
「あー、分かる分かる。あれって協力を前提に作られてるよな?」
「こちとら籠もりきりなゲームやるくらい友達がいないから家庭用ゲーム機にハマってるつーのに! すれ違いのために外をウロウロしてたらお巡りさんにクエスチョンされるから御手数とらせないために国民の義務を全うしてるっていうのにぃぃいいい! パーティープレイとか求めてくんじゃねえよ! 友達とかいっぱいいるしぃ?! 別のネトゲで俺って人気者だしぃ?!」
おぅ、かなり削られてんな。
「なんなら、協力する? 俺もあいつの硬さには辟易してたんだわ」
「……むう。魅力的な提案だわ。しかしなー」
興奮度合いから立ち上がっていたデブチンが、考え深げに腕を組み唸り声を上げて座り直す。
「むむむむ、駄目だ。女子と話が出来るやつは敵というマイルールに抵触する。彼女持ちはボスキャラに準じ、妻を娶らば墓場行き、この世界の法則を、俺は曲げられない」
近々俺の弟は墓場に行ってくれるらしい。いいな世界のルール。逸脱する存在が一杯いるというのを除けば。
「大丈夫大丈夫。敵と書いてライバルとか読めば大抵イケるって。少年誌的な展開で裏切り者量産すれば勝ち組だって」
「むむむむむむ無」
その後も、唸り続けるデブチンに悪魔の囁きを続けていたのだが、騒がしい声と大量の足音が聞こえてきたので、どうやら式が終わったと理解した俺たちは解散することにした。
「この話はまただな。八神……八神なんて言うんだ?」
「うん? 八が……っておい」
人の波に飲まれるデブチンに別の流れに乗った俺は溜め息を吐き出した。
「聞いてけよ……」