めんどくさがりと合宿 1
家を出たくない。
間違えた。布団から出たくない、だ。
温暖化も節電もなんのそので絶賛稼動中の我が部屋のエアコンは、今日も吹雪いています。こんな部屋にいたら風邪ひいちゃうよ大変。そんなわけで布団の中に潜って暖をとるのは当然。
俺が生きるために必至になっていると、部屋のドアが開いた。あれ? ノックは?
誰が入ってきたかは分からないが、この家に住んでいるのは悪鬼羅刹のみ! 関わり合いになるこたない。ネタ振り…もとい! 寝たふりに限るね。あれ? 嫌な予感がするんだけど。
侵入者は特に足音を隠すことなく俺のベッドに近づいてきた。
大丈夫だ。なに、焦ることはない。いつもなら昼過ぎまで寝てるんだ。昼前のこの時間に布団を被っているのは不自然じゃないはず……! やだ汗が止まらない。
人物の特定をしたかったわけじゃないのだが、弟なら忍びの里出身ゆえ足音がないはずなので除外。母さんは俺の部屋に入る時「お兄ちゃーん」と言いながら入ってくるので除外。親父除外。
なにこれ。有り得ない可能性を潰していったら残酷な現実しか残らないんだけど?
侵入者の気配がベッドに降りかかる。隠しようもない覇気と、目をつぶってるのに浸食してくる黒よりも濃い闇が見える。そりゃ気の弱い人間なら逝くわな。
侵入者はベッドの前に立っている。圧倒的なプレッシャーが俺を襲う。
手足が細かく震え、汗が肌を濡らす。下唇を噛み締めカチカチと鳴りそうな歯音を殺す。心臓が耳に痛いくらい鳴り響き、逃げ出せ! と言わんばかりの血流を体に送ってくる。
なんで?! なんで俺死にそうなの?!
よくわからんが、今、致命的だ。どうする?! どうすれば助かる?! 理不尽だ理不尽だとは思っていたがまさか寝込みを襲うとは。これ、俺が起きてるのに気付いてないよね? ……あれ? 気付いてても気付いてなくても結果は変わらない気がする。やだぁ、目からも汗が出てきちゃった。
気配の主(殺気の塊)は無言で俺のベッドの前に佇んでいる。特に危害を加えられたわけじゃないのに寒気が止まらない。クーラーの効きのせいだね。うん、きっとそう。
正直、布団の中という棺桶の次に落ち着ける場所にいるのにここから逃げ出したくてしゃーない。逃げ出すにしても立ち向かう(笑)にしても相手と対峙せずにはいられない距離だ。それでも一刻も早くここから離れたいわ。生存本能が本気ガンガン鐘鳴らしてるからね? ちょっ! 必死すぎだろ! ってレベルで。
しかしまぁ落ち着け。冷静に考えろ。爺の名前でよければ幾らでも賭けろ。
俺は只寝ていただけだ。夏休みに入ってからも折檻を受けるような行動はしていない。ぶっちゃけ今まで生きてきた中でもないけどね? ほら、空気読んでね?
……あれ? 大丈夫じゃね? いくらなんでも寝ている(無実の)弟を消滅させたりしないだろ。でも殺気が寒気が。どっちなんだ? 無害(笑)なのか危害なのか。
見極めるんだ。俺のこの眼で!
カッ!
見開いた眼で、予想通り佇んでいた姉(鬼にとっての鬼)を見据える。
ドロドロとしたオーラを放ち、顔の上半分には影がかかっているにも関わらず眼光だけが黒く光り何故か髪の毛が一筋口の端にかかっている。
パターン青。幽霊?
俺は瞬時に動いた。自分でもビックリする程速く。人間の限界? 今忙しいから後でね、ってレベルで。
にも関わらず、姉の右手がゆっくりと握られるのが分かった。限界を超えて動いている筈の俺の動きは遅々として進まず、止まってしまった時間の中で姉だけがゆっくりと動いている。
声が出ない。いや、正確には音すら置きざりにして姉がスローで動いている。姉の右拳が俺の鳩尾に向かってゆっくり進む。え? なにこれ新手の拷問?
