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めんどくさがりの反省



 十一時十一分、雨が降り出した。


 今日は朝から快晴で気温も高い。いわゆるお天気雨ってやつだ。狐の嫁入りとも言う。


 カラカラに晴れた連日。農家の人は大喜びかもしれないが、肌に纏わりつく温い雨は一般の人には歓迎できない。勿論俺も歓迎してなかった。


「ちょっ、マジ最悪!」


「すげー濡れた! ジャージ脱ぐ?」


 ぼんやりと窓から外を見てたら、体操着を肌に張り付かせた女子が校舎に駆け込んでいた。


 してない。歓迎なんてしてないよ?


 体操着は学年でハーフパンツの色が違うだけで、上は白の半袖。白って濡れると透けるよねー。他意はないとです。ほんと。人間は過ちから学ぶんですよ。


 窓際の席から珍しい現象を観察してるだけです。あれってどうなってんの? ってね。大体学校なんて学びの園だよ。知的好奇心を満たすためだけの場(問題発言)なんだから、にょた…天気の神秘に気をとられても仕方ないんだよ。ラーメン屋の倅も言ってる。しょうがないじゃないかぁ。生姜がないのか仕方がないのかハッキリして欲しい。


 俺が授業よりも食事よりももっと大切な勉強をしていたら、隣からお声がかかった。授業中は大抵暇つぶしに遊んでいる……確か、せ、せ、せ、――隣の奴だ。


「……八神くん、八神くん」


 俺は視線を固定して動かさない。男の顔と外の風景。二者択一だよ。誰だって外を選ぶよ。大自然には勝てない。


 俺が聞こえない振りで無視をしていたら、すぐに声は聞こえて来なくなった。俺は視力を最大限発揮して細部まで見えるように外を見続けることにした。おおぅ、けしからんな。


 ガシッ


 ん?


 俺の頭が掴まれ、そのままギリギリと首を回された。いやだな? 折れちゃうよ。


 視線の先には副担任先生様が怜悧な視線で俺を見ていた。俺は捉えた。最大限発揮した視力で、額の青筋を。


「いい天気ですね」


 思わず出た言葉はお見合いの文句みたいだった。


「雨が降ってるみたいだけど? 先生の授業よりは面白いのかしら?」


 ははっ。いやだなぁ〜。そんなわけないじゃないですかぁ。なんて、言おうもんなら、このまま首が一回転しかねん。俺は静かに沙汰を待った。


「斎藤くん」


 副担任は俺から視線を外さず教卓の前の席の奴を呼んだ。呼ばれた奴が、俺? と自分を指差して返事する。


「は、はい」


「斎藤くんと八神くんは席替え。斎藤くんはこっち、八神くんはあっち」


 なんだ。それぐらいなら。


 斎藤とかいう奴が教科書やノートを持って立ち上がった。俺も、副担任が手を離したので荷物をまとめて立ち上がったら、副担任が言った。


「違う違う。席替えって言ったでしょ? 机ごと入れ替えなさい。この時間が終わっても、八神くんの席はあそこ」


 副担任が教卓の前を指差す。


 え゛っ。


 俺と、何故か斎藤も、同時に嫌そうな顔になった。学年が上がりクラスが変わって三ヶ月。正直、漸く周りの状況にも馴染んできたのにここに来て席が替わるのはちょっと……。明後日から夏休みだが、コミュニケーションゼロの環境に放り込まれるのは嫌だなぁ。ぶっちゃけ、一番後ろ窓際の席を譲りたくない。しかし斎藤も嫌そうな顔をしてるのは何故だ? 飛び上がって喜べ。そのまま飛んでいけ。


 すこーーーしの微量で若干の反意を込めて、副担任に視線を投げかけたが、見事に撃墜された。鷹の目だった。戦場で英雄になれるレベル。


 どうも最近副担任の前で失点を重ね過ぎたせいで信頼を亡くしてしまったらしい。冥福を祈ろう。


 唯々諾々と言われるがまま、椅子を机に乗せ移動を開始する俺と斎藤。正に社会の縮図だね。女に逆らえない。希望ってないのかな?


