めんどくさがりと合宿 3
フリフリのワンピースを翻しながら少女が俺の二、三歩前をスキップしながら歩いている。余程素材ゲットできたのが嬉しかったのか、鼻歌混じりだ。
「ふんふんふふん。ふふんふぅ……ふ、ふふん?」
たまに首を傾げている。知らんのかーい。
一応自己紹介と事情説明を終えて平屋に案内してもらっているんだが……。
「あっ、まちがえた。あっちだった。ねぇ、ちかんさんあっち」
「間違えているのは道だけじゃないよね? ほらよく思いだそう。お兄さんの名前は?」
「どぅえるご?」
外人かな? うん間違いない。アホの子だ。もしかしたらそうかもとは思っていたが間違いない。アホの子だ。
「よしアホ。よく聞け」
「なにそれ? わたしはぁ、あさだしほだよ? ちかんさんアタマわるいなぁ。し・ほ」
なんだその指は? なんだ教えてるつもりか? なんだその目は? 『分かる?』とでも言いたげだな? なんで足止めてんの? なに? ちゃんと名前言うまで進まない気なの?
「…………」
「ち! ほ!」
しほだろ?
魚が死んだ様な目を向け続けていたら溜め息を吐かれた。
「まぁ、もういいや。クエ手伝ってもらったし。ゆるしてあげる」
平屋ってあれだよな? よし行こう。
元々案内されるような距離ではないのにも関わらず、このちんまいのが案内役をかって出たためついていっただけだからな。最初は、あれ? そっちか? こりゃ案内されなわからんかったわ! とか思ってた俺を返して欲しい。
アホの少女の隣をすり抜けて平屋に向けて歩きだしたら、このアホもついてきた。
「ふんふんふふん。ふ……ふふん。ふん? ふーーん!」
何が楽しいのか再び鼻歌を歌いながら俺の少し先を歩くアホ。
すぐに平屋についた。インターホンがあったので押そうとしたら、少女は構うことなく引き戸を開けた。
「おかあさーん! ちかん見つけたー!」
んんー、いー天気だなぁ! こんな日に部屋に引きこもっていたら勿体ないよね? さぁ駆け出そう。できれば邪魔する人がいない世界へ。
「詳しく話してもらえるかしら?」
いつの間にか尻尾が俺の背後に出現していた。逃げ出そうにも振り向けないよ?
「……そうか。話を聞いてくれるか……」
「後でね?」
話が違うくない?
俺の肩をわしっと掴む尻尾。
おかしい。なんかこの世界は俺に優しくない気がする。少なくとも俺は悪い事してないよね? ちょっ、よく思い返してみよう。……涙腺がムズムズするわ。
俺と尻尾が話している間も、少女は気にすることなく平屋に入っていく。
玄関は十畳ぐらいのスペースがあり、左の方にドラム型洗濯機が並んで置いてあり、右の方は室内でも洗濯物を干せるようなスペースになっているのか物干し竿が吊ってある。土足で入ってもいいようだが、奥にもう一枚引き戸があり、その手前に靴が並んでいるのであそこから靴を脱いで上がるのだろう。
少女は引き戸に真っ直ぐ進み、引き戸を開けてそこに腰掛け靴をポイポイと脱ぐ。やはり白か。小学生ぐらいだからね、そこはね。
俺の肩を掴んでいる手が、鎖骨も砕けよ! といわんばかりに圧力を増す。
「……今のは不可抗力だと思うんスよ。そんな趣味ないですマジで」
「そうね。私も流石に理不尽だと思うから……、後で謝るわ」
どゆこと?
「ねぇーこっちぃー! おかあさん!」
少女が誰かの手を引いて戻ってきた。
手を引かれて来たのは、二十代後半ぐらいの少しおっとりとした印象のタレ目がちの女性だ。紺のエプロンを服の上に着ている。
「ちかんさん! 連れて来たよー」
「あらぁー、痴漢さんなの?」
連れてこられた女性は、それは困ったわぁ、といった感じで片手を頬に当て眉根を寄せる。
「誤解です」
両手を上げて無抵抗の意を示す。どちらかと言えば後ろの人に。
少女のお母さんらしき人は、しゃがみこんで少女と目線の高さを合わせると少女に問いかけた。
「痴漢されたの?」
その言い方はどうよ?