待って待って待って止めて止めて止めて痛いきっと痛いていうか痛いなんでもしますから痛いのだけははぁぁぁ勘弁してください神様仏様とか信じてないけどお姉様はきっと優しくて慈悲深いなんだそのあれだとりあえずひゃぁぁぁぁぁあ、あ。
そして、時は動きだす。
ズガン! という衝撃音と共に、布団をぶち抜き突き破らんとばかりに俺の腹に刺さった拳は、余波でベッドを真っ二つに折り、俺から血反吐を吐き出させ、俺の意識が黒いボロのマントをきた骸骨に「出番か?」渡りそうになった所で引いていった。
ばっか、お前、早く連れて行ってくれ。苦しくてしゃーない。二文? なんだその通貨単位。円で頼む。
俺がどこぞの川の渡航役と必死に値切り合いを始めたにも関わらず、姉はピクピクしてる俺の胸元を掴み上げ、俺の頬をパパパと張る。
「……なにまた寝てんの。ムカつく」
聞くだけで死出の旅路につきそうなおどろおどろしい声で脅してくる。
ははっ、俺とした事が。軽い表現だったよ。
姉の繰り返している往復ビンタは、一振り毎に空間を撓ませ俺の頸椎をねじ切らんばかりの衝撃を与えるというのに、俺の首が振り切れる前に反対側からまたビンタが帰ってくる。おかえり。
「お、おあようろらいまふ」
頭が激しく振り過ぎて脳にダメージがいった頃に、俺は生きてる合図を姉に出した。よろしかったら生きてもいいでしょうか? それか一思いにお願いします。
意味が通じたのか飽きたのかは分からないが、姉は掴んでいた手をパッと離した。グシャる俺。
「………………あんたに客が来てるわ」
うん、もう無理だよね? しばらく歩くのも無理だよね? 本当なに考えてんの? 客に会わせるために起こしにきた反応じゃないよね? 完璧に殺りにきてるよね?
そのまま立ち去っていく圧倒的脅威(姉)。地面に臥す俺。
このまま倒れ伏していても誰の迷惑にもならないというか寧ろ必然というような気もしたが、もしかしたらまだ起きてないと思われてあの人間的な何か(姉)が戻ってきたら大事なので、俺は起きる事にした。
ボロボロになってしまった俺の安息の地は後で隙をみて弟の物と入れ替えておこう。姉がやったと言えば、あいつも文句は言えまい。
それにしても今日は折檻が軽かったな? あの日なのかな?
いつもなら睡眠なのか永眠なのか見分けがつかないくらい凸凹にするのに。なんだよ今日ツイてるな。
駄目になってしまったTシャツだけ交換して俺は下に降りていった。
玄関には誰もいなかったので、家に上げているのかな? しかし誰かな? 友達も恋人も彼女もガールフレンドも愛人も伴侶もいないので……あ、やだ、また目から汗が……夏ってやーねー。いいんだ別に。順調にいったら魔法使えるようになるからね。むしろ魔法使いたいしね。世の中のカップルを滅ぼし……あっ、弟いるから無理だ諦めよう。
そんなこんなしてる内に、バスルームとトイレと姉の部屋を開けてみたが誰もいなかった。うんまぁね。一応確認というかなんというか。ラッキー的なね? あれがね? だって男の子だもん。
まぁおそらく茶髪だと思うんだが、いつも部屋直なのに今日に限ってキッチンに上げるとか、珍しいな。
本命のキッチンのドアを開ける。
はい、ガチャッとね。
「やぁ。おはよう」
「いえ、お休みなさい」
俺はドアを閉めた。
艶やかな黒髪をポニーテールに結わえた、黒の半袖のTシャツに黒のスリムジーンズをはいた美少女がにこやかに片手を上げてきていた。
尻尾がいた。
ふぅ。大分キツい一撃をもらってしまったようだな。朝から幻覚が見えるなんて。いやまだ夢の中にいるんじゃないか? そうだよ。よく考えてみろ? いくらなんでも起き抜けの弟に致死的な一撃を入れる姉がいるだろうか? いないいない。あれだよ、いくら家の姉が、最終兵器は彼女?! とか呼ばれる存在でも理由もなく…殴るね。別の角度から攻めよう。朝は弱いし横暴だし存在そのものが(笑)な姉だが…………………………………………………………………………………………いや、無いもの生み出すのは無理だな。奴ならやりかねん。という事はなんだ、夢じゃないのかな?
ガチャッ、ガシッ。
ん? なんだこの手。俺の手を誰かの手が掴んで見える。いやだな、いやだな……、いやだな……。
「なんか八神っていつも逃げだすんだけど? なんでか聞いていい?」
顔を上げると、満面の笑みを浮かべた尻尾が俺の手を掴んでいた。コメカミの所の血管が浮いているけど大丈夫だろうか、早く病院に行った方がいいのでは? 心配。俺の身が。
「……気のせいでは?」
「そうね。私が過剰に反応してるだけよね? じゃあ入ったら? あなたの家なんだし」
俺が何か言う前に、尻尾が俺の手を掴んだままキッチンに引き返す。これ連行だね。俺の意志は関係ないんだね?
