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めんどくさがりと三枚の御札



 あとは勇気だけ!


 無事ミッションをこなした俺は図書室を脱した。まさかテンパの生息範囲圏内だったとは……驚きだね。これから図書室には近づかないようにしなくちゃ。


 学校を出る途中、黒縁が徘徊していたので上手くかわした。これから俺は部活だりぃの精神でいくことにした。そもそも黒縁に関わるとめんどいよ。


 いつも通り自転車にのって帰る。もう障害はないしね。運び屋とか天職かもよ。


「うぇっ、ひん、うっく」


 ………………。


 電信柱の陰に、鼻をすんすん鳴らしながらしゃがみ込んでいる幼女を発見。同じネタとかいらねーよ。芸人じゃねぇんだから、海老が乗ってる方にしてくれます?


 ……知らん知らん。兄貴に発見してもらえ。姉と弟で手に余ってるのに、俺に可愛い妹とかいない。残念だよね。


 本当に残念な事に、危険物を運んでいるので通り過ぎようとしたら、真横に通り掛かった所で飛びついてきた。


 りありぃ?


「うぉ!」


 咄嗟に抱き止めるが、自転車はそのまま行ってしまった。がしゃーん。……あーあー。こんな事もあろうかと、思ってたわけじゃないが物が物だけにしっかり閉めておいて良かった。鞄の中身が投げ出される事態は避けられた。ベタだいっきらい。塗るの疲れるからね。


 さて。この幼女に危ない事したらいけないということをコンコンと諭そうか。説教だ。


 しばらく泣き止むのを待ってたら、幼女がポカポカと俺を叩き出した。


「おかしが! わるい!」


 その通りだね。よく俺が悪い奴って分かったね?


「おかし、ぜんぜん、いない。だから、わるい! りっか、がんばって、がんばった。だから、おかし、わるい!」


 叩いているうちに悲しくなったのかまた泣き出した。俺は屈んで目線を合わせると頭を撫でてやった。抱きつかれた。夏服で良かったぜ。スペアがあるからな。


 リッカが涙と鼻水(青春の汗とか誰が言ったの?)を俺の制服にこすりつけてる間、思い出したように「わるい!」を連呼する幼女に「そだねー」「ごめんねー」と相槌をうちながら泣き止むのを待った。


 しばらくして泣き止んだのを確認すると、俺はリッカを離した。頭を撫でながら、


「じゃあ、帰るか」


 と言うと、素直に頷いた。めっちゃ良い子ですやん。これが成長したらうちの姉のようになるというんだから人間って不思議だ。


 リッカが両手を開いた。うん。やはり女か。


 俺は幼女をだっこしてやると幼女は眠そうに自分の指をくわえて体を預けてきた。泣き疲れたか?


 俺は溜め息を吐き出すと、自転車と鞄(重要)を拾うため歩きだした。









 真っ直ぐ家に行くことにしたのは、別に今警察に会うのがマズいと思ったわけじゃないよ? めんどくさかっただけ。


 ただリッカは眠らなかった。


 指をくわえてる手とは反対の手で、俺の頬をペシペシ叩いたりつねったり、「ごめんして。ごめんっして!」と何故か謝罪を要求してきたりした。放り出されたいのかい?


 しばらくして飽きたのか、鞄を指差して「あれ、なーにー?」と聞いてきた。イカン! エンディングが見えた! 捕まる。


「リッカ。お腹減ってないか? なんて偶然。コンビニがあるから寄ろうか?」


「おみせ、アメかうの?」


 フッ、チョロい。


 期待に目を輝かせている幼女の頭の中には、もう鞄の事などなかった。 コンビニの前に自転車を止めてコンビニに入る。今日は降ろしてとせがまれなかった。なんかちょっと恥ずかしいんだけど、まぁいいか。


 リッカをだっこしたまま物色。とりあえず飲み物を買った。炭酸。お次はお菓子を物色。そこで気付いた。なんか大人しいな? リッカは文句を言うこともなくお菓子をボーっと見ていた。


「なにか食べたいのあるか?」


「?」


「いいぞ。一つ買ってやるから」


「おかし、おかし、食べる、かうの?」


 難読だな。俺は尤もらしく頷いた。


「そうだ。いいぞ。一つ持ってきな」


 そう言うと服をクイクイ引っ張ってあっちに行きたいと指差された。指示通りに行くと、お菓子というより玩具コーナーに着いた。いつも予想の上を越えていく奴だぜ。リッカが一つ手に取った。