少女は首をブンブンと横に振った。
「ううん。されてない」
「じゃあ、痴漢したの?」
「ううん。してない」
「じゃあ、どうしてあの人のこと痴漢呼ばわりしてるの?」
「あれ? なんでだっけ?」
少女が首を傾げる。少しして、閃いた! とばかりに顔を輝かせる。
「たしかそんな名前だった!」
「なぁ、あいつって大分アレじゃね? この先がむしろ楽しみになるようなアレじゃね?」
流石に事情が読めたのか手を離して薄らと汗を掻く尻尾に話しかける。尻尾は目を合わせることなく答える。
「……良い子よ?」
「迷惑しかかけられてなくてもか?」
「ちかんさん!」
肩をメキメキいわされたので、ここぞとばかりにジト目で尻尾を見ていたら少女が声をかけてきた。
「うん。さっき自己紹介したばかりだろう? 俺の名前は?」
「どぅえるご」
そっちは覚えてんスね。
少女の母が首を傾げながら、
「日本語訳だと痴漢なのかしら?」
と困った声で言った。
これはさぁ、帰りたいって思っても仕方ないんじゃなかろうか。
そんな事を考えながらロッカーの鍵を預けるために取り出した。
凄い走ってます。山の中を。
足りないかな? うんきっと足りないね。
凄い走ってるんですよ……?! 山の! 中を!!
ふと気になって「こんな山の中じゃ生活大変ですよね? あの石段の往復とか」と聞いたところ、あの少女の奥さんは「あの石段から来たの? 反対側にちゃんと整備された道があるのよ? 車でこれる……」と答えた。
ハンマーで殴られたような精神的な衝撃が俺を襲ったね。思わず反射的に尻尾を見つめたら、尻尾は平然とした顔で見つめ返してきて「遅刻者はあそこから上がるルールだから」と澄ました声で言った。俺にも適応するのはおかしいでしょう?
ぐったりとする俺を尻尾は再び引っ掴んでズルズルと運んでいく。
されるがままに運ばれる俺を、どうやら管理人らしい親子が手を振って見送った。
「がんばってねー」
うっさいわ!
道場らしき建物の外に三十名余が集まっており、そこまで引っ張っていかれ自己紹介させられた。俺の父さんぐらいの年代から中学生ぐらいまでだろうか? 結構幅広い年代が集まっている。
特に並んでいたわけじゃないが最後方らへんに陣取る。各々ストレッチしたりとかポケットに小さい水筒を入れたりしている。因みに皆ジャージ。俺は山歩きするからジャージの方がいいと言われたからジャージを着てきたが、他の人は車で来たのでは? 半袖半パンでもいいと思うんだが? あのね、暑くてしゃーない。脱ぎたい。
暑さで朦朧としている俺のもとに、尻尾が少年を連れてきた。
「こちら芳原大樹君」
「こんちゃッス! よろしくお願いしゃッス!」
短く刈り込んだ茶色っぽい髪に整った顔立ち。耳にピアス。少し低めの身長。とっつきやすそうなイケメン中学生といったところか。人好きしそうな笑顔を浮かべている。
俺は一つ鷹揚に頷き、
「彼氏か」
「私、そういう冗談、大嫌い」
美少女然としているポニテに腹パンをもらいました。
猛獣がノシノシ(手を振ってるわけじゃないよ?)と去っていくのを、俺は倒れ伏しながら見送った。
「あっ、あの…………大丈夫ッスか?」
「いや駄目だ」
見てわかれ。
プルプルと立ち上がる俺に心配そうな目を向けるヒロキとやら。
「もうそろそろ出発ッス。お供します!」
出発? 何が? 帰るのかな?
そんな疑問符が頭の上に浮かんできた所で、先頭集団がこぞって走り始めた。整備された道があるという方向に向かって。
「え? 何? 食べれるの?」
「さぁ八神先輩! 俺らも行きましょう!」
流れに乗って集団の最後尾で走り始める俺とヒロキとやら。ん? 何? 待って何も聞いてないんだけど? こんな俺に同情のお便り待ってまぁーす! はぁ。
どうやらマラソンをするようだ。集団の最後尾をヒロキとやらと並んで走りながらやっと理解したよ。整備された道って二車線で歩道もちゃんとあるんだね。二列に並んで歩道を走ってます。こんまま帰ろうかなー……。荷物? いいよ別に。自由に代償は付き物だし。ただなぁ〜。
チラッと隣を見やる。
「なぁ、お前って監視?」
「そうッス! 蕪沢先輩から逃げないよう見張れって言われてるッス!」
そういうのって本人に言っていいの?
「ふっ。仕方ないな」
俺は片手をポケットに突っ込む。ピクリと反応するヒロキとやら。
俺はポケットから手を取り出す!
「いくらだ? いくらで見逃してくれる?」
小銭入れを掲げ交渉に移る俺。
ヒロキとやらはニヒルな笑顔を浮かべる。
「フッ。金なんて……」
な……んだと……?! だってお金だよお金? 正直、弟が人質になって金と交換なら金持って逃げちゃうのに?
しかし愕然としている俺にヒロキとやらは続きを話しだした。
「できれば蕪沢先輩の生写真とかがいいッス! 現物のみ取り引き可ッス!」
ふぅ。良かった。普通の男子だ。
「ヌードもいいッスけど、……どちらかと言えば下着姿のがいいッス!」
大変な変態でした。これを思春期の一言で済ましてもいいもんだろうか?