 俺の目端が輝いた気がしたが、俺の涙腺はそんなもんじゃない! と信じたい。だが、クラス中の注目と斎藤の「お前のせいで」という敵意の視線が痛かった。隣の席の奴は、今思えばこれを警告していたのだろう。すまん。もう隣の席じゃないからどこかで会っても分からないと思うけど、気を悪くしないで下さい。さーせん。そして、新しく隣の席になった右の男子はよく知らない。今度は左隣もできた。左隣は、


 つり目がニヤニヤしながら指をパタパタしてた。え? なにこの悪魔。


「さ、じゃあ続き始めますよー。二十四ページから。八神くん続きを読んで」


 副担任に名指しで指名されては断れない。あの楽園の風景から、随分遠くに来てしまったな……。視線に寂寥感を込めていたのだが、副担任の視線に込められた感情には勝てない。大人しく教科書の続きを読むことにした。










「反省の意が見られないからダメ」


「状況説明じゃなく謝罪を全面に出しなさい。却下」


「作者の意図が感じられないわね。ボツ」


「短く纏めすぎ。原稿が何枚か分かってる? ちゃんと指定の枚数まで書きなさい。書き直し」


「何を伝えたいのか見えないわ。推敲しすぎなんじゃないの? やり直し」



 …………放課後。……そう、放課後なんですよ……。

 何故か物書きの苦労が分かってきたよ? 俺の感性がおかしいのかな? でも、副担のダメ出しもおかしくね?


 最近常習になりつつある進路指導室で副担と二人きり、向かいあって座ってます。甘い空気とか、その考え方が甘かった。


 チラッと視線を上げると、


「なにか?」


 有無を言わさず撃墜されます。気のせいか、俺が反省文を書き上げる度にピリピリ度が上がっていくんですよ。不思議。


 俺は今書いてる反省文に目を落とした。


【思春期の性に対する興味とは煩悩である。失礼、本能である。年を重ねるにつれて理性で抑制がきくようになるこの衝動は、コントロールが難しく、時に自らが望んでいないような行動に出てしまう。しかし、まだ弱輩の思春期とはいえ、本能のままに行動するわけではなく、弱いながらも理性のブレーキがきき、他人に対して害するような事はなく、『見る』といった普遍的で学習性の高い行動に落ち着く。だが、この『見る』行動も対象には嫌悪感を及ぼす場合があり、相手の精神の安定を図るため隠れて行為に及ぶ必要が出てくる。この一連の流れは、一般的な思春期の男性にとっては普通のことであるが、往々にして『悪』と取られる事がある。つまり結論として、青春とは悪であり、女性とは悪を惑わす魔であると言えよう。


P.S 本文は一般的な価値観に基づいての私見であり、犯罪を助長するものではありません】



 俺は反省文に目を通し終えて頷く。


「完璧。賞とか取れんじゃない?」


「とれますかぁ!」


 副担が机を叩いて立ち上がった。最近トレードマークの青筋が浮いてる


「ちょっ?! 先生落ち着いて。とりあえず、なんか飲み物でも買ってきますから。何がいいですか?」


「えっ? えーと、じゃあお茶で…………って待ちなさい」


 キョトンとした顔の副担に頷いて立ち上がり、ドアに手をかけた所で待ったがかかった。ちぃ。


 渋々、元居た所に座ると対面の副担がコメカミに手を当てていた。


「先生。お疲れなのでは? 後の事は俺がやっておきますから今日の所はお帰りになられては」


 バン!


 副担が強めに机を叩く。俺は再び原稿用紙に向き直った。


 きっとテーマが悪かったんだな。字も見にくいし空気も悪い。俺の育った環境や学校という特殊な社会構造も原因に違いない。つまりアレだ、その、世界が悪い。


 俺が世の混沌具合をテーマに反省文(?)を書き進めていると、対面から再び溜め息の音が聞こえた。そんな?! 提出はまだなのに?!