「それでいいのか?」


「これはー、りぃちゃんももってる。りっか、いいなぁって言ったから、りっかもほしい」


「そうか」


 犯行動機としては弱いな。


 俺は適当にチョコと小さなパックジュースも取ってレジに向かった。ついでに唐揚げも買った。


 店を出て、脇に挟んでいた鞄をまたカゴに入れる。玩具は取り出してリッカに渡してビニール袋はそのまま腕に下げた。唐揚げを一個口に放る。残りはリッカに持たせた。


「? あーんするの? おかし、たべる?」


「後でな。リッカが食べていいぞ」


 知ってる? 近くに公園があるんだよ。そこで食べる。


 食べていいと言われてリッカが唐揚げを口にする。俺なら一口だが、リッカに取ってはデカいらしく頬が膨れる。


「うまいか?」


「おあしい」


 そうですか。


 俺は公園に向かって歩いた。








 公園に着いた。


 木製のテーブルの近くに自転車を止め、テーブルの上にビニール袋とリッカを置いた。リッカは気にせず唐揚げを食べている。


「ほれ。これも飲みな」


 買っておいたリンゴのジュースを渡す。頬が膨れているので返事は言葉じゃなく頷きが返ってきた。俺もイスに座りペットボトルのフタを捻る。


 漸く一息つける。今日も疲れたなぁ。ぼーっとあらぬ方向を見ながら思考を投げ出す。たまにペットボトルをあおる。なんて楽なんだろう。できれば部屋でぼーっとしたかった。


「あのねー、けいくんがねー、おやまをねー、じょーず。りぃちゃんもまぁちゃんも、りっかも」


 新しい呪文かな? ごめんね魔法使いじゃないんだ、わからないよ。


 リッカが呪文を呟いているのを横目で見ながらチョコの小袋を開ける。一つをリッカの口に放り込むとリッカは黙った。


 お菓子便利だなぁー。今度からポケットに入れて持ち歩こうかなぁー。


「おろしてー」


 リッカがクイクイ引っ張ってきた。効果は数秒らしい。役にたつか微妙。


 リッカを持ち上げて下に降ろしてやる。リッカは数歩歩くと俺を手招きしてきた。


「おかしも!」


 断るよ。否。


 そんな意味合いで首を横に振っていたら、リッカが戻ってきて俺を引っ張る。小さい子には難しかったかな? やだやだやだ。


 しかし意味は通じず、砂場まで引っ張られてしまった。ほんと、女性って強引。


 リッカは服が汚れるのも気にせずペタリと座り込むと、手元に砂を集めだした。


「おかしも!」


 さっきから君、それしか言ってなくね?


 ふっ。おいおい? 俺をいくつだと思ってんだ。砂を集めるとか、本気でやるしかないな。


 俺は自分の身長並みの砂をリッカの前で山にしてやった。リッカが大はしゃぎでトンネルを作るというので、砂像に造形してやった。世の中そんなに甘くないことを教えねば。


「とんねる! とんねるがいい! へん!! やだ!!」


 少年に大志を抱かせようとした歌手の一人を再現したのに、足の辺りをリッカがぱんちで砕いた。将来が心配。


 崩れ落ちる砂像にキャーキャーと嬉しそうなリッカ。笑顔で一言。


「もっかい!」


 さくらんぼなの?


「…………なにをやってるの?」


 これが俺の将来の縮図なのでは? と絶望と不安に彩られていたら声をかけられた。


 振り向いたら、尻尾が微妙な表情で立っていた。


「砂遊び」


 形容しようがなかったので事実を伝えてみた。それに、どちらかと言えばこちらの台詞では? ここは貴様の道場とは反対方向だぞ?


 言葉では伝わらないこの気持ちを態度で伝えてみた。訝しげな表情で右手を顎に、首を傾げる。きさん、なーにしとん?


 尻尾は「あー……」とごまかし笑いを浮かべながら目を泳がせた。黒です。刑事さーん、こいつでーす!


 尻尾が何か言う前にリッカが脚に抱きついてきた。なんだ? 仲間外れにしてたわけじゃないぞ。

 リッカは何か言いたそうにもじもじしてるが、何も言わない。チラチラと尻尾を見るだけだ。恐いのかな? 恥じることはない。俺は恐い。


 尻尾は屈み込んでリッカと視線を合わせると笑顔で話しかけた。


「なにしてたの?」


「…………おやま」


 その声音は優しげで態度もやわらか…っておい。年か? 性別か? どうしたら俺にもそういう態度で接していただけます?

