めんどくさがりと合宿 4
「……空が青いなぁ」
俺は木の葉の間から零れ落ちる空の色と陽光を反射して光る木々を見てそう呟いた。
樹木が自ら発散させる揮発性物質でフィトンチッドという物がある。俗にいう森林浴の効果を表すそれは消臭、抗菌、防虫などに役立つ。昔の武道家の人は『ここの空気、濃っ?!』などと言って傷を癒やしたそうだ。諸説あり。
つまり森の中にいると、疲労や傷の回復が早まるということだね。んな馬鹿な。
俺はハマっていた藪から抜け出そうと立ち上がる。周りには落下の勢いを削ぐために犠牲になった枝が散乱している。
体は酷くダルくあちこちが痛い。騙したなっ?! 早く治るって言ったじゃないか!
腕に刺さっていた枝をポイポイと抜く。それにしても危なかった。突然襲いかかってくるんだもんなー。ここの道場の流儀には、人目がつかない所で殺れ! とかあんのかもなぁー。さて逃げなくちゃ。
周りを見渡してみるが木しか見えない。結構深い森のようだ。ここ現代日本でオーケー? 実は落ちた時に死んで転生したとか次元の狭間的なものにインしたとかじゃないよね? 姉のいない世界なんて幸せしかないじゃないか! でもネットもないのか……じゃパス。
とりあえず現在位置の確認が必要だな。
俺は目の前の木によじ登り始めた。体がガタガタだったので、駆け上がるとか無理だからゆっくりと足場を確保しながら。
「――おぅー」
葉の間から顔を出して周りを睥睨する。どうやら頭一個分周りから抜け出している木だったらしく、結構遠くまで見える。
近くに崖が見えた。結構高い所から落ちたらしく、あの小憎らしい看板は見えなかった。崖の上にも人影はなく、俺を探している気配はなかった。
反対側を向いてみる。
こちらから向こうまで山が続いているらしく殆ど緑にしか見えなかった。しかし反対側の山の頂上に微かに人口物っぽいものが見える。
ふむ。このまま崖の上まで戻るには、
ファイト一発! 崖登り→転落死。
無難に崖沿いにつたって元の場所に→捜索に来た人に見つかる→往生せいやぁ!→死。
の二択があるわけだが、置いておこう。
しかし、道路は崖の向こう側にあるしなぁー、帰るんなら方向的にはあっちだよなぁ。
ここでポイントとなるのが反対側の山の上にある人口物だ。なんか、よく登山道とかで見かける休憩所に似ている気がする。
しかし気のせいか粒子濃度が濃い気がする。プンプン匂いやがる。
このままあそこまで行って登山道を下り公的交通機関を使い家へ、なんて甘い誘惑なんだ。孔明なら「今です!」って言ってる。現代人なら「今でしょ?」って言ってる。
俺だってそこまで愚かじゃないよ? 俺があんな「罠があります。安くします」みたいな所に行くって思ってんでしょ?
ほんと、……なんて巧妙な罠なんだ。戦慄を禁じ得ない。
うん。もういるよ。茂みから飛び出す時に「俺は、その逆の逆の逆のギャグだぁ!」とか言って飛び出してしまった。噛んだだけッスよ。他意はないです。
よくある公園の休憩所のような場所だ。三角屋根になっていて、中には木でこしらえた長テーブルと長椅子。
そしてテーブルを背に椅子に腰かけ足を投げ出している少女。
まさか人がいるとは。そしてつい叫んでしまうとは。うん、恥ずかしさが天元だよ。なんて絶妙かつ高火力の罠なんだ! 確実に殺しに来てるよ。口笛吹きながら茂みの中にフェードアウトしたいくらいさ。
俺が、冷たい目線か可笑しな人を見る目を待っていると。ドキドキ。少女はリアクションを全くとらなかった。おやぁ? リアクションどころかかなりの声量だったにも関わらず、まるで意識がこちらに向いていない。 なぁーんだ、ちぇ。
どうやら気づいてないようだ。おそらくこちらの女性の特色なのだろう。人の話を聞かない。
しかしそれも無理もないことだ。奴ら(女性)の生態は神秘とされている。出現場所は世界全般で見られるが、山一つ隔てた近い地域でも全く異なる習性を見せるらしいからな。見たことはないが、褒めているのに途中で機嫌が悪くなる、海辺では目を潰してくる、などがあるらしい。だからなるべく明るい所で離れて見るようテレビで呼びかけがあるぐらいだ。
