めんどくさがりと澁澤 3 鬼、ごっこ
夜なお暗いとは正にこの事だろう。
深夜の学校は恐ろしく静かだ。水滴の垂れる音が聞こえるとか、バカな。誇張だろ? とか思っていましたが、これなら聞こえるね。どこかで囁かれるヒソヒソ話も異様に響く足音もバッチリ。気のせいかさっきから視線を感じるんだが、振り向くと誰もいないんだよな。いやだねぇ、自意識過剰なのかしらん? 意識をしっかり保たなきゃ。たろけて。
って、こねぇえええええええええええええ!!!!
いつまで待たせんだよ?! 待ってる間に反省文書いてたから大作ができちゃったよ?! 惨話まで書いちゃったよ!
放課後に仕掛けをしていると読んでテンパを待ち伏せしていたのだが、日が暮れて日が落ちて職員がいなくなってもこない。おいおい。もう「ごめん! 待った?」「ううん。俺も今きたとこ」の会話じゃ済まないよ?読みが外れたか? しかし、朝は無理だしな。何故かって? 人は早起きするように出来てないからだ。だから、必然的に放課後が正解なわけだ。有り得ない可能性を端から排除していって、最後に残ったものが、どんなに疑わしく見えても真実なんだよ。つまり弟は人じゃないよ。結論。
一つの心理に行き着いた俺は右手を義手にしなくてもいいかもしれない。じゃあなんで来ないんだろう? 根本的な見直しが必要かもしれない。
そこで俺に一つの気づきが訪れた。相手は人間じゃない! 女性です。納得。
そんな巡りめくる思考の渦に囚われていた俺は、段々帰るのがめんどくさくなり今に至る。もう明日、失敬。今日は終業式しかないんだし、このまま出欠だけ受けて朝になったら帰ろうかなー。
時刻は草木が眠り男子がハシャぐ時間。その気配は現れた。足音どころか物音一つ立てずに廊下を進んでくる。霊魂の方がよっぽど主張してるよ? 本当に人か不安になるわー。
なんとなく、イメージ的に金髪って暗闇の中で輝いて見えるように感じたのだが、月明かりも雲が遮って真っ暗闇の中では視覚じゃ輪郭しか捉えられない。犯人だな犯人。
それにしても、こんな時間じゃ見つけられんわなぁ。こんな時間に学校にいるとかイカレとしか考えられんわ。でも相手は女性。納得。
廊下を淀みなく進んできた気配は俺の教室の前にくると、音もなく戸を開けた。
え? 人間ですか? と問いたくなるところだが、なめんなよ? こちとら調べはついてんだ! 我が校の一年は無音技術の取得を完了してるんだろ? わかってるって。恐らく今年度からだな。去年はなかったからなぁー。
そんな事を考えながら俺は教卓の下に隠れている。テンパの気配が下駄箱から廊下に上がってきたところで教室に引っ込み、テンパが戸を開ける前に教卓の下に滑りこんだ。
後は携帯でパシャパシャやるだけだ。イジメなんてもんは証拠おさえられたら終わりだかんね。悪い事やってるっていうのは本人もわかってる。だから隠す。白日の元に晒されたら己が恥を広めることになる。よほどの白痴じゃなきゃ恥の上塗りなどしないだろう。
えーと、説得にきたんだよな? 説得ってのは、イエスって言うまでボディを殴られ続けるか(むしろイエスに祈りたかった)『この写真が見えるかぁ? この写真をバラまかれたくなかったらグヘヘヘ』って奴だよな? よし合ってる。
息を潜め物音を消しているが、それは相手も同じだ。俺は教卓の下で気取られないようカメラをスタンバイし、
暗闇の中で、碧く光る半眼が俺を貫いていた。
俺はそれに目が合うと、そっと目をつぶり、静かに床に寝そべった。両手は頭の後ろで組んで無抵抗をアピール。怖ぇえなんてもんじゃねぇよ勘弁してつかさい俺が悪かったよぉ!! って叫びながら逃げだしたい。
チラッと視線を上げる。
金髪碧眼の童女はしゃがみこんで俺をじっと見ていた。なんてことだ。角度的にバッチリなのに暗闇で見えない! じゃなかった。
どうしよう。何も悪いことしてない(深夜の教室にいる時点)のに、バレるとなんか恥ずかしいな。それを上回る怖さが心にあるのは多分相手が女性だからなはず。
俺がゆっくり顔を上げると、テンパは忽然と消えていた。
おい! この学校で忍育成してる奴でてこいよ! ぶっ飛ばしてやる! 時と場合ってあるだろう? シュチュ考えて行動しろよ!