 ショックで少しぼーっとしていた間に、尻尾とリッカはおやま製作を開始していた。普通の高さの砂山を作っている。


「水で固めると崩れないわよ」


「おみずー?」


「そう。おみず」


 リッカが砂を寄せ、尻尾が右手だけでそれを固めていた。


 ……なんだろう。この沸々と湧き上がる感情は。疎外感凄いよ。いや待て。もしやこれは好機なのでは? リッカはここからなら家に帰れるだろうし、尻尾は……放置しよう、大変危険。


 俺が密かな大望を抱いていると、リッカからお声が掛かった。


「おかし! ここ! おかしはここ!」


 リッカが自分の隣をパンパン叩いている。俺は首を横に振った。


 リッカは「もー!」と鼻息も荒く立ち上がると俺を捕まえて引っ張った。何故か尻尾にも反対側を掴んで引っ張られた。


「なんだよー。やめろよー」


 俺の必死の抵抗(投げやり)も虚しく俺は砂場に座らされた。尻尾が腕を離さない。どゆこと?


 それどころか、二の腕をニギニギされた。痴漢かな? 痴漢だね。ちかーん!


「……で、何やってるか聞いても?」


「ご、ごめんなさい! いや、意外と筋肉質でもないんだなって」


 俺が問いかけると尻尾はパッと手を離してワタワタと振った。顔が赤い。えっ、なんだろう。ラブチャンス? ラブチャンスなう? こいつは、美人だしスタイルも悪くないし顔もいいし美形だから外見は完璧で、鉄拳主義で話を聞かない乱暴者。なーい。ふぅ、一時の感情で気の迷いが生じるとこだったぜ。


 俺が額の汗を拭っていると、尻尾が憮然とした表情を浮かべた。


「……なにかしら。なんか気にいらないわね」


「おかしー、またバーってやってー」


 尻尾と問答していたら、リッカが不満気な顔で足を引っ張ってきた。


 仕方ない。俺はしゃがみ込み顔を両手で隠してバーっとやったらビンタを頂きました。ちっちゃくても女の子ですもんね?


 ペチペチと俺の頬を叩くリッカを尻尾が叱る。


「こーら。お兄ちゃん叩いたら駄目でしょう?」


 君が言うの?


 自覚はあるのか視線を飛ばしたら「なにか?」と睨まれた。あれ? いま俺を擁護してんだよね? 叱られてるのは幼女だよね?


 リッカは素直な良い子なので、すぐにシュンとして尻尾に「ごめんなさい」と頭を下げた。うん。俺には?


 そんな微笑ましげな(被害者除く)やりとりを見ていたら、公園の出入り口から誰かがこっちに近づいてきた。


 黒髪のショートカットでパンツスタイルの大学生ぐらいっぽい、


「こらぁ! リッカぁ! あんたまた抜け出して!」


 怒ってる女性(?!)。ヤヴェ。ダッシュで逃げたい。

 名前を呼ばれたリッカが振り向く。


「ママ!」


 ママ?!


 一瞬にして喜色を浮かべたリッカだったが、ママさんは構うことなくゲンコツをリッカに落とした。リッカの表情が砕け目尻に涙が溜まる。


「うぇぇぇん、おかじぃぃぃぃ」


 泣き出したリッカは一直線に俺の元に走り寄り抱きついてきた。ママさんの注意が俺に向く。ん? あれ? リッカさん? なんでグイグイ押すのん?


 ある程度ママさんとの距離が(物理的に)縮まったらリッカは押すのを止めた。ママさんは眉間に皺を寄せたまま一息吐くと申しわけなさそうに言った。


「ごめんねー? うちの娘が邪魔しちゃって」


「い、いや。全然」


「っく。ママ、きらい! じゃま、ちがうもん!」



 リッカの一言にママさんの眉根がピクリと反応する。おおおお落ち着いて! 子供子供子供。子供が言ってること。


「たった今も邪魔してるでしょうが! ほら! こっちきなさい! 帰るわよ!」


「やっ! ママ、ばか! きらい!」


「おっ、親に向かってなんて口の聞き方してんの! まちなさい!」


 リッカは巧みに俺の後ろに回りママさんがそれを追いかける。つまり真正面にママさんの怒り顔。なんだよ。なんの罰なんだよ。

 因みに尻尾はゲンコツ辺りから傍観している。いや、呆然としている。


 俺は状況の緩和を試みた。


 美人は怒ってても美人だが、女性が怒っている時は明るい所で離れてみようって言われてきているからね。ママさんママさん。落ち着いて。


「あの、…」


「なに!」


「わたくしが捕まえて参ります」


 俺はすかさずしゃがみ込むと、だっこの要領でリッカを抱え上げた。ごめんリッカ。怖かったねん。


 あまりの素早さにリッカもママさんも驚いた顔をしていた。うーむ、こう並ばれると似てる。やはり親子か。


 リッカは我に返ると俺の首筋にしがみついてきた。ママさんは俺の変わり身に怒気が抜けたのか、リッカの背中をポンポン叩く。


「ほら、帰るよ。お兄ちゃんにバイバイしな」


「やっ! まだあそぶもん! おかしもそう言ったもん!」


 言ったか?