しかしこれならまだ俺にも望みがあるな。
「写真は持ってないが」
「じゃあ駄目ッス」
結論がはえぇよ!
「それ系の本なら大量にある」
ピクリと反応するヒロキとやら。
「………………何冊」
「五冊だそう」
ガシッと! 熱烈な握手をかわした。
「じゃあ後日俺ん家」
「現物じゃなきゃ駄目ッス」
さらりと解かれる握手。
……貰えたとしても、ここからエロ本五冊抱えてマラソンするつもりだったのか? くっ! なんてこった! 予想の遥か上をいくエロ野郎だったようだ。
そんな会話をしていたら、突然前を走っていた人が山の中に入っていった。……ん?
よく見ると前を走っていた集団は忽然と消えていた。神隠しかな?
「さぁ、俺らも行くッス!」
「……え? いや、……え?」
促されるまま山の中に入ったが、そこには道なんてものはなく、前を走っていた人達がピョンピョンと跳ね上がりながら山を登っていた。……さーせん。実は僕、忍者じゃないんです。
「いや、これは無ぬわぁっ!」
「流石ッス!」
諦めて帰ろうとしたらヒロキとやらが突然殴りかかってきた。
「てめぇ! お母さんに言いつけるぞ!」
うちのはマジで洒落にならないんだからね!
「すんません! 蕪沢先輩から『逃げ出しそうになったら、適当に殴りつければいいわ。殺す気でやってればちゃんと走ると思うし』って言われてるッス!」
「てめぇ! さっき話してるときは殴りかかってこなかったじゃねぇか!」
「あれは仕方ないッス。逆らえない流れというものが存在するッス」
くぅ! ここにいる奴は全員駄目だ! もう取り返しがつかない!
とりあえず俺は全力で危険人物から離れる事にした。いきなり殴りかかってくるなんて信じられないよ。俺ん家じゃあるまいに。
ヒロキとやらが俺の後頭部目掛けて廻し蹴りを…待ておかしい。本気で殺す気なの?
「先輩の命令は絶対ッス!」
「さっき買収されかかったじゃねぇか!」
そちらを向くことなく頭を下げて交わす。頭の上を足が通り抜けていく。丁度前傾姿勢になった俺は、踏ん張っていた足の力を後ろに解放する。土砂が煙幕のように吹き上がり、俺は勢いのまま前に駆け出す。
直ぐに何人か追い抜くが、いかんせんここは敵の領内だ。コースアウトしようものならまた周りの奴らが襲いかかってくるかもしれないお巡りさーーん!
「酷いッス! 土がめっちゃかかったじゃないッスか!」
いきなり蹴りかかってくるのは酷いに入らないんだろうか?
かなり距離は開いているが、後方からヒロキとやらが大声で話しかけてくる。ていうかめっちゃ速いな。追いつかれそうだな。ならば! ここからは俺も本気だ!
気持ちを切り替えスイッチを入れる。
筋肉の質が変わり体の中に流れる血流が速くなる。爆発的に増したエネルギーが体の中で出口を探してさまよう。感覚が広がり踏みつける土の柔らかさから肌に纏わりつく大気すら判別できる程に鋭さを増す。
三角跳びの要領で樹上ょうに駆け上がり枝から枝へ飛び移り進む。
「なっ?! 待つッス!」
バカめっ! 古今東西そのセリフを吐かれて待つ奴はいない!
俺はなるべく太い枝や何かの虫(お尻から針を出して飛べる)の巣を樹上から下に向かって落とした。俺だって本当はこんな事したくない。撃ちたくない、撃たせないでほしいものだが、戦争というのは個人事情を呑み込んで行われてしまう。悲しいね。「てめー! この野郎!」「うわっ、マジか?!」「ちょっ、タンマ」「し、新入りぃ! 後で覚えとけよ!」「いってぇ! うぉ?! 二回刺されたら洒落にならん!」「このっ、てめぇの血は何色だ!」赤ですが? 何か?
阿鼻叫喚の坩堝となった山中をスルスルと抜けながらヒロキとやらがかけてくる。
「ちぃ! 生きてやがったか!」
「その発言は色々ギリギリッス! 本当に待って欲しいッス!」
ヒロキとやらは意外と身のこなしがいいらしい。仕方ない、置いてけぼりにするか。これマラソンだもんね。遅い奴は置いてけぼりにしてもしょうがないもんね。はぐれちゃったら仕方ないよね? 帰るしかないよね?
俺は全力で枝を蹴り続け森を抜け出した。
そう。目の前に森はなかった。
「……んーー?」
雲一つない青空が見えた。下の方には樹海が広がっている。遥か、下の方には。
振り返って、今しがた飛び出した木を見る。そこから下が切り立った崖になっていて森が途切れていた。木の根元には看板が。
『
ここから
崖(笑)
』
「ゆっ、許さねえ! 絶対許さねえからなあああああぁぁぁぁ!」
ドップラー効果を響かせながら、俺は樹海に落ちていった。