俺が教卓の下から出ると、テンパは教卓の前の席でガサガサと何かしていた。俺の席ですね? いいえ、テンパです。
「お前、いくらなんでも本人の前で仕掛けんなや……」
膝がくだけそうになる。もちろん怖さで。
しかし俺は挫けない。日頃から姉(恐怖の体現者)と接しているのだ。これしきんことなんぞなんなか。
三度顔を上げる俺。
テンパが何かを仕掛け終えたのか、手になんらかのスイッチを持ってる。一見は普通の机ですが? 水でも落ちてくるんだろうか?
試運転なのか、テンパがスイッチを押す。
バチチッ
真っ暗なはずの教室が一瞬雷光に包まれる。椅子の周りに火花が散った。
千鳥ですね? わかります。
テンパは特に感慨を顔に表すことなく、淡々と今度は机の中に手を突っ込み始めた。
「待ってください」
机に突っ込んだテンパの手を掴む。
説得? なにそれウケる。電気椅子作っちゃうような鬼女に俺は一体何を。ここはこうだ!
「本当、もう勘弁してください」
ピシッと四十五度に頭を下げ白旗を上げる。
プライド? 頭一つ下げたぐらいで磨り減るようなプライドなんて持ちあわせちゃいない。つまり無いよ?
しかしテンパは俺の事など気にせず、手を離した瞬間から作業を再開する。手元からはカチャカチャと何故か機械的な音がしている。
おぅ、なんという事だ。これが最近の女性必須のナンパ無視というテクか! 開放的になる季節だからね。男性の誘いには軽々しくいや待て。
「……あのー」
俺は恐る恐るテンパに声をかけてみるが、そういやぁ名前も知らない。しかも名前を呼ばれたぐらいで、こいつが今の作業を止めるとも思えなかった。あ、でもエロ本発掘は阻止できたよな? あん時は鍋で釣ったんだっけ。えーと、つまりなんだ。不可能?
「おーい。なぁー。……へーい彼女ぉー、僕とあそばなぁーい?」
……帰ろうかなぁ。ああ、柔らかい布団が恋しい。
俺の涙腺が今日も働こうとしているのにストップをかけていたら(目をつぶってグッと我慢)、何故かテンパが作業の手を止めてこっちを見ていた。仲間にはしないよ?
………………
しばし深夜の教室を沈黙が支配する(普通)。
え? なんだ? 何がテンパのセンサーに引っかかった。俺なんて言った? はっ!
「多いな?」
テンパが作業を再開する。
「あ、遊ぼう! 遊ぼう遊ぼう俺と遊ぼういや遊んでください」
テンパが再び作業の手を止め俺に向き直る。
テンパは良かったが、他の女性に今の言葉を放ったら向こうも拳を放ってくるかもしれないから気をつけろ。合図は、笑顔で小首を傾げる、だ!
一瞬余計な事を考えてしまったが、テンパはまだ俺を見ていた。遊び遊び遊びねぇ〜〜? 一狩り行こうぜ? とか言ってみる?
俺の発言を待っているのか、テンパが半眼で俺を見つめる中、考えるポーズをとっていた俺は右手の人差し指を立てて提案する。
「と、トランプ、とか?」
テンパの手が三度机の中に。
あれれ? トラップじゃないよ? カードだよカード。カードゲーム。んだよ! 文句あんなら口で言えや! 大体友達とかいないから二人以上の遊びとか知らないよ。カラオケも居酒屋も一人酔う場所なんだぞ! わざわざお一人様用とかいらない。
しかし弱ったな。後は、深夜に男女で一緒に楽しむ遊びとか一つしか思い浮かばない。バッカ。何考えてんだよ。ちげーよ。命を作る行為だよ。
さて、どうしたものか。俺が二人以上で遊んだのとか……おぅ、大分記憶を遡っちまったぜ。
「じゃあ、鬼ごっこ」
子供の頃はよくやったんだよ。弟とお世話係の人と三人で。後は、かくれんぼ、とかな。弟に友達が出来てからはしなくなったなぁー。喜々として部屋にこもり出したら、ジジイが「強制鬼ごっこじゃ〜」とか言って……いかん。思いださんでいいことまで、鬱だ。寝よう。
俺が顔を青くしているうちに、いつの間にかテンパが作業の手を止めこちらを見つめていた。え? マジで?
「…………鬼ごっこ?」
もう一度、確認をとるように言ったら、テンパと視線がぶつかった。そんな。別にフリなんてしなくても、君は充分オニオニしてるよ。というかめんどくさくなってきたから帰りたい。まさか提案に乗ってくるとは。
!