 俺が疑問を呈しようとしたら、ママさんの眉根が再びピクリと動く。この人沸点低くない? 俺は話題を逸らすことにした。


「あー、すんません。紹介が遅れましたが、リッカのお兄ちゃんと同じクラスの八神です」


 軽く頭を下げるとママさんも返してきた。


「あらー、彌と同じクラスの? 友達かしら? ごめんなさいねー? 立花が迷惑掛けちゃって」


 漸くママさんの顔に笑顔が生まれる。つまり要注意だ。あと友達じゃない。


「前、スーパーで連れ立って歩いている時に話した事があるんで、それで覚えてたのか捕まっちゃって」


 学校の近くまで来てたことは言わない方がよかろ。怒気にあてられてしまう。


 ママさんは頬に手を当てて弱り顔で答える。


「そうなのよ。ちょっと目を離すと信じられないくらい遠くまでフラフラ歩いてっちゃうし、人見知りが激しいから誰かに頼らずワンワン泣いてるところを警察から連絡が来たりして」


 ママさんは「困ったわ〜」とため息を吐き出した。しかし、ママさんはそこで表情を切り替え尻尾の方に目線をやった。


「ほんとにごめんねー。彼女さんかしら?」


「他人です」


 食い気味で答えたら尻をつねられた。いつの間にか尻尾が近くに寄ってきていた。なんだよー、本当のことだろー。


 会話に入る機会をうかがっていたのか、今度は尻尾が自己紹介する。


「八神の友達の蕪沢です。リッカちゃんのお兄さんは知りませんが、同じ学校の同じ学年です」


 強敵達だろ? あれ、待って、両方違う。はっ! この子嘘ついてるよ!


 俺が愕然とした表情を浮かべたが、ママさんと尻尾は見ておらず、二人で「お邪魔だったでしょ」「い、いえ全然」とやり取りを交わしていた。俺は更に落ち込んだ。二段オチってやつですね、ええ。


 うなだれる俺をリッカがペチペチと叩く。傷口に塩だね? 殺菌効果がある。


 不意にリッカがママさんの方向を向いて一言。


「ママー。おかしも、つれてって、いいー?」


 子供ってすげぇ無茶。ママさんも尻尾もビックリというより唖然としている。


 ママさんが再び困り顔で言う。


「あんた、本当に気にいったのねぇー。普段はめちゃくちゃ人見知りするくせに」


 ママさんが俺の方を向く。


「そんなわけで、駄目かしら?」


 おいオバサン。


 尻尾の視線も俺に向けられ、一気に注目の的になった俺は、リッカをだっこしたまま荷物の置いてあるテーブルまで歩いた。リッカに買ってやった玩具を持ち上げて一言。


「持っていけるのはどっちかだ。俺かこれか」











 公園からママさんに手を引かれながらリッカが手を振って帰っていく。満面の笑みだ。脇には玩具を抱えて。


 この場合恐いのは、女か、子供か。女は元々恐い。つまり子供も恐い。よく強い男が「女子供に手出しはしない」って台詞があるけど、わかるわぁ〜。恐いもんね。無事じゃすまない。


 そんな事を考えながら手を振ってたら、気づいた。


 公園に尻尾と二人きり。


 ヤバい。人目が無くなったら殴りかかってくる女だ。ケダモノだ! どどどどうする? なりふり構わずにげゆ? しかし鞄が。


 冷や汗をかく俺を無視して、尻尾はテーブルの上のゴミを片付け始めた。その手が俺の鞄にの、させるかぁぁああああ!!


 人生最速。瞬間移動を実現並みの速さで鞄をとる。目標を失った尻尾の手がテーブルにペタリとスカをくう。


 …………


 怪我している女性に重い物を持たせる訳にはいかないもんね。それだけ。


 しかし俺の気遣いは尻尾に届かず、不信げな眼差しを俺に向けてくる。俺の顔を見て、俺の鞄を見て。尻尾が鞄を指差す。


「な――」


 ほいっ。


 尻尾が口を開いた瞬間にチョコを投入。尻尾が泡を食う(チョコだけど)。その隙に鞄を自転車のカゴに放りこんだ。それいけ! 自由の空へ!