 チラッと視線を上げる俺。副担はどうやら自分が溜め息を吐いた事に気づいてないようだ。眉間を指で揉んでる。


 よく見ると顔色も少し悪い。疲れが全面に出てる。……そう言えば、余所見したぐらいであんな大仰な罰を下す先生じゃなかったような……。まぁ、大体当たりはつけてはいるが。


 俺はシャーペンを机に置いて顔を上げた。すかさず副担が睨んできたが、気にせず話しかけた。


「先生。あの、席替えの件なんですけど……」


「駄目です。八神君はあのまま」


「大丈夫ッスよ?」


 副担の台詞を遮って答えを返す。俺の答えに副担は少し戸惑っている。言葉が足りなかった。俺は続ける。


「イジメにあってるわけじゃないッスから」


 副担が、驚いたのか口をパクパクさせるが、言葉は出てこない。気づかないわけないでしょ? 疑問を持ったら調べる気質のくせに、自分の受け持つクラスの生徒の机が真っ赤にコーティングされて、立場的にも心情的にも原因と犯人を突き止めたいと思わないわけがないからね。


 席替えは目が届く所に俺を置いたって所かな。一人だけ進路指導室で反省文を書いてるのも、チャンスがあれば話を聞こうとしてたんだろうなぁ。特に話なんて無いが。


 副担任はコホンとわざとらしく咳払いをすると、話を切り出してきた。少し顔が赤い。恥ずかしいの?


「そうね。別にそんな意図は無かったけど、生徒に悩みがあるなら聞くのが教師よね?」


 どっかのビー組のな。最近の教師は生徒に暗殺とか教えちゃうのが主流。やだコワい。


「それで? イジメにあってるの? 安心して。ここでの話は誰かに漏らしたりしないから」


 勢い込んで前のめりになる副担任。そうすると、シャツのアレがそれで、隙間からそれがコレで、ガン見。


 俺の視線に気づいた副担が、俺の視線を追う(そりゃそうじゃ!)。拳が(とうとう)飛んできた。俺は受け入れた。ありがとうございます!


 机にめり込む俺(勢いを物語ってるね)。数秒後に咳払いが聞こえたが、俺は顔を上げなかった。せめて安らかに……。


「ちょっと八神君? もう顔を上げていいわよ。先生、怒ってないから。でも君は、なんでここで反省文書いてるのか分かっているの? 本当に」


 あー、寝みぃ…………いつも寝てる時間だしなぁー。えーと、なんだっけ? 寝るんだったかな? 寝ようかな?


「もう!」


 ゴスッときた。目の前が机で衝撃が逃げていかない。火花キレイ。

 顔を上げると副担任の顔の赤みは消えていた。なんか後頭部に違和感があるな? まさかこの御時世に暴力振るわれるわけないしな。それに姉や弟に比べたら、この程度を暴力と呼んでいいものか……はっ! もしや! これが噂の愛の鞭か?! つまり副担は俺の事を愛しちゃってる?! いけない!


「先生! 俺は生徒ですよ? いくら何でもそれは」


「生徒だから、何か悩んでいるなら相談にのるし、必要なら手助けするわよ」


「でも」


「言いづらい事なのはわかるわ。勇気がいることもね。でも、ここで話した事は内緒にするから大丈夫よ」


「……そうですか。それなら――」


 副担任は居住まいを正して聞く姿勢をとった。俺も真剣な表情で頷く。


「ぶっちゃけ、年上には興味が無いというか恐怖しかないというか、好みは年下で儚げで弱々しい感じの子なので先生はアウトオブ眼中ってか俺にもえらぶっ!」


 伸びてきた副担任の手が俺の顔面を鷲掴みにして引っ張られる。

 前屈みになったらまた見えちゃいますもんね? だから引っ張っるしかなかったんですよね? 決して俺の扱いが段々雑になってきたわけじゃないと信じたい。


「――先生は、真面目に聞いてるんだけど?」


 二、三人殺ってそうな副担任様の冷たい声が響く。


 俺も真面目に生きたいです。いや、生きるのに真面目です。だからここはこうだ!