仕方なく手を引かれるままにキッチンに入ると、おどろおどろしい視線が俺を射抜く。姉がリビングからこちらを見ている。仲間にはしない。なんか繋いでいる手を凝視しているように見える。俺と目が合うと、姉は偶々目がいったと言わんばかりにテレビに目を戻した。
連行されるがままに座らされると、当然隣同士の席に。リビングから爆発的な気の高まりが! なんだ?! なにが進行しているんだ?!
「い、いや、これじゃあ話にくいからさ……おっ、俺は向かい側に座る、よ?」
「それもそうね」
尻尾が頷いて手を放してくれたので、俺は向かい側の席に移動した。
尻尾の向かいに座るとリビングがよく見える。これでいざとなったら逃げ出せる。
しかしリビングは、先程感じた気の爆発が勘違いだったかのように平穏を保っていた。姉がつまらなそうな顔でテレビを見ている。
ここで安心していいものだろうか? いやよくない。またいつ妖気を感じるが分かったもんじゃないからな。どうしよう? こうしよう!
「なぁ。込み入った話なら俺の部屋」
バァン!
リビングから破裂音が。視線を上げてみると姉の手にしていたであろうグラスが粉々に。
尻尾も振り返って心配そうに姉に声をかける。
「……あの、大丈夫ですか?」
「ああ、気にしなくていいわ。ごめんなさい、話の腰を折っちゃって。どうぞ? 続けて(・・・)?」
軽く会釈しあう姉と尻尾。尻尾の視線が俺に戻ってくる。
「それで?」
「……え? あ、ああ。俺のヘヤーどう?」
「乱れてる」
まぁね。
破砕音が聞こえた時点で軽く浮かしていた腰を下ろす。
「ん、んん。それで? どうしたんだ? こんな朝早く」
「……もう昼と言ってもいい時間なんだけど……まぁ、別にそれはいいわ。前置きも無しね? 約束したでしょ? あれを果たしてもらいに来たの」
「約束は破るためにある」
ピリッと、空気が変わったのがわかった。尻尾は微笑を浮かべながら殺気をビリビリと放つという器用な事をしている。何故か姉がテーブルに突っ伏しているのがチラリと見えた。
「約束を果たしてもらいに来たの」
「……約束はやぶ」
「約束を果たしてもらいに来たの」
「や、やくそ」
「約束を、果たして、もらいに、来たの」
「ハッハッハ、任せたまえ。男子たるもの約束の一つも履行できずに何が漢かと」
一回毎に顔が近づいてくるのが怖い。更に何故かリビングの殺気も近づく毎に膨れ上がってんだけど。近い近い。何? チューか? チューしたいのんか?
俺が男らしく了解を告げると、尻尾は上げていた腰を椅子に戻した。チラリとリビングを見る。何ら変わりなく姉がテレビを見ていた。おかしいな? あいつの存在おかしいな。
長々と見ていると殺られるので視線を尻尾に戻した。
「それで? 約束ってなんだっけ? 何をプロミスしたっけ?」
誠実さ満点で問いかけたというのに、尻尾は少し呆れた顔をしている。
「この前の帰り道で約束したじゃない。また手合わせしてくれるって」
「うん。ちょっと待とうか」
駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
視線が自然とキッチンのドアに向かう。こうなってしまったら避殺技の出番かもしれない。幾多の魔の手(姉のDV)から幾度となく逃れてきたこの三十六計で、自由の空へ羽ばたこうかな?
「ちょっと待って。……なんか視線がドアにチラチラいってるんだけど……逃げないでくれる?」
びくっ!
再び尻尾に視線を戻すと、尻尾は困ったような顔で微笑んでいた。
「大丈夫。この前みたいな無茶はしないから。これでも私だって反省してるんだから。だから……なんて言うか……あくまで修練の一貫というか……普通の試合形式でというか」
そこで尻尾は一息おいた。緊張しているのか、呼吸を正して再び話始める。
「そ、それで、今後うちの道場で二泊三日で合宿をするんだけど……いっ、一緒にどうかな? ……って」
リビングで破砕音が響いた。
地雷を回避するつもりで歩いてたってのに、地雷が飛んでくるんだもん。もはや地雷じゃないね。最初から俺の生き残れるルートなんてなかったんだね? ――そんな八月の始まりの朝でした。