 一こぎ目から全力。だがどうしたことか進まない。あれ? なんだこれ構造上の欠陥じゃねーのなんだよそれやめてくれよ訴えて勝つるぞこのやろう。


 全力でこいでいるのに前に進まないから、俺は恐る恐る振り向いた。尻尾が冷めた表情をして片手で自転車の荷台を掴み持ち上げていた。むむ。おいおい、掴んでたら進まないだろう? はっはっはバカだなぁ……俺。逃げられるわけないのに。


 仕方なく自転車から降りたら、尻尾も自転車を降ろした。荷台から手は放さなかったが。


 尻尾が一つ息を吐き出す。幸せが逃げるよ?


「まだ何も言ってないでしょう? その、とりあえず逃げるスタンス、止めてくれる?」


 お前が追ってこなければ考えよう。しかし逃げることを止めたら俺は死んじゃうよ? リアルに家で。


 俺がロダン作のあれな人っぽくなってる間に、尻尾が荷台に座る。いやいや、なにしてんの?


「こうしたら逃げられないでしょう? じゃあ帰りながら話しましょうか」


「…………」


 俺は無言で自転車を押し始めた。もう考えるのが面倒になってきた。


「こがないの?」


 道交法。


 返事は心の中だけに留めた。声帯を震わせるのも面倒に……。尻尾は構わず話し続ける。


「八神って何かやってるのかしら? 出来れば定期的に道場に来て手合わせしてくれない?」


 振り向いちゃ駄目だ止まっちゃ駄目だ目を合わせちゃ駄目だ声を出しちゃ駄目だ取り合っちゃ駄目だ関わっちゃ駄目だ駄目だダメだだめだ、いや、逃げてよかろ?


「ねぇ聞いてる?」


 背中をクイクイ引っ張られる。俺は気にせず歩道をトロトロ歩く。


「八神が私を悪く思うのは分かるんだけど、……その、なんて言うか……悪かったって思ってるし、出来れば、その、なっ、仲良く? してくれたらって思ってるんだけど」


 横目でチラッと尻尾を見ると少し赤くなってた。つまりなに? 友達? 的な?


 俺は恐る恐る声を掛けた。


「……もう殴ったりしない?」


「……ちょっと分からないわね」


 アウトじゃん。なんだよ! 論じるまでもねぇよ!


 俺が話を切ると尻尾が焦った様子で話しかけてきた。


「だっ、だって! 手合わせするなら、寸止め試合以外なら普通に殴り合うし、私って、その…………手が出ちゃうことが」


 言葉の最後の方はよく聞こえなかった。こいつなんか感じが本当に変わったな。スッパリ言う、図々しげな奴だったんだが。


 俺はもう一度溜め息を吐き出した。


「いいよ」


「……えっ?」


 前を向いてる俺に尻尾の顔は見えなかったが、構わず続けた。


「手合わせとかは嫌だ。金輪際する気はない。でも普通に話し掛けるぐらいならな……逃げねーよ。友達って言われると、正直、首を捻っちまうけどな。ま、普通に」


「………………ありがとう」


 尻尾を振り返ると、力の抜けたような表情をしていた。こいつのこういう表情は本当に幼く見える。俺が見つめているのに気がつくと、はっとして表情を作る。


「手合わせ云々はまた今度話しましょう」


 ねぇよ。それが一番ねぇ。


 押していた自転車が不意に軽くなる。振り返ると尻尾が荷台から降りていた。目が合うと尻尾は笑みを浮かべた。


「私、こっちだから。それとも送ってくれる?」


 冗談。日は高いしどちらかと言えば君のが危険だし。

 俺は軽く手を振った。


「じゃあな」


「うん。また」


 尻尾は手を振り返して、大通りに繋がる道へ駆けていった。


 俺も帰ろ。












 家だー。

 マジ疲れたな、今日は。こうなってくると収穫も喜べないよ。早くクーラーをガンガンに効かして布団の中に潜り込みたいな。冷たい飲み物を脇に持って。


 自転車を車庫入れ。ポケットから鍵を取り出す。


 この時、俺は気づかなかった。自分の朝の所行も、今からどこに行くのかということも。疲れがピークに達していたことも事態の悪化に拍車をかけた。かろうじて記憶に残っていたのが、ポケットのチョコをどう使ったかということ。足止めできると思ったのがお笑いだよな? 彼女の味覚を破壊したのは俺なのに。数秒後の俺は部屋で悲鳴を上げることになる。今、鍵を差し込んだ俺には思いもよらないことだ。この時の俺は幸せだった。だって生きてるんだから。


 呑気な顔で、今、地獄の蓋(玄関の扉)を開けた。




――――――希望なんて残らなかった。

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