圧倒的閃き。エジソンはこれがなきゃ天才にはなれないって言ってたから、逆説的に言うと、俺、天才?
思わず口元に笑みが浮かぶ。にたぁ。
おっと、いかん。
浮かんだ笑みを隠すため口元に手を当てる。くくくく良きかな良きかな。一応立場をハッキリさせとくが、俺いじめられっ子、テンパいじめっ子、オーケー?
何気なさを装うのが大事だ。
「……じゃあ、鬼ごっこ、やろっかねぇー」
『んー』と背を伸ばしながら言う。おっけ自然。
「只、普通にやるのもつまんないし……なんか賭けよっか?」
心臓の鼓動が増すにつれ少し息遣いが荒くなる。おっけ自然。
「そうだなぁ〜、ありきたりだけど、負けた方が勝った方の言うこと一つきくってのはどうかな?」
目が血走る! おっけ自然。
深夜の学校、自分のクラスで年下の美少女に賭けを強要して軽く興奮している男子、マジで俺です?
いかん。なんか犯罪なのでは? 捕まる前に撤回しとくか? むしろ今日は撤退しとくか? このままじゃ徹夜だしな。雀聖にあらず。
こくりっ。
擬音にするとそんな感じで、テンパが頷いた。
正直、軽く驚いている。この金髪碧眼は意志の疎通を放棄しているのがわかる。だからその行動をこちらが勝手に解釈して読み取る事はできるが、まさか反応を返してくるとは思わなかったからだ。反応が無いことをいいことに賭けを強要したわけじゃないからね? 勘違いしないでよね! おおぅ。ちょっと動揺してんな。落ち着け。ふぅ。冷静。
「よ、よし。じゃあ、ルールを説明しる、いや説明する」
えーと、弟と昔やってたやつでいいよね? タッチで交代とかないよ。あれエンドレスじゃん。どんだけ子供と子犬を殺せばいいんだよ。
一つ咳払い。喉の調子を確認。軽く歌う。よしジャイアン。
「あー、……まず『鬼』と『子』に別れる」
『鬼』で自分を指差し『子』でテンパを指差す。
この鬼ごっこは大抵脚が速い方が鬼になる。自慢になるが脚には自信がある。なんせ日々、人とは形容しがたい何か(物理性概念化存在………………姉)から逃げ回ってるのだ。あれレ? なんか涙腺のメーターが一気にレッドゾーンまで上がったよ? 不思議。
「『鬼』が『子』を捕まえたらゲーム終了。『鬼』の勝ち。タッチで『鬼』が交代するなんて事実はない」
それあれだから。ウィルス的な?
こっからオリジナル。
「『子』は決められた範囲から逃げ切れば勝ち。……この場合は、校庭を含む『学校』から出れば勝ちかな?」
このルール、子供の頃決めたんだよなぁ。俺と弟にこの遊びを教えてくれた、俺と弟のお世話係の人が普通の鬼ごっこのルールを教えてくれた時に。ヒヤッとしたね。隣には無邪気に笑う体力の化け物(弟)がいるのに、ムチャな?! 死にたいの? って思ったね。賢しらぶって追加のルール決めたんだよな〜。鬼が人になったりタッチで鬼が伝染するのは変だって言って。必死だったね。隣の体力の化け物が新しい遊びにウズウズしてたからなぁ。
チラッとテンパを見る。特にウズウズはしていない。女の子だもんね? そういえば、お世話係の人も楽しそうではなかったなぁ〜。二回目以降は誘われる度にビクッてしてたしね。俺と一緒に。
「じゃあ、俺が鬼やるから。三秒経ったら追いかけるぞ?」
テンパは不動でこちらを見ている。雲が切れ、月が出てきたため月明かりが教室を照らす。蒼白い光を浴びると女神のような神聖さを帯びているようだ。眠たげな眼差しもハネている金髪もいつも通りなのに。
テンパが逃げないので数を数え始める事にした。流石に数え始めたら逃げるだろ。スタートの掛け声がないからどう動いていいかわからないのかもしれんし。なんか「スタートっ」って言うのハズいよね?
「……いー、ちっ?!」
俺が数え始めると同時に銀閃が俺の喉のあった位置をなぐ。咄嗟にしゃがんでかわしたが、テンパが予備動作無しでカッターを横なぎにしたのはびびった。えと、鬼ごっこですけど?
テンパは追撃の手を休めず、チキチキと更にカッターの刃を伸ばす。
「にぃ!」
今度はカッターを突き込んでくる。一々急所狙いなのに恐れいる。えっ? これ逃げちゃ駄目ですか? 確かにルールには『鬼』を攻撃しちゃいけないってないけど。そやけど!