「ひぃぃぃ! 命ばかりはお助けをぉぉぉ!」


 指の圧力が増しました。


「……もういいわ。八神君は先生の質問に答えるだけで。ハイかイイエで答えるの。簡単でしょう?」


 気のせいか……先生の後ろに姉の幻影が見えるよ。「このまま頭を割ったら命は絶えるの。簡単でしょう?」って言ってるように聞こえるよ。幻聴だよね。つまり俺の視覚と聴覚はもうヤバい。俺の顎から汗が滴り落ちる。


 指の圧力がまた少し増す。


 な、なんでぇ?! まだ何も……あっ!! そうかわかった!


「ハイぃぃ!」


 緊張に少し声が裏返ったが、指の圧力は元に戻った。充分痛い。はよ質問してや! だいたい「簡単でしょう?」が既に質問とかおかしい。女性って元からおかしい。納得。


 冷たさを保ったままの声で副担任が続ける。


「八神君はイジメにあっていますか?」


「…………それは、今?」


 副担は溜め息をつくと、俺の頭を割りにかかった。


「質問にはハイかイイエよ?」


「ノォぉぉぉ! 痛い! ごめさい!」


「質問にはハイかイイエよ?」


 マジか? 教師パない。


「イイエイイエイイエイイエイイエ!」


「ノリノリね?」


 イェイ。


「あってない! イジメにはあってないです!」


 学校では。


 パッと手を話す副担任。顔が変形してないか確かめる俺。威嚇なのか副担任は手をパーグーパーグーしている。や、殺られる?!


「……私、リンゴを素手で握りつぶせるんだけど」


 通りで!


「八神君の頭って硬いのね? 結構本気でいったのに……ビックリしちゃった」


 ぽけっと(モンスターではない。怪物だ!)している副担任に俺はビクビクと話しかけた。


「……先生。一人称が私になってるし、本気で暴力振るったって言ってます。学校学校、ここ学校」


 ハッとなる副担任。微妙な沈黙が進路指導室におちる。な、なんか気まずい。帰りたい。


「……きょ、今日はここまでにします。少し遅くなったからね。反省文は明日提出で。ちゃんと書いてくるのよ?」


 俺の想いが心に届いたのか、副担はワタワタと帰り支度を始めた。


「や、八神君も早く帰り支度して……あれ?」


「先生が鍵かけるんですよね?」


 俺は鞄を肩にかけ進路指導室の扉の外から副担に声をかける。先に帰っても良かったが後が怖かったので自粛した。


 パタパタと小走りで荷物を抱えて進路指導室を出る副担任。


「……早いわね」


 驚き半分バファリンの半分といった様子で俺を見る副担任。そのまま進路指導室に鍵をかける。


 しかし、そんなに問題になってたんだなぁ、あの机。俺的には放置でも構わないのだが、俺関連で誰かに余計な行動をされるのは避けたい。原因は俺! を避けたい。副担の目元の化粧が濃いのも、悪いなぁと思う。


 お願いしてみるかぁ〜。話せば止めてくれるやもしれんし。なにより、夏休みに持ち越したくないしな。


「さ、帰るわよ」


「ウェーイ」


「……返事はハイかイイエよ?」


「はい!」


 副担の指がゴキッと鳴ったので、気をつけの姿勢をとって良い返事を返した。この人は女性。失念するなんて……以後気をつけよう。




 副担任から三歩離れて付いていく。本当に気が緩んでいたようだ。

 空き教室に黒縁がいないか警戒しつつ、俺は進路指導室を後にした。

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