近づくのは危険かもしれない。しかし時として人は危険を覚悟しても先に進まねばならない。具体的には道に迷った時とか。
いや、だって登山道ねぇーんだもん。なんか山のてっぺんくり貫いて休憩所があるだけでさ、周りは三百六十度藪。でもここにいるって事は何らかの登頂手段でここに来たってことで、山を降りる手段も持ってるはず。最悪人里の方角だけでも教えて貰えればいいよ。
そんなわけで足音を忍ばせつつジリジリと近づいた。これが危険生物に近づく時のデフォです。逃げ道や緊急回避手段、治療道具に野戦医なども用意しておくのが良いでしょう。いやマジで。
大分近くに来たが、少女は全く気づいていない。胸に中学のネームが縫い付けてあるジャージを着ている。髪は肩より長くぞんざいに切りそろえてあるが、何より前髪が目を覆い隠しているのが特徴的だ。ギャルゲの主人公だね。
長椅子の端と端ぐらいの距離に来たが少女は全く気づかない。しかも寝ているわけでもないようだ。なんか口が高速で動いている。独り言を喋っている。
「――くなんてなんともないし、大体クラスでプールとかオワコンお前ら一夏の経験で人生オワコンwwマジざまぁ化粧厚い女子に当たった男子はベッドでざまぁwwあと一年以上あるのに気まずさパネェ。うえ、ウケるww何が化粧の仕方知ってるの〜、だ、頭軽いお前らは余計な知識しか詰め込んでねぇくせに賢いフリしてんじゃねぇよカスがヒラヒラついてく馬鹿男子も夏前にアピールとか露骨(爆w)必至か一緒にカラオケ行ってあげても…あ、歌唄えないんだっけ? だって音楽の時いっつも声ちっさいもんねとか笑うわお前らどうせ男と見れば見境なしにベッドの上で腰振って謳ってんだろ二束三文ども夏あけた時のお前らの成長しましたアピールに笑いこらえんのに腹筋が限界だわwwwこっちから――」
いい天気だなぁー。さーてと、崖、登っちゃおっかなぁー!
カタッ。
本当にこれがキッカケで気づいたのかは分からない。だって椅子の上に乗っていた小石を落としただけなんだもん。あんだけ叫んでもこんだけ近づいても気づかなかったのに。
少女がまるで錆び付いたロボットの様に、ギ……ギギっとこちらを向く。髪に隠れて目は見えないが完全に顔はこちらを向いている。見つかった! こちら蛇、状況は赤。聞こえるか? 状況は赤!
互いに硬直してしまったが少女が段々と赤くなってゆく。危険だ! 噴火の兆候にちまいない! たすけて。
「きっ、」
「き?」
はっ?! 思わず問い返してしまった! きっとキス・ミーとか君が好きとかだと思われる。キル・ユー? 初対面なのに? ないよ、ない。
「――ッヤァァァァァァァァァァァァ!!」
ですよね。
そこからの少女の行動は迅速の一言に尽きる。
一足で距離を潰し俺の懐に入ると熟れた体捌きで俺の胸倉と腕を掴み、俺の重心の下に容易く潜り込み軽々と俺を背負う。
投げる先は舗装されたコンクリート、ですけど? あの、コンクリート! ですけど?!
威力を最大限発揮できるよう勢いのまま叩きつけられ肺から強制的に酸素が吐き出される。それで終わらず。彼女自身も体を落としてくる。衝撃が分散しないようにするためか、肩に全体重をかけて肺の上一点に。
彼女はクッション(俺の体)を利用して反転すると、勢いのまま距離をとり腰を下げ猫のような臨戦態勢を維持したままこちらを睨みすえる。
俺? ピクピク。
俺が、酢の物の中にフルーツを入れるのは法律で規制した方がいいのでは? と意識を飛ばしていると、茂みから尻尾が出てきた。
尻尾はジャージの上を脱ぎ腰に巻いている。黒のTシャツが肌に張り付いているのを指で引き離し、シャツの裾をパタパタと動かし風を取り入れている。
尻尾は荒くなった呼吸を整えながら、まず少女に視線を送り、次に転がっている屍を見た。
色々と積み重なったダメージに俺は動く事が出来ずに、せめて犯人を捕まえて貰おうとダイイングメッセージを残した。
『女性』
このメッセージを読んだ誰か、どうか犯人を見つけて欲しい。それだけが俺の唯一の望みです。
「ハァ、ハァッ、フゥーーーーーーーー、はああ………………ふぅ、また、負けちゃった」
尻尾が呟く。
もっと他に言うことあると思う。とりあえず未だ臨戦態勢を解かないその人を説得して貰えるかな? うん。