突き込んだ態勢から急停止し、そのまま横なぎにしてきたテンパの攻撃を避けながら叫びたかった。常識は! と。
「さんっ!」
言い終わると同時に逃げ出した。だってテンパがカッター持ってる手とは反対の手に、今度は警棒を持ち出したからだ。スイッチ入れたらジャキッって伸びて、なんかバチバチいいながら雷光放ってんだけど? 千鳥ですね。わかります。
深夜の教室から武器を持った年下の女の子に追われて飛び出す男子、どうも鬼です。あ、知ってます? 鬼ごっこって『鬼』が『子』を追いかける遊びなんですよ?
頭の中で、クールクールクールクールクールクールクールクールクールクールクールクールきっとクルぅーと唱えて冷静に状況判断。おっけ超クール。
ふっ。なに、俺も馬鹿じゃない。これはテンパの作戦だ。俺から距離をとるより俺に距離をとらせた方が勝つ確率が高いと踏んでの攻撃だろう。自分の方が足が遅いと読んだか? 正しい。だからテンパが範囲外に逃げないようにある程度距離を空け過ぎないようにしないと。振り返って、
テンパが警棒を振り下ろしてきた。
ぎゃー! 怖い怖い! なんで無音なんだよ?! もうハッキリ言っとく。俺、忍、嫌い。この学校に里があるなら崩すよ。めんどくさいけどね、後の平穏のためだから。
警棒を大きく避ける。雷が空を焼く。これがあるため大きく避けざるをえない。態勢が崩れ速度が落ちる。テンパが距離を詰め、勢いのままカッターを投げてきた。文房具投げるとか。戦争はしないよ?
眉間に投げ込まれたそれを、首を横に傾けて避ける。態勢は崩れ視線がブレた俺にテンパが警棒を下から体の中心を狙って振り上げる。うまい。ああ?! 思わず褒めちゃった?!
スイッチを入れ、思いっきりバックステップを踏む。
バキッと床が踏み割れる音と共にテンパの視界から消える。テンパが警棒を振り上げる速度より速く離脱する。
煌々と照らされる廊下の先に俺は佇む。こうなりゃこっちのもんだ。今タッチしなかった理由? いや、怖くなんかねぇよ。俺ビビらすとか大したもんだよ。
大した存在は振り上げた警棒と俺を見つめ無表情で小首を傾げている。殲滅の合図キタコレ。本能が、逃げっちょっ超逃げてぇ! と言っている。うん。同感。でもね、逃げたら負けで、負けたら言いなりなんスよ。賭けとかするんじゃなかった。
テンパの様子を伺う俺。テンパは警棒を袖にしまうと(女子の制服って不思議)闇に溶けこむように後ろに駆け出した。
どうやら俺の命をとるより勝利条件を満たすようにしたようだ。ふぅ。やばーい。あれ? 鬼ごっこってこんな生き死にの遊びだったっけ?
俺は目尻から輝く物を流しながら、窓を開け放ち飛び出した。
二階!
一階!
途中の窓枠に着地して勢いを殺しながら一階まで降りる。テンパが意外に速い。もう一階に降りる階段にさしかかってる。
俺はテンパの逃げ道を予測して先回りした。
テンパが下駄箱に来る。
「よう。待った?」
なるべくフランクに声を掛けてみた。なんかね、殺伐としてるけど、これ鬼ごっこだから。子供の遊び。
雰囲気の緩和を試みたがテンパは相変わらずの無表情に眠たげな半眼で俺を見据える。ほんのついさっき会ったばかりなのにテンパはイメチェンをしていた。女の子ですものね?
右手に黒い手袋をしていた。地獄先生ですか?
俺が構わず距離を詰めようとしたら、テンパが右手を無造作に振った。
ヒュッ
風切り音と目端に捉えた光に嫌な予感を覚え、咄嗟に伏せる。俺の立っていた位置を何かが通過し、周りにあった下駄箱が、ズレる。
「んな」
倒れてくる切れた下駄箱を飛び起きて避ける。再び風切り音。下からくるソレを半身になってかわす。
「鋼糸とか?! 中二かよ!」
紛れもなくあの右手には何か宿ってるよ。女の子ですものね?
テンパの右手を注視し、暗闇の中からせまる凶刃をかわしまくる。細かく寸断されていく各学年の下駄箱。縦横無尽に壁に走る裂傷。
死の刃とその残骸が乱れ舞う中、一歩、また一歩とテンパとの距離を縮めていく。
落ち着け。心に水を投影するんだ。さすれば千変万化の火をもを潜る。帰ってくる、俺のアームズが! ちゃいました。タッチするだけでいいんでした。
距離を縮めるにつれ指(俺のアームズ)をワキワキさせる。べ、別に他意なんてないんだから! 勘違いしないでよねっ!
ヒィースぅヒィースぅと息遣いが変わったのは疲れたからだ。残像もかくやと動いているからね。
鼻と口から出る息は荒く、指をこまめに動かす男子が触ろうと迫ってくる。テンパは逃げ出した。
ふははっ! 逃げられるとでも?
一気に勝負を決めようとスピードを上げようとして、俺は止まった。
く、黒塗りのワイヤーだと?
追いかけていれば丁度首が当たる位置にワイヤートラップが仕掛けられていた。
殺す気か?! なんだよ、俺なんかしたかよ?
テンパが再び校舎に消える。このまま逃がす、わけがない。この下駄箱の惨状が物語っている。テンパを侮っていた。一時たりとも目を離すべきじゃない。
テンパが窓から逃げないのは鍵を開ける時間がロスになるからだろう。このまま追いかけても追い付く自信はあるが、敵さんは図画工作が12ぐらいある限界突破だ。勝てない。女の子ですものね?
方向を切り替え下駄箱から外へ。一階の廊下を併走する。テンパに追いつき追い抜く。その勢いのまま、
窓ガラスを突き破って一階に侵入。
虚をついてこのまま捕まえられたら良かったが、テンパの判断は素早く、横の動きに対応されたと分かると一瞬の淀みもなく階段へ。横から縦への変化。しかもこちらが追いかける側なので、テンパは常に上の位置どり。不利なのは否めない。が、俺は今度は力業で外壁を登ることなくテンパの後ろを追いかける。月明かりで光源が確保されてるだとか角度的にバッチリとか全然関係ない。鬼は追いかけるものだから。そこに山があるから!
黒くて丸い物体が降ってきた。嘘だろ。
刹那。轟音と光の洪水が世界を満たす。
数瞬後には、まるで何事もなかったように再び静寂と暗闇を取り戻した校舎があった。
俺は気にせずテンパを追って二階を過ぎ三階へ。
閃光弾? ああ。目を瞑って耳を塞いで回避しました。ふっ、起き抜けに四回転をマークする俺の、目を焼き三半規管を揺らそうなど片腹痛い。ホントに痛い。衝撃もしっかりあったんだけど? どゆこと?
兎に角、今ので間違いなく警備が来るだろう。数分の猶予もなくなった。早くテンパを捕まえて今度は俺が逃げなければ。正に鬼ごっこだよぉ〜WWW。笑えん。
大体、全部テンパがやったんだが? 下駄箱の崩壊も階段爆破も窓……。人のせいにする奴は最低だ! 俺は最低辺の人間。つまりオッケー? 色々駄目? わかります。
テンパは四階を過ぎてなお上に。バカめ! そっちは俺の庭だ! 給水タンクへは梯子掛かってないんだぞ?
俺も最上階に到達。一息つく。ここまで来たら袋の鼠だ。逃げられはせん。
ドアノブをグッと回す。
いつの間にか雲は流れ空は高く、月明かりが煌々と屋上を照らしていた。
テンパは、月の蒼く薄い光を一身に浴びて、金髪がうっすらと輝きを帯び、そのどこまでも澄んだ碧い目でこちらを見ていた。
フェンスの上に立って。
ど、どうしたの? そこ危ないよ? 一体なにがそんなに君を追い詰めてしまったんだい?
頭の中で眼鏡の影がチラつく。縁と一緒の心の黒さ、が売りの先輩。
深夜に年下の女子を追い回す。屋上に追い詰められる女子。手をワキワキさせながら近寄る男子。迫る警備の人。学校の惨状。俺の未来は? たいぃーーほ。いや待て。そんな誰でも彼でも状況を逆手に脅迫してきたりしないって。考え過ぎだって。ほらよく見て。
テンパは微かに笑っていた。
誰も信じらんねぇー。
最初に出会った時のように、テンパは微かに口角を持ち上げて笑っているように見えた。精巧に作られた人形のように。その完璧な人形の、光を放っているかのような瞳からは、何故か涙が流れていた。月明かりの中で、テンパは泣き笑いの表情をとっていた。
いや、わからんから。理解とか無理だから。ひたすら謝るべきなのか奇声を発しながら逃げるべきなのか、次にどう反応すればいいのか選択肢皆無。チャラい知り合いとかいないしね?
掛ける言葉は出ず、見つめあっていたのは数分か数瞬か。
トンッとテンパが虚空に飛び出し、
俺は全力で駆け出した。